幼き日の記憶…2
「オオカミ?あれが?」
私が聞き返した時には、オオカミがこっちに向かって走り出した。
「早くにげるわよ!」
とっさに私は走り出そうとするが、
「ダメだ!走ってもあいつらには敵わない!」
男の子に肩をつかまれて止められ、
「左にある木に登って!あいつらは木の高い所には登れないんだ!早く!」
そう言いながら、すぐそばにあった木に私を押し上げて登らせ、男の子も登ろうとした。
が、その時にはもう最初の1頭が男の子に飛びかかってくる。
私は思わず、小さな氷の塊を作り出してそのオオカミの頭に当てた。
ギャウン、と唸ってさっと飛び下がったオオカミを見て、男の子は私を見もせずに怒鳴った。
「だめだ!やっつけるぐらい大きなのじゃないと、怒らせるだけだ!」
(せっかく助けてあげたのに!そんな大きな塊なんてまだ私には…)
「じゃあどうするのよっ!」
私は頭にきて怒鳴るが、男の子はもう怒鳴らなかった。
代わりに一言、
「俺が、やっつける」
そう言って木に登るのを止め、オオカミ達の方に向き直った。
「だめよバカ!食べられちゃうじゃない!」
私は必死になって、止めようと木を降りようとするが、
「俺がいいって言うまで、絶対に降りてきちゃダメだからな!」
男の子に強く言われて、動けなくなる。
そしてそこからは、ただ見ている事しかできなかった。
男の子が一番近くにいたオオカミに向かって駆けていく…オオカミはそれを待ち構えていたように、男の子に飛びかかった。
オオカミの牙が自分の体に届く前に、男の子はわざと腕をかざし、その腕を噛みつかせる。
そのまま体ごとオオカミに抱きついて、空いている方の手でオオカミの片目を潰した。
1頭目が飛び下がると、すぐに2頭目が男の子の後ろから足に噛みつき、そのまま一緒に雪の中を転がった。
男の子は転がりながらも、必死に手と体を動かして、オオカミの尻尾を両手で握ると思いっ切り引っ張った。その痛みに耐えきれず、オオカミが足から牙を離すと、その隙に男の子は後ろからオオカミの首に抱きついて、そのオオカミの目も潰す。
どうにか起き上がった男の子の背中目がけて、最後の1頭が前足で飛びかかった。
上着を大きく破かれながら男の子が倒される。
男の子が立ち上がる前に、オオカミはさらに右腕に噛みつく。
その牙をすぐに離して足を噛み、同じようにすぐ離して左手に噛みつき、今度は離す事なくそのまま頭を大きく振って、男の子を投げ飛ばした。
それでも男の子は、震える足で立ち上がろうとする。
しかし、もう足に力が入らないのか、上手く立てないでいる。それを見たオオカミは、止めをさすつもりなのか、近づいていく。
「うおああああああああぁっ!」
いきなり男の子は力の限りの大声を上げ、それを勢いにして立ち上がった。
その声に、オオカミが弾かれたように動き、牙を立てようと飛びかかった。
しかし、男の子はそのオオカミの鼻先を真正面から拳で打ち据えた。
オオカミはギャンと鳴きながら転がり、そのまま林の奥に駆けていく。
先に目を潰された2頭も、後を追って林の奥に見えなくなった。
男の子はオオカミが見えなくなってから、震える足で私のいる木の方に向かって歩いて来る。
私は手を木から離して飛び降り、男の子に駆け寄って怒鳴った。
「どうしてあんなことしたのよっ!」
「ぜっ、ぜっ、木に、登って…これなくても、はぁっ、はぁ、ずっと、木の下で…まちぶせ、はぁ、…食べられちゃう…ぜっ、はぁ…だから…」
男の子は苦しそうに息をつきながら、どうにかしゃべっている。体のあちこちから血を流し、痛みに顔を歪ませて…
それでも、どうしてか泣いてはいなかった。
「血っ…こんないっぱい出たら、死んじゃうんだから!」
「はぁ、はっ…だいじょうぶ…」
そう言って、男の子はどうにか笑おうとするが、ゆっくりと倒れていって、私はすぐに支えようとしたけれど、支えきれずに一緒に倒れてしまう。
「さきに…かえって、はっ…お父さんを…はっ…」
「ダメッ!絶対離れない!」
男の子の血が止まらない…特に左手がひどかった。
私はその時、もし男の子から離れてしまったら、もう二度と会えない気がして、その体にしがみついたまま、離れる事ができなかった。
「…わかった…はっ…はっ…なら、なまえ…はっ…はっ…なんて、いうの…?」
力の無い声でそう言われて、初めて気がついた。
私達はまだ、お互いの名前さえ知らなかったのだと、
「私は、カグラ、っていうの。覚えておきなさいよ…あなたは?」
「カグラ…かっこいい…なまえ……おれは、シン…シンて、いうんだ…」
シンの声が、だんだん小さくなる。
「シン、ね。シンはどうして逃げなかったの?」
逆に、私の声はどんどん大きくなっていく…
シンにちゃんと聞こえるように、力強く…
「…おれが、にげたら…カグラ……たべられ、ちゃうから…」
「でも、シンがこんな怪我しなくたっていいじゃない!」
「…カグラは、…おんなのこ、…だから…じいちゃん、が…まもら、なく…ちゃっ…て…」
シンはそう言って、どうにか笑う…
でも、笑ってるのにシンの体の震えが止まらない…
私はどうしたらいいのか分からなくて、ただ、涙が出てきて、どうしようもなくて…
そしたら、声が耳に届いた。
「楽羅ぁーっ!」
私は弾かれたように立ち上がって、目をこすって夢中で叫んでいた。
「御父様っ!シンを助けてっ!はやく!」




