いないよりはマシです!←一番毒舌
昼休み。
購買でパンを買って、ようやく静かな時間を確保したところに――後輩が駆け込んできた。
「せ、先輩っ! 助けてください!」
白鷺イオリ。
息を切らして、俺の机に手をつく。焦りすぎて目が泳いでいる。
「……何があった?」
「行けばわかります! いないよりはマシです!」
さりげない毒。
それにしても、嫌な予感しかしない。
俺はイオリに引っ張られるまま、半ば諦めて廊下を走った。
人だかり。
その中心で、火花のように声が交錯していた。
「へぇ~、あんたが“観察魔”の榊ボタンセンパイ?」
草薙ウララの声は、笑顔の形をした爆弾だった。
語尾にハートマークでも見えるほど、毒が甘い。
「そう。あなたが“暴言メーカー”の草薙ウララさん?」
ボタンの声は氷。感情を凍結させた精製水のように、一滴の揺らぎもない。
ただ、ノートを握る指先が一瞬、紙をきしませた。
「暴言メーカーって、センス古くない? もしかして、頭のアップデート止まってる?」
「あなたの発言ログを参照しただけ。中身のない出力ほど、よくループする」
「AI気取り~。でも口の悪さは人間の証拠だよ?」
「あなたのは“悪さ”じゃなくて“浅さ”。人間未満のノイズ」
ウララの口元がゆっくり吊り上がる。
「浅いって、どういう意味かな~? まさか、私のこと“理解できてない”って言いたい?」
「理解以前に、解析不要。ノイズデータは削除対象」
「へぇ……消すんだ? 草薙ちゃん、消されるの結構好きだよ? できるなら、だけど~」
「快楽を言語化して正当化するの、下等な理屈」
ざわっ、と周囲が息を呑む。
イオリは目を丸くして俺を見た。俺はただ、パンの袋を握る手に汗を感じていた。
「ねぇアンタ――いや、センパイ」
ウララが唐突にこちらを向いた。
「この子、ほんとに“人間”なの?」
「たぶん、見た目だけ」
「だよねぇ。私の知ってる女子、高校で“観察対象”とか言わないし」
「わたしにとってあなたは、珍しい行動パターンのサンプル」
「サンプル扱いとか笑っちゃうんですけど~。せめて“貴重なサンプル”って言いなさいよ」
「貴重というのは、価値があるものに使う言葉」
「つまり、まともってこと? うわ、それ言われると逆に嬉しいかも。褒めてくれてありがとう! ねぇ、照れてもいいよ?」
「照れはエラー表示。少なくともこの場面には適さない」
ウララの笑みが、さらに挑発的に深くなる。
「ねぇ、ボタンセンパイ。そうやって何でも分析してると、男逃げるよ?」
「逃げるというより、自然に淘汰される」
その瞬間、ボタンの視線がわずかに泳いだ。
まるで、誰かの顔を思い浮かべかけて、打ち消すように瞬きをした。
「きっっつ。ねぇ、それでもアンタ、こんなの好きなの?」
「俺に振るな」
「ふふ、そういう反応。人間らしくてかわいいね、センパイ♡」
「あなたの“かわいい”は万能ワードすぎて意味を失ってる」
「意味? かわいさにそんな重さ、求める人いる?」
「いる。あなたの“かわいい”は記号じゃない、誤魔化し」
「そっか。じゃあ――誤魔化されてくれてありがと♡」
教室のざわめきが、一瞬だけ波のように引く。
空気が凪ぎ、誰も息をしない。
そして、ボタンの瞳が細くなる。
「観測:あなたの発話、承認欲求由来。反応速度が単調」
「わぁ、分析されちゃった。じゃあ次は――あんたの無感情、壊してあげよっか?」
ウララの声の奥に、微かに震えた呼吸が混じる。
「破壊対象:不適切。あなたの思考は反射神経で構築されてる」
「ふふっ、拒否反応出てるじゃん。カワイ~♡」
再びざわめきが戻る。笑いと驚きと、少しの戦慄。
「生理的嫌悪を“愛嬌”で塗るのは、安物の媚薬みたいな下品さ」
「うっわ、その例えは草薙ちゃんでも引くわ~」
その言葉に、ボタンが僅かに頬を赤く染めた――ように見えた。
ピンポーン、パンポーン。
チャイムが鳴る。まるで誰かがこの戦場に強制停戦を告げたように。
「時間切れか~。残念。また遊ぼ?」
「実験継続中。今度は“羞恥心”の有無を観察する」
「いいね、じゃあ次は“照れ”勝負ね」
「勝敗条件、定義不能」
二人がすれ違うように去っていく。
残ったのは静寂と、パンの袋の音だけ。
カサカサと鳴る音が、戦場の残骸みたいに虚しく響いた。
「……イオリ。俺、石ころになりたい」
「……! それ、お似合いですよ、先輩!」
「おまえがいちばんひでぇよ……」
「でも先輩、あの二人、めっちゃ楽しそうでしたよ?」
「その感想が一番こわいんだよ……」
――こうして、明暉高校第一次“言語戦争”は、昼休みという停戦で幕を閉じた。
だが、パンの袋はまだ机の上で震えていた。
次の戦火を、待ちわびるように。




