第二十四話『森の魔女、再び。PART2』
私は、ヴァルセリアの前に腰を下ろし、炎のはぜる音を聞きながら、淡々と口を開いた。
「求められた対価……今回、三つほど成し遂げました。まず、女官長の嫉妬心を増幅させ、王女を刺殺させたこと。その後、彼女は自ら命を絶ちました」
ヴァルセリアの唇が弧を描く。その目には、愉悦の光が宿っていた。
「続けてお聞かせ」
「次に、王女の近衛を使って赤子をさらわせ、その家族が赤子を取り戻すために罪なき者を殺しました」
「美しい因果ね。血は血を呼び、罪は罪を生む」
私は、彼女の声音にわずかな熱を感じた。暖炉の炎が揺れ、銀髪の魔女の横顔を血色の光が染める。
「そして……ゴリアテを、こちら側の闇に引き入れました」
ヴァルセリアは、喉の奥で笑いを転がした。それは甘く、そして獰猛な響きを持っていた。
「ふふ……なかなか、魔女見習いにしては上出来だよ。罪なき者の死こそ、私の糧。カルマは何よりのごちそうだからね」
「……それで、対価としては?」
「瓶詰めの食材としては少し物足りないけれど……お前が復讐をすべて成し遂げた時、その時のカルマを担保にしてあげる」
その言葉に、私は静かに頷いた。胸の奥に、冷たい達成感と次の狩りへの渇きが同時に広がっていくのを感じながら。
ヴァルセリアは暖炉の炎を指先でなぞるように見つめ、その赤い光を瞳に映しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……さて、セリーヌに一つ、予言を授けよう。お前が嫁ぎ先で目にするのは、血と花嫁衣裳だ」
「血と花嫁衣裳……?」私は眉をひそめ、その意味を測るように問い返した。
「そうだ。白は容易く赤に染まる。隣国の王宮には、笑顔で毒を盛る者と、影で剣を振るう者がいる。お前がその地に足を踏み入れた瞬間から、目に見えぬ鎖が静かに動き出すだろう」
炎がぱちりと弾け、赤い光がヴァルセリアの瞳に宿る。その視線は、私の魂の奥底まで射抜くように鋭い。
「だが、恐れる必要はない。むしろ利用しろ。血は契約の墨にもなれば、呪いの種にもなる。お前の復讐を肥やす糧にも変えられる」
私は唇を引き結び、呼吸を整えた。笑顔で毒を盛る者……影で剣を振るう者……幾人もの顔が脳裏をよぎり、冷たい糸が絡み合うように策略へと繋がっていく。
「つまり、それは私にとって好機だということですね」
ヴァルセリアはゆるやかに微笑んだが、その笑みに潜む冷たさは肌を刺すようだった。
「好機にもなれば、破滅にもなる。選ぶのはお前だ、セリーヌ。ただ一つ確かなのは──その国で流れる血は、すべてお前を試すためのものだ」
その時、傍らにいたニールが口を挟んだ。「……ご主人様、隣国の王宮ってのは噂だけでも裏が深いですよ。笑顔の仮面の下は牙だらけだって話です」
ヴァルセリアはちらりとニールに視線を向け、唇の端を上げる。「お前もよく嗅ぎ回る。だが、嗅ぎすぎると鼻を噛まれるぞ、使い魔」
ニールは肩をすくめ、「それも仕事のうちですから」と軽口を叩く。
暖炉の炎が揺らぎ、影が壁を這った。私はヴァルセリアとニールのやり取りを耳にしながら、その予言を胸に刻み、静かに笑んだ。頭の中では、すでに新たな策略が輪郭を帯び始めていた。
ヴァルセリアは、赤いワインをゆっくりと揺らし、その深紅の液面越しに私を見据えていた。炎の光が彼女の横顔を照らし、その笑みの奥に潜む冷たい影を際立たせる。
「お前が嫁ぐその婚姻──表向きは友好と安定の象徴だが、裏では数多の利害が絡み合っている。隣国の商会連合、軍部の派閥、そして王族同士の古く根深い確執だ」
耳に入った“確執”の響きに、胸の奥がわずかにざわめく。
「古い確執……?」
ヴァルセリアは唇の端を緩め、炎の揺らぎを背に続けた。
「第一王子は清廉を装っているが、血筋の真偽を巡る噂が今も燻っている。第三王子は表に姿を見せぬが、その背後には旧勢力の残党が潜んでいる。そして、病床の王妃──あの一族は表では献身を装いながら、裏で王位継承の順を変える機を窺っている」
ぱちり、と薪が弾け、影が不穏に揺れた。その音に胸の鼓動が一拍遅れて重なる。
「……なぜ、それほど詳しいのですか?」
私の問いに、ヴァルセリアはゆっくりと見つめ、愉しげに微笑む。
「知ることが、魔女の糧だからさ。情報は血より濃く、魂より深く人を縛る。真実を一つ握れば、相手は自ら鎖を締め、逃げられなくなる」
横で聞いていたニールが肩をすくめる。
「ヴァルセリア様は、人の心の奥を覗くのが得意なんですよ。しかも、聞かれもしないことまで拾ってくる」
「お前も同じだろう、ニール」
魔女が視線を向けると、ニールは小さく笑って口元を拭った。
「ええ、でも私の場合はご主人様のため。ヴァルセリア様は……ご自身の楽しみのため、でしょう?」
「楽しみと糧は、往々にして同じものだよ」
そのやり取りを聞きながら、私は胸の奥に熱と冷たさが同時に広がるのを感じた。ヴァルセリアの言葉は、炎より熱く、氷より冷たく、策略の形を頭の中に描かせていく。
馬車へ向かおうと足を踏み出した瞬間、背後からヴァルセリアの声が低く、鋭く響いた。
「……忘れるな。笑顔で毒を盛る者よりも、沈黙の影で剣を振るう者の方が、よほど始末に負えない」
その一言に足が止まり、私はゆっくりと振り返った。小屋の入り口に立つヴァルセリアは、黒い蔓と赤い花に囲まれ、まるで森そのものが人の形を取ったかのような存在感を放っていた。
「それは……隣国でのことを?」
問いかけても、彼女はすぐには答えず、炎のように揺れる瞳で私を見つめ、わずかに口角を上げるだけだった。その笑みは何かを告げているようで、同時に何も明かさない。
霧が濃くなり、彼女の輪郭が徐々にぼやけていく。紅い花弁が、風もないのにひとひら震えた。
胸の奥に、細く鋭い棘が刺さったような感覚が広がる。私は無言で踵を返し、足元の湿った土を踏みしめた。
「ご主人様、あれは……警告でしょうね」
隣を歩くニールが、軽く尾を揺らしながら囁く。彼の声はどこか愉快そうで、しかしその奥にわずかな緊張が滲んでいた。
「ええ……だからこそ、利用できるわ」
自分でも驚くほど冷ややかな声が、霧の中に溶けていく。背後からはもうヴァルセリアの気配は消え、ただ森の奥で赤い花がひとつ、静かに揺れていた。
霧が深まり、湿った冷気が頬を撫でる中、背後からヴァルセリアの声がゆっくりと、まるで耳の奥を撫でるように響く。
「……血は力を与える。でも、それを飲み続ける者の心は……」
そこで彼女は言葉を切った。まるで、続きを語ればその瞬間に呪いが降りかかるかのように。
私は反射的に振り返る。赤い瞳がじっと私を見据え、唇の端がわずかに持ち上がっていた。何も続けないその沈黙が、逆に胸の奥に不安を落とす。
喉がひりつく。問い返そうと唇を開きかけたが、声が出なかった。
隣で歩いていたニールが、肩越しにヴァルセリアを一瞥し、小さく息を吐く。
「ご主人様……あれは、聞かない方がいいですよ。ヴァルセリア様は、時々そうやって答えよりも厄介な予感を置いていくんです」
「……分かっている。でも、どうしても気になる」
「気になっても、知らぬが仏ってやつです。ほら、今は森を出ることだけを考えましょう」
霧はさらに濃くなり、ヴァルセリアの姿が輪郭ごと溶けるように消えていく。胸の奥に小さな棘が刺さったまま、私はニールと共に馬車へと歩を進めた。
馬車の車輪が湿った土をゆっくりと踏みしめ、霧の中を進んでいく。背後に残したヴァルセリアの言葉は、まだ耳の奥に淡く絡みついていた。
――血は力を与える。でも、それを飲み続ける者の心は……
私は唇の端をわずかに上げ、軽く肩をすくめる。気にも留めないふりをしながらも、その言葉の続きを知らぬままにしておくことへの小さなざらつきが、胸の奥でひっそりと疼いていた。
窓の外では、霧が低く漂い、木々の影がゆらめいては闇に溶けていく。王都へ続く街道は、白い靄に包まれて輪郭を失い、世界がぼやけた夢のようだった。
隣でニールが、わざとらしく咳払いを一つした。
「で、ご主人様――」
「何?」
「今度は誰を糧に? ……なんてね」
軽口に、私は横目で彼を見やる。
「ふふ……さあ、誰かしら」
わざと曖昧な笑みで答えると、ニールは肩をすくめ、唇に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「その顔……もう心の中では決めてますね」
「決めつけるのは早いわ」
そう返しながらも、胸の奥では確かに、次の糧となるべき影の姿が浮かび始めていた。霧の向こう、まだ見ぬ標的がじっと私を待っている気がして、指先が微かに熱を帯びた。
馬車はそのまま、音もなく湿った道を進み、王都の方角へと吸い込まれていった。




