過ぎし日の約束
米軍基地から帰った夜。
楽羅はまず慎一郎を家まで送り届けた後、父である信彦に対し、
「慎一郎君を私の生涯の主として、天切の家に迎え入れたいの」
はっきりとそう言って、自分の想いを打ち明けた。
それを聞いた信彦はしばらく目を丸くしていたが、やがて嬉しそうに顔をほころばせた。
信彦が目を丸くした本当の理由を、楽羅は知らない。
信彦が驚いた理由は、楽羅が大好きだった侍女、麻倉末代との会話を思い出したからだ。
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末代が死ぬ半年前、末代は信彦の執務室にて、
「旦那様、御嬢様の事で1つ進言がございます」
「珍しいな、お前が楽羅の事で俺に裁量を乞うのは…よほどの事でない限り楽羅の教育はお前に一任してある」
「承知いたしております。ですが、今から申し上げる事につきましては、わたくしの一存では分を超えておりますので。
単刀直入に申し上げますが、御嬢様はその心が優しすぎます。それ自体につきましては、普段であればこれ以上ないほどの人格者としての才能かと…ですが有事の際にはこれ以上ないほど邪魔な感情です。
その優しすぎるという感情を抑えるだけの強さを、身につけて頂かなくてはなりません」
「ふむ、その事に関して異論はない…で、どうする?」
「わたくしの命を、御嬢様の強さの糧として頂きます。これから先万が一、御嬢様の身に危険が及ぶ可能性があった場合、御嬢様の手で障害となる者を排除して頂くように、わたくしがその状況を利用し、わたくしの命を引き金として使います。
わたくしが死ぬ事に関してはわたくしの一存ですが、御嬢様にとって危険な状況となる事は確実です。
ですからその時には…」
「分かった…楽羅が引き金を引く、引かないに限らず、楽羅には怪我1つさせん。
しかし、お前は引くと確信しているのだろう?
なればこそこの提案をしてきたのだろう?
…そこまで楽羅の事を信頼し、文字通り命を掛けるというお前に対し、俺からも提案がある。
何か、望む事はないか?そこまでの覚悟を示されては、父親である俺としては何もしないという訳にもな…」
「わたくしには身寄りもございませんので、これと言って望む事は……あ、いえ、それでは1つだけお願いがございます。
御嬢様の御相手となる殿方は、御嬢様の想い人にして頂きとうございます」
「ほう、それが望みか…しかしな、そればかりはその男の本質を見極めてからでなければならん。
今のところ、俺の中ではそれに値するのは1人だけだ」
その信彦の言葉に対して、末代は晴れ渡る空のような笑顔で断言する。
「それならば何の問題もございません、旦那様が考えておられる御方こそ、御嬢様の想い人です。
なにせもう4年以上もその殿方の為に、想いを馳せておいでです。
そこまで御嬢様の心を離さない御方が、惰弱なさるはずがございません」
その会話は、楽羅には一度も話した事はない。
そしてこれからも話す事はない…話さない事が、麻倉末代との約束だからだ。
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信彦は楽羅の頭に優しく手を乗せて、
「分かった…お前は昔から我儘を言わなかった。
むしろ、俺の仕事のせいで寂しい思いばかりさせてきたのに、それを我慢してくれた。
だがその代わり、一度こうと決めたのなら何があっても曲げようとはしなかった。
そのお前が決めた事だ、何も口出しはしない。
何より、相手があの慎一郎君ならば俺としても嬉しいかぎりだ」
その信彦の言葉に、楽羅は思わず信彦に抱き着いた。
「ありがとう!お父様!」
「実を言うとな、慎一郎君がオオカミからお前を守ってくれた時から、お前の相手は彼だと決めていた。
そして、お前達の約束を叶えてやりたくて、将文殿をこの街に招いたんだ」
そこで、信彦はちょっと意地の悪い顔をして、
「だがな、慎一郎君本人の意思をきちんと尊重するんだぞ?」
それに対して楽羅は、慎一郎の意思を尊重していない事をしでかしている自分の事を自覚し、サッと顔をそらして、
「分かってるわ…必ず慎に私を好きにさせてみせるから…」
と、ゴニョゴニョ口ごもっていた。




