メスガキが力でわからせられるなんて、時代錯誤なんだけど?w
昼休みの中庭は、春の光で満ちていた。
芝生の匂い、木々のざわめき、デザートか菓子パンの甘い匂い。
こんな穏やかな陽気で昼寝でもすれば、さぞ気持ちがいいことだろう。
――中央さえ、除けば。
笑い声。怒鳴り声。ざわめき。
その中心に、腰までの明るい栗髪を揺らす少女がいた。
150センチほどの小柄な身体が、光と影の間でひらりと踊る。
春の光よりも鮮やかで、風そのものを自分の味方にしているような存在感。
ネイビーのブレザーは前を留めず、袖をまくり、白いシャツの裾が風に遊ぶ。
校則ギリギリのスカートが陽光を弾き、翻るたびに戦場の旗のようだった。
「ねぇ、“女子に優しい=モテる”って、まだ信じてるの? 絶滅危惧種の男子?」
草薙ウララ。
うちの学校の“名物メスガキ”。
そして――ディベート部出身の、言葉の格闘家。あるいはシリアルキラー。
「なんだとコラ!」
「やだ~、今どき“なんだとコラ”とか言っちゃうんだ。ボキャブラリー、改元を超えられなかった? ねえねえ、昭和? ギリ平成?」
煽られた男子の顔が、トマトみたいに真っ赤になる。
傍観者は笑う。
だが、笑いの温度が上がりすぎた瞬間――男子の手が、ウララの腕を掴んだ。
「おめぇ、いい加減にしろよ!」
「痛いなぁ。……離しなよ」
「だったら謝れよ! 舐めてんじゃねぇぞてめぇ」
「うっわ……何その輩みたいな脅し文句。さすがの草薙ちゃんも引くわぁ……」
――やばい。
俺は反射的に走り出していた。
彼女を庇うためではない。
掴んだ男|の方を止めるために。
――いや、なにやってるんだろうな。ほっとけば良いものを。
ほっとくなんてできない。そう思ってしまったのだから。
彼女を守るのは感情だ。暴力を止めるのは義務だ。
まったく、自分でも偽善なのか|メサイアコンプレックス《救世主願望》をこじらせているのか、反吐が出そうになる。
「おい、落ち着け! そいつは――」
腕を掴む手に俺の手を重ねた瞬間、ウララが軽く身体をひねった。
細い腰が沈み、踵が“コッ”と芝生を鳴らす。
世界が、一瞬、裏返る。
空気が弾けた。誰も息をすることを忘れた。
ウララの腰が回転する。男子の重心が浮いた。次の瞬間、その男は地面に背中が叩きつけられた。
動きが、まったく見えなかった。
音だけが、空気を裂くように響いた。
150センチの少女が、70キロの男子を――まるで“軽く捨てる”ように放った。
「……ぐ」
小さく喘いだ後、男子は呻き声も出せずに固まっている。
やれやれ、と思う。未だに彼女に手を出す男がいるとは。
カッとなって手を出す短気さ、そして彼女の恐ろしさを知らなかった無知……
たしかに、自業自得――だがなんともやりきれない気持ちになる。
「二対一までは経験あるけど、今日は一人だったから余裕あったわ」
その短いスカートの裾すら乱れない。
ウララはまるで呼吸でもするように戦っていた。
少しだけ息を整えて、こちらに笑みを向ける。
「あっ、ごめんごめん。神坂くんだよね? 巻き込んじゃった?」
「……いや、俺も止めようとしたんだけど……逆に止められた気分だ」
「そっか。えらいね、紳士的で。でもね、“ケンカを止めに入る男”って、一番フラグ立つんだよ。面倒事に巻き込まれる系主人公の」
笑顔で爆弾を落とす。
その軽さが、逆に怖い。
「草薙ウララ。うわさ通りの……」
「名物メスガキ、でしょ? うん、正解☆」
彼女はウインクして、指でピースを作る。
手のひらのサイズが小さくて、ピースがやけに子どもっぽい。
それなのに、その仕草は獲物を前にした小悪魔みたいだった。
「ねぇ、神坂くん。君って“誰にでも優しい”タイプでしょ?」
「まぁ……そう見えるかもな」
「うん。だから興味あったんだよね~。優しい男って、どこまで煽ったら怒るのかなーって」
その声は、舌の奥でとける毒のように、甘くて危ない。
半歩近づき、上目遣いで問いかける。
「たとえばぁ、“優しい”って、“面白くない”の婉曲表現だと思うんだけど――どう?☆」
刺すような笑顔。
彼女の瞳の奥が、雷のように光る。
俺は肩をすくめて答えた。
「……そりゃ人によるな。俺の場合、たぶん“めんどくさい”の略だ」
「なるほど、“優しい=めんどくさい”。あははっ、いいねそれ。草薙ちゃん、アンタのことちょっと気に入った!」
「アンタ、か。知らぬ間にお近づきになれたようでなにより」
「アハハッ、なにそれ~! やっぱりアンタ面白いね~!」
笑いながら拳を軽く突き出す。
小さな拳。子どもの悪戯みたいな力加減。
なのに、ぶつかる直前まで“本気の速さ”をしているのが怖い。
その仕草に男子たちが息を呑む。
俺は――少しだけ笑った。
「こっちも、物理的に命の危険を感じるメスガキは初めてだ」
「でしょ? 草薙ちゃん、かわいい上に強いの」
「“上に強い”の使い方が本物なんだよ」
「アンタさ、女の子に投げられても笑ってるタイプ?」
「骨さえ折れなけりゃ、ギリギリ痛いより面白い方が勝つタイプだな」
「ふーん。変な男。……でも、嫌いじゃない」
ウララは自分を抱きしめるように、反対側の手で左の裾をいじる。
数秒、沈黙が流れたあと、笑って彼女は手を振る。
投げ飛ばした男子に「ごめーん! でも女の子に触れられてよかったね☆」と軽く謝って(煽って)から、ひらひらと去っていった。
風が通り抜けた。彼女の笑いの跡を撫でるように。
見送る俺の横で、クラスメイトが囁く。
「なぁ……あれ、本当に投げたよな? しかもあの体格の男子を……」
「……たぶんな。しかもあのスカートのまま」
「見えるかと思ったけど、何もわからなかったぞ……」
「上級生のアメフト部も投げたらしいぜ」
「なにそれ、都市伝説?」
俺は苦笑いしながら、言葉を吐き出した。
「草薙ウララ――武力と煽り、両方のバランスブレイカーか」
自嘲気味に続ける。
「……まったく、正論は通じず、暴力も使えず、ただ“止めようとした無力な学生A”になるのが俺の役目か」
沈黙の支配する中庭。
風だけが、男子生徒のうめき声と共鳴する。
拍手の代わりに、誰かがノートを閉じる音がした。
夕方の光が窓から差し込む。
その先、廊下の向こうに榊ボタンが立っていた。
彼女は静かにノートを閉じ、俺を見ながら無感情に呟く。
「観察対象は、刺激的な環境が好み、と」




