悪口のすゝめ
以前、私の知人が「人の悪口を言う奴はクズだ」と言っておりました。しかし、この知人は悪口を言う人間に対して悪口を言っております。そして今回、私はこの友人に対して悪口を言おうと思います。
†
悪口を言ってはいけない等と道徳を垂れる、教師、親、友人、それらの皆が何処かで誰かの悪口を言っておりますし、また何処かの誰かから悪口を言われております。悪口を一切言わない気色の悪い人間になど成ってはいけません。
いくら綺麗事を言おうと、世の中は汚い事で溢れております。自分が悪口を言わないからといって、他人から悪口を言われない訳では御座いません。ストレス社会の現代日本において、他者への悪口は良きストレス発散法でありますが、所構わず何に対しても悪口を言って良いという訳ではなく、悪口を言う際には気を付ける事が三つほど御座います。
一つ目は上から下に噛みつかない事です。上の人間が下の人間へ悪口を言うさまは、本当のクズとしか表現出来ないないからであります。金持ちが貧乏人に「この貧乏人め」等と言ったり、高学歴が低学歴に「この馬鹿め」等と悪口を言う場合がありますが、これは全く持って不快なだけです。並み以上の人間が、並み以下の人間を貶める行為は下劣としか言えませぬ。持っている者が持っていない者へ悪態をつくのは、俗に言うイジメとなんら変わらないのであります。悪口は社会的弱者の武器であって、強者が弱者に使う拷問道具では御座いません。
下から上に噛みつき、舌で飢えを満たす事こそ悪口の醍醐味であります。
是れ即ち社会の最底辺に属する私に向かって悪口を言う人間は、本当のクズでありましょう。
二つ目は抽象的な悪口は言わない事です。例えば「あいつは金髪だから淫乱に違いない」だとか、「あいつは顔が不細工だから童貞に違いない」等と言った、憶測で他者を貶める行為は、いささか抽象的すぎて中傷的すぎます。これは悪口というよりは差別や偏見、もしくは嘘吐きと形容する方が正しいでしょう。
確証を得た客観的事実に悪意を持たせる事こそ悪口の醍醐味であります。
是れ即ち私の事を何も知らない癖に、私の悪口を言う人間はクズです。
三つ目は私の悪口を言わない事です。私の悪口を言う人間はクズです。とんでもないクズです。最低です。本当に最低であります。例外は御座いません。私の悪口を言った時点で下劣な人間です。
是れ即ち人の悪口を言う奴がクズなのではなくて、私の悪口を言う奴がクズなのであります。
†
以前、私の知人が「人の悪口を言う奴はクズだ」と言っておりました。その知人こそがクズです。何故なら、その知人は私の事をクズだと言ったのですから。私の悪口を言っている奴こそがクズであります。
読者諸賢の皆々様も悪口を言えば良いのです。傷付けられる位なら傷を付けてやればいいし、泣くくらいならば泣かせてやれば良いのです。こうやって生きていかなければ、この碌でも無い世界ではやっていけません。
そして最後に、私の悪口は決して口にしてはいけません。
そう、決して私の悪口だけは言わないで頂きたい。