作者は激怒した。かならず、可愛くて属性過多の男の娘を出さねばならないと決意した。
その日の《ミラージュ》は、いつもより香ばしい――いや、騒がしい予感がしていた。
ドアを開けた瞬間、空気が変わる。
いつもならカップの音しか響かないはずの店内に、今日は微かな衣擦れ――スカートが擦れる、絹と綿の中間みたいな乾いた音と、チリリという小さな鈴の音が混じっていた。
「おはようございます……って、誰?」
そこにいたのは、見慣れぬ――いや、場違いすぎる人物だった。
黒髪をきっちり結い上げ、白いレースのカチューシャ。
藍色の袴スカートに、フリル付きの和洋折衷エプロン。
膝のあたりでひらりと揺れるリボン。
その姿は、まるで「時代と文化をミキサーにかけてラテで割った」ような存在感だった。
「あ、リオはリオって言います♡ よろしくお願いしますね、レンくん!」
語尾にハートをつける自己紹介。
脳が一瞬バグった。
「……誰?」
「今日からバイト。ね、マコ先輩♡」
カウンターの奥で、マコがにっこり。
「そうそう、紹介し忘れてた! この子、今日から新入りのリオくん!」
「くん?」
「うん、“くん”で合ってるよ?」
リオがくるりと回って、スカートを翻した。
その仕草があまりに自然で、余計に混乱する。
「……“くん”ってことは、もしかして――」
「そう。彼、男の子。うちの大学の後輩なの。かわいいでしょ?」
「和メイドで男の娘で年上で――マコさん、属性盛りすぎでは?」
「いいじゃん、可愛いは正義。リオはね、男だけど中身は“癒しの妖精”だから」
「妖精……」
言葉の選び方が軽すぎるのに、不思議と納得してしまう。
リオは鼻歌を歌いながらテーブルを拭いている。
白い指先がグラスを撫でるたび、光が跳ねて、小さな虹が生まれるみたいだった。
「……ほんとに、その格好で働くの……ですか?」
「服は私物なんです♡」
「いやそうだろうとは思いましたけど、私物の定義が広いですね……」
リオは顔を上げ、にこりと笑った。
その瞬間、ふわりと香りがした。
柚子とミルクと、それから微かな白檀 甘いのに、どこか神聖で、脳の理解が追いつかない匂い。
「レンくん、まじめそうだね。店長には“硬いタイプ”って聞いてたけど」
「……どんな紹介だ店長」
「んー、“かわいいタイプ”って言ってもいいけど?」
「言わなくていいです……」
マコがクスクス笑う。
「リオ、ほどほどにね。レンくん照れちゃうから」
「はぁい♡」
その声は、音符の形をしてた。
注意を受けても、水の表面みたいにすぐに元の明るさを取り戻す。
リオが少し首を傾げる。
「レンくん、“可愛い”ってどう思います?」
「どう、って……質問の意味が広すぎますよ」
「たとえば、性別とか関係なく、“見てると心がやわらぐ存在”。そういうのって、男の子でもアリだと思うんです♡」
さらっと言うのがずるい。
しかも、あの笑顔で。
「……それ、理屈としては理解しました」
「じゃあ実践してみますね♡」
リオが、一歩、踏み込んでくる。 さっきの柚子とミルクの匂いが、いきなり濃くなった。
俺が固まるより早く、リオの指先が、俺のバイト用エプロンの胸元のシワに触れた。
「ここ、シワになってますよ♡」
まるでアイロンをかけるみたいに、指がシワをなぞる。
ゾクッとした。熱くもないのに、その指が触れた場所だけが、じわりと熱を持つ。
「いや、実践とかいらん! てか触るな!」
思わず一歩下がる俺。リオは楽しそうに目を細めた。
「あ、反応、やっぱり可愛いです♡」
「あのですねぇ……」
そのやり取りの横で、マコがラテを仕上げている。
ハート型のミルクフォームを描きながら、ぽつり。
「いい風入ってきたね。攪拌材ってやつだ」
「つまりリオさんが……泡立て器?」
「悪く言えばそう。良く言えば――クリーム」
「意味変わってませんよ」
リオがウィンクして、軽く頭を下げた。
「泡でもなんでも、あなたの人生に少しくらい甘さを足してあげますね♡」
言葉が終わったあと、《ミラージュ》のBGMが、ほんの少しだけ明るく聞こえた気がした。
たぶん、それは錯覚じゃなかった。
新しい風は、香りと音を連れてやってくる。
チリリ――小さな鈴の音が、俺の鼓動と一緒に揺れていた。




