第六話「死霊都市攻略戦」その3(最終回)
「ハルベリン!」
「君達の相手はこれだ」
甲斐が雄叫びを上げて吶喊するがハルベリンが指を鳴らすのと同時に七体のモンスターが床のタイルを割って出現、急停止を余儀なくされる。モンスターの身長は三メートルほど。骸骨兵のように動く骨のモンスターだが、骨格は人間のそれではない。一見すると足が長くなった蜥蜴か何かと思われ、その骨格だけが直立二足歩行している。
「竜牙兵か!」
竜牙兵はギリシア神話で語られる、ドラゴンの牙を地面に撒くと出現する屈強な戦士「スパルトイ」が原典である。元ネタでは人間の姿をしていたが近年のゲームや小説に登場する竜牙兵は骸骨の姿で描かれるのが一般的だ。そして「トリニティ・ファンタジア」の作中では竜牙兵は竜の眷属なので、その骨格は爬虫類のそれ。そのレベルは七だが動きが素早く魔法が効きにくく力も強く、レベル詐欺と言われる手強いモンスターだった。さらには、
「こいつは……」
「やはりハルベリンだったな」
甲斐は怒りに歯を軋ませ、鷹杜は忌々しげに舌打ちした。竜牙兵が手にしている得物はアニメに出てきた「呪奪の剣」そのままで――何人もの子供がその身体にくくり付けられている。
両胸に二人、背中に二人。最低四人の子供が鎖で拘束され、竜牙兵の身体に縛り付けられているのだ。子供達には意識がないようだが、
「それらの子供はまだ生きている。今日のこの日のために五年前に捕まえて保存していたのだよ。どうだろう、気に入ってもらえたかな?」
「この卑怯者が!」
「意味が判らないな、戦いに卑怯も蜂の頭もないだろう。私は勝つために最善を尽くしている。君達もそうすればいいだけじゃないのか? 人質なんか気にしないで戦えばいいだけだろう」
甲斐が負け惜しみのように罵り、ハルベリンが当たり前のように反論する。言い負かされた甲斐は悔しげに唸ることしか……いや、そうではない。その顔には勝ち誇ったような余裕の笑みが浮かんでいる。
「……何が言いたい」
「結局お前はアニメで描かれたハルベリンそのままなんだな」
ハルベリンの怪訝な問いに甲斐は嘲笑をもって答えた。
「シナリオから自由になるとか言っておいて、そのやり口はシナリオに縛られたままじゃないか。それじゃ結局シナリオのままに倒されるだけだぞ!」
剣を振りかざした甲斐が吶喊し、ハルベリンは浮遊魔法を使って跳躍し十メートル以上後退。両者の間に二体の竜牙兵が割って入り、甲斐と数合斬り結んだ。
「うざったい!」
敵の身体を攻撃できない甲斐が狙うのは、まず武器破壊だ。ゲーム中でも現実でも呪奪の剣は量産品に過ぎず、紅蓮剣とは何段も格が違う。力と霊力を込めた甲斐の二撃は二本の呪奪の剣をガラスのように粉々にした。
だが竜牙兵は後退し、床のタイルの割れ目から呪奪の剣を取り出して再装備。さらには地面から何体ものギガントワームが飛び出してきて甲斐を奇襲するが、紅蓮剣がそれを無造作に斬り捨てた。が、その間に何体ものギガントワームが竜牙兵の身体に巻きついている。
ギガントワームを装着した二体の竜牙兵が改めて甲斐へと襲いかかり、甲斐もまた前進した。竜牙兵が呪奪の剣を振りかざし、振り下ろし、甲斐はもう一度武器破壊をしようとし、だがギガントワームが胴体を伸ばして迫ってくる。甲斐は剣ではなくまずギガントワームを斬り、だが腕だけでなく足に巻きついていたそれが急接近し、甲斐はその顎を蹴り上げて上から剣を串刺しにした。だがその体勢は崩れていて、そこに竜牙兵が剣を振り下ろし、甲斐は必死にそれを転がり避けて距離を取った。
甲斐が二体の竜牙兵を相手に対峙し、両者が動きを止めた。その間に様子をうかがうと、残りの五体は鷹杜達六人と集団戦をしているところだった。翡翠が防御結界を展開し、その内側にカナリアと梨乃。燕とマユールが前線で敵と戦い、鷹杜は中距離からその援護、カナリアはバフの効果のある聖歌を使っている。
ギガントワームと合体した竜牙兵は面倒な強敵だが、油断さえしなければ負ける相手ではない。問題なのは人質だ。甲斐も鷹杜も人質に苦慮し、攻めあぐねている――いや、
「隊長、あれです!」
「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ!」
梨乃の指示に従い鷹杜が帝釈天の真言を唱え、放たれた雷撃はドームの天井に連なる繭のうち、その頂点・中心にあった一つを撃ち抜き……いや、障壁によって雷撃は逸らされている。その繭が裂け、中からローブをまとい、髑髏の仮面をかぶった一人の男が出てきた。彼は浮遊魔法によってゆっくりと地面に降り立ち、
「ハルベリン!」
甲斐が猛然と斬りかかり、ハルベリンは障壁だけで彼を十メートル以上弾き飛ばす。甲斐はすぐに立ち上がるがその間にハルベリンは大きく後退し、自分の護衛に二体の竜牙兵を配置した。さらにはローブをまとった傀儡の男も前に出、甲斐と対峙する。
「ようやく出てきたな、本体。お前さえぶっ殺せば俺達の勝ちだ」
『殺せればな。私は誰とも何の契約もしていない、契約を破ってしまって弱体化することは起こり得ない』
ハルベリン本体と傀儡の声が重なった。肩をすくめるような、その動作も。
「それともう一つ。我々は五年前の東京侵攻のとき、冥王の最優先命令で二人の人間の身柄を確保した」
「その一方が彼、この傀儡だ」
まずハルベリン本体がそれを言い、続けて傀儡がそう言いながらフードを脱いで、その素顔を露わにする――四〇過ぎの、痩身の、顔色の悪い、これといった特徴のない日本人男性の。甲斐は何の感情も外に示さずにその男と向き合っており、傀儡の男は失望のため息をついた。
「少しは驚いてほしかったね、せっかくの山場だったのに。この身体は英野鵠――白鳥英二。つまりは君達の父親だよ」
「言われてみればそんな気もするけど、最後に会ったのが俺が四歳のときだぞ。顔なんか覚えているわけないだろ」
甲斐が憮然と言い捨て、傀儡は「それもそうか」と納得し、
「その上白鳥梨乃の予知によってこの展開を判っていた……なるほど、それでは驚きようもない」
傀儡の男――白鳥英二はあっけらかんと笑った。一方の甲斐は、あらゆる感情が入り混じり渦を巻く内心を懸命に押し殺し、仏頂面の仮面をかぶり続けている。
「そこまで知っているならこの後の展開も判っているだろう。白鳥梨乃がそうであるように英野鵠も予知能力を持っている。いや、オリジナルはこの身体の方だ」
五年前から大衆は「英野鵠は予知能力を有している」と信仰しており、梨乃の予知能力はそのおこぼれみたいなものだ。それでもこの一週間の活躍で信仰を集め、彼女の予知能力は大幅に強化された――裏を返せばオリジナルへの信仰はそれ以上に集まっている。
「娘の梨乃がこれだけの予知能力を持っているのだからオリジナルの英野鵠はさらに圧倒的な予知能力を持っていることになる」
言語化されたわけではないが、そんな信仰が今この瞬間にも傀儡の白鳥英二に集中しているのだ。当然その能力はそれだけ強化されて隔絶したものとなり、
「私はこの能力を駆使し、君達を追い詰め、ついには倒す。その未来はもう決まっている」
「決まっていない」
梨乃が決然と反論した。
「わたし達が勝つ未来がちゃんとある」
「千の未来の中の一つか二つは、な。まさか、そんな一縷の望みに懸けて私に戦いを挑んだのか」
白鳥英二が呆れた声でそう言う。甲斐はそれに対して猛然と突進し、
「決まったシナリオ! 決まった未来!」
紅蓮剣の一旋とともに言葉を叩きつけた。
「結局先行きが決まっていなきゃ動けない! それがお前の限界だ!」
「君達は希望とか可能性とかいうきれいな言葉で確定的な未来から目を背けているだけだ」
甲斐の猛攻に対し、白鳥英二は二体の竜牙兵をもって己が身を守った。
「君に現実というものを教育しよう。それも父親の役割だ」
「お前なんか知らないおっさんだ! 十年以上養育を放棄しておいて何が父親だ!」
「ひどい息子だな、君は。私の中の白鳥英二が傷付いているぞ」
思わず甲斐は動きを止め、その目を見張った。
「意識があるのを……」
「白鳥英二の意識は私の中に残っているが、彼にできることは何もない。未来予知にしても私に強引に使われていて、彼は抵抗もできない。予知に伴う苦痛も彼に押し付けていて私が得るのは結果だけだ。白鳥梨乃とは違ってな」
甲斐は一瞬梨乃に視線を送るが、それだけでも梨乃が蒼白で今にも倒れそうなのが明確に察せられた。これ以上長引かせることはできない、と甲斐は歯を食いしばる。
「ハルベリン!」
膨大な霊力を両脚に注ぎ込んだ甲斐が瞬間移動のような速度で竜牙兵の懐へと飛び込み、紅蓮剣を下から上へと斬り上げてモンスターを真っ二つにする。竜牙兵から離れたギガントワームが襲ってくるが甲斐は身体ごと紅蓮剣を一旋。灼熱する炎が輪を描き、ギガントワームは燃やし尽くされた。
(白鳥甲斐が次に選ぶ未来は――私本体への速攻が三〇九、白鳥英二を狙うのが二、残った竜牙兵を先に倒すのが三)
白鳥梨乃と白鳥英二が有するのは「現時点の情報を過去の自分へと送る」力であり、逆に言うなら「未来の自分から未来の情報が今の自分へと送られてくる」予知能力。だが未来は可能性の数だけ無数に分岐し、無限に増えていく。送られてくる情報もまた膨大な量となってしまい、それが直接脳に叩き込まれるのだ。予知の代償が「激しい頭痛」くらいで済んでいるのは幸運というものだった。
未来は無限に増えていく、とは言うものの「起こる可能性の高い未来」の数は限られている。優先的に対処するべきはその未来だ。
予知通りに甲斐はハルベリン本体に向けて一直線に突進している。ハルベリンはその進路上に一体の骸骨兵を割り込ませた。その戦力差はダンプカーと人間のようなもので、甲斐は腕の一振りで骸骨兵を粉砕しようとし、
「爆弾! 下に逃げて!」
梨乃の警告を受けた甲斐が紅蓮剣を床に突き刺し、
「見様見真似畳返し!」
コンクリートの塊をめくり上げ、それと同時に骸骨兵が持っていたクレイモア地雷が炸裂した。扇状の広範囲に何百という鉄球が音速でばら撒かれ、弾丸と化したそれによってドローンの大半が破損して墜落した。
(動画配信が一時中断するが追加のドローンはすぐに入ってくる)
竜牙兵やギガントワームも被弾するが、モンスターに現代兵器は通用しない。だが竜牙兵が鎧代わりにしていた人質は一人も生き残らなかった。下に逃れて無傷だった甲斐はその惨状に目を愕然としている。
(人質は全滅するが一応予備は用意している……が、人質はもう通用しない)
「このクソ野郎……!」
(怒り狂った白鳥甲斐が突進してくるが、避けるのは容易い)
棒立ちに見えるハルベリン本体に甲斐が紅蓮剣を叩きつけ――斬った、と数瞬錯覚した。
「マユールさん避けて!」
梨乃が警告するが間に合わない。いつの間にか中央に移動していたハルベリン本体が呪弾を撃ち放ち、マユールは無理矢理身体をひねってそれを避け、それでも腕や腹を撃ち抜かれた。
「あ、が、ぎ……」
その物理的な負傷だけでも放置していれば生命にかかわるだろう。その上に呪弾はその名の通りに呪いの塊だ。呪いがマユールの身体を侵食し、傷口が目に見えて腐食していく。とどめを刺そうと殺到した竜牙兵を鷹杜の護符が打ち砕いた。
「翡翠さん結界を、いやだめ」
マユールを助けられる未来を見つけられず、梨乃は立ち往生した。鷹杜が護符を手にハルベリンと対峙、視線で指示を求めるが梨乃は迷うばかりで何も言えないでいる。甲斐は当たるを幸い竜牙兵を屠りながら中央へと向かっている。
(マユールを助けるためには櫛名田翡翠による治癒呪術が必要で、それを施すにはマユールを防御結界の中に引き入れる必要で、そのためには結界を一旦解除する必要で、結界がなくなるとハルベリンが……これは白鳥梨乃の予知か。未来の白鳥梨乃から送られてくる情報が彼女だけでなく白鳥英二にも届いている。その逆も起こっているのは間違いないだろう)
敵の一挙手、味方の一投足で未来は無数に分岐し、増えた数だけの未来の情報が送られてくる。その中から自軍の勝利に結びつく未来を見つけ出して行動を選択し、その間にも状況が変化し未来も変化しまた別の未来の情報が送られてきて――一秒ごとにそれがくり返されるのだ。その情報量もその速度も人間に対処可能な範囲を大きく超えている。人間ではないハルベリンは充分な量の魔力さえあるなら思考速度を加速することも可能であり、予知の代償も白鳥英二に押し付けている。激しい頭痛にさらされながら、普通の子供だった梨乃がこれまでハルベリンに対抗できたのはその予知を垣間見ることができたからだが、
(それもここまでだ。彼等は結局仲間を見捨てることができずに)
「お兄、隊長! ハルベリンを」
甲斐が接近戦で、鷹杜が中距離でハルベリンを抑えようとし、その間に結界を解除した翡翠達がマユールの下に移動して結界を再展開しようとし、
「これで王手だ」
そのとき、梨乃の足元で倒れ伏していた死体――それは竜牙兵に鎧の代わりに縛り付けられ、クレイモア地雷によって穴だらけになった子供だ。ゾンビ兵と化したそれが思いがけない速さで立ち上がって隠し持っていたナイフを梨乃の腹部へと突き刺し――
「梨乃!!」
悲鳴に等しい甲斐の声が響き渡った。
「このやろおおおっっっ!」
甲斐の渾身の斬撃をハルベリンは大きく後退して避けた。彼はその声に憐れみすらにじませ、
「ナイフにはギガントワームの毒を塗ってある。かすっただけでも致命傷なのにあそこまで深く刺さっては櫛名田翡翠の治癒呪術でも――」
――いや、待て。ハルベリンは深刻な疑問に囚われた。どうして私は白鳥梨乃を狙った? 最優先で狙うべきは櫛名田翡翠かカナリアであるべきで、白鳥梨乃は二の次三の次なのに。
(それは白鳥英二がそう予知したから……まさか、私の言いなりになっているように見せかけて、自分の予知を疑わせないよう私の思考を誘導した?)
ハルベリンは白鳥英二に予知を強制するが何も判らない。彼がハルベリンの支配に抵抗しているのは明確であり、
「まさか、王手をかけられたのは私の方……」
次の瞬間、剣の切っ先がハルベリンの腹を突き破った。背後から突き刺された剣――呪奪の剣が胴体を貫いている。後ろを振り返ると、その剣を握って身体ごと体当たりしてきたのは、梨乃だ。小さな少女の姿にハルベリンは瞠目した。
「何故だ、白鳥梨乃がどうしてここに」
ハルベリンの意識はその疑問に囚われながらもその身体は全自動で報復へと動いている。慌てて逃げようとする梨乃だが間に合うはずもない。ハルベリンが今の自分のありったけを込めて呪いを撃ち放ち――それは梨乃と白鳥英二の二人の身体を包み込んだ。
「梨乃!」
風よりも速く疾走する甲斐は行き掛けの駄賃のようにハルベリンの胴体を横薙ぎにして真っ二つにし、梨乃の下に駆け寄ってその身体を抱き起こした。
「梨乃! 梨乃!」
一方の鷹杜と燕は二つとなって横たわるハルベリンの身体を包囲した。呪奪の剣に串刺しにされた上で紅蓮剣で胴体を真っ二つにされ、ハルベリンは完全に無力化し、後は死を待つばかりだ。それでも鷹杜達は彼が指一本でも動かそうものなら即座に滅する構えを取っている。もっともその身体は崩壊を始め、動かすべき指も崩れ去ってしまったが。
「……今どうなっているの? 翡翠ちゃん」
「ええと、まず梨乃ちゃんがゾンビ兵にナイフで刺されて」
マユールの治療をしている翡翠にカナリアがそれを問い、「そうだ」とハルベリンは仮面に覆われた首を回した。
「何故白鳥梨乃が無事だったのだ」
ゾンビ兵に刺されたはずの梨乃へと、その場所へと目を向けると、そこには誰もいない。倒れたゾンビ兵と一緒に転がっているのは護符を貼った丸太であり、今目の前には額に護符を貼った燕がいて、
「まさか」
「忍法、変わり身の術」
「ふざけるな!」
静かに、だが誇らしげにうそぶく燕につい悪態をついてしまう。
白鳥梨乃と風切燕がいつの間にか入れ替わっていた。おそらく防御結界を解除したあたりからだ。だが風切燕の姿を見失ったわけではない。彼女の位置も把握していたはず……
「忍法、分身の術」
「ふざけるな!」
再度罵声を上げるハルベリンに燕は、
「変わり身だって分身だってできて当然でしょう。忍者なんだから」
心外そうに反論した。なお燕は鷹杜謹製の乾闥婆王の護符を使っており、乾闥婆のサンスクリット名ガンダルヴァは蜃気楼を意味する。ハルベリンの目をごまかせたのも鷹杜のサポートがあってこそだが、より根本的には「トリニティ・ファンタジア」には忍者が登場しないことだった。基本知識に存在しないためハルベリンは忍者に対する警戒が他と比較して薄くなってしまったと言える。
また、燕は全世界の忍者に対する信仰を一身に受けているため「ニンジャなんだからできて当然」と思われていることができるようになっていた――史実に即したそれではなく、一九七〇年代以降世界的に広がった、誤解された、「JAPANESE NINJA」という超人に対する信仰を。
燕がハルベリンの目をごまかし、フリーとなった梨乃が背後に回り込んで呪奪の剣を使ってハルベリンを攻撃。呪奪の剣の効果はハルベリンであっても抵抗できず……いや、強大な魔力を持っているが故に剣の攻撃力もそれだけ増大する。致命的な攻撃を受けたハルベリンが最後の力で梨乃へと反撃し、白鳥英二が梨乃をかばおうとするが二人ともその呪いを受けてしまい、
「梨乃、梨乃」
「無念だが、白鳥英二が呪いのほとんどを持っていったため白鳥梨乃は殺せなかった」
甲斐が抱く梨乃の身体は暖かく、その心臓は規則正しく脈動を続けている。だが甲斐がどれだけその名を呼ぼうと少女の目は開かなかった。
「だがそれでも、四天王たる私が死の間際に放った呪いだ。その余波だけでも小娘一人の心を壊すには充分以上。白鳥梨乃はもう二度と目覚めることはない」
「ハルベリン……!」
甲斐が呪詛のように、それこそ呪い殺すには充分以上の怨念を込めてその名を呼ぶが、実際にはそれは何の力も持たなかった。甲斐の呪いはハルベリンではなく自分へと向かおうとしている。妹を助けられなかった自分自身に。
「落ち着け、時間はかかるが梨乃君はいずれ回復する」
鷹杜の言葉に甲斐はようやく顔を上げた。
「梨乃君自身がそれを予知している」
「お前、梨乃がこうなるって判っていてこんな作戦を」
梨乃を抱いたままの甲斐が左手で紅蓮剣を握り、その刃を鷹杜へと向ける。だがその怒りと殺意も彼の眉一つ動かしはしなかった。
「実行とその結果の責任が私にあることは言うまでもないが、作戦を提案したのは梨乃君だ。そもそもの発案は白鳥英二だったのだろう」
梨乃は白鳥英二の予知を共有し、彼が敵の思考を誘導してハルベリンを倒そうとしていることを理解。その予知が現実となるように自分も動いたのだ。勇者パーティから死者を出さずにハルベリンを倒す未来は一つしかなく、そこでは梨乃が最も危険な役目を引き受けることとなる。その結果ハルベリンの呪いを受けてしまうが死ぬわけではないし、時間はかかるがいずれ回復する。誰も死なせないためならそれも許容範囲……
「だが、自分をかばって父親が我が身を犠牲することを知っていたならさすがにそんな作戦を選びはしなかっただろう」
「梨乃、親父……」
事前にこの結果を教えられたなら絶対に反対するに決まっていたら甲斐は詳細を何も知らされておらず、それを言い出したのも梨乃である。行きどころのない激情が甲斐の内側で台風のように荒れ狂っている。振り上げた拳は一体誰に振り下ろせばいいのか。鷹杜か、梨乃か、自分か、それとも白鳥英二か。甲斐は横たわる父親へと目を向け、
「甲斐……」
その白鳥英二が甲斐の名を呼んだ。
「親父?!」
「あ……アーディティアに行け」
白鳥英二はそれだけを言い残し――
「親父! 何が言いたい! アーディティアってなんだ、どこのことだよ!」
彼がその問いに答えることは決してなかった。白鳥英二はもう何も言わない、何も言えない。それを理解した甲斐は彼の目を閉じ、その手を胸の上で重ねさせた。
「……ああ、そうか」
その光景に、ハルベリンはようやく理解していた。自分が敗北した真の理由――人の心が、家族や恋人への愛が自分の策略を超えることがあると、判っていたはずなのに。ゲームやアニメの自分はそれで倒されていたのに。それをよく知っていたはずなのに。
「……結局私は、シナリオを超えることができなかった」
四天王ハルベリンは自分の策略を過信し、愛が起こす奇跡を軽視する――そういうキャラだと、一六億の人類が信じているのだ。人の愛が起こす奇跡に負ける中ボスだと。
「結局私は自分に対する信仰を超えることができなかった」
その言葉に、梨乃を抱いたままの甲斐がハルベリンの包囲に加わり、翡翠とカナリアもまた続いた。彼の下半身は既に崩壊し、灰となって消え去り、上半身ももう胸まで崩れている。頭部もまずフードが崩れて、髑髏の仮面が崩れて隠されていたその顔がさらされ――翡翠が小さな悲鳴と同時に息を呑み、
「お前達も知っているだろう、私は『無貌のハルベリン』」
甲斐もまた数瞬呼吸を止めてしまった。
「私の顔は最後まで設定されなかった……その信仰を受けた結果が、これだ。笑うしかない、この顔だ」
ハルベリンはそう自らを嗤うが、甲斐達は到底笑えなかった。心臓が凍ったような、慄然とした顔を並べている。
「お前達もシナリオのままに戦い、シナリオのままに勝ち続け、死んでいくがいい……シナリオのままに」
「お前と一緒にするな」
その声がハルベリンに届いたかどうかは判らない。その胸から上が、その「無貌」の顔が灰となり崩れ、空気に溶けて消えていき……やがて、彼がそこにいた痕跡は何一つなくなってしまう。それが四天王ハルベリンの最期だった。
「俺達はお前とは違う。こんな陳腐なシナリオには従わない。必ず生き残る……!」
甲斐が確固たる決意を明確に示し、翡翠とカナリアが頷いて同意する。そしてシナリオを超えて勝つための手がかりは、
「アーディティア……きっとそこに何かある」
甲斐はそれを信じていた――鷹杜もまた同様に。
「白鳥英二、英野鵠は今の人類の信仰を受け、予知能力を持った……過去の自分へと今の情報を送る力を。彼はそれを元に『トリニティ・ファンタジア』のシナリオを書いたのではないか?」
彼が「トリニティ・ファンタジア」を執筆していたのは一三年前。そのときには次元転換炉の実証実験が始まり、くり返されている。すなわち、この世界と裏面世界はもうつながっていた。未来からの情報が届いていてもおかしくはないのだ。
「その予知を元に冥王軍の襲来を予言し、狂人扱いされることになった。だがその予言があったからこそ裏面世界から出現した『何かよくないもの』は『冥王カズム』と同一視されることに……白鳥英二もそれが最善と判断したということか?」
自分の執筆したシナリオに従ってゲームの敵が人類の八割を殺戮し、生き残った人類を救うために自分の子供達が勇者として祀り上げられ、その未来を自らの手で現実にするために今自分が狂態を演じて狂人扱いされる必要があり――いくら人類を救うためでも、一体どれほどの恐怖が、絶望があったのだろうか。そう考えていくと今日ここで白鳥英二が自分の娘をかばって生命を落としたことも、選択の余地がなかったのではなく責任を取って死にたかったからなのかも……
いや、と鷹杜は首を横に強く振った。全ては根拠のない、ただの推測だ。だがそれでも、
「どこまでが未来情報で、どこからが創作のシナリオだ? そしてアーディティアとはなんだ? そこに何がある?」
それが何なのか今は皆目判らない。だがそれでも、きっとそれが勝利の鍵になると――彼はそう確信していた。
本作はこれにて一旦区切りです(続きは前向きに検討中)。最後までお読みいただきありがとうございました。
楽しんでもらえたのであれば幸いです。