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勇者作戦群  作者: 亜蒼行
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第一話「英雄の誕生」その2

 静岡県富士市を霊的に防衛する小結界は霊峰富士を中核とし、各地に点在する浅間神社を結界起点としている。この小結界により富士市は戦時下の最前線でありながら最低限の市民生活を、一定の日常を維持することができていた。

 その富士市の一角。そこは昔ながらの住宅街で、未だ戦火が及ばず古い住宅が建ち並んでいる。その中の、一際古いボロアパートが甲斐の住処だった。


「ただいまー」


「お兄!」


 二日ぶりに戻った甲斐を、待ちかねたように一人の少女が出迎える。ポニーテールが特徴の可愛らしい女の子だが身長が一五〇センチメートルに満たず、小柄な甲斐よりもさらに小さい。既に中学生だが一見だけなら小学生にしか見えなかった――学校制度が崩壊状態なのでもう意味のない年代区分なのだが。

 少女の名前は白鳥梨乃しらとり・りの。甲斐の四歳年下の一二歳で、自慢の妹である。

 甲斐は家の中へと、居間へと移動して座椅子に座り込んだ。部屋の中にあるのはコタツ兼用の卓袱台、座椅子、布団、最低限の衣服と、非常に限られたものだった。


「心配したんだからね! 怪我は大丈夫なの?」


「もうすっかり」


「そんなに早く治るわけないじゃない!」


「いや本当だって」


 強がりがないわけではないが、全くの嘘でもなかった。二日前の戦闘で負傷した甲斐は野戦病院に収容されたが、そのときにはもう骨折などの大きな怪我は治されていたのだ。気絶していたため経緯は判らない。だが高レベルの治癒術者が――おそらくあの少女が治してくれたのだと思う。


「……」


 あの少女の顔を思い出し、甲斐は怒りを蒸し返している。彼が携帯端末を操作し、その膝の上に梨乃が座り込んで端末の画面をのぞき込んだ。甲斐は「重いぞ」の一言だけで、それ以上の文句は言わない。心配をさせた埋め合わせとしてなら、この重さも甘受するべきものだった。

 動画配信サービスに接続し、「三月二二日」と日付を指定。さらに配信者を上から順番に……探すまでもなく一番上に「櫛名田翡翠くしなだ・ひすい」という名前があった。年齢は一六歳で甲斐と同い年。伊勢神宮だか熱田神宮だかの巫女の家系で、かしこきあたりの血も色濃く受け継いでいるという。正真正銘の、由緒正しい、血統書付きの姫巫女。「甲」部隊の中でも冥王と戦うことが確定済みの、「勇者」の一人である。

 そこで配信されているのは二二日未明に発生した冥王軍大規模侵攻防衛戦の、戦闘の様子。配信者が翡翠なので当然ながら彼女の戦いぶりを華々しく伝えるものである。翡翠は新東名高速道路を侵攻する敵軍主力の迎撃に当たっていた。そこにいるのはデュハランや骸骨騎士といった、甲斐では手も足も出ない高レベルのモンスターばかりだ。


吐普加身とほかみ依身多女ゑみため!』


 が、そんなモンスターを翡翠はものともしなかった。眩く光る結界がモンスターを圧し潰し、怯む敵を「乙」部隊のサポートメンバーが次々と狩っていく。翡翠が唱えるのは三種大祓と呼ばれる神道の呪文で、神聖なる八文字が邪気を祓い魔物を退散させるという。その圧倒的な力に甲斐は賞賛のため息をつき、だが同時に言葉にならない、複雑な思いを抱いている。

 動画のコメントには何百という賛辞が並んでいるが否定的なものもないわけではなく、


『前線に出たのはいつ以来だ?』


『ちゃんと仕事しろよ』


『これだけ家柄と血筋に恵まれていれば誰だってこのくらいはできるでしょう。わたしが彼女の立場いたならきっと今頃は東京を奪還しているに違いありません』


『雑魚相手に無双してないで早く四天王を倒しに行けよ』


 等の雑言も見受けられた。甲斐の複雑な思いはさらに屈折して複雑骨折している。


「お兄、変な顔してる」


「してねよ」


 その指摘に反論しつつも甲斐は自分の顔をマッサージした。

 動画の中では、高架の崩れた場所から市街地へと逃げていくモンスターを追って翡翠達が移動していた。その先でレンオルムに襲われて瀕死のハンターを発見し、その盾となり敵を倒して、


「え、これお兄?」


 映ったのはほんの数秒だが梨乃が見間違えるはずもなかった。一方の甲斐は自分の危機一髪を客観的に眺め、


(……本当に危なかったんだな)


 今さらながら冷や汗を流している。翡翠が助けてくれなければ死んでいたのは間違いないし、そもそも彼女の救援も偶然みたいなものだった――


「あれ?」


 あのときオペレーターは「救援が向かっている」と言っていた。てっきり翡翠達がその救援だと思っていたのだが今の動画を見る限りではそうではないし、そもそもレンオルムごときに「甲」部隊の勇者を向かわせるなど牛刀割鶏もいいところだ。


「……こんなことになってたんだ」


 一方の梨乃は懸命に首を曲げて非難がましい目を甲斐へと向けようとしている。


「お兄の動画が見れないからどうなってるか判らなくて、死んでないのは連絡があったけど」


「見れない?」


「本当だって」


 梨乃を疑うわけではないが確認のため、甲斐は自分のアカウントにログインして動画編集画面に入った。そこにはドローンで撮影された動画がAIによって自動選別され、自分の動画が集積されているはず――


「……本当だ」


 二二日未明の動画が全く見られないわけではなく、途中までは見ることができるのだ。だが肝心のレンオルムとの戦闘時の動画に閲覧制限がかかっている。どこまで見られるのか確認すれば、途切れているのはちょうどレンオルムをトレインで押し付けられたところからだ。


「ちょっと待て、何が……」


 レンオルムをなすり付けて自分だけ逃げていったのは、「丁」部隊の中では上位に位置するハンターのパーティ。名前は確か……と配信者選択画面で「丁」部隊のフィルタをかけ、その上位から順に見て、


「あった、こいつだ」


「この人がどうかしたの?」


 彼の名は市川啄木いちかわ・たくぼく。冥王侵攻以前は動画配信者をしていて、そのときに蓄積したノウハウを生かしてチャンネル登録者数を稼いできたという。


「でも口先ばっかりでハンターとしてはいまいちで、登録者数もピークを超えて今は減る一方だったと思う。この人あんまり好きじゃない」


 梨乃の解説に「なるほど」と頷く甲斐。それで焦って適正レベルを超えたモンスターを狩ろうとして殺されそうになり、逃げ出してトレインしてしまった……ということだろうか。だがトレインやなすりつけは重罪であり、最低でも除隊は確実。悪質な場合は刑事罰の対象となる。今回のなすりつけは明確に意図的なもので、また田長が死んでおり、それが悪質でないわけがなかった。

 彼の最新の動画を確認すると――三月二二日。まさか、と目を疑いながらそれを再生し、


『今日も俺様の華麗な剣技に酔いしれるがいいぜ?』


 精一杯格好をつけた啄木が日本刀を振り回し、次々とモンスターを倒していく。ボディカメラで撮影した動画は迫力と臨場感に溢れていたが、ボディカメラも安くはないので甲斐のような底辺配信者には無縁の代物だった。

 啄木の圧倒的な戦闘力にはきっと讃嘆の思いを禁じ得なかっただろう……何も知らなければ。


「雑魚ばっかりじゃん」


「エフェクト強すぎ。もっと素材の持ち味を生かそうとは思わないの? ひど、今のところコマ落とししてる」


 少しでも見栄えがするよう手を加えるのは配信者なら誰でもしていることではあるが――そもそも、戦闘で神秘の力を使ったとき、輝く剣、展開される結界、描かれる梵字の魔法陣が、全て撮影できるわけではない。それらの中には肉眼を通して魂が見ている光景が含まれており、機械を通した場合は消えてしまうものもあるのだ。逆に言えば、たとえば光の結界がレンオルムを真っ二つにしたとき、甲斐はその結界の輝きを物理的な光と霊的な光の両方で見ていると言える。このため撮影された動画は肉眼で見た光景よりもかなり地味になることがあるのである。

 そのままでは見栄えが悪い(と感じられる)のでAIを使ってエフェクトを追加した上で配信するのが当たり前となっている。その方がハンターにとっての「事実」により近いのだから、そうするのが当然と甲斐も思っている……ただ、物事には限度があった。

 配信者の好みによってエフェクトの強弱はある程度付けられるのだが、啄木の動画のエフェクトはあまりに強かった。さらには自分の動きを少しでも速く見せるためにコマ落としを使っている。デフォルトではそんな編集機能はなく、多分別の動画編集ソフトを使っているのだろう。ここまで行くと編集や演出というより捏造というべきだった。


「目が痛くなってくる」


 と梨乃が言うので、また動画自体も見る価値がないので早送りし、目当ての場面を探した。そして啄木達がレンオルムと戦う場面を見つけたのでそこから見始め、


『雷鳴剣!』


 雷がレンオルムに直撃するド派手なエフェクトとスピーカーが割れそうな轟音。場面は急に暗転し、


『ふっ、我が剣に斬れぬものなし』


 啄木がうそぶくが、レンオルムの遺骸がそこに転がっているわけではなかった。


『どこかの馬鹿がこいつをトレインしてきて俺様になすりつけていったけど、まー俺様にかかればこんなもんよ』


「何言ってんのこいつ」


 心底からの疑問が口からこぼれ出た。啄木が自画自賛を続けているが全く耳に入らない。動画が全部流れ終わり、甲斐は即座にコメント欄に書き込みをした。


『レンオルムをトレインして俺達に押し付けていったのはお前の方だろう。そのせいで田長さんは死んだ。お前は何をぬけぬけとこんなことをやっている』


『何こいつ? 頭おかしいやつ?』


 たまたまタイミングが合致したのか、コメントに啄木からの返信が即座に付いた。


『こいつのトレインを目撃したのは俺だけじゃないはずだ。他に見たやつがいたら声を出してほしい。それにレンオルムを倒したのはこいつじゃない、櫛名田翡翠だ。あっちの動画を見ればすぐに判る』


 次の瞬間甲斐はブロックされてしまう。


「梨乃」


「今の配信も見れなくなった」


 梨乃が自分の携帯端末で啄木のチャンネルを閲覧するが二二日の戦闘動画は削除されていた。甲斐が舌打ちする。


「素早いな、モンスターと戦うときよりよっぽど速い」


 立ち上がった甲斐がマントを掴んで外に出ようとし、


「ちょっと、どこ行くの?」


「部隊の事務局。トレインやったやつがのうのうと配信しているのどう考えてもおかしいだろ」


 そのままアパートを飛び出す彼の後を、梨乃が追いかけてくる。


「何ついてきてるんだ!」


「一緒に行く! お兄一人だと喧嘩するでしょ絶対!」


「しねーよ、向こうから喧嘩を売ってこない限り!」


「それするって言ってるのと同じ!」


 甲斐と梨乃は言い合いをしながら小走りで町中を進んでいった。






 梨乃を連れた甲斐がやってきたのは、富士市の中心地に建つ大型ビル。そここそ陸上自衛隊富士臨時駐屯地・第二特殊作戦群富士本部であり、それは日本防衛の最前線である富士市に設置された、勇者作戦群の前線本部だった。元はただのオフィスビルだったが冥王侵攻によりほとんどのテナントが退去してしまい、ほぼ空き家となったビルを自衛隊が丸ごと徴発したのである。

 ビルの中は人が多く、雑然とし、騒然としている。武装したハンターの姿があちこちに見受けられるが、一番多いのはハンター志願の避難民だった。おそらくは避難先の辛い生活に耐えかねて逃げ出し、一獲千金を夢見てハンターとなろうとしている避難民が、長蛇の列を作っている。誰もが汚れた服で――マントを身体に巻いている者も多い――疲れ切った顔を俯かせており、それは食料配給に並ぶ浮浪者の群れと区別しがたかった。甲斐もまた半年前にあの列に並んでいた一人だったのだ。

 甲斐が向かったのは第五部という部署で、ここは「丁」部隊ハンターの管理を担当していた。カウンターの向こうには机が並び、主に女性職員がパソコンでの事務作業に集中している。


「おい、なんで避難民がこんなところに入ってきている」


 そう誰何してきたのは、肩から自動小銃を下げた一人の兵士。彼は甲斐を力づくでもここから追い出そうと近付いてくる。だが銃を使おうとまではしておらず、


(油断している。今なら剣で喉を狙えば殺せるな)


 もちろん実際にそんなことをするわけもなく、甲斐はマントをめくって腰に佩いた剣を彼へと示した。


「『丁』部隊のハンターだ」


 想定外の返答に兵士が目を瞬かせ、その隙を突くように甲斐が、


「一昨日の戦闘で市川啄木がレンオルムをトレインして、知り合いが死んだ。なんであいつが何の処罰も受けていない。なんでのうのうと動画配信をやっていられる」


 その場の全員に聞かせるように言う。兵士も含めて誰もが戸惑った顔をしているが、その中で職員の一人が甲斐の前へと進み出た。おそらくは三〇代後半の、神経質そうな印象の女性である。


「証拠もなしに他のハンターを誹謗中傷するのは問題行動と見なされます。ハンターを辞めてもらうことにもなるわよ」


「証拠ならある、そのときの俺のログを見てもらえればいい」


「じゃあ今見せてみなさいよ」


「閲覧制限がかかっている」


 その女性職員は「話にならない」と失笑し、甲斐は頭に血を昇らせた。


「なんで制限がかかってるんだよ、その理由を説明しろよ!」


「こっちは忙しいのよ、つまらないことで手間を取らせないで」


「つまらないこと?」


 激発寸前の甲斐が腰の剣に手をかけ、兵士が警戒体勢に入り、他の職員は無関心な様子である。このようなもめごとは珍しくもないのかもしれなかった。


「あの、トレインは犯罪に準ずる行為なんでしょう? 本当にそれがあったのか調べる必要はないんですか? ちょっと動画を見てみるだけで大した手間じゃないでしょう?」


 ハンターに動画配信をさせているのは後方の市民への広報啓発のためとか、ハンターの自活自弁のためとか、様々な理由がある。だがドローンによる撮影の最大の目的の一つはハンターの監視のため、不正やトラブル防止のためであり、配信者への動画提供はそのついでに過ぎなかった。


「部外者が口を挟むことじゃないわ」


 梨乃が懸命に説得しようとするがその女性職員の鉄壁は崩せない。彼女は二人を見下すようにしてせせら笑い、甲斐はさらに怒りを募らせた。


「だいたい、あなた達みたいな低レベルがレンオルムとわざわざ戦うなんてあり得ないでしょう」


「足止めをしろって命令が――」


 ある事実に気付いた甲斐が全ての動きを止め、目を真円にしてその女性職員を凝視する。彼女は訝しげに「なによ」と問うた。


「その声……あのとき『足止めしろ』って命令したオペレーター」


 彼女が顔色を一変させ、その表情でそれが事実だと自白した。甲斐の怒りが自制の限界を突破する。


「お前のせいで田長さんが……!」


 女性職員を剣でぶん殴るべく――この場で斬り殺さないだけの理性は一応残っていた――甲斐が剣を抜こうとし、即座に兵士がその銃口を甲斐へと向ける。甲斐は標的を女性職員から兵士へと変更するが「さすがに分が悪すぎる」と理解もしていた。

 その兵士は勇者作戦群「丙」部隊の所属である。冥王軍に対して銃火器は通用しないが、それでも「丙」部隊が銃火器で武装しているのは、まさにこんなときのため。「丁」部隊のハンターを牽制し、場合によっては制圧するためのものだった。彼もまた五年前の東日本陥落時に冥王軍と戦い、冥王に支配された同胞に武器を向けたことがあるに違いなく、必要なら甲斐を銃殺することもためらわないだろう。自分一人なら何とか避けられるかもしれないが、自分の後ろには梨乃がいるのだ。


「お兄、落ち着いて」


 その梨乃が甲斐の前へと回り込み、兵士との間に割って入る形となった。


「ばか、危ない」


「ここで暴れてもお兄の不利になるだけだって! 市川啄木のトレインを見たのはお兄一人じゃないんでしょ? その人達を集めてみんなで抗議しよう?」


 理性では梨乃の主張が正しいことはよく判っているが、感情の方はそう簡単に納得してくれなかった。


「話は着いた? とっとと失せなさい」


 女性職員がそう言って追い払うような手ぶりをするからなおさらだ。だがその冷笑の奥に潜む焦燥を、甲斐は見逃しはしなかった。


「……このままで済むと思うなよ」


 自分でもチンピラくさいと思う捨て台詞を残し、甲斐はマントを翻してその事務室から去っていく。それを見送る女性職員の背中に、その場の全員の視線が集中した――疑問、疑惑、疑念、あらゆる「疑」に満ち満ちた視線が。彼等に背を向けた女性職員は、溢れる焦りと怒りに歯を軋ませている。






「もう証拠が集まってるよ。これなんか動画に残ってる」


 家に戻った甲斐は早速市川啄木トレインの証人集めを開始。実際に動いたのは梨乃だが、その呼びかけに、トレインを目撃したという何人かのハンターが名乗り出た。さらにはトレイン証拠の動画すらも。画面の端っこにほんの数瞬映っているだけだが、それでもそれが市川啄木だと特定するのは難しい話ではなかった。


「これだけ証人と証拠があれば事務局うえだって動いてくれるはず……」


 甲斐の端末と名前を使い、梨乃が集団での抗議を呼びかける。が、賛成者はいても参加者は出なかった。「むー」と不満げな声を出す梨乃。


「やっぱり直接抗議はハードルが高いのかな。お兄にもっと人気とか人望とかあって友達がいればねー」


「友達くらいいるわ」


 たとえば田長さんとか、と甲斐は口の中だけで言う。


「それに人気があるのも善し悪しだろ。こんなに簡単に証拠が見つかったのも、それだけあいつにアンチが多い裏返しだし」


「アンチは無茶苦茶多いね、あの人。でもお兄みたく登録者が一桁なのも寂しくて悲しいんだけどね」


「登録者がゼロでもモンスターは狩れるし上にだって上がれる」


 甲斐のその言葉は半分強がりで半分本音だった。自分の戦闘動画を配信して人気と登録者を稼ぐ、という行為は甲斐の性格に全く合致しておらず、彼は自分のチェンネル運営を梨乃に丸投げしていた。その梨乃にしても動画配信のノウハウを持っているわけでなく見様見真似をしているだけで、チャンネル登録者数は開設以来ずっと一桁の最底辺を這いずっている。「丁」部隊のハンターは何万人もいるのでよほど飛び抜けた戦闘力かそれ以外の何かがなければそうなるのも当然で、彼のような配信者こそ一般的で多数派なのだが。

 そのとき、甲斐の携帯端末があるアラームを発した。彼は梨乃の手からひったくるようにして端末を手にする。


「緊急招集、極秘作戦……? 今まで見たことないぞこんなの」


 甲斐は眉を寄せて首をひねり、梨乃もそれと全く同じ表情と姿勢になった。


「……なんか怪しくない? お兄のレベルのハンターをわざわざ。それも事務局で揉め事を起こしたばっかりなのに」


「怪しいしおかしいな」


 先日の戦いから事務局うえに対しては不信感が募るばかりで、この緊急招集も「罠か何かではないか」と疑ってしまう。危険ではないか、行かない方がいいのではないかと散々迷いはするが、


「……行かないわけにはいかないか」


 命令が本物だった場合、緊急招集に応じなければ除隊処分もあり得る。戦時下というこのご時世の中で、ハンターをやる以外に梨乃を養っていく手段を彼は持っていなかった。






「……おかしすぎるだろ」


 それから約一二時間後、沼津市との境界線に近い国道一号線脇、旧浮島ヶ原自然公園。先日戦闘があった場所ともさして離れていない。指定された集結地点に甲斐がやってきたのは、時刻がまだ午前四時となる前だった。日が昇るにはまだまだ時間があり、周囲は暗闇に包まれている……わけではない。

 大型車両が何台も、さらには装甲車や戦車まで並び、そのライトが煌々と輝いている。それに照らし出されているのは自動小銃で武装した兵士達、「丙」部隊の隊員がおそらくは千人以上。そして「乙」部隊に所属する、百人以上のハンター達。おそらくは「甲」部隊も加わっているのだろうが、見える範囲にその姿はなかった。


「てっきり誰かが待ち伏せしているかと思ったけど……」


 甲斐を襲撃するために何人かのチンピラがいるかもしれない、くらいは考えていたが、この事態は想定外だ。まさか自分を殺すためだけにこれだけのメンバーを用意したわけではないだろう。鶏を割くのに牛刀どころかバンカーバスターを持ち出すようなものだ。


「避難民がこんなところで何をしている、すぐに離れろ」


 と甲斐を見咎める歩哨の兵士。何度目かの誰何にうんざりした顔になりながらも、彼は自分の携帯端末を、緊急招集の表示された画面を歩哨へと示した。まさか、という顔をしながらその兵士が自分の端末を使ってその緊急招集が本物であることを確認。


「……どうしてわざわざ『丁』のハンターを」


 そんな疑問を口にしながらもその兵士は手順に従って通行許可を出し、甲斐は先へと進んでいく。集結地点の中に入っても甲斐が誰何されるのは一度や二度ではなく、「いっそ暴れてやろうか」と思うことも同数だった。さすがに思うだけで本当にそうするわけではないが。

 自分がどこに配置されるかも判らず、誰からも説明がなく、誰何してきた相手に訊くなどして、散々うろうろしながらようやくそれと思しき場所へとやってきて、


「ちょっと待て、なんだお前は」


 そこは先頭に立つ部隊であり、その隊長が甲斐を見咎めた。その部隊の主力は「乙」部隊、甲斐の存在は異物以外の何物でもない。それでも甲斐は「命令に従っただけ」と黙って自分の携帯端末を差し出し、その隊長が端末を接近させて確認する。


「どういうことだ、何を考えている」


 苦り切った顔のその隊長に、


「何かの手違いなら、許可さえあるなら戻りますが」


「待て、確認する……くそ、もう作戦開始だ」


「自分はどうしたらいいですか」


 その隊長は舌打ちを連発しながらも、


「最後尾から付いてこい」


 初めての明確な命令に甲斐は心底安堵しながら、それを隠しながら、命令に従って指定の位置へと移動した。

 ……作戦が開始され、勇者作戦群の精鋭は国道一号線上を東へと進んでいる。時刻は午前六時を回って進行方向に太陽が昇り、その眩しさに甲斐は目を細めた。そして夜の帳が覆っていた甲斐の姿が白日の下にさらされ(文字通り)……


「なんだ、あの避難民」


「『丁』のハンターだって話だが」


「なんで『丁』がこの作戦に?」


「知るかよ」


 周囲の者達のそんな話が聞こえてきて、不審の視線が甲斐へと突き刺さっている。彼は鉄面皮の仮面をかぶってその全てを黙殺した……他にできることなどなく、またこの状況が辛くないわけがないのだが。

 甲斐が配置されたのは先頭集団で、冥王軍と戦いとなったときは矛となり盾となる部隊だ。周囲のハンターは全員「乙」または「丙」部隊員、装備もまたそのレベルに応じた上質なものである。「浮浪者スタイル」と呼ばれるような、マントを身に着けている者は一人もおらず、甲斐の存在はあまりに場違いだった。喩えるなら、全員が普通に服を着ている中で一人だけ無意味に素っ裸でいるようなものである。基本的に他人に対して無関心で、他人の視線に無頓着な甲斐ではあるが、ものには限度があるのだった。

 ……沼津市は冥王軍の勢力圏内で、敵の姿はあちこちに見受けられたがその数は知れたものだったし、ゾンビ兵か骸骨兵といった雑魚ばかりだ。


「大規模侵攻があったばかりでこの辺が空っぽになっていて、それを狙って今回の作戦が決行されたんだろうな」


 と甲斐は理解している。

 それでも敵の脅威がないわけではない。集団からはぐれた少数の雑魚は無視していいが、ある程度以上の数が集まっているなら対処が必要だった――今、先頭集団の進行方向では数百にもなるゾンビ兵が群れを成している。自軍は足を止めずに進み続けており、このままなら数分もしないうちに戦いになるだろう。だが甲斐の周囲は警戒態勢に入っていても戦闘態勢は取っていなかった。


「どうするつもりだ? 戦う気がないのなら俺一人でも」


 最悪は自分一人で敵集団と戦うつもりでマントの下で剣を強く握る甲斐。だかもし周囲がその悲壮な覚悟を知ったならきっと失笑することだろう。後方から一台のジープが接近してきて、横に避けた甲斐の目前を通り過ぎていく。


「――」


 彼は心を奪われたようにそれを見続けた。今、甲斐の視界には他の何も入っていない。意識の全てがそれに集中している――そのジープから身を乗り出す三人の姿に。

 一人は巫女服の少女、櫛名田翡翠。

 一人はファンタスティックな白い僧侶服で、大きな眼帯で顔の上半分を隠した女性。「カナリア」の通称で知られる、「歌の聖女」である。

 そして最後の一人は四〇代の、黒い袈裟の、パンチパーマの、黒いサングラスの、口ひげの、筋骨隆々の、身長一九〇センチメートルに近い大男。彼の名は鷹杜丁賛たかもり・ていさん。世界で最初に冥王軍への対抗手段を見つけ出した、日本における対冥王軍の実質的な総指揮官。彼も含めた三人ともが対冥王の最終決戦メンバー、「勇者」パーティの一員――少なくともその最有力候補だ。

 同じ勇者作戦群の一員と言ってもその身分には天地ほどの差がある。甲斐からすれば彼等は雲上人を通り越して月の住人、おとぎ話の存在に等しかった。

 先頭に近い位置まで移動したジープの上でカナリアが立ち上がった。豊満な胸の前で指を組んだ彼女が、歌を歌う。それはキリスト教の讃美歌を元ネタにし、現代風にアレンジした曲だ。マイクもスピーカーも使わないのにその歌は何百メートルも先の敵集団まで届き、その歌をただ聞かされただけで数百のゾンビ兵の身体が崩れていく。崩れた身体から湧き出したのは黒い瘴気――亡霊レイスと呼ばれるゾンビ兵の本体だが、それもまた歌によってひとたまりもなく浄化され、光となって消えてしまう。


「はあ……」


 動画で見たことはあってもその威力を目の当たりにしたのはこれが初めてだ。甲斐はただただ圧倒された。すごい、素晴らしい、美しい、そんな当たり前の讃嘆しか心に思い浮かばない。

 一仕事を終えたジープはその場で停止。全体が前進することでカナリアや翡翠達は中央へと戻ることとなる。甲斐がジープに接近し、その横を通り過ぎ、それを追い抜いていき、


「え?」


 翡翠と目が合い、彼女の大きな瞳が真円となった。どうしてあなたがこんなところに、と彼女が目で問い、知るか、と甲斐が目で応える。鷹杜もまた甲斐の存在に怪訝な顔となっていた。

 それからも何度か敵と遭遇したが問題も損害もなく進軍を続け、出発から三時間以上が経過して時刻は午前八時。同じだけの時間歩き続け、部隊は沼津市の東端までやってきていた。目の前には黄瀬川という、ちょっとした川が流れている。

 冥王軍の侵攻をわずかでも遅らせるべく、黄瀬川の橋は五年前に全て破壊されている。ただ川幅は知れたもので瓦礫も点在しているので渡河は容易だった。それでも大型車両や装甲車の渡河のために「丙」所属の工作部隊が準備をし、そのために全体の足が止まって中休止となり、


「白鳥甲斐だな。ついてこい」


 兵士の一人に呼ばれた甲斐は先頭集団を離れ、彼の後について移動した。やってきたのは全部隊の中央部。本作戦部隊の中枢であり、「甲」部隊メンバーが配置された位置。ジープには翡翠・鷹杜・カナリアの三人が乗っていて、その周囲では「乙」のハンターと「丙」の精鋭が油断なく警戒を続けている。


「白鳥甲斐、『丁』部隊のハンターだな」


「はい」


 鷹杜隊長の問いに甲斐は直立不動の姿勢となった。


「どうしてこの作戦に『丁』のハンターが」


「俺が訊きたい」


 翡翠の疑問につい反発してしまう甲斐がそれでも精一杯自制した。


「君が緊急招集に従っただけなのは判っている。問題はどうしてそんな命令が出されたかだ」


「やっぱり何かの手違いですか」


「手違いなどあっていいはずがないのだがな。この作戦に」


 鷹杜は苦々しげに、独り言のように言う。


「甲斐君には何か心当たりはないの?」


 カナリアの問いかけ方は非常に親しげなもので、彼女の距離感がおかしいか、あるいは甲斐を子供扱いしているかのどちらか――おそらく後者と思われた。彼は不快に感じながらもそれを隠し、


「昨日事務局で揉めました。二二日の戦闘で市川啄木がトレインをして」


「誰?」


「……ええっと、『丁』の中では有名な奴なんですが」


 そう、とカナリアも翡翠もその名前に一切の関心を示さなかった。市川啄木がどれだけ高い人気と登録者数を誇ろうと所詮は「丁」部隊という井の中の話、地を這う虫の背比べに過ぎない。路傍の石ころに名前があろうと、それを覚える必要があるかどうかはまた別の話なのだった。

 と、そんなことは今はどうでもよく。市川啄木がトレインをし、それで田長が死んで、その事実が隠されていて、その抗議に事務局に行って、応対した女性職員とトラブルとなったことを説明。


「なるほど」


 鷹杜は携帯端末を使ってその話を部下へと伝えた。


「何があったか確認するよう既に命令を出している。今の情報があれば調査もはかどるだろう」


 結果が出るまでさほど時間はかからないはず……だがそれを待つ間もなく先頭集団が渡河を開始、全体が前進を再開した。


「俺はどうしたら」


「結論が出るまではここにいるように」


「了解しました」


 三人を乗せたジープが微速前進を開始、甲斐はその横について歩き出した。

 ……鷹杜へと報告が入ったのはそれから一〇分もしない時点。甲斐達は仮設橋を渡って黄瀬川を越え、三島市に入ってすぐの地点までやってきていた。一号線の高架から見渡せるのは瓦礫の荒野ばかりである。


「……」


 携帯端末での通信を終えた鷹杜は、怒りを抑え、頭痛を堪えているような顔だった。だがカナリアはそれを意に介さず、


「結局どういう話だったんですか?」


 軽い口調でそう問う。鷹杜の回答は、まず大きなため息から始まった。


「事務局の職員、鷽姫琴美うそひめ・ことみを拘束した。サーバの管理者権限を使ってこの作戦の招集メンバーに白鳥甲斐の名前を紛れ込ませたのは、彼女の仕業だ」


 聞き覚えのない名前だがまず間違いなく昨日事務局で揉めた女性職員のことだろう。


「本格的な取り調べはこれからだが、周囲の証言では彼女は市川啄木と親しくしており、こっそりと様々な便宜を図っていた、らしい」


 現段階では下世話な噂話に過ぎない証言だが、と予防線を張る鷹杜だが、大体の事情を理解するにはそれで充分だった。レンオルムをトレインしてしまったのは市川啄木だが、なすりつける先に甲斐と田長を選んだのは間違いなく彼女だ。二人とも死んでしまえばそれで一件落着だったのだろうが甲斐は生き残り、トレインの事実を言い広め、証人を集めて市川啄木を糾弾しようとし、鷽姫琴美は窮地に陥り、


「焦ったその職員が甲斐君を殺すために、死亡率の高そうなこの作戦メンバーにねじ込んだ?」


「そういうことだと推測される」


「頭悪過ぎじゃない」


 翡翠が呆れ果てた声を出し、甲斐も全くの同感だった。


「まあ冷静になってみればわざわざ最悪の悪手を選んだとしか思えないが、焦りと視野狭窄のあまりついそんな手を打ってしまった、というのは理解できないではない。理屈では」


「ともかく、その何とかっていう職員は逮捕されて、市川啄木にも相応の処分があるんですよね?」


「厳罰は免れないと思ってもらっていい」


 そうですか、と甲斐はため息をついた。これで二人が死刑にでもなれば少しは留飲も下がるし、処罰に納得ができないなら自分の手で落とし前をつけに行けばいい。そう考えて、甲斐はこの問題に一旦区切りをつけた。残る問題は、


「……それで、俺はこれからどうしたらいいですか」


 最初からそうなんじゃないかとは思っていたが、この作戦に招集されたのは結局間違いだったと判明したのだ。本来の筋なら原隊に復帰、富士市に戻って自宅に帰るべきなのだが、


「ここは敵の勢力圏内のど真ん中よ。甲斐君一人で結界内まで戻らせるのはあまりに無茶じゃないの?」


「だが彼一人のために人員を割くわけにはいかない」


「このまま作戦に同行させた方がまだ安全だと思う」


 カナリアと翡翠の意見に鷹杜も「そうだな」と同意する。決して進んでではないにしても。


「君はここで二人の警護に当たってくれ」


「了解です」


 鷹杜の命令に敬礼で返答する甲斐。カナリアは軽い調子で「よろしくねー」と手を振り、


「何も期待はしないけど、せめて邪魔にだけはならないでね」


 翡翠の言葉は憎まれ口というわけではなく、彼女にとっての――そして全ての人間にとっての事実をそのまま述べただけだった。甲斐もそれは理解しているから、


「判っている」


 舌打ちとともにそう返答するのができることの全てだった。

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