笑顔は濡れても乾く
この学校には、数えきれないほどの部活がある。
全国でも屈指の“ディベート高校”だけあって、文化系の熱量がとにかく異常だ。
サッカー部、野球部、吹奏楽部、美術部――ここまでは普通。
だがそこからが本番だ。
セパタクロー部、漫画研究会、散歩部、プラネタリウム部、カバディ研究会、豆乳健康生活部、夕陽まで走るの会、マンホール研究会……などなど。
しかも、全部公式だというから驚きだ。
掲示板を見ただけで、学園と人生の方向性を見失うレベルである。
昼下がりの廊下。
窓から差す春の光が、床に金色の線を描いていた。
俺のスマホが震えたのは、ちょうどそのときだった。
差出人は、妹。
『お兄ちゃん! 報告! わたし、イオリ先輩の委員会に入った!』
……報告というより、通告だった。
よりによってイオリ。無自覚毒系の頂点。
数分後、昇降口で合流。ミユは満面の笑みで、イオリはいつもの丁寧な微笑。
「先輩! 妹さん、すごく明るいですね!」
「そりゃまあ、家では太陽みたいなもんだし」
「太陽、ですか……。いい表現です!」
和やかムード。まだ平和。
だが、その次の一撃で、すべてが粉砕された。
「ミユちゃんはその……温室で大切に育てられてきたというか、繊細そうですよね!」
――パンッ。
空気が、割れた音がした。
ミユの笑顔が一瞬、止まる。
「……え、はい。繊細……なんですかね?」
声がちょっと震えてる。
「いえ、褒めてるんです!」とイオリ。
「つまり、外の刺激にはまだ慣れてない感じで!」
――追撃。悪気ゼロの爆撃。
「刺激って……お兄ちゃん、わたしそんな守られてた?」
「違う違う、そういう話じゃなくて……イオリ、単語の選び方ァ!」
俺が慌てて止めに入るが、イオリは真顔のまま続ける。
「でも、繊細なのは悪いことじゃないです! ガラスも、光を一番綺麗に通しますから!」
「……たぶん、それフォローになってるようでなってないからね」
「えっ……あ、でもガラスって、割れやすいですよね!? え、待って、私のフォローも割れちゃった!?」
慌てて両手で“くっつける”ジェスチャーをしながら、イオリは自分でツッコんだ。
「再構築、完了です!」
「報告形式やめろ!」
それから、イオリは一拍だけためらって――小さく息を吸う。
視線が、そっとミユの方へ向いた。
声は、さっきより少しだけやわらかい。
「……ミユちゃん。テープじゃなくて……その……ハグ、で直せますか?」
ミユは一瞬固まる。
頬の赤みが、じわぁっと耳の先まで広がっていく。
「えっ、えっ……!? ちょ、ちょっと待って……っ!?」
戸惑いが溢れたまま、ミユは手に持っていたホースをぎゅっと握りしめる。
力が入りすぎた、その瞬間――
――びしゃっ。
細かい水の粒が陽にきらめいて、イオリの袖にしぶきを散らした。
「わっ!? 繊細な花が、反撃してきましたっ!」
「ち、違います、私じゃなくてホースが暴走を……!」
「多分本当だけど状況的に怪しすぎる!」
イオリは袖をつまんで、しゅんとしながら自分の服をそっと覗き込む。
「だ、大丈夫かな……? 透けてたりしませんよね……?」
声は小さく、耳までほんのり赤い。
「い、いや、大丈夫……だと思う、ぞ」
俺は、目線をどうしたらいいのか分からずに、謎の一点を見つめながら答えた。
確認なんてできるわけがない。俺には神の目も勇気もない。
ミユは、そんな俺とイオリのやり取りを見て――
口元を押さえ、肩をふるふる震わせて、
「……ぷっ……ははっ……ははははは!!」
ついに吹き出した。
「ちょっ、ミユちゃん!? 笑うところでした!? これ!?」
「お、お兄ちゃんが変なとこ見ないようにしてる顔が……っ、ほんと、もう……っ!」
ミユは笑いながら、膝に手をついて呼吸を整えていた。
イオリは顔を真っ赤にして、濡れた前髪を指で押さえた。
「……あの、ミユちゃん。さっきのガラスの話、覚えてます? 割れたけど……ハグで直せますか?」
「い、いきなり!? さっきの冗談、続編ですか!?」
「だって、あったかいほうが乾くって、理論的に!」
「理論物理を感覚で説明しないでぇ!」
ミユは照れ笑いを浮かべながら、そっとホースを下ろした。
「じゃあ……仕方ないです。修理、開始……っ」
そのまま、ためらいがちな動きでイオリに抱きつく。
イオリは一瞬、きょとんとして――それから濡れた裾を押さえつつ、ゆるく笑った。
春の光の中で、笑顔がほんのりとにじむ。
「生活委員会活動日誌に記録ですね……“笑顔は濡れても乾く”って」
「もう……名言っぽいけど、やっぱり意味はないよ……!」
言いながらも、ミユはイオリの背中に腕を回したまま、肩を揺らして笑っていた。
イオリもゆっくりとミユを抱き返す。
ふたりの距離は、不器用で、でもあたたかかった。
俺はその光景を眺めて、胸の奥がふっと緩むのを感じた。
ちゃんと届いたんだ。
それが、イオリの善性か、ミユの無垢さのおかげかはわからない。
花壇の水面が、きらきら揺れた。
春は、濡れて、笑って、つながっていく。
やがて、ホースの水を止めながら、俺は小さく息を吐いた。
――言葉は、時に凶器。
でも、ちゃんと届けば、それも優しさになる。
……と思ったら、残り水が俺のズボンに直撃した。
「お兄ちゃんも繊細ガラスだった~!」
「レンセンパイも暖まりますか……?」
笑いながら、俺はため息をつく。
花壇の水面が、きらきらと揺れていた。
――優しさは、今日も少しだけ濡れて光っている。




