戦(いくさ)というものは…
フェンリルは、慎一郎の胴体の中心をナイフで執拗に狙ってくる。
白兵戦での常識的な攻め方としては、最も理に適っている。
通常、身体の中心を狙われるというのが最も躱しにくく、上手く躱せたとしても体勢が崩れてしまう為だ。
ナイフを振り回すという事もしない、突くのが最も効果的だからだ。
ただし、慎一郎の体術は通常の軍隊格闘術を遥かに上回る。
ナイフを突き出してくるフェンリルの腕を払いながら、神速の足刀をフェンリルの右膝関節に叩き込む。
フェンリルは構わずに更に一歩踏み出し、左手で慎一郎の首を掴みにくる。
慎一郎は足刀に使った左足を即座に後ろに引き、その反力で身体を反転させてフェンリルの左手を躱すと同時に、フェンリルのこめかみに渾身の右廻し蹴りを叩き込む。
それでもなお、フェンリルの能力による防御は崩れない…
こめかみに蹴り込まれた慎一郎の右脚を左手で掴み、もう一度ナイフを突き出す。
慎一郎は右脚を掴まれたと同時に、左足を蹴り上げ、フェンリルの顎を撃ち抜く。
僅かに体勢を崩したフェンリルの左手を掴み、脚から引き剥がすと、そのまま動きを止めずに左肘の関節を極めながらフェンリルの左足を刈り、背中から落とすようにして投げる慎一郎。
フェンリルは後頭部から地面に叩きつけられながらも、強引に左肘を引き抜き、そのまま慎一郎の胸ぐらを掴んで引き倒しながらナイフで突いてくる。
慎一郎はその動きに逆らわず、フェンリルの身体に密着するようにして、ナイフを左脇腹に抱え込む。
そのまま脇腹を切られながらも、体勢を入れ替え、フェンリルの首を絞めようとする慎一郎。
フェンリルは即座に反応し、慎一郎の身体を力任せに投げ飛ばした。
そして…
慎一郎とフェンリルが互いに構え直すのは、もう何度目になるのか…
慎一郎は、ナイフによる裂傷や刺し傷を身体のいたる所に負っていた。
息もかなり荒くなっている。
体術では慎一郎が上だが、フェンリルの能力による防御と力を覆せない。
何より、ナイフによる傷も着実にダメージとして蓄積していく…
「ぜぇ…はあ…は、ふう…なあ、お前さ…」
呼吸も乱れておらず平然と構えるフェンリルに、慎一郎は声を掛ける。
「大した奴だ…俺じゃホントに勝てない…でもな、これはサシの喧嘩じゃねえ…戦だからな…」
日本語で言う慎一郎の言葉は、フェンリルには分からない。それは、慎一郎も理解しているが…
唯、言っておきたかったのだ…
ーー…ーーォォオ…
フェンリルの耳に、音が聞こえる…
やがてその音は、ハッキリと聞こえ始め、
「俺達の勝ちだ…ざまぁみろ」
慎一郎の言葉と、聞こえていた音が何なのか分かったのは同時だった。
ォ゙ヴォ゙ンッ!!ギャギャギャ…ギッ!
尋常では無い凄まじい速度で1台のバイクが走ってきて、慎一郎の5m手前で強引に車体を倒し、急停止する。
そのバイクは、Ninja_h2r
日本が誇る世界最速にして至高の名機。
慎一郎は、使える手は全て使うと決めた。
そう決めたからには手段を選ばない…
襲撃を受けたと同時に呼んでいたのだ。
己の知る限り、最強の2人を…
……………………………………………………………
天切の屋敷の真上に飛行船が到着すると同時、侍女からの報告、
「増援が上空に到達」
それを受けて、藤原は全ての執事と侍女に命令を下す、
「了解、状況開始」
飛行船からフェンリルの武装兵士が増援として降下してくる、
それを待ち受けるのは…
藤原の命令により、所定の位置である8塔の野外ライトの上まで移動した執事と侍女。
不安定なライトの上だが、その足場は藤原の能力で完璧に安定させてある。
それぞれの塔に3人ずつ計24名は全員、対戦車ライフルを手にし、増援の武装兵士に狙いをつけ、
ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドン
降下してくる武装兵士は、次々に肉塊になっていく、いくらフルアーマーを装備していても、戦車すら撃ち抜く大口径の弾丸の前には意味が無い。
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対戦車ライフルによる迎撃が始まる直前、藤原の声をインカムで聞きながら、
「そろそろ建て替えるって言ってたけど、流石にちょっと勿体ないわね」
楽羅はそう呟き、手に持つスイッチを押す。
ドッズズズンッ!!!!
天切の屋敷が爆発と同時に倒壊し、屋敷内を制圧途中だったフェンリルの部隊員は、全員がなす術無く数十トンの瓦礫に押し潰され、圧死した。
無論、天切側の執事や侍女は全員藤原の命令通りライトの上に居り、屋敷内にはフェンリルの部隊員しか居なかった。
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バイクから降りた将文と華澄だが、いきなり将文が華澄に抜き打ちで斬りつけた。
神速の抜刀を平然と避け、華澄は問う、
「なによ?正気?」
「お前こそ正気か!?
町中でNinjaのアクセルを全開にする奴があるか!!
いったい何度人を轢きそうになったと思ってやがる!?」
「平気だったでしょ?
それに全開まではしてないわ」
「喧しい!!
今度こそ討ち果たすぞ鬼姫が!」
「昔の事、まだ根に持ってるの?
あの時泣きべそかいたくせに…」
「黙れ!泣いてないだろ!!
その話を慎の前で言うな!」
夫婦喧嘩を始めた2人の側で屋敷が爆発倒壊し、あちこちから対戦車ライフルの轟音が鳴り響くが、全く意に介さない。
しかし、
「いい加減にしてくれ!」
慎一郎に言われて黙る2人…
「親父はこいつの相手を頼む、お袋は俺と楽羅の所に向かうぞ」
そう言って走り出す慎一郎、華澄は将文に対して舌を出しながらそれに続く…
フェンリルは、それを追うという気すら起きなかった。
自分が率いて来た部隊員は全員が瓦礫に押し潰され、増援の兵士達は降下してくる端から次々に肉塊となっていく…
だが、まだEシリーズがある、と思考を切り替え…
とにかく目の前の将文を殺そうとしてナイフを構え…
カッ…トス
ナイフの刃が、3cmだけを残して斬り落とされ、刃先が地面に刺さる。
華澄のせいでイライラしている将文は、
「まだ他に何かできるのか?」
ドスのきいた声でそう問うが、フェンリルはそれどころでは無い。
能力で強化しているナイフが一刀で斬られた。
あの天切の娘の能力でさえ無効化していたにも関わらず…
そしてフェンリルが動き出す刹那。
ズ…
神速にて振り下ろされた斬撃、
その袈裟斬りの一太刀で、フェンリルは絶命した。
慎一郎と楽羅の2人でも勝てなかったフェンリルを、唯の一太刀で斬り捨てる理不尽なまでの【強さ】
将文は…紛う事無き、
逆神【神に逆らうに値する強さを持つ者】
の当主。
「つまらん…慎に傷をつけていたから、どれ程の使い手かと期待したが…能力が強かっただけか?
体術では慎に及ばん未熟者」
苛立たしげに刀を収め、慎一郎と華澄の後を追って歩き出す。
……………………………………………………………
ギリシャの南沖にある島の地下施設では、メインスクリーンに映し出される画像に、7人が皆脂汗を流し、
「これはどういう事だ!!」
「フェンリルが殺されたというのか!?」
「トモヒデ!失敗だぞ!!どうするつもりだ!?」
次々に浴びせられる罵声に対し、トモヒデは笑みを崩さず答える。
「私は先ほど申し上げました。
間もなくケリがつく、と…
ご覧の通りケリはついたでしょう?
現場で命を懸ける部下よりも、己の損失を危惧する能無しのクズ共。
それでは…」
そう言いながら、トモヒデの顔は30過ぎの男の顔に変化し、体格も一回り大きくなって…
それの意味を7人は理解できないまま…
本来の顔と身体に戻った傭兵の男は、
一瞬で爆発する…
その威力は凄まじく、地下施設は全て爆発にのみ込まれ、島自体も2m沈下するほどだった。
………………………………………………………………
そもそも、智英は初めから慎一郎や楽羅、そして天切を裏切ってはいなかった。
軍港の件が終わり、それを智英が知った時点から全ての戦略は始まっていた。
その時、智英は、
「向こう3カ月の余暇がなくなってしまう」
そう言った。
そして、
軌【物事の筋道を】
創【創り出す】
智英【英智を持つ者】
その名を継ぐ当代として動いた…
まずはフェンリルにメールを送り、
自分の居場所、
慎一郎の情報、
全方位不可視迷彩装置、
傭兵のリスト、
その傭兵を雇う為の資金、
それら全てを提供し、フェンリルを自分の所まで誘き寄せる。
傭兵のリストを提供したのには、さらに理由がある。
自分の身代わりとなる、完璧に変装できる傭兵の男を自分の元に向かわせる事に対し、フェンリルに疑問を持たせない為。
たからこそ、数十人のリストと雇う為の資金を提供した。
そして、予定通り傭兵を確保した智英は、脳と脊髄にチップを埋め込み、常に変装の能力が解けないようにして、さらに自分の思い通りに操作できる身代わりを完成させた。
楽羅が能力で男の両足首を破壊していたが、それも地震が起きた日の朝に、校庭で楽羅が慎一郎に話していた骨折を5分で完治させる医療機器を使い、完治させる。
つまり、飛行船のタラップを登る智英の姿を慎一郎と楽羅が見た時には、それは既に身代わりだった。
そこからは、常にフェンリルと行動を共にし、敵組織の情報を把握する。
慎一郎が、智英は裏切っていないと気付いたのは、地震の日に不城と通話していた時だった。
そもそも、仮に智英が本当に裏切っていたとしたら、慎一郎が毒に倒れた時点で確実に殺されていたと思ったからだ。
何故なら、智英は慎一郎がどれほどの人間なのかを十分に知っている。
それなのに慎一郎を殺さなかったのは、裏切っていない何よりの証拠と言えた。
そう判断した慎一郎は、その日の内に智英の居る山にヘリで向かい、ログハウスの地下に隠れ潜んでいた智英と沙姫を連れ出し、そのまま天切の屋敷に連れ帰った。
そして信彦と藤原、楽羅の前で智英を一発殴りつけ、
「バカ野郎が!
事前に一言言いやがれ!
どれだけの人に迷惑を掛けたと思ってやがる!」
そう怒鳴った。
智英は皆に対し、深々と頭を下げ、
「慎一郎の言う通りです。
申し訳ありませんでした。
そのお詫びに、この屋敷に留まり、敵組織の情報を全て逐一お伝えします」
そう言って、フェンリルの側に付いている身代わりから得られる情報を天切に提供し続けた。
つまり、天切の屋敷を含めた世界中の襲撃は、それが実行される日時、動員数、作戦行動、戦術、装備…
その全てを天切側は把握していた。
それを元に、世界中の襲撃場所には天切の実戦部隊と、
不城【城が意味を成さぬ脅威】
の一族の人員を完璧に配置。
不城の一族を借り受けるのは、手段を選ばず確実に潰す為に慎一郎が提案した。
フェンリルが将文に斬り捨てられる頃には、全ての場所の敵兵士は排除し終えていた。
襲撃前に阻止しようとしなかったのは、フェンリル以外の組織のトップ7人を集める口実を作る為と、その7人を同時に消す為。
天切の屋敷内で執事や侍女が、実際に怪我をしてまで苦戦しているように見せたのは、フェンリルとその襲撃部隊に作戦予定通りに勝っていると思わせる為と、敵兵士を屋敷内に釘付けにし、一気に全滅させる為。
そうでなければ、能力が効かず、銃弾が役に立たない程度で…
天切【天を切り裂き高みを望む者】
に仕える者達が撤退するなど有り得ない。
一例を挙げれば…敵兵に能力が効かずとも、味方に能力を使えばいいだけ。
執事と侍女の全員を、藤原のプレートの能力で防御面を完全にカバーし、敵兵に肉迫して一人一人首を落とせばそれで済んだのだ。
【戦とは、それを始める時には既に勝っていなければならない】
それは、戦国より以前から続いてきた九重の一族同士にとっては、常識でしかない。
………………………………………………………………
天切の敷地内にあるヘリの格納庫。
その格納庫から高出力レーザーを引き出し、楽羅の能力で浮かせる。
上空から降下してくるEシリーズに向けて照準を合わせ、そしてその自作したレーザー兵器の発射スイッチを押す智英。
ビッ…
一瞬の光と音…
次の瞬間には、Eシリーズの機体が落下してきて地面に落ちる。
その機体の中央には、30cmほどの穴が貫通していた。
Eシリーズの産みの親である智英にとって、その機体を破壊するのは造作もなかった。
同じように更にもう1体…
残るは飛行船のみだが、既に手は打ってあった。
遥か高高度からミサイルが一直線に落下して来て、光の尾を引きながら飛行船に直撃する。
藤原の、状況開始という言葉と同時に智英が仕掛けたものだった。
飛行船の残骸が爆発炎上しながら落下してくるが、真下には楽羅と藤原が待ち構えており、
楽羅が飛行船の大きさを上回る極大の炎でその残骸を燃やし尽くし、落下してくる破片は藤原の広げた数千枚のプレートの能力によって完璧に防いだ。
以上でこの戦闘は完全勝利と成ったのだが…
燃え尽きていく飛行船の残骸を見ながら、華澄がガックリと肩を落とし、溜息と共に言う、
「なによ、私何もしてないのに…終わり?」
その華澄の言葉を受けて、横に居た慎一郎は、
「当たり前だろ、お袋が久しぶりにバイクを運転したいって言ったから2人共一緒に呼んだんだ。
親父から離したのは、単に喧嘩を止める為に決まってるだろ…」
「私があの敵の相手してもよかったじゃない」
「いや…勘弁してくれ…不城のおっちゃんと約束したんだよ。
お袋を暴れさせるなって…
それに、バイクで何度も人を轢きそうになったんだろ?
親父の言い分が正しいぞ。
少しは反省した方が良い」




