筋肉詩人と創作狂人と観察対象
放課後。
文芸部の部室は、相変わらず“文学の墓場”みたいな匂いがした。
インク、紙、そして青春が混ざった香り。
窓の外では夕陽が落ちて、街のざわめきが遠くに霞んでいる。
ボタンはいない。
……たぶん俺が“寄り道もせずに真っ直ぐ帰る人間”だと勝手に予測し、校門で張り込み続けてるのだろう。
観察観察言ってる割には、俺が文芸部所属なことは知らないようだ。
もしかして人見知りとかして聞き込みができないのだろうか?
――いや、それ以上言うのはやめとこう。
ちょっと可哀想になってきたから、「もう帰ったからお前も帰れ」とでもメッセージ送っておくか。
……なんだかんだで、メッセージ送らずにはいられないあたり、俺もだいぶ毒されている。
「おう、レン。ずいぶんと濃い一週間を過ごしたようだな」
文芸部部長、真鍋ユウトが、スティックシュガーを噛みながら言った。
黒髪短髪、袖をまくった腕、指先にかすかに残るインクの跡。
外見は体育会系なのに、言葉のテンポはどこか詩的。
“筋肉で哲学する男”とはよく言ったものだ。
「……お前、毎回そのセリフ言ってないか?」
「言ってる。だって、お前はこの喜劇――明暉高校毒舌蠱毒譚のメインキャストだからな」
「俺は一般生徒Aなんだが、蠱毒に入れても真っ先に死ぬ無害な虫だよ」
「どっちにしろ、物語の中心にいる奴のセリフじゃねぇな」
言い返そうとして、笑ってしまった。
この男には、反論する気が湧かない。
なぜなら、理不尽を優しく肯定する才能があるからだ。
「はい、二人とも、動かないでくださいね」
カシャッと小さな音がした。
春日ナツメが、文庫本を片手にスマホのカメラをこちらに向ける。
肩までのゆる茶髪に、丸眼鏡。
教室の光を受けるたび、髪の色も機嫌も変わる気分屋。
手にはいつも文庫本。推しカプによってしおりの色を変えていて、赤は“攻”、青は“受”。本人いわく「統計学的な偏りを防ぐため」。
笑うと口元がちょっと意地悪そうで、でも目尻はすぐに柔らかくなる。
知的で掴めないのに、人懐っこくて放っておけない――そんな矛盾の塊。
「え、なに」
「観察です。素材収集中」
「お前もかよ観察魔」
「私はあの子より実践的ですよ。机の上の理論より、現場主義なんです」
そう言って続けざまにもう一枚、パシャリと写真を撮る。
「いい構図ですよ。悪友と優男。友情か、共犯か、――それとも恋か。文学的です」
「後半は違うからな」
「でも、境界って曖昧じゃないですか。友情も恋も、“見つめる時間の長さ”で変わるものですし、もっと近づいてもいいんですよ」
ナツメの言葉は軽く聞こえるのに、芯がある。
創作脳は、どんな会話もテーマ化してしまうらしい。
「……お前のその脳みそ、たぶん文芸部における危険物指定だな」
「褒め言葉として受け取っておきます。私生モノもイケるので」
「……そういうのはこっそりやろうな?」
ユウトが、机の上のカップを指で弾いた。
コツンという音が、夕陽の中でやけに響いた。
「で――結局、お前は誰が一番好きなんだ?」
あまりに自然に言われたので、紅茶を吹いた。
「ぶっ……お前なに聞いてんの!」
「純粋な好奇心だ。人間の心は変数だろ。そろそろサンプルの傾向が出てもいい」
「研究者の言い方すんな」
「おお、良い質問です!」
ナツメがノートを構える。
「レンの好みを統計的に分析する同人誌」でも作る勢いだ。
「で、だれなんだ? 王道の転校生・ボタンか? それとも禁断の妹ルートか?」
「そこそこ気色悪い発言やめろ。どっちもねーよ」
俺はため息交じりに笑った。
「……傍観者ってのは楽だな」
口ではそう言いながら、胸の奥でなにかが動いた。
それが焦りなのか、諦念なのかは自分でもわからない。
「外から見てる分には、全部コメディに見える」
「でも演じてる側は、常にシリアスですからね」
ナツメが笑う。
「だからこそ、観察者が必要なんですよ。世界が回るのは、見ている人がいるから」
ユウトが静かに頷いた。
「なるほどな。俺は“折れたら詩にする”けど、お前は“折れるまでを物語にする”タイプか」
「つまりお二人とも、心の扱い方が面倒くさい」
「そういうお前もな」
三人の笑い声が重なって、夕暮れが少しだけ明るくなった気がした。
帰り際、ユウトがぼそっと呟いた。
「レン。お前、いつか誰かの言葉で折れるぞ」
「そのときは、お前が詩にしとけ」
「添削は任せろ」
ナツメがそれを聞きながら、スマホを掲げる。
シャッター音が、部室の空気を切り取った。
「はい、“友情と沈黙の間”。今日の名シーン、いただきました」
――部活とは、青春の逃げ場ではなく、人生の“観察記録”なのだろう。
たぶん、誰かが見ている限り、この瞬間は終わらない。




