人間らしい所あるじゃん
土曜の朝。
目覚ましより早くスマホが鳴った。
画面には一言だけ。
『観察、続行中。今日は第二回課外実地調査』
――榊ボタン。
俺の平穏を観察して分解してくる人間兵器。
思い出すのは、あの“家襲撃事件”だ。
観察と称して我が家に上がり込み、妹とハルカを混乱に陥れた張本人。
あの修羅場を再生するたび、胃がきゅっと鳴る。
「……外で会おう。外ならまだ安全だ」
メッセージを送ると、すぐに既読。
『了解。最寄り駅、東口10時。対象の逃走経路を確認済み』
――すでに包囲されていた。
午前10時。
最寄り駅の東口。
待ち合わせの柱の影に立っていたボタンを見て、思わず二度見した。
――黒。
全身が、夜の中に沈んでいるみたいに黒。
透け感のあるシフォンのブラウスに、星みたいな白いボタン。
裾に淡いピンクの縁を持つフリルスカート。
黒いレースのブーツが床をわずかにこすり、銀のハートのチョーカーが光を跳ね返す。
その呼吸のたび、喉がかすかに動いた。
細いツインテールが風を受けて揺れる。
その髪だけが、静かな絵の中で生きていた。
メイクは薄い。唇にだけ少し色が差してあって、それが逆に幼さを強調している。
地雷系を真似たようでいて、どこか素直すぎる。
“観察者”には見えない。“観測対象”と呼ぶほうが、まだ正確だ。
「……どうした、その服」
「偽装。これが現代日本におけるギリースーツ」
「いや、逆に目立つっていうか……“観察者”が被観察者になってない?」
「うるさい。そういう素朴なツッコミが、モブの象徴なんだよ」
「モブって言うな」
なぜだか今日のボタンは、学校よりも砕けた口調だった。
ボタンは首を傾げる。
その無表情が、ちょっとだけ楽しそうに見えた。
「とりあえず、喫茶でも行こうか」
「観察環境として適切。照明も反射率もいいし」
「どんな観点だよ……」
駅ナカの喫茶店。
ボタンはメニューを凝視している。
あの無表情の奥で、たぶん脳がフル回転しているのがわかる。
「“パフェ”って食べ物、構造が優秀だね。下層が安定してて、上層が映える」
「パフェを始めてみた人間か? あと構造とか言うな、建築物かよ。スイーツだよ」
「スイーツ……つまり、脳内麻薬の合法的摂取方法。肥満と生活習慣病の元」
「言い方がひどい。……といいつつ頼む情緒が理解できない」
そんな会話をしながら、パフェが届いた。
まだ、季節のパフェでいちごパフェがメニューにあり、ボタンはそれを注文した。
グラスの上には、つやつやと光るいちごが山のように盛られている。
赤の粒が、照明を受けて宝石みたいにきらめく。
その下で、白い生クリームとアイスがふわりと支える。その新雪のような白さが、いちごの甘酸っぱさを際立たせる。
ボタンは無言でスプーンを口に運ぶ。
――その瞬間、まぶたがほんの少しだけ緩んだ。
「……美味しい?」
「糖分の破壊力を観測」
「つまり美味しいんだな」
「語彙、平均値以下、可哀想。それに、味覚感度なら君よりマシだからいまから正確な味のレポートも可能」
「なにその失礼な哀れみ。あと、いいです……」
「ふーん? ボクも乗り気じゃなかったから良いけど。感動をあえて言葉にするのは無粋」
「感動したんだ」
「ボクをなんだと思っているの? 君は時々思考がぶっ飛んでるね、妄想癖の傾向」
無表情のまま放たれた失言が、なぜか可笑しかった。
笑う俺を見て、ボタンは首をかしげる。
「……そんなに面白かった?」
「いや、ボタンが思ったより“人間”で安心した」
「重ねて失礼な感想。観察対象が観察者に情を感じるなんて、――それ、観察の敗北だよ」
「それでも、笑ってたぞ」
「……反射だよ。たぶん」
その“たぶん”が、少しだけ優しかった。
食べ終えたあと、行くあてもなくなり、俺は聞いた。
「どっか行きたいとこある?」
「観察」
「それ以外で」
「……どこでも」
というわけで、近くのゲーセンへ。
ボタンは初めて来るらしく、きょろきょろしていた。
いつもの冷静な目が、少しだけ泳いでいる。
「シューティングゲーム、やってみるか?」
「対象の反応速度を測るには最適」
「お前、俺のこと実験台だと思ってるだろ」
「観察者は常に中立。……まあ、反応速度ではボクが勝つけど」
「意外と負けず嫌い?」
ゲーセンで銃型コントローラーを手にする。
ボタンの手は小さくて、どこか銃に持たれている感じがした。
指先が、わずかに震える。
その震えは恐怖ではなく、未知との接触を前にした“好奇心”だった。
あまり、こういうところには来ないのだろうか。
黒いレースのブーツのつま先が、床をこすった。
ゲーム開始――画面からゾンビが飛び出した瞬間。
――ビクン!
肩が跳ね上がった。
目は無表情、でも体だけ正直。
「おい、怖いの苦手なのか?」
「……想定外。反応速度が過剰に優秀だっただけ」
「いや、ただのビビりだろ」
「うるさいな、ボクは人間だから恐怖を感じる。君と同じ」
「お、初めて俺を“人間”って認定したな」
「訂正。知的生命体の一種」
「主語がでかすぎる認定だな」
それでも、照れくさそうに、不満げに目線を逸らしたその横顔は、たしかに“人間”だった。
ゲームを終え、再び喫茶店でお茶をしてたとき、ボタンは小さく呟いた。
「今日の観察、収穫あり」
「どんな?」
「観察対象、笑うとノイズキャンセリング効果」
「……詩人みたいな分析するな」
「……君の声ばかり聞こえる。錯覚だと思う。脳のノイズフィルターが壊れたかも」
そう言って、ストローをくわえたまま目を逸らす。
その仕草が、やけに無防備で、俺は返事ができなかった。
帰り道、夕暮れの風がやわらかい。
ボタンはいつも通り淡々としていたけど、別れ際、ふと立ち止まって言った。
「また観察していい?」
「……ほどほどにな」
「うん。でも今日は観察っていうより――」
夕風がスカートのフリルを軽くめくり、銀のハートが一瞬だけ陽に輝いた。
彼女の髪が光をまとい、まぶたの影が少しだけ揺れる。
「実験成功、かな」
「どんな実験?」
「“ボクが君で楽しめるかどうか”。結果は――想定外に、悪くなかった」
その言葉が、春の夕風に混ざって消えた。
――観察魔が、少しだけ“被観察者”に近づいた日だった。




