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勇者作戦群  作者: 亜蒼行
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第一話「英雄の誕生」その3

 甲斐達は国道一号線を東へと進んでいる。日本では富士市以西が人類の勢力圏で、沼津市以東が冥王軍の勢力圏。静岡県三島市はとっくに冥王軍の勢力圏内だが、冥王軍の攻撃は散発的だった。先頭集団が危なげなく敵を蹴散らし、あるいはカナリアの聖歌が猛威を発揮し、彼等は順調に前進を続けている。

 「丙」隊員が運転するジープは人が歩くのと変わらない速度で進み、その座席には鷹杜・翡翠・カナリアの三人が座っている。甲斐はジープのすぐ横を自分の足で歩いていた。ジープの周囲では「乙」のハンター、「丙」の兵士が警戒を続けており、甲斐にできそうなのは咄嗟のときの肉壁くらいのものだった。


「……あの、訊いてもいいですか?」


「なになに? 何でもお姉さんに訊いてみて?」


 甲斐は近くにいる人間の中で一番話しかけやすい人物、カナリアを選んでそれを問うた。根本的な疑問を。


「この部隊ってどこに向かっているんですか?」


 その問いにカナリア達が沈黙し、それは思いがけず長く続いた。


「……いや、すみません。実質部外者の俺が知るべきじゃないことですよね」


「ここまで連れてきておいて部外者扱いはどうかと思うし、教えちゃっても何も問題ないと思うけど……」


 カナリアが鷹杜の方へと首を向け、彼が「構わない」と許可を出した。


「わたし達が向かっているのは鎌倉の鶴岡八幡宮」


「そこを新たな結界起点にして、大結界の防御範囲を広げる。それが今回の作戦の要諦よ」


 与えられた情報に、その衝撃に、甲斐の足が止まってしまう。その間にジープが前に進み、少し間を置いて彼が慌ててその後を追った。


「だ……大結界を広げるって……! それじゃここに……」


 大声を出しそうになった甲斐は慌てて自制し、はばかるように声を潜め、


「ええ、ここにあるわ――聖剣が」


 翡翠がそう言って一瞬自分の足元に視線を向けた。甲斐からは見えないがそこには一つのトランクケースがありその中には……マジかよ、とその声音に戦慄が込められる。

 西日本に展開された大結界は冥王軍の侵攻を阻み続けている、日本防衛の要である。一つは島根県隠岐の島、一つは宮崎県高千穂峡、そしてもう一つは霊峰富士。この三箇所の霊地に三つの神器を設置して結界起点とし、この三箇所を結んだラインに霊的な絶対防御を展開しているのが大結界だった。日本が冥王軍の侵攻に対して国土の半分を維持していられるのも、この大結界があるために他ならなかった。


「……大丈夫なんですか、そんなことをして」


 甲斐がさらに声を潜め、可聴範囲のぎりぎりでそれを問う。

 霊峰富士は国内で一、二を争う最高の霊地。それと聖剣という最高の組み合わせがあってこそ大結界は無敵でいられる。だがその最高の霊地を欠いた状態で、それでも大結界は変わらずに堅牢無比でいられるのか?聖剣を移動させても即座に結界が消えるわけではないが、霊脈からの霊力の供給が途絶える以上その防御力の激減は免れない。また鶴岡八幡宮も霊地としては国内上位に位置するのだろうが、さすがに霊峰富士が比較対象では分が悪すぎた。


「もちろん反対は強かったが散々議論をしたことだ」


 鷹杜は怒りはしなかったが端的にそう言うだけだ。甲斐が発した問いはこれまで嫌になるほどくり返されたに違いなかった。だが、それでも実行しなければならなかった。たとえわずかでも国土を奪還し、小さくとも勝利を掴む必要があったのだ。

 地上の八割を支配した冥王軍はなお南下を続け、その戦線を停滞させるだけで人類は多大な出血を強いられている。大結界という鉄壁により冥王軍の侵攻を完璧に阻んでいるのは日本くらいのものだ。諸外国は疑っている――日本は勝つ気がないのではないか? 無理や博打をするよりも自国の半分を守り通せればそれで良しとするのではないか? 今はまだ小さな疑念かもしれないが、やがてそれは大きくなる。その疑念は失望に、失望は絶望へとつながるだろう。そして一六億の人類の絶望は冥王の糧となり、冥王はさらに強力となり、人類はますます絶望し……その悪循環を、始まる前にここで止めなければならないのだ。


「ここまで来てどうこう言ってもしょうがなくない?」


「作戦の成功を信じて、課せられた任務を果たすしかないでしょう」


 カナリアが軽くゆるく、翡翠が自分に言い聞かせるように言う。甲斐にしても、自分一人の反対でこの作戦がいまさら中止になるとは思えないし、そのつもりもない。所詮自分は「丁」部隊の最底辺で、今回の作戦でも部外者に等しい存在なのだから。


「課せられた任務を果たす――確かにそれしかないか」


 そして甲斐に課せられたのは「作戦の邪魔にならない」こと。ただそれだけで、他にできることは何もないのだ。市街地を抜けて山間部に入るとさすがに敵の攻撃は激しくなったが「乙」部隊・「丙」部隊によって無事に撃退されたし、損害は軽微。「甲」部隊の出番はなかったし、甲斐の出る幕もあるはずがない。


「……なんかすごい順調ですね」


「敵の動きが予想外に鈍い……気に食わんな」


 甲斐の独り言のような言葉に、やはり独り言ちるように返す鷹杜。


「このまま大きな戦いなしで鎌倉まで行ける……」


「さすがにそれは楽観しすぎでしょ」


「それにそれでは大結界の内側に取り込んだ範囲に敵集団が残ることになってしまう」


 他にも理由はいくつかあるが、鷹杜がヘリコプター等の航空機を使って一足飛びに鎌倉を目指さなかったのは、奪還予定の人類の勢力圏から冥王軍を一掃するため。それがこの作戦の大きな目的の一つだからだ。このままではその目的が果たせない……などと考えるのはあまりに虫が良すぎな皮算用だった。


「箱根港周辺に敵の大集団。ゾンビ兵と骸骨兵の総数は概算で五万。それにデュハランや骸骨騎士、骸骨竜も多数確認できます」


「そうか」


 その報告に鷹杜は重いため息をついた。時刻は既に夕方、場所は箱根へと向かう一号線の途上。偵察用ドローンが捉えたのはこれまでとは一桁も二桁も違う敵の大集団の姿だった。亡霊レイスはゾンビ兵・骸骨兵と並ぶ冥王軍の主戦力だが、レイスには電子機器を破壊する力がある。このためドローンで偵察できる範囲は非常に限られており、「丙」部隊長の唐丸とうまるからすれば――自衛隊の感覚では、敵の大集団が突然目の前に現れたようなものだった。その数に誰もが緊張を隠せないでいる。


「日が暮れるまでに小田原に入りたかったのだがな」


 五年前の東日本陥落時、自衛隊は遅滞戦術の一環で東西をつなぐあらゆる道路を破壊したが、これを復旧したのは沼津以東を勢力圏とした冥王軍だった。瓦礫を撤去し地面を均した、くらいの話ではあるが、自衛隊の車両が通行するにも大きな支障はなかった――大きくない問題は百メートルごとに発生したし、何より冥王軍を排除しながらの進軍だ。このくらい時間がかかることも想定内の話ではあった。それでも、


「敵地の山道を夜中に突っ切るのは、ぞっとしない話ですね」


「だが夜が明けるまで待つような、悠長なことはしていられない」


 唐丸が冗談に紛れ込ませて弱音を吐きつつも、鷹杜の判断に「判っています」と背筋を伸ばした。もし鷹杜が「夜が明けるまでここで野営する」とか言い出したら彼はきっと猛反対したことだろう。


「敵がいるのはこっちの東海道の方なんでしょう? わざわざ敵のいるところに行かなくても箱根新道を進めば」


「その場合敵は我々の後ろに回り込むか、七五号から横撃するか、七三二号で先回りして挟撃するか。多分その全部になるでしょう」


 地図を見て提案する翡翠だがあっさりと論破され、彼女は顔を伏せることしかできないでいる。翡翠だけでなく、鷹杜も唐丸もまた口を閉ざした。その沈黙は思いがけず長く続き、


「――ねえ、甲斐君はどうしたらいいと思う?」


「はい?」


 それを破ったのはカナリアの能天気な問いと、甲斐の間の抜けた返答だった。反射的に何か言おうとし――鷹杜、翡翠、カナリア、唐丸。彼等が、この作戦の主要幹部が甲斐に注目し、その言葉を待っている。その事実に硬直する甲斐だが、それも一瞬のことだった。


「どこをどう通ったって何万っていう敵がいて、即死トラップを用意して待ち構えているのは変わらないんでしょう? 結局予想通りなんだから予定を変える必要、なくないですか?」


「まさしくその通りだ」


 敵の数は多くとも当初の想定を超えるものではなく、小田原市に入ればさらに増えるものと推測された。ここで敵から逃げるくらいなら最初からこんな作戦をやらなければいいだけで、戦うしかないことは鷹杜だって百も承知なのだ。


「そもそも、四天王も出張っていないこの程度の敵に怯んでいて何が『勇者』だ。どうして冥王と戦える、世界を救える……!」


 怯懦に震える自分を打ち据えるべく、鷹杜は拳を握り締めた。


「予定通りだ。敵集団を排除し前進する」


「了解です」


 敬礼とともに返答した唐丸が部下の下に移動。しばらくして全体が移動を再開した。甲斐もまたジープについて歩き出し、


「白鳥君、頼むぞ」


「頼りにしてるからねー」


 鷹杜が力強く、カナリアが朗らかに声をかけてくる。


「了解です」


 甲斐もまた確固とそう返答した。……何をだよ、という戸惑いを隠しつつも。

 そして時刻は午後五時を過ぎ、逢魔が時。没する寸前の日差しは空を血のような赤に染めている。さらに空を埋め尽くす、黒い影。雲霞のような、無数のレイスが渦を巻いて全天を覆っているのだ。その数は地上のゾンビ兵・骸骨兵軍団の二倍にも三倍にもなるかもしれなかった。レイスは苦しみに満ちたうめき声を常に出し続け、同時に状態異常の効果を持つ瘴気を吐き続けている。甲斐が持つ安物の護符でも防げる程度のものではあるが、逆に言えば護符で防げるのは霊的な攻撃だけだ。


「……っ」


 何万という死者の悲嘆と、苦悶の悲鳴。そんなものを延々と浴びせられて、それでも何も感じないほど甲斐は無神経な人間ではなかった。それらの死者は五年前までこの国で当たり前に、平穏に暮らしていた人達なのだ。それが今は生命を喪い、その魂を冥王に囚われている。侵略の尖兵として使役され、玩弄されている。今甲斐がレイスの群れの一員でないのは、宝くじに当たったような僥倖の結果に過ぎなかった。

 ジープの上では翡翠が甲斐よりも顔色を悪くしているが鷹杜は顔色一つ変えていない。またカナリアは(霊的な超感覚で敵の動きを把握しつつ)空を振り仰いで「わあ」と感嘆し、


「敵が七分に空が三分、敵が七分に空が三分だ!」


 そんなことを言って一人にやにやし、甲斐は「さすがに余裕だな」と畏敬の目を向けた。鷹杜はちょっと白い目になっていたが。


「わたしの歌を聞けー!」


 ジープの上で仁王立ちとなったカナリアが朗々と歌を歌った。その聖なる調べによってレイスは浄化され、光となって天へと昇っていく。彼女を中心とする数百メートルの範囲からレイスが一掃され、上空ではレイスの軍団がきれいな円を描いた。円の縁ではレイスが次々と浄化され、昇天しており、まるで光の滝が逆さになったかのようだ。だがレイスの群れは後から後から押し寄せてきており、際限がないように思われた。さらにゾンビ兵・骸骨兵軍団が前進し、先頭集団とついに激突。だが「乙」部隊のハンターからすればそれらは雑魚もいいところで、彼等は剣の一振りで敵をまとめて破壊し、浄化していく。それは戦闘というよりはただの作業だった。だがそれでも、


「おい、どんだけ倒したよ。あとどのくらい残ってる」


「知るかよ!」


「夜が明ける頃には終わるんじゃねーの?」


 どれだけ殺しても敵が減っている実感がなく、疲労ばかりがたまっていく。今のところ味方に損害らしい損害は出ていないが、


「動いた! デュハランと骸骨竜!」


 敵が勝負を仕掛けてくる。本当の戦いはここからだった。


「くそっ」


 前線で「乙」のハンターに骸骨竜が襲いかかっているのが、甲斐のいる場所からも見えている。骸骨竜は竜の骨格だけのモンスターで、その体高は実に五メートルにもなるだろう。その巨体に応じて力が強く、骨だけな分身軽で素早いという、厄介なモンスターだ。


「どうかしたの」


「え?」


 突然翡翠がそう問い、甲斐は目を瞬かせた。


「何か言いたそうに、ずっとこっちを見ていたじゃない」


 ああ、と得心する甲斐。「別にお前に用事があったわけじゃない」などと、喧嘩になりそうな物言いは避けることにして、


「ゾンビ兵や骸骨兵が相手なら俺だって戦える。前線に出ろって命令してくれればよかったのにって、そう思っていただけだ」


 ずっとそれを目で訴え続けていた甲斐だが、鷹杜は戦局全体の把握に没頭しており、甲斐の存在を完全に忘れてしまったようだった。


「あんなのが出てきたらもう俺の出番なんかない」


 骸骨竜はレベル七、「乙」の上位ハンターがチームを組んで対処するべき強敵である。今の甲斐では一蹴されて終わりで、前線の邪魔になるだけだ。


「そんなにモンスターと戦いたいの?」


 気が知れない、と言外に込めてそう問う翡翠。一方の甲斐は悔しさに拳を握り締めている。


「みんなが戦っているのにただ守られているだけなんて……」


 誰もが自分に課せられた役割を果たすべく死力を尽くす中で、甲斐だけが何もすることがなくただ突っ立っているだけ。彼に命じられたのは翡翠達の護衛――だがそんなものはただの建前だと、彼自身が嫌と言うほど判っている。自分が守る側ではなく守られる側であることも。


「わたしもただ守られているだけだけど」


「お前自分が何守ってるのか判ってるのか」


 翡翠はその強力無比な防御力を買われ、聖剣を守ることに専念していた。それは単に本作戦の鍵であるだけでなく日本防衛の要なのだ。何があろうと決して失われてはならないものだった。


「――だが、守っているだけでは勝てない」


 突然鷹杜が口を挟んできて、二人が視線を向ける。だが彼は甲斐達の返答を求めていたわけではなかった。


「マユール君、風切君、頼む」


 鷹杜が「甲」のメンバーに命令し、二人が前線に移動。複数の骸骨竜が数える間もなく屠られる。敵の物量に圧倒されていた前線が態勢を立て直し、反撃へと移行した。


「すごい」


 今まで必死に戦って拮抗を保つのが精いっぱいだったのにたった二人の「甲」の勇者が前線を押し上げている。ずっと足止めされていた全軍が前進を再開、甲斐達もまた前へと進んだ。戦場は箱根港から箱根関所へと移動しつつある。


「最初から『甲』を出していれば余計な被害を出さなかったんじゃないのか?」


 そんな思いを含んだ視線を鷹杜へと向ける甲斐。だが鷹杜は自分の決断が正しかったのかどうか、未だ悩んでいるかのようだった。


「もう予備戦力は残っておらず、本陣の守りも手数になってしまった。私が敵ならここで本陣に強襲をかけるところだが」


 そしてその不安は的中し、敵は翡翠達を狙って攻撃を仕掛けてきた。鳴り響くのは甲高い金属音、それも一つではなくいくつも。


『敵の砲撃! 迎撃します!』


 冥王軍が迫撃砲を放ってきたのだ。「丙」部隊の戦車がスピーカーで警告を発するのと同時に即座に迎撃、榴弾の砲撃と機銃によって迫撃弾を撃ち落とす。上空での爆発にカナリアと翡翠が悲鳴を上げて頭を抱えた。甲斐もまた頭をかばいつつ上空を見上げ、


「逃げろ! 避けろ!」


 運悪く一発の砲弾が迎撃を免れ、運悪く翡翠やカナリアのジープめがけて一直線に落ちてくる。ジープが急発進・急旋回して砲弾の直撃は避けたがその爆風と合わさって、横転。荷台から放り出される翡翠達だが誰にも大きな怪我はないようで、すぐに立ち上がった。


「退避! あっちだ!」


 鷹杜が戦車の方を指し示しつつカナリアの手を引いて走り出し、ドライバーが続いた。が、翡翠はトランクケースを拾い上げていたため避難が遅れてしまう。それに気付いた鷹杜が引き返そうとするがその前に敵の砲撃の追撃、そして味方の迎撃。上空での、至近での爆発と爆風に彼は足を止めるしかない。


「きゃあっ!」


 一方の翡翠は、その爆風をまともに受けた。幸い誰かが覆いかぶさり、身を挺して守ってくれたおかげで怪我はない……


「あ、あなた」


 圧し潰すように翡翠に覆いかぶさっていたのは、甲斐だ。その彼の背中、腰の上は砲弾の破片を受け、ざっくりと切れている。切り口の内側に見えている白いものは大腸かもしれなかった。


「すぐに手当てを」


 治癒呪術を使おうとする翡翠に甲斐は、


「ばか、早く逃げろ」


「でも」


「肉壁舐めんな、この程度……」


 強がりを言って立ち上がる甲斐だが、それで精いっぱいだった。翡翠が肩を貸して移動しようとし、だがその前に、


「翡翠ちゃん!」


 カナリアの警告に翡翠が振り返ると――芦ノ湖から出現する、巨大なモンスター。


「リヴァイアサン!」


 それは旧約聖書に記されたモンスターで、ドラゴンの一種とされている。鯨に手足が付いたような、山椒魚が巨大化したようなモンスターだ。それが四、五メートルにもなりそうな大口を開けて咆哮し、一直線に翡翠と甲斐へと向かってくる。翡翠は咄嗟に結界を展開した。レベル七のモンスターだろうとこの結界は突破できない――だがリヴァイアサンは結界ごと翡翠と甲斐に食らいつき、これを丸ごと呑み込んだ。鎌首を持ち上げるモンスターの喉を大きな何かが通っていき、胃の中へと落ちたのが外からでも判る。


「VIVIVIVIVIVIVIVI!」


 リヴァイアサンが勝利を勝ち誇るように雄叫びを上げ、人間の側は絶望に囚われようとしている。


「ひ、翡翠ちゃん……」


「まだだ! すぐに救出すればいいだけだ!」


 自分の失敗、判断ミスに臓腑をねじ切られるような思いをしながら、それでも鷹杜は必死にリカバーしようとした。翡翠の結界にはモンスターも文字通りに歯が立たない、丸呑みされようと翡翠はまだ生きている、すぐに助け出せばそれで済む話だ――息が続くうちに。

 だがリヴァイアサンは湖へと向かい、水中に逃げようとしていた。


「逃がすな! 足止めしろ!」


 何人もの「丙」の兵士がリヴァイアサンの前に立ち塞がるが、それは頭を振り回して兵士を跳ね飛ばした。


「くそくそくそくそ!」


 兵士の一人が小銃を乱射、リヴァイアサンの頭部を蜂の巣にせんとする。


「馬鹿、止めろ!」


 唐丸の止める声も彼には届かない。腹部を狙わないだけの最低限の理性は残っていたようだがただそれだけで、彼が錯乱している事実に変わりはなかった。自動小銃の銃弾は全てリヴァイアサンの頭部を突き抜け、何一つダメージを負っていない。まるで幻影を撃っているかのよう――いや、ある意味でそれが正解なのだ。

 死体にレイスが取り憑き、死体を動かしているのがゾンビ兵というモンスターだ。つまりはこの世界に依拠する物理的な存在なのだが、それ以外のモンスターは全て、一種の幻のような代物だった。別次元から投影された、立体的な、実体のある幻影。それがモンスターの本質だとされている。要するにモンスターには物理だけの攻撃は通用しないのだと、そんなことはこの時代では常識以前の話なのに、その兵士の頭からはその常識が飛んでしまっている。

 銃弾を撃ち尽くしたその兵士が弾倉を交換しようとした。が、いつの間にか接近していたデュハランがその兵士の頭を掴み、その腕を通して何体ものレイスが兵士の身体の中に入り込んでいき、


「あががががか」


 全身を激しく震わせたその兵士の身体が一旦崩れ落ち、すぐに起き上がった。まるで糸に引っぱり上げられた操り人形のように。光を失ったその目もまた人形か死体のようで、彼はその目を味方へと向けた。同時に小銃の銃口も。


「済まない」


 引き金が引かれるその寸前、唐丸の刀が彼の首を斬り落とす。首の切り口から血と、黒い瘴気が噴き出すがすぐに浄化されて光となった。唐丸の刀が次に狙うのは当然ながらデュハランであり、何人ものハンターがそれとの戦いに続いた。

 何人もの犠牲を出しながら「丙」部隊がリヴァイアサンを足止めし、追いすがる鷹杜はそれが水に入る寸前でようやく追いついた。


「高火力で腹をぶち抜く! オン・クロダノウ・ウン・ジャク!」


 鷹杜は懐から護符を取り出して印を結んだ。唱えるのはあらゆる穢れを焼き尽くす烏枢沙摩明王の真言――それが中断した。


「なんだ?」


 ――時計の針はほんのわずか遡行し、甲斐が翡翠とともにリヴァイアサンに呑み込まれた直後。甲斐は翡翠を抱きしめ、翡翠は甲斐の腕の中だ。いくら巨大なモンスターでも胃の中に充分な空間があるわけではなく、二人はモンスターの胃壁に圧迫され、圧し潰されそうになっている。翡翠の結界が展開されているのは自分と甲斐の周辺、薄皮一枚というべき範囲だった。範囲が狭い分結界は異常なほどに強固になっており破られる心配はほとんど無用なのだが、


(何してるんだよ、前にやったみたいに結界をもっと広げて腹をぶち破ってやれば!)


 おそろしく狭く強固な結界の中で、身体を密着させているという条件が重なったためか、甲斐と翡翠の心が接続した。翡翠の感情が甲斐の中へと流れ込んでくる。


(いやいやいやいやいや! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない助けて助けて助けて助けて!)


 翡翠の中で渦を巻くのは根源的・絶対的な死への恐怖。その奔流に圧倒され、押し流されそうになる甲斐だが、


(ぐだぐたうるせえーっ!! 死にたくないなら戦え!)


 甲斐の闘争心がそれを押し返した。震えるだけだった翡翠が顔を上げる。


(……戦うって、どうやって)


(そんなもん剣さえあれば)


 愛用の三鈷剣は怪我を負ったときに手放してしまったようで、今は無手だ。


(くそ、剣さえあれば……あるじゃん)


 甲斐の足に触れているのは縦長のトランクケース。二人と一緒に呑み込まれたものだ。


(ちょっ、ちょっと待ってよ、それはまずい……)


(そんなこと言ってる場合か!)


 翡翠の反対も形だけみたいなものだった。甲斐がトランクケースを開けるのに難儀しているとそれを手伝ったくらいだ。トランクケースを開け放ち、何重にも包んでいるビロードを雑に剥がし、真紅・・の剣を手にする。甲斐は持てる霊力の全てを剣へと流し込み、翡翠もまた剣を握る甲斐の拳に手を添えた。


(このデカブツをぶっ殺す! お前も仮にも聖剣なら力を見せてみろ!)


 心臓と思われる場所に甲斐が剣を向け、


「ぶち抜けーーっっ!!」


 全力で剣を突き立て――霊力が超高温となって炸裂した。


「VIVIVIVIVIVIVIVI!」


「なんだ?」


 突然リヴァイアサンが上体を起こして悲鳴を上げ、鷹杜の真言が途切れてしまう。上体を逸らしてむき出しとなったその胸部が、内側から爆発した。血と炎が猛烈に噴き出し、その反動でリヴァイアサンが仰向けに倒れる。その身体はしばらく痙攣していたが、事切れるまでにさほどの時間はかからなかった。そしてその胸部から、


「思い知ったか、ウーパールーパーやろう……!」


 剣を高々と掲げた甲斐が表皮を突き破って飛び出してくる。


「翡翠ちゃん!」


「まさか……」


 甲斐は翡翠を抱きかかえており、二人はモンスターの血で全身が赤に染まっている。誰もがその神話のような光景に心を奪われ――甲斐が意識を失い、その身体が力を失い、モンスターの腹の上で大の字となった。翡翠もまたそれに寄り添うように倒れている。


「救護班! 早く!」


 真っ先に自分を取り戻した唐丸の命令で「丙」の兵士達が動き出し、慌てず急いで正確に二人の救護に当たっている。だが鷹杜はいつまでも、さきほどの光景に心を囚われたままだった。


「鷹杜隊長?」


 カナリアに何度か声をかけられ、ようやく彼の意識はこの場所に戻ってきたようだった。


「撤退だ。二人の救護が終わったらすぐに撤収する」


「え、作戦は」


「そんな小さな勝利などどうでもいい」


 そう言い放つ彼の目は、未だ甲斐へと釘付けとなっている。


「まさか……あの子を」


「今我々が見たものが『英雄の誕生』――そうでなくて何だと言うのだ」


 訂正しよう。鷹杜の意識は今、この場にはなかった。彼はずっと高い場所から、ずっと遠くを、ずっと未来を見据えている。この戦争そのものの行く末を。人類の命運を。

 その中で自分がどんな運命を背負うこととなるのか、今の甲斐が知る由もない――これが全ての始まりなのだということも。

本作は今日も含めて全12回の毎日12時更新。最終話の更新は8月12日になります。

最後まで楽しんでいただければ幸いです。


次回・第二話「聖剣の勇者」その1は8月2日12時更新です。

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