第五話「七人目の勇者」その1
「……どういうことです」
紅蓮剣を抜いた甲斐が鷹杜にそれを問う。甲斐の瞳は怒りに灼熱し、膨大な霊力を注ぎ込まれた紅蓮剣もまた眩しいほどに輝き、放たれる輻射熱はまるで溶鉱炉のようだ。
「甲斐君! 落ち着いて!」
「白鳥君!」
カナリアと翡翠が腕づくでも止めようとし、二人に火傷を負わせないよう甲斐が剣を高く掲げ、それを攻撃態勢かと警戒した燕とマユールが得物を抜き、事態は一種即発となった。だが、
「お兄!」
梨乃が甲斐の懐に飛び込み、顔を上げてその目を見つめる。梨乃は何も言わない。だが怒っているような、泣いているようなその瞳に真っ直ぐに見つめられ、甲斐の怒りは急速にしぼんでいった。同時に紅蓮剣もその輝きを失っていく。
「王蟲の攻撃色が消えていく……」
安堵しながらいつもの戯言を口にするカナリアに翡翠が苦笑し、甲斐はばつの悪そうな顔となった。
……それから少しばかりの時間を経て。甲斐・梨乃・カナリア・鷹杜・マユール・燕、そして翡翠は車座になって椅子に座っている。甲斐の正面には鷹杜、横には梨乃。梨乃は椅子を接しさせ、甲斐の手をずっと握っていた。
「なんかやりにくいんだけど、これ」
「こうしていないとまた喧嘩するでしょ」
「しねーよ」
抗議をしても梨乃は聞く耳を持たず、その手を放そうとしない。甲斐はその拘束を容認するしかなかった。
実際甲斐は鷹杜と喧嘩をするつもりはない――今のところは。だが梨乃を「甲」部隊に入れる理由が全く理解できず、「もしかしたら翡翠かカナリアの代わりに自爆特攻をさせるつもりではないか」という疑念を抱いている。もしそうなった場合は脱走が有力な選択肢となるが、そのときはこの場の全員が敵に回るだろう。もし戦闘になったとしたら、紅蓮剣の力をフルに使えるなら負けはしないと思うが、マユールや燕を殺さずに無力化できるほどの力の差があるわけではなく……
梨乃の手にわずかに力が込められ、それだけで甲斐の思考は戦闘モードから巡航モードに切り替えられた。
「理由、説明してくれるんですよね」
「もちろんだ」
ともかく、鷹杜が何を考えているのか話を聞いてからでも遅くはなかった。脱走も戦闘も。
「梨乃君が予知能力を持っている理由について私は『もしかしたら』という仮説を立てて調査をさせた。調査結果が報告されたのが今日の午前で、仮説が正しかったことが立証された」
「その仮説って?」
鷹杜はその問いに答えず、
「一つ確認するが、君達の父親の名前は?」
逆にそう問う。甲斐は不満を覚えながらも「白鳥英二」と答えた。鷹杜は土の地面に木の棒でまず「白鳥英二」とその名を書き、その横に別の名前を書いた――「英野鵠」と。
甲斐が疑問と不審に満ち満ちた目を鷹杜に向け、
「この『鵠』とは古い日本語で白鳥を意味する」
その一言がボクサーのパンチのように顔面に叩き込まれ、甲斐は身体を揺らした。
「まさか……そんな」
鷹杜は地面に書いた「英野鵠」の「鵠」を消し、その上から「白鳥」と書いた。二つの名前が、二人の名前が並んでいる。
「白鳥英二」
「英野白鳥」
――いや、それは二人の名前なのか?
「私も『まさか』と思い、同時に『もしかしたら』と考えた。そして梨乃君の予知能力によって『あるいは』と判断し調査させ、『やはり』という結論となった。――英野鵠の本名が白鳥英二、君達の父親は英野鵠だ」
――英野鵠に関する調査は情報部がずっと続けていたが、東日本陥落時に大量の情報が失われたこともあって全くはかどっていなかった。白鳥英二という人間の調査は、こちらは本名である分まだ情報を集めやすいがそれでも断片的なことしか判らない。が、この両者の情報を突き合わせるとお互いの欠落部分を補完し合い、破いた紙をつなげるようにぴったりと合わさり、両者が同一であることが判明したのである。
「……ちょっと、ちょっと待ってください」
甲斐は今、混乱の坩堝にはまり込んでいる。与えられた情報があまりに想像を絶していてまともに思考が回らない。我知らずのうちに甲斐は髪を掻き回し、その手を梨乃の掌が優しく包み込んだ。
「わたしもびっくりしたけど、わたしなら大丈夫だから」
「あ……ああ」
妹の気遣いが甲斐の心を急速に鎮めた。そう、今は父親のことなどどうでもいい。どうでもよくはないがそこまで重要ではない。重要だけどもっとずっとはるかに重要なのは、梨乃のことだ。
「甲斐君はお父さんのこと覚えているの?」
不躾とも思えるカナリアのその問いに甲斐は「いや」と首を横に振った。
「母親が梨乃を産んですぐに死んで、父親はじいさんばあさんに俺達を預けてどこかに出ていった。四歳のときだからほとんど何も覚えていない。顔すらも。その後一度だって会いに来なかったし」
「『トリニティ・ファンタジア』の制作とちょうど重なる時期、精神のバランスを崩したとされる時期だ。君達を養育できなかったのもそのためと考えられる」
事務的な鷹杜の解説に甲斐が苦い顔となり、梨乃は感情の動きをほとんど表に出さなかった。鷹杜はそんな二人を観察しつつ、分割させた思考で別の考察をしている――英野鵠は本当に狂っていたのか? 彼の狂態には何か原因があったのではないか?
「……英野鵠は自分のことを『預言者エノクの生まれ変わり』と称していた」
だがその考察を進めるには情報があまりに足りなかった。
「そして冥王カズムと冥王軍の襲来を予言し、それが現実になった」
「その予言が次元転換炉から出現した『なにかよくないもの』を冥王カズムに確定させる一助となった……予言を信じた大衆が自らの『信仰』で予言を本当にしてしまった、というのがより正確だろう」
「でも大衆は英野鵠を本物の預言者だと信じている。その信仰の影響で梨乃ちゃんが予知能力を」
そこまで思考を進め、鷹杜と梨乃を除く全員がその矛盾に気が付いた。
「俺達の父親が英野鵠だって、また公表してないんでしょう? 第一梨乃が予知能力を使ったのは一昨日……いや、もっと前から何度も使っている」
「信仰とは無関係に、本物の予知能力を持っていたってこと?」
「いや、違う」
鷹杜はその可能性を明確に否定した。
「『預言者英野鵠の娘だから予知能力を持っているに違いない』という大衆の信仰が梨乃君に予知能力を与えたんだ」
「でも」
「梨乃君、君はどういう風にして未来を予知している?」
問われた梨乃に一同の視線が集中する。小さな少女は小首を傾げ、
「えっと……頭の中にいきなり光景だとか言葉だとかが飛び込んでくるんです」
甲斐は昨日のことを思い出していた。梨乃を見舞ったとき甲斐はその力の発現に、文字通り触れていたのだ。
「おそらくだが、梨乃君の予知は『現時点から未来の情報を得る力』ではない。『過去の自分へと現時点の情報を送る力』だ」
「どう違うんですか? それ」
甲斐の代わりにカナリアがそれを問う。
「結果的には同じに見えるかもしれないが、そう考えれば矛盾が生じない。梨乃君が英野鵠の娘である事実、予知能力で甲斐君や翡翠君を助けた事実はこれから公表され、『予知能力を持っている』という信仰をこれから集める。そうして本当に予知能力を得て、その力をもって過去の自分へと情報を送り、一昨日の甲斐君や翡翠君を助けるんだ。五年前の自分自身も」
その説明を腑に落とし、甲斐は眩暈にも似た感覚を覚えている。理屈では鷹杜が正しいのだろうと理解できる。だが感情として納得できるかはまた別の話だった。
「……てことは、その事実を公表しないなら梨乃は勇者にならないってことですよね」
「その通りだ。だがその場合君と翡翠君は四天王の奇襲によって一昨日に死亡する。そもそも五年前に東京を脱出できずに君達兄妹は死亡する」
「でも俺達は生きている」
「そう、つまりはもう確定してしまっているんだ。梨乃君が英野鵠の子供だという事実が公表され、信仰を集めて予知能力を得る未来が」
「そんなの……」
甲斐は有効な反論を何も思いつかず、口から吐き出されるのは怨嗟にも似た繰り言だけだ。
「箱根港での戦闘で何の信仰も集めていなかった君がいきなりで紅蓮剣を発動できたのも同じ理由だと考えられる。紅蓮剣の発動がなければ君が『聖剣の勇者』になることはない。梨乃君の予知能力が知られることもなく、君達の父親が判明することもなく、梨乃君が予知能力を得ることもなく、過去の自分を助けることもない。一連のシナリオの起点としてどうしてもそれが必要だったからだ」
は、と甲斐は失笑した。
「必要だったから、特に理由もなく? どんなご都合主義のクソシナリオだよ」
「君自身も英野鵠の息子という因縁の持ち主だ。紅蓮剣を発動できる素地が最初からあったのだと大衆は納得し、君への信仰はより強固なものとなる。梨乃君による過去干渉が大衆の信仰を過去の君へと届けることになったのではないか……妄想にも等しい、ただの想像だがね」
唾棄を我慢しているような顔を、甲斐は横に背けた。
「今の梨乃君は予知能力を制御できない、能動的に使うことができない。だが大衆の信仰を集めればその力は大きく強化される。自分の意志で予知能力を使えるようにもなるだろう。その力はこれからの戦いに、我々の勝利に大きく寄与するはずだ」
「それだけじゃないだろ」
立ち上がった甲斐が鷹杜へと詰め寄り、袈裟の襟首を両手でつかんで立ち上がらせる。怒りに燃える甲斐の眼差しが頭一つ分上の鷹杜を射抜き、鷹杜は氷壁にも等しい鉄面皮でそれをはね返した。
「お前が梨乃を無理矢理勇者に仕立てようとしているのは。俺が死んだときの予備として、自分の娘じゃなくこいつを……そんなに自分の娘が可愛いか?!」
マユールや燕、梨乃もカナリアも翡翠も立ち上がって暴力に及ぶ前に甲斐を止められる態勢を取った。その中で鷹杜の振る舞いは、
「『聖剣の勇者』だけではない」
冷徹を通り越していっそ冷酷と言うべき代物だった。
「梨乃君は『宝珠の聖女』『神鏡の巫女』のスペアとしても非常に有望だ。勇者候補の一人娘というだけの鷹杜淑佳などより、はるかに」
我慢の限界に達した甲斐の拳が鷹杜の顔面に叩き込まれ――る前に燕の掌がそれを止めた。さらにマユールが甲斐を羽交い絞めにし、後ろから圧し潰してひざまずかせる。全力で暴れるがマユールの拘束はこゆるぎもせず、その無様な姿を鷹杜が見下ろしている。
「君達三人は冥王と直接対決するそのときまで決して失うわけにはいかない……だが同時に人類の希望として戦いの矢面に立ってもらわなければならない。最終決戦まで三人とも無事でいられる保証など何もない、誰かが欠けたときの対策は立てておかなければならないんだ」
「俺が戦えばいいんだろう! こいつまで巻き込むな!」
甲斐は身動きできないまま火砕流のような怒りをぶつけるが鷹杜は微動だにしなかった。その甲斐の眼前に、
「お兄」
梨乃が割り込んでくる。少女は甲斐の前で膝立ちとなり、両者の視線はほぼ同じ高さとなった。甲斐は戦略を変更する。鷹杜を動かせないなら、動かすべきは梨乃の方だった。
「お前まで戦う必要なんかない、お前は」
「何もせずに家に閉じこもっていればいいの? お兄が血まみれになって戦っているのに」
甲斐が虚を突かれた顔となるが、すぐに精神的に体勢を立て直した。
「別に何もしていないってことないだろ。家事は全部任せていたし、今だって宿舎でいろんな仕事を」
「わたしにできるのってただの雑用だけだよ。お兄は生命懸けでモンスターと戦って、わたしの居場所を作ってくれて、わたしは何もできずにお兄に甘えるだけ。わたしはそんな自分がずっと嫌だったんだ」
違う、という否定が反射的に出るがそれは梨乃の胸に何も響かなかったし、甲斐もまた何がどう違うのかを明確にできなかった。
「でも今は戦える、直接でなくても。わたしにそれだけの力があるって、隊長が言ってくれている。わたしはもうお兄がいなきゃ外にも出れない子供じゃない。『甲』部隊の勇者なんだ」
「違う、違うんだ梨乃」
すがるように訴えるが少女は静かに首を横に振るだけだった。甲斐は必死に言葉を探すがその思考はただ空回りするだけだ。今のままでは何時間あっても梨乃を説得できなかっただろうし、そもそもそんな時間は与えられなかった。
鷹杜の携帯端末に連絡が入り、その通話は一言二言のやりとりで終わった。
「横浜横須賀道路から冥王軍が接近中だ、迎撃に出る――梨乃君のデビュー戦だ」
「待てよ! そんなの!」
甲斐が一際激しく暴れるがマユールがそれを抑え込む。さらには、
「見ていて。わたしがちゃんと戦えるって証明するから」
梨乃が確固とした意志を示し、甲斐は理解するしかなかった。妹は鷹杜にいいように言いくるめられて勇者となったわけではない。自分自身で判断し、決断し、それを選んだのだと。
鷹杜、カナリア、翡翠、燕、そして梨乃が戦場へと向かっていく。今の甲斐は同行すら許されず、その背中をただ見送ることしかできなかった。
次回・第五話「七人目の勇者」その2は8月9日12時更新です。