ブーガ
スコープを覗くと、河の対岸に豚の様なカバのような四足の巨体の動物の姿が見えた。
あれはブーガと言うらしい。脂が多く、肉質もまずまずだが、頭蓋骨が硬いので仕留める際には注意が必要である。私は専ら頸を徹甲弾で撃ち抜いてしまう。そら、このように。
銃声。
ガスが弾丸を打ち出すと、ソレが空気の壁を破る音が聞こえるものだが、私が使う弾は大抵火薬の量を減らして亜音速…空気の壁を突き破らない速度…で弾を飛ばすので、それほど大きな音は響かない。口径も小さいものだし、サプレッサーもつけているから尚更だった。
おおお!と私が潜んでいた茂みの周囲から一気に歓声が上がった。村の人々が見ていたのだ。どうしても狩の様子を見たいというので仕方なく…。オーディエンスが不測の事態を招くかと戦々恐々だったが、ともあれ獣を撃ち殺すところまでは何事も無くて安堵していた。
それがよくなかった。森の奥からズシンズシンと大地を揺るがす地響きと共に、大きな足音の持ち主がヌッと頭を出した。森の10mはある木々よりも頭一つ抜けて大きい巨人だった。ここら辺ではブーガロイなんて呼ばれている。つい先ほど撃ち殺した豚の様なカバの様な四足の巨体の動物を家畜化しており、それがそのまま名前の由来らしい。のっぺりとした顔に目が三つあり腕は四つ、ゴリラのようにどしどしやって来るのだが、これが意外とすばしっこい。
狩るには面倒くさい相手だが、ほっとく分には無害である。私は村人から向けられる縋るような視線も無視して、予め用意していた後備えの銃を組み立てた。大口径で戦車の防弾板もぶち抜く代物である。ビール瓶ほどの大きさの弾丸を打ち出す怪物だ。こいつを淡々と組み立てている間に、例の巨人は随分近くまで寄って来ていた。川岸で斃れているブーガを見つけて怒り狂っていた。胸をドンドコ打ち鳴らし、近くの木を引っこ抜くや枝をこそいで一本の立派な棍棒に生まれ変わらせていた。大した知恵を持っているヤツである。
重たい重たい、ビール瓶ほどのサイズの弾薬を薬室に押し込み、私はゆっくりとレバーを押し込んだ。固定を完了し、肩に来るべき衝撃に覚悟を決めて、淡々とスコープを覗いた。
スコープを覗くと、ブーガロイという四本腕で二足歩行で三つ目の巨人と目が合ったような気がした。
あばよ。
大銃声。ほとんど砲声。
引き金を引いた瞬間。ズガンッ!と衝撃と爆風が潜んでいた茂みごと大地を揺らしたような気がした。実際は大地が揺らぐはずも無く、私の周りの軽いもの、それこそ落ち葉だとか木の枝だとかが揺らいだだけなのだが。私?私は揺らがない。リコイル制御は完璧だ。身動ぎもしないさ。肺が規則的に縮んだり伸びたりしただけだ。
飛んでいった弾丸は見事に巨人の体の真ん中に命中した。戦車に食らわせる榴弾は見事に筋肉と骨で出来た貧弱な魔物の肉体を四散五裂させた。グロテスクさも感じさせない威力だと言えば伝わるだろうか。血が一面に霧状に飛び散ってはいたが、内臓だとか、そういう物はモノとしての体裁を保っていなかった。なんてことはない猟果だった。今日も今日とて。とはいえ、村人の連中は大喜びだ。欣喜雀躍もかくやと言ったところだろうか。巨人の血の海のようになった川岸に勇んで渡って行っては、今日の戦利品であるブーガ…あの豚とかカバとかに似てる巨大な動物の死体に縄を掛けて対岸まで引っ張ってこようと忙しそうにしていた。ハハハ…川が真っ赤だ。まぁ、一晩もすれば元通りの水面になっているのだが。なんてったってそういう仕様だからな。
私は仕事道具を適切な手順で仕舞うことに忙しかった。焦ることも無く、かといってゆったりもせずに淡々と道具をあるべき場所に戻していく。部品は部品のサイズごとに分別し、ネジ一本、釘一本でもおかしなことにならない様に。あるべき場所に、然るべき数が、過不足の無い状態で納められているように確認してから分厚い革製の黒い鞄を閉じた。カーキ色に染めた革手袋を両手に嵌めてから、鞄を片手に下げて、もう片方の手はコートのポケットに突っ込んで茂みから…おっと、忘れるところだった。帽子を被るのを忘れていた。埃を払う動作は必須。しっかりとパッパッとね。少し目深めに被り、濃いレンズのサングラスを掛けて…よし、さぁ真打の登場だ。
私は茂みを出た。
この世界の村と言うものはなんとも中途半端な印象を受ける場所だ。中世なのにガラスが当然のように窓に嵌め込まれているとは。そのくせ農奴制は健在らしい。この土地で生まれ、この土地から離れることも許されずに、この土地で死んでいくものが沢山いる。そういう場所だ。
土埃と畜糞の匂いが唾液に移った端から道端に吐き捨てていく。
ぺっ。ぺっ。ぺっ。ぺっ。
いがらっぽい喉に嫌気が差してスーツの内ポケットから細い葉巻を取り出して咥えた。歯で軽く噛んで確かめてから、金のライターで葉巻の先を炙ると、濃厚な白い煙がとろりと漂い出した。濃い紫煙を吐き出せば、チョコレートのフレーバーが申し訳程度に鼻腔に届いた。
しばらく歩くと村が見えてきた。村ではもうお祭り騒ぎだった。切り刻まれたブーガを炙り、たらふく口にすることができるハレの日だからに違いなかった。そこでいうと、私は神の福音を届ける使徒に違いなかった。秘儀と言う名のハンティングを行い、こうして一晩の宿と報酬を受け取りに参ったのだ。
「英雄の御帰還だ!」
「ブーガロイ・スレイヤーの凱旋だ!」
「神の杖の使い手に祝福あれ!」
能天気な村人たちは、いかにも中世風の恰好ではしゃぎまわっていた。私の周りを踊り歩き、温いエールと焼きブーガの野蛮な味覚に酔いしれていた。勝利の美酒とて、決して貴族共が口にする上等のものではないだろうに。私の事を殊更に誉めそやし、ある者は私に向かって跪き一心不乱に祈りを捧げる始末だ。私は彼らの横をズカズカと進んだ。私の艶やかな黒革長靴は村人の舞踊によって踏み荒らされた泥濘に嵌り、不愉快な臭いを発していた。私の周囲を騒がしく村民が歩くたびに、私が手入れを欠かさない灰色の革コートに臭い泥が跳ね散らかされて染みになった。村人の中には死んだブーガロイの形の残っている破片を持ち帰って来て、それを見せびらかしている者もいた。そいつらは誇らしげに、憧憬の視線と共にソレを私に献上してこようとした。私は断った。私は一刻も早く報酬を受け取って、こんな場所とはおさらばしたかったのだ。こんな田舎までハンティングに来たことを、私はそろそろ本格的に後悔し始めていた。先日、安易に狩場を選定した自分自身のことをくらつけてやりたかった。
とはいえ、私は大人だ。プロだ。仕事もする。楽しむべきことは楽しむ。楽しむべきものではないものは楽しまない。そういうものだ。私は淡々としている。いつも通りだとも。人も。獣も。相手が何であれ同じだ。だから、私の足が忙しなくなることは終ぞなかった。焚火台で丸焼きにした血の滴る薄汚いブーガの枝肉をナイフとフォークで思い思いに切り取り、剥ぎ取り、食い尽くさんばかりの村民を軽蔑したりしない。ただ、彼らの仲間には入っていけないだけなのだ。だから、それはそれでいいのだ。
…しばらく歩いた。村の中でも静かな方。薄暗い方へ向かい、そこにある寂れた教会を訪ねる。ここは好い。ここは何時だって静かだからだ。何時だって。今もだ。
朽ちかけの木製の扉を押し開くと、軋んだ音を立てた。私は空いた隙間に蛇のように身を滑り込ませた。襟元にまで撥ねていた泥の匂いが濃く感じて不愉快だった。鼻を鳴らす。空気を押し返す様に。
ふんッ。ふんッ。
ここらへんの人々が崇め奉る神に一礼。私は私の内なる神しか信じていないが、心からの敬意を払う。帽子をとり、胸に抱き華麗に一礼。以上だ。
「司祭殿、よろしいでしょうか」
私が一言そう言うと、奥の礼拝堂から小さなご老体が現れた。咄嗟に支えに小走りで駆け寄った。音も無く。
「おお、神の杖の御方よ、感謝致します、今日もまた貴方様の秘儀によって我が村は貴重な一日を生きながらえました…こちら、心ばかりの品ではございますが…」
司祭が差し出したのは臭い革袋だった。革紐で口を留めておくことが出来るものだ。受け取り中を確かめると銀貨一枚と銅貨と鉄貨がごろごろと…まぁ、こんなものか。合計で1万6500テール…ドル換算なら200ドルくらいだ。
安い。
化け物退治としてなら、な。
「銀貨だけいただきましょう」
私はそう言って銀貨だけを貰うことにした。銀は何かと使い道があるからだ。銀貨一枚…金額だけなら1万テールか。高級宿には一晩も泊まれんな。ただまぁ、これは趣味と実益を兼ねた仕事だ。利潤の追求の為であれば、わざわざハンティングなんぞしていない。これは高貴なる余暇の過ごし方なのだ。だから、報酬はその時の私の気分次第ということで。
「おぉ…それではただでさえ少ない御布施が更に半分に…それでは、神になんと釈明をすれば!」
「私が許したのだと、そうお伝えください」
狼狽えながら私に縋りつこうとする司祭殿を、脚運びだけで躱しつつ、私は本心からの言葉を贈った。だが、それでも納得できない司祭殿は今度は私が何かよからぬことを企んでいるのではないかとすら思い詰める程に、深く勘ぐってしまわれていた。困るのは私の方であった。裏など無い。文字通り、銀は役に立つから貰った。金は要らない。それだけなのに。
「な、なんと慈悲深いお言葉…貴方様はあれほどの秘儀を成し遂げながら、他の使徒や傭兵とも違い、まるで我々から多くを奪われない…何故ですか?」
「…私がそう望んでいるからです」
今度こそ、司祭殿はさめざめと泣いてしまわれた。滂沱の涙を流し、信仰する神の像に祈りを捧げればよいものを、私に向かって祈りを捧げてやめなかった。私が頃合を見て彼に祈るのを止めさせようとすると、彼はすぐさま平伏した。そして言った。
「…貴方様はなんという御方だ…あれほどの秘儀をいただきながらも、路銀の足しにもならぬはした金でもてなすことしかできない我が身が憎ぅございます…」
私は咄嗟に言った。
「神が赦されずとも、私が許します」
すると、涙ながらに司祭殿は跪いたまますり寄って来て、抱き着かれると思った私は躱さずに受け止めようと考えたが、想定外にお労しい彼は平伏したままその乾いた唇を私の靴の爪先へと捧げた。
そうきたか…私は動けなかった。
「…感謝致します。神の杖の御遣いの御方よ…どうかお達者で…」
司祭殿はそう言って私の事を最後まで見送ってくれた。平伏したままなのは気になったが、敬虔で丁寧な人間性には見るべき所があった。またここに訪れることがあれば、そのときは今度こそタダで問題解決に手を貸すのも吝かではない。…特に、害獣駆除なんかは得意だからね。人であれ。獣であれ。
しかし…まったく、不覚をとったよ。大したヤツだ。予想外の行動をとるとは…大した司祭殿だ。
私は村の静かな方を通ってこの騒がしい村から波を立てずに湖面を泳ぐように離れて行った。村から離れた別の地域との境界線まで歩き、農村の境界線を隔てる低い石の塁に沿って駐車されてある黒い車に乗り込んだ。何となく話す気が起きなくて、バックミラー越しに運転手に目くばせで「出せ」と伝えた。間もなく静かなエンジン音と共に車が動き出した。この世界の住人が言う所の鋼鉄の馬車の乗り心地は最高だ。英国製の高級車はこの世界では一点ものだ。なにせイギリスなんて国はこの世界のどこにもないからね。ドイツだってそうだ。あの世界から持ち込んだものは全て特別で、全て唯一無二の玩具なのだ。だから、今日も実に楽しかった。少しずつ剥がれ落ちていく感覚は病みつきになりそうだった。スリルなのだろうか、何とも言えない刺激が私を興奮させた。この世界の何もかもが、私にとって最高の遊具なのだ。命さえも。営みさえも。獣さえも。人さえも。
奪い続けてきたから今がある。そして、私の今は最早過去にすら縛られない。国家にすらも。法律にすらも。私は唯一絶対のアウトローなのだ。
神の杖の御使いとは…言い得て妙だ。そうだ。私は神に選ばれた。私の内なる神に選ばれてこの世界で息をしているのだ。新しい人生に祝福があらんことを。元の世界から持ち込んだ余りある財物を、死に絶えるその日までこの世界で吐き出し尽くそうではないか。
ここは森なのだ。私と言う暗殺者の為の森なのだ。全てを呑み込む森なのだ。全てを受け止めてくれる森なのだ。
あれから丸三日間お祭り騒ぎだったという村は半年後にはすっかりなくなっていたそうだ。まぁ、この世界の人々は嫌って言うほど逞しいから、せめてあの司祭殿だけでもどこかで達者で居てくれることを祈るばかりである。今度会えた時には、衣食住の世話位はしてやりたいと思う。どれもこれも自己満足のため、帳尻合わせの為、私の個人的な納得の為だがね。




