表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/50

第七話『魔女ヴァルセリアの試練 PART1』

 ノクトホロウの森の奥深く、太陽の光すら届かぬ漆黒の地へと、私はヴァルセリアに連れられて歩いた。




 森は生きている。そう思わずにいられないほど、そこかしこから呻くような木々の軋みが響き、足元では苔むした地面が肉のように湿り、ぬるぬると這い寄るものの気配を孕んでいた。




 「ここが、最初の修行場よ。名を《屍語の儀式》というわ」




 ヴァルセリアの声は囁きだった。それなのに、まるで頭蓋の内側に直接注ぎ込まれるような、重く、冷たい響きだった。




 開けた窪地の中心には、大理石でできた台座があった。だがその白は、乾いた血と黒い煤で穢され、見るも無残に染まっている。その上には、十体ほどの骸骨――どれも、子どもの骨格のまま、手足を交差させ、まるで遊んでいた時の姿勢で配置されていた。




 「これらは、私がかつて愛し、呪い、喰らい、忘れ去った子ら。その魂の余熱を、今、お前に刻みつけてあげる」




 私は言葉を飲み込み、台座へと歩み寄った。冷気が地を這い、骨の奥に染みてくるようだった。




 「横たわれ」




 私は命じられるまま、骸骨たちの間に身を横たえた。ひとつ、骸の小さな腕が私の肩に落ちた。




 その瞬間、世界が凍りついた。




 ヴァルセリアが呪文を唱えた。言葉にならぬ声。咽ぶような音の連なりが空気をねじ曲げ、次の瞬間、骸骨たちが動いた。きしむ音を立て、私の手足に絡みつく。喉に、小さな指が添えられた。




 「心を開け。すべてを視よ」




 視界が、裏返った。




 焼け落ちる村。生きたまま火に包まれる子どもたち。血を吐きながら地を這う母親。口を開けたまま動かない赤子。




 「やめて……私じゃない、こんなの――」




 叫ぼうとした声は、舌を押さえつけた骨の指に塞がれ、喉の奥で濁った。




 次々に流れ込むのは、ヴァルセリアが呑み込んだ子どもたちの記憶。




 虫にたかられながら放置された死体。


 食べ物がもらえず、兄に喉を裂かれた弟。


 木に縛られ、泣きながら飢え死んだ幼子。




 私は泣いた。涙など、もはや意味をなさぬほどに心が崩壊していく。




 「見ろ。目をそらすな。これが、お前が選んだ“修行”だ」




 ヴァルセリアの声が頭上から降る。




 「死者と語る力を得たければ、まずその死を受け入れなさい。すべての絶望を、血肉として刻むのよ」




 私の口の中に、死の味が広がった。




 骸の指が私の胸をなぞり、心臓の鼓動を確かめるように叩く。まるで今この瞬間にも、私の魂を引き抜こうとしているようだった。




 私は――生きていた。


 だがそれは、もはや“私”という存在が、かつての私ではないことを意味していた。




 その夜、私は何百、何千という子どもたちの死を見届けた。


 台座の上で目覚めた時、全身は汗と血と涙で濡れていた。




 骸骨たちは、再び静かに沈黙していた。




 「ようこそ、地獄の入り口へ」




 ヴァルセリアが微笑み、私の額に死者の接吻を落とした。




 そのとき私は知った。


 自分が、戻れぬ道を選んだことを。




 そして。


 これが、魔女の徒としての第一歩なのだと。







  私が次に連れてこられたのは、ノクトホロウのさらに深奥、瘴気が渦巻く森の最も陰鬱な場所だった。葉をすべて落とした黒い木々が空を覆い、風もなく、音もない。ただ、生き物の死臭と鉄錆のような匂いが漂う、絶えず湿った空気だけが存在していた。




 その中心に、不気味な石造りの浴槽があった。浴槽の中には、赤黒く濁った液体──いや、明らかに人の血が、どろりと満たされていた。表面には脂肪の塊が浮き、腐りかけた臓物の一部が底に沈んでいる。時折、小さな虫や蛆虫が血の膜を這い、ぷつぷつと音を立てては泡を吐いていた。




 「これが《血溜めの沐浴》。お前の肉体を“再調整”する儀式よ」




 ヴァルセリアの唇が、愉しげに歪む。その目は異様な輝きを放ち、私を品定めするように眺めていた。




 「この血はね……処女の生き血と、生まれて間もない赤子の心臓から搾り取った精液の混合。すべて新鮮よ。今朝、ニールが仕入れてきたばかりだから」




 ゾッとする冷気が背筋を這い上がった。だが私は、もはや抗う力さえ持っていなかった。心も体も、すでに何度も死に損ねている。




 「さあ、脱ぎなさい。そして全てを、血に委ねなさい」




 私は、ぼろ布のようにくたびれた衣を脱ぎ捨てた。瘡蓋と膿に覆われた肌、腐りかけた足、まだ治りきっていない裂傷……それらすべてをさらけ出したまま、ゆっくりと石の縁に足をかける。




 足先が血に触れた瞬間、熱い鉄針を刺されたような激痛が走った。




 「ひっ……あ……ああああっ……!」




 膝を曲げ、肩まで沈む。血が私の全身を包み込み、毛穴の一つひとつから染み込んでくるような感覚。傷口に入り込み、神経に直接噛みつく。




 痛み、痒み、熱、そしてなによりも“異物感”。自分の肉体が、自分のものでなくなっていく。中から何かが蠢き、形を変えていく……。




 「これは神聖な変化。死と再生の間に身を置く者にしか得られぬ恩恵」




 ヴァルセリアの声は甘く、しかし冷たかった。見下ろす彼女の瞳は、まるで玩具の壊れかけた人形を眺めるようだった。




 やがて私の皮膚がぶくぶくと泡立ち始めた。爪は浮き上がり、眼球の奥で視界がぐらつく。痛みは限界を超え、ついには感覚そのものが麻痺していく。




 声も出ず、意識は血の熱の中に沈んでいった。




 何度沈み、何度浮かんだか分からない。




 だが、私は──変わった。




 新しい皮膚は透けるように白く、滑らかで、どこか人のそれではなかった。血の香りが身体に染みついて離れない。だが、不思議と拒否感はなかった。




 「ふふ……美しいわ。死人の血と憎悪と呪詛で蘇った娘」




 ヴァルセリアの手が私の顎を持ち上げた。




 「お前は、もう人間じゃない。お前は私の“魔”に染まった娘。復讐と破壊の器」




 私は目を伏せたまま、そっと頷いた。人としての羞恥も、恐怖も、すべて──血に溶けて消えたのだから。







  私の次なる修行は、《使い魔との共喰い》だった。




 ノクトホロウの森の奥、そのさらに地の底へと通じる洞穴に、私は連れてこられた。




 洞窟の入口からすでに鼻を衝く悪臭。腐った肉と焦げた骨の匂いが混じり合い、空気は重く、息を吸うだけで肺が焼けるようだった。天井からは黒い液体が滴り落ち、滴る先の岩を腐食させていた。壁のあちこちには何かの爪痕のような深い傷が走り、地面には潰された動物の骨が散乱している。




 ここは、ヴァルセリアが“創造”した使い魔たちの墓場でもあり、実験場でもあるらしかった。生き残った異形の小動物たちが、ぬめる身体を引きずるように這いずり、腐肉を貪っていた。




 「さあ、ここから一匹を選ぶのよ。そして――共に食べなさい」




 ヴァルセリアの声はどこか甘やかでありながら、慈悲という言葉とは無縁の響きを帯びていた。




 「共喰いとは、血と魂を通じて契約を結ぶ古き儀式……その肉体を喰らい、名を呼び、内に取り込むことで、相手の力と記憶が混じり合う。そうして新たな魔術的存在として一つとなるのよ」




 目の前に、異形の小動物たちが列をなすようにして並べられていた。片目しかない狐、皮膚の半分が溶け落ちたイタチ、逆さまの頭をもつ猫、口が人間のように裂けたリス。




 どれもが哀れで、どこか無惨な姿だった。




 私はその中の一匹――まるで胎児のように丸まった、眼窩だけの顔をした小さな個体に目を留めた。




 その眼窩は、なぜか私の心を射抜いた。




 私は震える手でそれを抱き上げた。生ぬるい体温が指に触れる。まるで生まれたばかりの命のように柔らかく、それでいて、不気味なほど静かだった。




 「……あなたに、する」




 私の選択に、ヴァルセリアは満足げに微笑み、黒曜石でできた細身の短剣を差し出した。




 「この刃で、その胸を裂きなさい。ためらえば、その命は無に帰すだけよ」




 私は刃を受け取った。




 自分の胸に突き立てるのではないというのに、心臓が早鐘のように鳴っていた。




 「……ごめんね」




 そう呟くと同時に、私は短剣を振り下ろした。




 刃が皮膚を裂く音が、異様なほど鮮明に響いた。赤黒い液体があふれ、私の手を濡らす。その瞬間、小さな身体がびくりと震え、そして静かに動かなくなった。




 「さあ、喰らいなさい。臓腑から始めるのがいいわ」




 ヴァルセリアの命令に従い、私は死骸を床に置くと、震える指で腹を裂いた。中から現れたのは、ねっとりと光る内臓。腐敗していないそれは、どこか甘ったるい匂いすら放っていた。




 「……っ、う……ぅ……」




 私は目を閉じて、それを口へと運んだ。生暖かい肉片が喉を通る感触に、涙があふれた。吐き出しそうになるのをこらえながら、私はそれを何度も咀嚼した。




 「その苦しみも呪いも、すべて力に変わるわ」




 胃が灼けるように熱くなり、腹の奥で何かが蠢いた。肉の一部が、まるで生きているかのように腸内を這いずっている感覚。




 私は苦痛にうずくまり、地面に這いつくばった。吐き気、眩暈、意識が遠のきそうになる。




 「……名を……名を呼びなさい……」




 ヴァルセリアの声が遠くで響く。




 私は必死にあの小さな使い魔の顔を思い浮かべた。




 「……アヴィ……」




 その瞬間、私の胸元に黒い紋章が浮かび上がり、熱く焼き付けられるような痛みが走った。




 「おめでとう。我が娘。共喰いの儀は、これにて完了よ」




 私の内に根を張った“アヴィ”の気配が、じわじわと広がっていく。鼓動に混じり、呼吸に寄り添い、私という存在の一部になっていくのを、私は感じていた。




 「ふふふ……もう人ではいられないでしょう? それでいいのよ。復讐の炎に焼かれし存在として、あなたは生まれ変わるのだから」




 ヴァルセリアの声が、滴る血よりも濃く、私の耳に焼き付いていた。



⚠ ご閲覧前にお読みください【R15相当の表現を含みます】⚠

この作品には、暴力・拷問・身体損壊・死・怨恨・呪術的描写など、精神的・肉体的苦痛を連想させるグロテスクな表現が含まれております。

特に【復讐・裏切り・支配・生贄・呪い】といった重いテーマを軸とした物語構成となっております。


近年の映画・VODサービス(NetflixやAmazon Prime等)でもR15指定として分類される作品群と同等の表現レベルを意識しており、視覚的な直接描写は抑えつつも、文章によりイメージ喚起される残酷性・心理的衝撃を重視しています。


◆ ご注意ください

体調がすぐれない方、情緒が不安定な方、過激な復讐劇・ホラー描写に敏感な方は、無理な閲覧をお控えください。


読了後、気分の悪化や不安・睡眠への影響が出る可能性がございます。


万が一、不快な感情が生じた場合は、すぐに読書を中止し、心身を休めてください。


◆ 本作の表現方針について

本作は**復讐のカタルシス(浄化・解放)**を読者の皆様に届けるため、主人公の過酷な体験や精神の変化をリアルに描いています。

過激な描写は、単なる残虐さのためではなく、「圧倒的な理不尽と痛みに晒された者が、それでもなお立ち上がる物語」を演出するためのものです。


同作者による夏のホラー企画第一弾『河童になった少年』よりはマイルドな構成ですが、明確な暴力と心理的な闇を含むため、全年齢向けではありません。


読者の皆様にとって、少しでも「怒りが癒される」「気持ちが代弁された」ような体験を届けられることを願い、誠実に書き進めております。


慎重に、そしてご自身の体調と心に配慮しながらお読みいただければ幸いです。


――作者拝

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ