ラスボスオーラ半端ないです、会長
チャイムが鳴った瞬間、教室の空気が変わった。
黒板には、白いチョークで大きく書かれた文字。
――【討論週間】開幕。
明暉高校では、学期に一度「討論週間」という文化的イベントがある。
全生徒がテーマに沿って議論を交わし、最優秀弁論者を選出する。
ディベートではない。もはや宗教行事だ。
討論の勝敗で、推薦枠が決まる。
討論の敗北で、部活の廃止が決まる。
……それは、もはや因習村の神への供物だ。
「優しさは能動か、受動か」
掲示板のテーマを見上げて、俺は小さく呟いた。
……こんなテーマで一週間、学園全体が燃えるのだから、平和って偉大だ。
「レンくん、“優しさ=受動説”に賭ける?」
隣でボタンがメモ帳を開く。
「ボクは“能動説”。観察って、優しさの能動的な形だと思うから。相手をよく見て何を望んでいるかを探るのが観察」
「……じゃあ、お前は観察止まりだから優しさとは言えないな」
「それは一般論。私は君に優しくしようとなんて全く考えていない」
「……そうですか」
俺は小さく笑った。
たぶん、俺の“優しさ”は、ただの棚上げだ。
そんな会話の最中、校内放送が鳴った。
冷たい電子音とともに、完璧な声が響く。
『生徒諸君、討論週間を開始します。討論とは、思想の鍛錬であり、言葉による礼儀の試練です』
スピーカー越しなのに、まるで教会の説教みたいに空気が震えた。
音だけで空気が締まる。
誰もが知っている声。
九条アスカ――生徒会長。明暉の象徴。
昼休み、職員棟の掲示板には早速「討論バトル」エントリー表が貼られていた。
“恋人に既読スルーされた場合、何時間で返信すべきか? (第20回目)”
“おにぎりの具は梅かシャケか”
“男子はなぜ黒髪清楚に弱いのか(※女子審査あり)”
……相変わらず、くだらない。だがこの学校では、それが芸術だ。
そのとき、ポケットのスマホが震えた。
差出人:明暉高校生徒会長 九条アスカ
『神坂レン、至急 生徒会室まで』
この学校では、何故か校内用メールアドレスを作らされる。
そのせいで、大事な連絡を見逃した……という言い訳がしにくくなった。
今回も例に漏れず、だ。
「……嫌な予感しかしねぇ」
この時まで俺は、笑っておけば大抵のトラブルは通り過ぎる――そう信じていた。
だが、それが通用しない相手もいる。
生徒会室の前。
中から、何かの“声”が漏れていた。
いや、叫び、か。
「っ……違うんです会長! 私は……!」
「違う? では証明して。根拠を三つ。数字を伴って」
「そ、それは――」
「論拠がない主張は“感情”よ。感情で会議は動かないわ」
ドアを開けた瞬間、場の温度が氷点下になった。
机の向こう、九条アスカが立っていた。
黒髪をきっちりまとめ、ブレザーの着こなしは完璧。
紅いリボンだけが差し色のように光る。
スカートも短めなのに、全く着崩している感じがしないのは彼女のオーラが故か。
姿勢は完璧、言葉は刃。
その前で、生徒会役員の女子が肩を震わせていた。
「泣くほど悔しいなら、次は勝ちなさい。――それが努力というものです」
アスカの声は静かだった。
だが、その“静けさ”が一番怖い。
完膚なきまでに論破された相手だけが知る沈黙。
俺は反射的にドアを閉めた。
……あれはダメだ。あれは、絶対近づいちゃいけないタイプの“女王”。
踵を返す。
逃げようとした、その瞬間。
「――神坂レンくん?」
声が、背中を射抜いた。
振り返ると、アスカが視線だけでこちらを見ている。
表情は一切動かない。なのに、なぜか“笑っているように”見えた。
「逃げるのは、罪ではありません。でも――“理解しようとしない”のは、怠慢です」
その言葉が、胸に刺さる。
論破でも、煽りでもない。
支配の言葉。
「……い、いや、ちょっと用事を思い出しただけで」
「逃げるのは自由よ。けれど、“理由”を持たない自由は、ただの放棄だわ」
アスカの声は、まるで法廷の判決文みたいに揺るぎない。
「――あなたの“優しさ”の定義を聞かせて。今回の議題にふさわしい人選をしたつもりだったけれど……もし違うなら訂正するわ」
「訂正、って俺を……?」
「構わないわ。私は間違いを正すためにここにいるもの」
レンの喉がかすかに鳴る。
アスカは、わずかに視線を細める。まるで“観測”ではなく“判定”の眼。
「あなた、悩んでいるわね。――そしてそれを整理できていない」
「――っ」
「図星ね。人は、自分を見つめられないときに冗談で逃げるの。あなたの軽口は防御だわ」
「……分析のつもりか」
「いいえ、診断よ」
一瞬だけ、時計の針の音が聞こえた。静寂の中に秩序が支配していた。
「私は生徒会長として、明暉の秩序を保つ責務がある。乱れの原因を知ることも、治すこともその一部」
アスカは机越しに一歩踏み出し、微笑む――けれど、それは慈悲ではなく“支配者の儀礼”。
「それと、あなたの周りの女子についても確認しておきたいわ。観察魔、挑発主義者、無垢の毒……奇妙な組み合わせね」
「なるほど、調査目的か」
「正確には管理よ。秩序とは、観測の先にある支配だから」
「……やっぱり、王様気取りだな」
「気取りじゃないわ。――私が“秩序”そのものだから」
次の瞬間、ドアが音もなく閉まった。
俺はしばらくその場で固まる。
(……なんだあれ。笑顔で地獄の使者だろ)
彼女のことは知らなかった訳ではない。だが、一度もクラスが一緒になったことがないし、とにかく生徒会長としての彼女しか知らなかった。
まさかとは思うが……彼女もボタン、ウララ、イオリと同じで我が『毒舌☆ハーレム』に加わると言うのだろうか。
“無表情観察者”のボタン、“暴力嘲笑”のウララ、“無自覚毒姫”のイオリ、そして今度は“冷笑の支配者”かよ。
背筋に冷たい汗が伝う。
階段を降りながら、俺は小さく呟いた。
「煽りスキル極振り学園、また新種が出たな……」
※
翌朝。
校門前に掲げられた大きな横断幕には、こう書かれていた。
――【沈黙は敗北】
生徒たちの議論が、嵐のように始まる。
そしてその中心に、九条アスカ。
白手袋を外し、マイクを持つ。
その一言で全てを制圧する。
「討論とは、心を整列させる行為。言葉が乱れるとき、人は自分を失う。――さぁ、明暉高校。今日も秩序を証明しましょう」
沈黙は敗北、か。でも、言葉が人を救う保証なんて――どこにもないだろ。
だが、その声に、誰も逆らえなかった。
論理が、美しく暴力的に光っていた。




