レスバではなく討論です。たぶん
放課後の廊下。
春の光が床を滑り、反射した白が目を刺した。
その明滅の中、掲示板の紙が何十枚も風に揺れている。
『当校にも学食を導入すべきか?』
『“寝癖”は個性か怠慢か?』
『恋人に既読スルーされた場合、何時間で反応すべき? (第18回目)』
真面目なものから、恋愛脳の惚気みたいなものまで。
すべてに「参加自由」「発言三分以内」と書いてある。
(……くだらなすぎる。だが、その徹底ぶりが――美しい)
この学校は、何でも討論になる。
朝礼では「靴下の色統一は必要か?」が議題になり、教師が“靴下自由派”に負けて翌週から黒タイツ可になった。
通りがかりの二年生が言い争っている。
「“おにぎりの具ランキング”決勝、ツナマヨ派が劣勢だってよ!」
「梅干し勢のロジックは熟成されてるんだよ! やっぱりマグロ食ってるようなやつは――」
明暉高校――通称、“ディベ論高”。
校訓は「沈黙は敗北、反論は礼儀」。
この街に吹く風よりも、言葉の風圧のほうが強い。
「アンタ、また“討論逃げ”してたんだって?」
背後から声。購買袋を提げたウララがニヤリと笑っていた。
「討論逃げ?」
「“わかる~”って相槌で終わらせるの。ここじゃ降伏宣言と同義だよ? アンタ、また“白旗系男子”してたんだ?」
「……生きづらい学校だな」
「自分で選んだくせに文句とか、ダッサ~」
パンをちぎりながら、まるで息をするように煽る。
ここでは、会話が競技で、沈黙が失点。
俺は苦笑して言った。
「言葉の弾丸が飛び交うなら、せめて避け方だけ覚えたいもんだな」
「へぇ……せいぜい滑稽なステップで踊ってみせなよ」
彼女は肩をすくめながら笑った。
その笑い声すら、どこか挑発に聞こえる。
※
翌朝の教室。
担任が教壇に立ち、黒板を叩く。
「お前ら、明日から討論週間だ。今回の目玉議題は“優しさは能動か受動か”」
クラスが一気に沸いた。
毎学期恒例の祭り。明暉高校の生徒にとって、討論週間は体育祭よりも命がけだ。
「優しさは反射だろ!」
「いや、感情の一種だ!」
「共同幻想だ!」
「それは暴論です!」
酸素より言葉が濃い教室。
ボタンはノートに何かを書きながら呟く。
「感情って現象だよ。能動も受動も、観測角度の違い。毒に見える時もあるし、薬に見える時もある。どっちも反応物次第」
「……理屈的な詩だな」
「ボクは詩は書かないよ。記録は一意じゃないと」
その真顔に、思わず笑いがこぼれる。本当に掴み所がないやつだ。
すでにお祭り騒ぎの教室に担任がため息をつく。
「去年は“時間は存在するか”で保健室送りが出たから、ほどほどにな」
笑いと熱気。
この学校では、言葉が呼吸で、沈黙が死だ。
(……この学校、酸素より言葉が濃い)
放課後。屋上。
旗を打つ風が、沈黙すらかき消していく。
そこに、榊ボタンが立っていた。メモ帳を片手に。
「観察してて思ったけど、優しさってウイルスみたいだね」
「ウイルス?」
「感染する。誰かが優しくすると、他の人も真似したくなる。でも、免疫のない人は、優しさに殺される」
「……お前、討論週間で暴れそうだな」
「ボクは観察しかしないよ。ただし――“君の答え”は採取するけどね」
「安心しろ。俺は討論なんかするつもりはない」
「へえ、でも君らしいね」
風が強くなり、校旗が音を立てて揺れた。
そこに書かれた校訓が、夕陽に照らされる。
沈黙は敗北。
文字が赤く燃えて見えた。
まるでこの学校そのものが、沈黙する者を挑発しているようだった。




