第一次四帝会戦
昼休み、学園中庭。
青空の下でパンの袋を開けた瞬間、――風が止んだ。
直感が告げていた。これは、“嵐の前”だ。
「神坂レン、あなたに告ぐわ」
生徒会長・九条アスカが立っていた。
完璧な姿勢、完璧な声、完璧な地雷原。
「さて」アスカが一歩前へ出る。
「議題を設定するわ。“優しさとは、戦略か本能か”」
「そんな昼休みにやる話題じゃねぇ!」
「戦略だね」
角からすっと出てきたボタンが即答した。怖えよ。
ペンの先で空を指すようにして、無表情のまま。
「優しさは行動の演算結果。人間関係を維持するための、効率的な擬態。つまり“最も洗練された自己防衛”」
「へぇ~、ボタンセンパイ、難しいこと言うんだね~」
ウララが唇を吊り上げる。お前はなんでいるんだよ。
「でもさ、“優しく見せる演算”してる時点で、もう本能じゃない? 好きな子に親切しちゃうのとか、考える前に体が動くでしょ?」
「反射行動を“尊い”って呼ぶの、脳の怠慢だよ」
ボタンが首を傾げる。
「思考停止を“純粋”と呼ぶなら、君の脳内は極楽浄土だね」
「ふーん」
ウララの笑みがゆっくり変わる。
今までの軽口とは違う、狙いを定める笑いだ。
「でもさ、アンタさ――“だれかに優しくしてる自分”をちゃんと好きになったこと、ある?」
ボタンのペンが止まる。
「演算とか効率とか言ってるけど、結局“損得”でしか見れないだけでしょ? あたしらの“バカな優しさ”って、採算取れてないぶん、純度が高いんだよ」
「自己満足を純度と呼ぶなら、科学の敗北」
「科学が感情に勝てたら、世界とっくに平和でしょ?」
ざわっ、と人垣の中で笑いが漏れた。
ボタンの眉が一瞬だけ動く。
「……論理破綻」
「いいじゃん、感情ってだいたい破綻してるし」
ウララは笑いながら、ぐっと一歩詰める。
「ねぇ、“計算外の優しさ”に救われたこと、アンタ本当にないの?」
ボタンは一拍置いて、淡々と返す。
「感情に依存した“優しさ”は、持続しない。衝動はピークが過ぎればゼロに収束する」
「それでも、ゼロになるまでに誰かを救えるなら、十分でしょ~?」
ウララの声が跳ねる。
「ほら、アンタのは冷たいじゃん。温度がない“優しさ”なんて、誰も信じないよ」
「温度があると錯覚してるのは、自分の体温。“優しさ”を感じるのは主観側。発信者に温もりは不要」
「……アンタ、ほんとに人間?」
ウララが一歩踏み出す。
「そんな風に割り切って、どうやって人を好きになるの?」
「好き――ね」
ボタンのまつ毛が、微かに揺れた。
「観測対象に感情を入れると、データが歪む」
「はい出た、“観察者は特別”ポジション~!」
ウララが指を突きつける。
「そうやって俯瞰してばっかだと、恋愛偏差値マイナスだよ?」
「恋愛に偏差値……。算出不能だね。“平均”を取るには、そもそも比較対象が必要」
ボタンは冷たく言い放つ。
「あなたは、恋で統計取れるほど安定してたの?」
「……っは、上等じゃん。こっちは感情で世界動かしてんの。アンタの主張はデータだけで、リアルじゃないのよ」
ウララの声が、風の中で少しだけ震える。
「熱暴走。冷却水が要るね」
「それ、怒ってる人には焼け石に水だよ?」
その瞬間、アスカが静かに手を上げた。
「ふたりとも、論点がずれてるわ」
その声だけで、空気が引き締まる。
「“戦略”か“本能”かという二分法がそもそも誤り。優しさはその中間、“選択”の瞬間に生まれるの。制御された本能こそ、人間の知性の証よ」
「出た、“理性万能説”。てか議題設定した人がその答えずるくな~い?」
ウララが笑う。
「でもね、会長さん。考え抜いてから手を差し伸べる人って、たいていタイミング逃すんだよ」
アスカは眉一つ動かさず返す。
「衝動のままに動く人間が、救うより先に壊すこともあるわ」
二人の正論がぶつかり、沈黙が生まれる。
そこへ、紅茶の香り。
「……私は、本能派ですね」
いつのまにかいたイオリがうつむきながら静かに笑う。
てか、なんで集合してるんだよ。俺の知らないところで全員知り合ってたのか?
「だって、困ってる人がいたら助けたいですし。そのあと後悔しても、動かないよりマシですもん」
「……それ、自己満足」
ボタンが冷静に指摘する。
「“気持ちいい”を理由にするなら、ただの報酬系の快楽」
「ええ、そう思います」
イオリがこくりとうなずく。
「だって、“自分を好きでいられる優しさ”って、最強じゃないですか?」
一瞬、全員が黙る。
レンはパンをかじりながら心の中でつぶやいた。
(……この子、無自覚で地雷埋めてんな)
イオリは紅茶を見つめながら続ける。
「でも……“誰かのため”を考えすぎる人ほど、自分のために優しくなれないんです。観察とか、理性とか、きっとその逆側にいる人たちですよね」
その一言で、ボタンとアスカが同時に瞬きをした。
風が揺れる。勝敗のない戦場。
アスカの理性、ウララの衝動、ボタンの理屈、イオリの感情。
四方向の“正しさ”が衝突して、どれも折れない。
レンはパンをかじりながら、遠い空を見上げた。
(……勝ち負けなんて、最初からなかったんだよな)
「神坂レン」
アスカの声が落ちる。
「あなたはどう思うの?」
全員の視線が集中する。
知性と感情の包囲網。
「……俺の意見、聞きたい?」
「当然」×4。
「じゃあ……昼飯、静かに食わせてくれ」
沈黙。
風。
――そして。
「レン、逃げの美学ね」
「防衛本能」
「ほんとはぐらかしだけは上手♡」
「でも、優しさってそういうことかも」
イオリが微笑む。
「無理に入らないことも、ひとつの優しさですよね」
「……お前が一番正しい気がしてきた」
ボタンは、納得したようにペンを走らせる。
「ふむ、実験終了。ボクの結論:レン=学園最後の清涼剤」
「ラベルを貼るな」




