須王灯吾と淵之宮依鈴
時は少し遡る…
12月25日…
須王の屋敷に、来訪者があった。
1台の黒塗りの高級車が正門前に停まり、少女が降りる。
妖艶と可憐さの両方を体現し、一切の淀み無く歩を進めていく。
庭を中ほどまで進み、木の手入れをしていた使用人に顔を向け、告げる。
「須王灯吾様に取り次ぎを願いたい。
淵之宮依鈴が参った、と」
須王灯吾がその知らせを聞いたのは、体術の修練をしている最中だった。
普通ならば、その時間は誰が訪れても会わない。
どうしても、と来訪者が言うのであれば修練が終わるまで客室にて待たせる。
しかし、灯吾は直ぐに修練を止めた。
「客室ではなく、俺の書斎に通せ。
飲み物は、コーヒーや茶ではなく白湯を出すように」
そう言うと、汗を流す為に浴室に向かった。
やがて衣服を整えた灯吾が書斎の扉を開けると、絨毯の上に正座した依鈴が本を読んでいた。
灯吾は、ふっ…と息を吐き、扉を閉めてから声を掛ける。
「相変わらず椅子には座らんのか?
袴が汚れるぞ」
その声に依鈴は顔を上げ、読んでいた本を閉じて灯吾に差し出した。
「前にも言いましたが、椅子には慣れません。
家康が好きなのですか?」
差し出された本を机の上に戻しながら、灯吾は答える。
「家康は物学びが好きな人物だった。
並外れた忍耐の持ち主でもある。
その結果、天下を得た…
信長や秀吉よりは手本にしたいと思う人間だ」
そう言ってから、依鈴の前に胡座をかいて座った。
「服が汚れますよ?
家康が天下を取った一番の要因は、長生きだったからです。
もし途中で病に倒れていれば、徳川の天下は成りませんでした。
それと、人一倍臆病だったところに共感しているのですか?」
「依鈴がここに座っているから、仕方なくだ。
臆病でも天下を取ったから見習いたいんだ。
臆病な男は嫌いか?」
「臆病で逃げる男は嫌いです。
灯吾様は臆病ですが、逃げませぬ。
逃げずに踏み止まり、足を踏み出す者です。
臆病と強さを併せ持つから好きなのですよ」
「…そうか…」
ゆっくりとそう言ってから、本題に入る。
「緊急の用なのだろう?」
何をしに来た?とは聞かない。
淵之宮の次期当主が淵之宮から出るなど、よほどの事でなければ有り得ないと知っているからだ。
「灯吾様にお願いがあって参りました」
「願い?
直接来たのだ…俺にしかできないほどの役目か?」
「妾は灯吾様なればこそ…と母上に申し上げました。
すると母上は、妾にも羽根を伸ばす機会を下さいました。
先ずは、概要をお話し致します。
およそ三ヶ月の後、180年に一度の厄災が起こります」
「その事ならば知識としては知っている。
だが、それ自体は問題無いはずだ。
その厄災は、この国の怨霊共が淵之宮を狙うというものだろう?
淵之宮が狙われるのは、深淵に触れる血族だからだ。
光に群がる羽虫のように、怨霊は深淵に群がる。
しかし、180年ごとに起こる厄災にも、淵之宮は一度も潰えなかった。
あの山自体が、強固な結界として機能し続けてきたからだ」
「その通りです。
しかし、此度はその怨霊共が肉体を得ます。
淵之宮の結界では、物理的な強襲には意味を成しませぬ。
もしも結界を作り変え、物理的な物まで絶ってしまえば、風も流れず、気は汚濁し、淵之宮は自滅します」
「それはそうだろうが…
怨霊はどうやって肉体を得る?
そもそも、肉体を得られないから怨霊となるのだ」
「母上は…九重の一族の内、何者かが矛を逆さにする…と言われました」
「いや…待て…それでは…
九重の中から裏切り者が?
そいつが何かしらの方法で怨霊を受肉させるという事なのか?」
「はい」
依鈴の簡潔な返答に、灯吾は眉間に深い皺を寄せてしばらく黙っていた。
やがて大きく息を吐き…
「有り得ない…とは言わない。
それが事実だからこそ、依鈴がここに居るのだろうからな。
それで?…俺に何をしろと?」
「九重の一族を訪い、真偽を確かめてほしいのです」
「俺だけで…全ての家を回るのか?」
「いえ、分かっている範囲で絞れます。
天切、逆神、不城、軌創、望月、そして灯吾様も除外すれば…
残るは、蒼真と葛籠だけです。
まず、天切は父上が当主であり、つい先頃まで外の国の勢力と抗争をしていました。
裏切りは無いでしょう。
軌創と不城も天切を手助けしておりました…
裏切りを画策する暇などは無かったでしょう。
逆神は、強さ以外には興味の無い家です。
裏切りなどという厄介で面倒な事をするよりも、修練を第一にするでしょう。
望月はどの一族よりも、九重の約定に重きを置く家です。
しかも、歴代の中でも三指に入ると言われる鬼姫は逆神に嫁いでいますが…その鬼姫は母上の唯一と言っていい親友だそうです。
望月の当主はその弟ですが、鬼姫には逆らわないでしょう」
「…そうか…では俺は…」
「お待ち下さい。
裏切りの目星は淵之宮からの役目ですが、母上から別の願いもあります」
「役目ではなく、願い?」
「はい…姉上の婚約者であり、逆神家の嫡男、慎一郎殿に会い、どれほどの器なのかを確かめたい…
それは私の願いでもあります」
「天切楽羅の婿、か」
「はい、先の天切と外の国の勢力との抗争では最大の功労者の一人である、と母上は言われました。
慎一郎殿が姉上と共に居らねば、9月の時点で姉上は命を落としていた…と。
興味が湧きませんか?」
「そうだな…なるほど…
その逆神の嫡男も、厄災に備えて戦力として使うつもり…
なのだな?
では依鈴も会うのか?」
「いいえ、姉上も慎一郎殿と共に居るでしょうから…私が行けば話がややこしくなります。
ですから、灯吾様が御自身で確かめて下さい。
最も簡潔で確実なやり方としては…喧嘩を売って反応を見るのが最良かと…」
「随分と、愉しそうな顔をしているぞ依鈴。
ま…俺も興味は湧いたし、ただ九重の家を訪ねて回るよりも、面白そうだがな」
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そして大晦日、灯吾がパーティー会場で慎一郎を見た時…
ドクン…
いきなり視界がボヤける。
それは須王統吾が表に出る時の感覚…
今までも、灯吾の意思に関係なく統吾の人格が表に出る事はあったが、これほど離れている相手に反応したのは初めてだった。
やがて入れ替わった統吾は呟く。
「アレの相手はお前では無理だぞ、灯吾。
俺でなければ計れぬ…
何より、俺が愉しめる相手など滅多におらんからな」
そう口にして、ゆっくりと慎一郎と楽羅に向かって歩みを進めて行った。




