第三話「鎌倉奪還作戦」その2
鎌倉市鶴岡八幡宮の門前はT字路になっており、正面に伸びた道路は県道二一号。その左右には土産物店や飲食店が軒を連ねて並んでいて、国内外からの観光客や修学旅行客が溢れていた……五年前までは。
甲斐と翡翠とカナリアは今、門前の大鳥居の下に立っている。目の前に広がるのは焼けて崩れた建物の連なりだ。三人の他は「丙」の兵士が歩哨をしているだけで、人の姿は一切ない。日差しは大分傾き、日没までは間もなくだった。なお甲斐は今は紅蓮剣を帯びていない。持っているのは用意してもらった予備の三鈷剣だ。また翡翠とカナリアも鏡と宝珠のネックレスを外している。
「この辺にも冥王軍が攻めてきたんですね」
「それもあるだろうけど、多分自然発生の火災のせいじゃないかな」
避難時の失火、または落雷などで火災が発生しても消火できる状態ではなく、自然鎮火を待つしかない。また、地震や洪水などの自然災害が発生しても何の対処もできない。割れた窓、ひびが入った屋根や壁から雨水が入ってきて腐食が進み、蔦や雑草が繁茂してひび割れがさらに大きくなってさらに水が入り、ひび割れはやがて亀裂になってさらに大きくなり、ついには倒壊してしまう。冥王軍の勢力圏に入って人がいなくなった町では荒廃が急速に進んでおり、五年を経た今では、
「補修をするよりも取り壊して建て直した方が多分早いよね」
「奪還してもすぐに人が住めるわけじゃない……」
「家一軒建てるのにかかる人手と費用……それに家だけあって人が入っても、仕事がなければ『暮らしている』とは言えないでしょう。それに電気や水道の復旧も必要です」
「気が遠くなるよね」
「京都の政府の人達も頭を痛めているでしょうね」
戦いに勝ってもそれでハッピーエンドではなく、そこから先はまた別の苦難苦闘の始まりなのだ。全てが元に戻るには十年単位の時間を必要とするだろう。だがそれも、
「まだ、たかだか橋頭堡を作っただけだ。東京すら取り返せていない」
「それもそうね。ちょっと気が早すぎだった」
勝たないことには何一つ始まりはしないのだ。甲斐の言葉にカナリアが苦笑する。
「さすがに東京奪還はこんなに簡単じゃないでしょうし」
翡翠が物憂げに独り言ち、
「『トリニティ・ファンタジア』なら『死霊都市攻略戦』のあたりだろうから、四天王が出てくるよね。まず間違いなく」
「トリニティ・ファンタジア」作中で最初の関門とされているのが「死霊都市攻略戦」編だった。ヤマト・ソニア・パルマの三人が初めてそろい、四天王の一人に戦いを挑むのだ。
「相手が何だろうと戦って勝つだけだ。そして東京も奪還する」
甲斐が決意に拳を握り締めたそのとき――光の柱が天へと伸びた。三人が振り返って遥かな空を見上げる。光の柱は八幡宮の社殿から立ち上がっており、さらにはオーロラのような光の障壁が西へと広がっていく。わずかに角度を変えて、二枚の障壁が二方向へ。
「大結界が起動した。これでこの周辺も安全圏に」
翡翠が大きな安堵のため息をついた。
今、鶴岡八幡宮の社殿には仮の結界起点として黄金鏡・紺碧珠・紅蓮剣が置かれている。宮内庁陰陽寮の陰陽師が総出で儀式を執り行い、霊脈と結界起点が結ばれて大結界がようやく起動したのである。拡大した大結界で道中の安全を確保の上で、霊峰富士の剣を鶴岡八幡宮へと移設。それでようやく本当に大結界が拡大し鎌倉奪還が成ったと言えるのだが、ここまで来ればもう実現したと同じだった。
「とりあえずは第一歩か」
甲斐達三人は警戒を「丙」の兵士に任せ、八幡宮の中へと戻っていった。
鶴岡八幡宮の敷地内では主に「丙」の兵士が忙しく動き回っているが部隊人数一二〇〇人に対して敷地は充分に広く、閑散とした印象すら感じられる。空いた場所にはテントがずらりと並び、兵士達は野営の準備を進めていた。
甲斐達三人は「甲」部隊の中でもさらに特別扱いで、テント村から少し離れた場所、社殿のすぐ隣に仮の住まいを用意してもらっている。甲斐は小さいながらも一人用のテント。翡翠とカナリアはキャンピングカーだ。
「当分はテント暮らしか」
避難直後は限りなく地獄に近かったしその後の住環境も劣悪で、その頃を思い出すならこのテント暮らしも上等の部類だった。さすがに富士市の「甲」の宿舎には見劣りはするが……
甲斐はテントの外に出、キャンピングカーの横に置かれたアウトドアチェアに座り、携帯端末で梨乃を呼び出した。ほんのコール一回でつながり、
『お兄? 大丈夫なの? 怪我はない?』
「楽勝だったよ、怪我も何もない」
『本当に?』
疑わしげなその問いに、
「ちょっと火傷をしたけど櫛名田が治してくれたらしい。傷一つ残ってねーよ」
甲斐は言い訳がましくそう言う。「そう」という梨乃の応えは安堵のため息のようだった。
『作戦、成功したんだね。ニュースとかもうそれ一色だよ』
「まあな」
正直に言えば今回の戦いはあまりに歯ごたえがなく、あっけなく、「勝利した」という実感や喜びが乏しかった。
「今回は東京奪還の、ただの前哨戦だ。こんなところでつまずいていたら話にならない」
数拍間を置いた梨乃がため息とともに、
『……お兄、本当に勇者になっちゃったんだね。ほんの一月前は「丁」のハンターだったのに』
「ああ。ゾンビ兵相手に日銭を稼いで、ストリガのボーナスに喜んでいた」
あまりの急変に眩暈がしそうだが、立場や周囲の見る目が変わってもやることは結局変わっていない。極言すれば、より上等の得物を使ってより高レベルのモンスターと戦うようになっただけなのだから。
『チャンネルの登録者数ももうすぐ三千万……そうだ、そろそろ新しい動画が配信される時間。今回の戦いのやつ』
みんなで見よう、と梨乃が言うので甲斐は翡翠とカナリアに声をかけた。キャンピングカーから出てきた二人がテーブルを囲んでチェアに座り、それぞれが携帯端末を持って、
『更新されてる!』
端末の向こう側から聞こえる梨乃の声を合図にしたように最新の動画が配信開始。四人はそれぞれの端末でそれを視聴した。目の見えないカナリアのために梨乃が解説をしている。
動画はまず作戦開始前の、旧浮島ヶ原自然公園での鷹杜の演説から始まった。演説が終わって作戦開始となり、カメラはずっと甲斐を追って移動している。
「なんか映ってるの俺ばっかり……」
「そりゃ甲斐君のチャンネルだもの」
なお翡翠とカナリアのチャンネルでは本日の動画配信はなしで、後日配信という話だった。今は甲斐に関心と人気を集中させるための、百舌の戦略の一つであることは言うまでもない。
箱根港に到着するまでは甲斐達の戦闘はない。ゾンビ兵のはぐれ集団が接近し、甲斐が喜び勇んで出撃しようとし、でも「丙」部隊に一掃されて出番はなく、残念そうにしている、その一連の様子も配信されている。
「いつ撮ったんだ、こんなの」
「ずーっとドローンがくっついていたじゃない」
とカナリアは今も上空で旋回するドローンを指差した。
「屋外にいるときは基本全部撮影されているって考えた方がいいよ?」
え、と今さらのように驚いて顔色を悪くする翡翠。甲斐は不思議そうな顔となってしまった。
――やることがなくなってしまった甲斐は体力温存のため寝入ってしまい、その隣に座る翡翠は何やら甲斐の様子をちらちらとうかがっている。そしてカナリアが席を外して二人だけになったのを好機とし、甲斐の手に自分の手を重ね、さらに身体をすり寄せ――
「違うんです違うんです!」
椅子を倒す勢いで立ち上がり、赤面して必死に言い訳をする翡翠。
「前みたいに死にそうなことになるんじゃないかってずっと不安で! だからつい! その!」
「前のときに助けてくれた甲斐君を頼っちゃったんだよねー」
とにやにや顔のカナリア。そう!と強く頷く翡翠がびし!と音が出そうな勢いで甲斐に人差し指を突き付け、
「とにかく! 誤解しないでください!」
「お、おう。判ってるから」
翡翠は一旦椅子に座り、甲斐から必死に顔を背けて、
「ああもう、なんだってこんなところを……」
とぶつぶつ文句を言っていたかと思うと、
「――え、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って」
と、何かに思い当たったようで一人で慌てて焦っている。
そうこうしているうちに動画は箱根港での戦闘となり、甲斐が骸骨竜やドラゴンゾンビを鎧袖一触で倒していくシーンが展開されている。甲斐の無双で戦いは圧勝で終わり、
『ああ、疲れたー』
『おかえりー、大活躍だったねー』
場面はジープに戻ってきた甲斐をカナリアと翡翠が出迎えたところだ。それを見ている翡翠の狼狽ぶりは火に焙られるかのごとくで、顔色は青くなったり赤くなったり。信号機だってもっと落ち着いていることだろう。
『そりゃ、負けてらんねーし……てゆーか、俺じゃなくて聖剣の力だよ』
甲斐は紅蓮剣を手に持ち、視線を落とした。
『俺みたいな「丁」のハンターが聖剣のおかけで勇者様だ。でもこれさえあればぶっ殺せる、四天王だろうと冥王だろうと』
翡翠が心配そうに自分の横顔を見つめていることを甲斐は気付いていない……いや、今気付いた。
『どうした?』
『いえ、火傷を……』
『ああ、熱かったからなこの剣』
と自分の額を触る甲斐。
『治療するわね』
『いいよこのくらい。舐めときゃ治る』
『でも』
甲斐がジープのシートに背中を預け、ほんの数秒で寝入ってしまった。
『霊力と体力の使い過ぎかな。休ませてあげないとね』
カナリアがそう言い残して席を外してしまい、甲斐と二人きりになった翡翠はシートに膝立ちとなって、甲斐の額に手を当てた。
『布留部、由良由良止、布留部』
それは「布瑠の言」といわれる神道の呪文で、あらゆる病や傷を癒すだけでなく死者蘇生の力すらあるという。翡翠はそれで火傷を治療するだけでなく、左右を見回して人目がないことを確認の上で、そっと甲斐の額に口づけを――
「違うんです違うんです違うんですーっ!!」
絶叫する翡翠の顔は限界まで血が昇っている。
「唾液には霊力が宿っていて退魔の力があるから! それに舐めておけばいいって!」
半泣きを通り過ぎて九分泣きくらいになって言い訳をする。
「ああ、うん。判ってるから」
正直に言えば「何をだよ」と言いたいところであるが話がこじれるだけなので、甲斐はとりあえず今は翡翠をなだめることを優先させた。
「本当に判ってます!?」
「本当だって」
この目が嘘をついている目か?(嘘だけど)と言わんばかりに真剣な眼差しで翡翠を見つめる甲斐。一方見つめられた翡翠は恥ずかしさが限界を突破して頭部から蒸気を噴き出した。少女はキャンピングカーの中へと逃げ込み、
「何なんですかあの動画はー!」
抗議の電話をしており、相手は百舌か鷹杜のどちらかだろう。甲斐はただ途方に暮れ、カナリアは、
「あ゛ー」
その顔面はにやけをはるかに通り越し、完全にどろっどろにとろけていたという……。
「うう、プライバシーの侵害ですこんなの……」
少女の抗議は百舌によってあしらわれただけで終わったらしく、翡翠はひたすら愚痴っている。顔を合わせるのも気まずく、気恥ずかしい様子で、甲斐のことを徹底的に避けていた。
「えっと、俺はどうしたらいいでしょう」
この人に相談するのが果たして正解なのか?という深刻な疑問を覚えつつも他の相談相手も思いつかず、甲斐はカナリアにそれを問うた。彼女は「そうねぇ」と首を傾ける。
「まず、迷惑そうにしたりとかあの子を嫌うような態度は絶対にダメ! そういうあまりに子供じみた振る舞いは視聴者の皆さんから強い反発を買うことになるし、第一あの子がすごく傷付いちゃう」
「それは判るけど……全部撮影されて配信されることが前提なんですね」
「うん。それはもう諦めて、覚悟しておいて」
カナリアはあっさりとそう言うが甲斐はうんざりとした顔となってしまった。
「あの子は今まであまり出動していなくて配信も数えるほどだったし、まあこんな遠征はあの子だけじゃなくわたしも前回が初めてで、百舌さんがあんな売り出し方をするなんてさすがに予想外だったけど」
「あれには俺も抗議したい。てゆーかあいつが目の前にいたら聖剣で燃やしてる」
翡翠の反応があまりに激烈だったため冷静になってしまっているが、甲斐にしても恥ずかしくないわけはないのである。
「戦闘シーンじゃなくあんな動画に何の意味が」
「でも甲斐君、あれで翡翠ちゃんのパートナーって世界的に認められているんだよ?」
沈黙する甲斐にカナリアは説明を重ねた。
「翡翠ちゃんが甲斐君に淡い恋心を抱いている……ような雰囲気になっている。それはまさしく『聖剣の勇者』ヤマトと『神鏡の巫女』ソニアの恋の再現で、つまりは甲斐君がこの世界での勇者ヤマトだと認められたってこととイコールなの」
「そんなとこまでアニメを再現しなくていいだろ」
と愚痴を言う甲斐に、カナリアは曖昧な笑みを見せた。
「でも、肝心の『視聴者の皆さん』の反応はどうなんだよ。あんな茶番を見せられて」
「そりゃあもう!」
と飛び上がりそうな勢いで身を乗り出すカナリア。
「お茶の間の皆さんも大喜び! 『恋する翡翠ちゃんからしか摂取できない栄養がある』とか『ご飯三杯はいける』とか『貴い』とか!」
「それなんか違う」
と甲斐はうんざりした顔となった。
「そもそも、今回の作戦目的は俺が『聖剣の勇者』として認められることだっただろ。それはどうなんだよ」
「目標は概ね達成した、って百舌さんは言っていたから心配ないんじゃない?」
「本当かよ」
「あとコメントとしては『甲斐君可愛い』とか『居眠りしているところが可愛い』とか『真剣な顔も可愛い』とか『格好いいと思ってマントをしているところが可愛い』とか」
「他のコメントはないんか!」
甲斐はそう怒鳴らずにはいられなかった。
「まーまー、人気があるのは何よりだから」
「俺は『聖剣の勇者』になった覚えはあってもテレビタレントになったつもりはないぞ」
「似たようなものなんだけどねー」
とカナリアは肩をすくめる。
「なったつもりはなくても今の甲斐君はタレントみたいなものなの。だからプライバシーとかも切り売りの商品にされてしまう。ドローンがある場所ではそのつもりで、演技をした方がいい」
「演技……」
「そう。大衆が望む『聖剣の勇者』を演じるの」
「それは判らなくないけど……」
そう言いながらも甲斐は難しい顔である。
「翡翠ちゃんとの関係もね。カメラの前では演技でいい。そう考えれば少しは気が楽でしょ?」
「演技でいいから仲良くしろと」
「違う! ぎこちない、微妙な距離感の二人がちょっとずつ心を通わせて、ちょっとずつ接近していくの!」
「できるかぁー!」
甲斐の絶叫は八幡宮の境内にこだましたという……。
四月一八日。鎌倉奪還作戦に勝利し、二日後。
荒廃し、無人となった鎌倉の町を、五〇人を超える人間が歩いている。十人ほどの陰陽師と、小銃で武装した兵士が二〇人ほどと、剣や錫杖を装備したハンターが二〇人ほど。その中には甲斐と翡翠も含まれていた。
結界起点を設置したことによって鶴岡八幡宮は難攻不落の要塞と化したが、鎌倉市の大部分は大結界の範囲外だ。そこで鎌倉市・藤沢市・横浜市各地の神社仏閣を起点として小結界を展開し、安全地帯を広げる。それが今回の任務であり、甲斐と翡翠もその護衛だった。なおカナリアは他の部隊の護衛をしていて別行動である。
やがて部隊は金沢街道という山道へと入っていった。道路はアスファルトで舗装されているがあちこちが割れ、あるいは陥没し、そこら中に雑草が生えている。
「……」
「……」
甲斐と翡翠は横に並んで歩いているが、気まずそうに互いにそっぽを向いていた。もともと二人ともおしゃべりが得意ではなく、カナリアがいなくては会話もままならないのに、あんな動画配信があったのだ。まともに会話ができるわけがない。周囲は我関せずの姿勢だが(そもそもそこまで親しくはないが)、彼等の視線は非常に生温かいもので、翡翠はますます気まずさと恥ずかしさを募らせている。
「カナリアさんのアドバイス、お前も聞いているだろ」
何の前置きもなしに甲斐がそう言うが翡翠には通じたようだった。
「カメラの前では演技していればいい。素の自分じゃなくていいって」
「そうして少しずつ距離を詰めていって」
「そこまで間に受けるな」
反射的に突っ込みを入れる甲斐と、チョップを脳天に落とされてちょっと痛そうな顔となる翡翠。
「あんなのカナリアさんの冗談だろ」
「う、うん。判ってる」
「とにかく、演技だ演技。仮面をかぶれ」
自分に言い聞かせるようにそう言う甲斐を、翡翠がじっと見つめた。
「……なんだよ」
「勇者に選ばれたのはついこの間なのに、わたしよりずっと判っていてちゃんと勇者をやっている。わたしは全然ダメダメなのに」
「ちゃんとやれているかどうかなんて知らねーよ。第一演技だとか人気取りだとか、そんなの勇者の仕事かよ」
「勇者の仕事なの」
翡翠が憂鬱そうな顔を俯かせた。
「人々の求める勇者を演じ、人気を集めることが」
「『冥王は人々の絶望を糧とし、より強大な存在となっていく。それに対抗するためには人々の希望と信仰を勇者へと集めなければならない』……だったか」
それは「トリニティ・ファンタジア」の設定であり、今のこの世界の現実そのものだった。
「戦って勝っていけばいいんだろう。四天王だろうと何だろうと」
「四天王がそんなに簡単に勝てる相手だとは思えない。単にレベル九の化け物ってだけじゃない。四天王は人間と同じだけの知性を持っている――アニメやゲームじゃなく、現実のここで」
人間と同じ知性を有するモンスターがどれだけ悪辣な罠を仕掛けてくるか――その恐怖に翡翠の身体が小さく震える。だが甲斐は怯まなかった。
「油断するわけじゃないけど、知恵には知恵で対抗すればいい」
「あなたが?」
「頭脳労働は俺の仕事じゃない。鷹杜隊長に任せる」
甲斐が笑って肩をすくめ、翡翠もまた小さく笑う。その美しさに甲斐が思わず顔を背け、
「どうかした?」
「いや」
どうごまかすか困ったところに、携帯端末への着信。相手は梨乃だ。半分はこれ幸いと、もう半分は疑問に思いながら、
「梨乃? 何かあったか?」
『お兄! 敵が襲ってくる! 地面の下から!』
「下からだ! 敵モンスターが下にいる!」
甲斐は全員に警告を発するのと同時に翡翠を抱き寄せた。
「しっかり掴まれ!」
ハンターや兵士達の戸惑いは一瞬であり、彼等は即座に足元を警戒。翡翠もまた臨戦態勢となった。
「GARRRRRUU!」
アスファルトを突き破って出現したモンスターが牙を剥いてきたのは次の瞬間だった。甲斐は翡翠を抱いたまま何メートルも跳躍し、後退。ハンターや兵士もダッシュで後退するが、逃げ遅れた何人かが足を喰われてしまう。
「ギガントワーム!」
それは牙と鱗を有する、巨大なミミズのような姿をしたモンスターだ。体長は五メートルを超え、口は人の脚を丸呑みできるくらいに大きく、さらには猛毒を有している。地中に潜み、息を殺して獲物を狙い、下から突然襲いかかってくる。まるで地雷のように厄介なモンスターだった。
足を噛まれた何人かは猛毒によってほとんど即死し、すぐにゾンビ兵と化した。そのうちの一人が甲斐達へと自動小銃の銃口を向け、
「くそっ」
「丙」部隊長が携帯端末を操作し、こんな場合を想定して搭載された自爆装置を起動。ゾンビ兵の銃器が小爆発を起こし、両腕を失ったそれは苦痛に呻くような声を出した。
「くそ、ミミズごときが舐めた真似を。魚釣りの餌にしてやる」
ギガントワームは奇襲と猛毒が面倒なだけで、それ自体はレベル四とレンオルムよりも低い。今の甲斐はもちろん「乙」のハンター達からしてもただの雑魚に過ぎなかった。だが、
『敵が撃ってくる! 翡翠さんの結界を!』
「櫛名田、結界だ!」
甲斐が翡翠を抱えたまま猛ダッシュで前進し、
「今!」
「吐普加身依身多女!」
光の結界が巨大な壁のように展開され、それに敵の攻撃が着弾。結界はこゆるぎもせず、その内側にいた味方は全員無事だ――外側にいた者は一人も助けられなかったが。十人近い兵士とハンターが全身を穴だらけにし、絶命。そしてすぐにゾンビ兵と化してしまう。
「今の攻撃は何だ? 銃撃か?」
「いや、呪弾だよ」
そう答えた者は――味方ではなかった。道路脇の茂みから姿を現したのは、黒いローブで全身を包んだ何者かだ。フードを深くかぶって顔を隠しており、おそらくは壮年の男だということ以外何一つ判らない。
「しかし二段構えのこの奇襲がしのがれるとは。何が起こっている」
「それが辞世の句でいいんだな。ついでに墓に刻む名前も聞いておいてやる」
翡翠を地面におろした甲斐が紅蓮剣を突きつけそう問う。男は鼻で笑い、フードをめくってその中を露わにした――口元以外全てを隠した髑髏の仮面を。
「そうだな。本当は『道化師』とでも名乗りたいところだが、今はこう呼ばれている――『死霊使いハルベリン』」
驚愕と戦慄が颶風となって甲斐達の間を突き抜けた。甲斐は息を呑み、握り締め過ぎた剣が震えている。
「まさか、四天王……!」
「どうして四天王がこんなところに」
翡翠は恐怖に声と身体を震わせながらも必死に結界を展開し続けている。四天王ハルベリンは、仮面の下で失笑したようだった。
「逆に訊きたいが、どうして私が出てこないと思ったのだ。アニメでもゲームでも『死霊都市攻略戦』の前に私の顔見世があっただろう」
「な……」
何を言っているのか、こいつは――甲斐の思考がフリーズする。
「まさか、そんなところまでシナリオに縛られている?」
「縛られている、というより今回はそれを利用した形だな。シナリオに従って今回は顔見世だけの予定だが、私は制約の中で全力を尽くす。勇者が想定以上に弱ければここでゲームオーバーだ」
ハルベリンが指を鳴らし、同時にギガントワームが甲斐達の足元から飛び出した。
「きゃあっ!」
咄嗟に甲斐が翡翠を突き飛ばしてギガントワームの牙を避けさせ、さらには紅蓮剣を横に薙いでモンスターを真っ二つにする。だが翡翠の展開する結界は消えてしまい、ハルベリンが手を前へと突き出し、
「こっちだ!」
呪弾の攻撃が来る、まともに食らったら味方が全滅する――それを本能だけで計算した甲斐が敵へと吶喊する。ハルベリンの射線は甲斐の身体で塞がれるが、同時にその身体はいい的も同然だった。
「ノウマクサンマンダバザラダンカン!」
盾のようにマントを掲げ、不動明王の真言を早口で唱える甲斐。だがこんなものは気休めだと、彼自身が嫌と言うほど理解している。
「馬鹿め」
憐れみと侮蔑を半々にしたハルベリンが呪弾を機関銃のように浴びせ――甲斐のマントがそれを全て弾いた。
「え、うそ」
「ほう」
驚く甲斐と、関心するハルベリン。マントには穴一つ空かず、裏地の真言が赤く輝き……
「なるほど、想定よりずっと信仰を集めていたか」
そのときには立ち上がった翡翠が結界を再起動し味方を全員守っている。甲斐もまた速やかに結界の内側に撤収し、さらには、
「『宝珠の聖女』が来ただと? どうしてこんな早く」
後方から猛スピードで接近する数台のジープ。乗っているのが誰かは判らないが味方で援軍なのは確かだった。
「残念ながら時間切れだ。東京で待っているぞ」
「ま――」
待て、と呼び止めて再戦を挑む勇気を、甲斐はついに持ち得なかった。消えるハルベリンをただ見送り……
「翡翠ちゃん! 甲斐君!」
「大丈夫か!」
援軍はカナリア、マユール、それに燕だ。甲斐は安堵と脱力のあまりその場に座り込み、それは翡翠も他の面々も同様だった。
「これ以上ここに留まるべきじゃないです。早く大結界の内側に」
「うん、判ってる」
後方の警戒をカナリア達に任せ、甲斐達は鶴岡八幡宮への帰路を急いだ。道中の甲斐はずっと無言で、その胸中では様々な思いが渦を巻いている。――様々な疑問が。疑念が。
梨乃がベッドで眠っており、その横に甲斐が佇んでいる。部屋の中は暗かったがその寝顔を見守るにはこれで充分だった。少女の寝息は非常に静かで、まるで彫像のようで少し心配になるくらいだ。少女を見つめる甲斐の横顔は、あるいは今にも泣き出すかと思われるもので――ノックの音にそれが一変した。彼はいつもの仏頂面を、その仮面をかぶる。
「どうぞ」
お邪魔します、とその部屋に入ってきたのは翡翠で、彼女は甲斐の横に並んで梨乃を見つめた。
「容態は?」
「今のところ別状は」
そう、と翡翠が安堵のため息をつき、
「隊長が呼んでいます」
「判った」
甲斐はわずかに未練を残しながらもその部屋を出、会議室へと向かった。
そしてやってきた会議室では、鷹杜とカナリアが二人を待っていた。甲斐は鷹杜と向き合う場所に座り、カナリアと翡翠は二人の側面に位置する。甲斐は疲れた顔をしていたが深呼吸をして精神的に体勢を立て直し、鷹杜と対峙した。
「訊きたいことがあります。二つ」
「聞こう」
「梨乃はどうしたんですか? 何が起こっているんですか?」
死霊使いハルベリンと戦い、鶴岡八幡宮に撤収した後、甲斐はすぐに梨乃に連絡を取ろうとした。だが携帯端末はつながらず、そこに届いたのが「梨乃が意識不明となった」という凶報である。大急ぎで富士市の「甲」部隊宿舎に戻ってきて、それでも半日近くかかってもう深夜に近い時間だが、妹の容態を確認したのが今だった。
「CT検査を始めとしてあらゆる検査をしたが、医学的には何も問題なし。呪いの類、あるいは敵の精神攻撃に関しても、大結界の内側の、しかも我々の拠点のこの場所でそんなものを受けるはずがない。医者が言うには、おそらくは精神的な負荷がかかりすぎたためではないかということだが」
「精神的な負荷って」
「あの予知能力に伴うものと推測される」
痛いところを突かれたように甲斐が沈黙する。
「梨乃君が予知能力を使ったのは今回が初めてか?」
「……おそろしく勘が良いな、と思うことは前からありました。あいつの勘がなかったら俺達は五年前に東京を脱出できずに死んでいました」
東京脱出時から始まり、その後何度も危機一髪の状況を梨乃の直感に助けられ、安全圏まで逃げ延びたのだ。避難所に落ち着いてからも、梨乃の直感により最悪の事態を回避したことが何度もあった。今回も梨乃は甲斐に警告を発するのと同時にカナリアに救援を要請、ハルベリンが退いたのもそのおかげと言っていい。
「何故こんな力を持っているのか、その心当たりは?」
「ありません。何も」
甲斐は確固として即答する。鷹杜は無言のまま腑分けをするように彼を見つめ、甲斐は胸を張ってそれをはね返した。いくら疑われようと甲斐には思い当たる節が本当に何一つないのである。
「……これに関しては、一つだけ仮説がある。今情報部に調査をさせているところだ」
「その仮説って何ですか」
鷹杜は「まだ言えない」と首を横に振った。
「事実が明確になれば必ず伝える。今しばらく待ってほしい」
「……判りました」
可能であれば腕づくでも知っていることを今すぐ吐き出させたいところではあったが、そんな真似をして「甲」部隊から除隊され、梨乃の治療もできなくなってしまっては本末転倒だ。自制するのに相当の努力が必要だったものの、甲斐はその要請をどうにか受け入れた。
「もう一つ訊いてもいいですか」
「何だね」
「ハルベリンと戦ったとき、奴はわけの判らないことを言っていました」
――「シナリオに縛られている」「シナリオに従って」。ハルベリンだけでなく翡翠もそう言っていた。彼女にその意味を問うたところ、
「鷹杜隊長の許可がないと話せない」
というので、宿舎に戻ってきたついでに直接問いただしに来たのである。
「シナリオって何ですか」
「『トリニティ・ファンタジア』のシナリオのことだ」
即座に答えが返ってくると思わず、またあまりに意味不明な答えに甲斐の身体も思考も硬直してしまう。
「細かな相違点はあるが大筋はゲームもアニメも変わらない。我々と冥王軍はこのシナリオに基づいて戦争をしている」
時刻はちょうど深夜零時。だが甲斐にとっての悪夢のような夜は、まだ始まったばかりだった。
次回・第四話「世界の裏側」その1は8月6日12時更新です。




