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不道徳教育のすゝめ  作者: 山内
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人的ミニマリズムのすゝめ

 私は俗に言うミニマリストであります。昨今におけるミニマリズムの定義は実にあやふやでありまして、読者諸賢の想像するミニマリストと、私が自称しているミニマリストとは大きな相違があるかと思われます。無駄な物を排した生活を送り、現代の資本主義をなんとなく批判し、物質的な充足感から解放されるため最小限の物以外を捨ててしまう。私はそういったありきたりで殊勝なミニマリストとは一線を画しております。私が実践している、或いはせざるおえないミニマリズムとは、金銭的に余裕がないから浪費は出来ず、貧乏が故の資本家への嫌悪感を露骨に表し、物質的にマウントを取れないからこその逆張り、ミニマリストに託けて格好を付けているのであります。


 とどのつまり、私はミニマリストにならざるを得ない状況なのです。


 お金がないから無駄な物は買わないし、お金がないから資本家を批判し、お金がないから無駄遣いをしている人を馬鹿にする。派手な生活をする人間を貶し、質素な自分を肯定する。なんとも余裕のないミニマリストでありましょう。我ながら実に小さい人間です。しかし、私はこんな自分を憎からず思っております。何故なら、私のような貧乏人が高額所得者になった所で、頭の悪そうなYouTuberが如く、品のない浪費しか出来ないと自負しているからであります。私のように根幹が下品な人間は、金銭を稼ぐようになると嫌味な人間になり、成金と馬鹿が丸出しになるのでありましょう。


 もしも私に金銭的な余裕があれば、無駄な物を集める事に躍起になっていること請け合いです。下らない物を集めて満足し、自分の幸福を可視化させるのです。持つ者と持たざる者の境界線を明確にして、貧相を質素と勘違いしたミニマリストを嘲笑うのでしょう。


 私は無駄を排したミニマリストを興じているのではなく、無駄な贅沢を出来ない貧乏人に甘んじているのであります。貧乏な自分をミニマリストと形容しているだけなのです。


 無駄は心と生活を豊かにすると愚考いたします。

 物を持てる人間が、物を持ってない人間を演じるのは、幸せな人間が不幸を語るのと同様で、不快に思われても致し方ありません。



 いささか長すぎる前置きはさておき、そろそろ本題に入らせて頂きたく思います。今回、私がすゝめたいものは「人的ミニマリズム」で御座いまして、物質的なミニマリズムとは全くもって別物であります。件の人的ミニマリズムという言葉が、読者諸賢の皆々様にとって聞き慣れない言葉であるのも無理からぬ話でありまして、これは私が作った造語なのです。


 要するに、人間関係こそミニマルであるべきだと私は唱えたい。

 物質的なミニマルは経済的な成長を妨げると愚考いたしますが、人間関係をミニマルにする事は、個人の成長とトラブルの回避に役立つのかと思われます。現代の馴れ合い文化から脱却し、個人で生きていかなければなりません。


 アドラー心理学でいう所の「全ての悩みは対人関係である」という学説に因んで唱えているのではない、と先に断言させて頂きたく存じます。私には嫌われる勇気もなければ、好かれる勇気もない、そもそも勇ましい気持ちなんて全く持ち合わせておりません。


 人間関係こそ断捨離すべきであります。

 捨てて捨てて、選んで選んで、リセットリセット。


 人的ミニマリズムを実践し、人的ミニマリストになれば、ぼっち等という差別表現もなくなります。確かに一部の輩からは友達の居ない同情すべき人間だと勘違いされる事もありましょうが、人的ミニマリストは崇高されるべき存在であって、ぞんざいに扱われるべき対象では御座いません。私からすればその勘違いこそが、友愛という名の不自由に縛られた愚かで退屈な人間の証明であります。


 ありふれて溢れた交友関係を切ってからこそ、初めて本当に大切な人間を見極める事ができると愚考いたします。多岐に渡る人間関係は不純を生み、不特定多数への不純は矛盾を育み、最終的には自分が孤独だと認められない化け物が誕生するのであります。


 孤独な自分を肯定してこそ、この碌でもない世界を生き抜いていけます。読者諸賢の皆々様も薄々感じているで御座いましょうが、私達は皆が孤独なのであります。孤独な自分を受け入れる事が出来れば、きっと今よりもタフな人間になれましょう。孤独な自分を肯定出来ずにネットに入り浸るなんて以ての外であります。


 人的ミニマリストの先駆者である私が、この場で学説を記載させて頂きますと、気軽に読める活字の量では御座いません。大変心苦しくはありますが、人的ミニマリズムにつきましては、改めて論文を提出させて頂きたく存じます。断じて書くのが面倒になったからでは御座いません。私の論文という名の怪文書を読んでみたいという、既に手遅れでありましょう人的ミニマリスト諸氏は、個別で連絡をして頂きたく存じます。


 きっと、私達は仲良くやっていけるでしょう。


 私に連絡を下さった貴方様が、孤立奮闘できないと仰るのであれば、私が友達になってさしあげるのも吝かではありません。

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