他責思考の行く末のすゝめ
私は全く悪くない。
私は全く間違っていない。
これは全てに於いてだ。
しかし世の中には悪が必要であり、悪があるからこそ善や正義が存在するのでありましょう。私が善や正義に当て嵌まるのは疑いようもなく当然であると仮定して、一体全体、誰が悪なのかと申しますと、それは皆々様の方々で御座います。これ則ち、わたくし以外の全員が悪であり、わたくし以外の全員は万事に於いて間違っておられるので御座います。
自責の念に苛まれるという言葉が御座いますが、そういった殊勝な事が出来る大人というのは、なかなか目に掛かる事は御座いません。世の中に蔓延る大半の人間は、自責もしなければ虐まれる事もなく、出来るのは中途半端な自己嫌悪に陥る事くらいで、多少の後悔はするものの反省など以ての他で御座いましょう。斯くいう、それが悪い事だとは全くもって思いません。
皆々様は全く悪くないのです。
皆々様は全く間違っておりません。
これは全てに於いてであります。
なぜなら、悪くて間違っているのは私の方で御座います。
互いに互いを悪と決めつけて、嫌悪し合う事が出来れば、世界から正しさが失われていき、本当の意味で善悪がなくなる日が来るので御座いましょう。それが昨今の流行であり、世界が躍起になって目指している人類の到達点なのです。先に待ち受ける未来は、何もかもが正しくて全てが肯定されるようになり得ますが、その根幹を担うのは自分以外が悪なのではないかという疑念で御座いましょう。全ての悪が消える事によって、全ての善も消失する。捉え方によっては、全ての事象が善なのかもしれませんが、その実は自分以外の全てが悪という醜い思想なのかもしれません。
我々は幼少の頃から、正解と最適解を選ぶように教育されてきました。しかし、正解を導き出すからこそ不正解が生まれるのであって、我々は一生を掛けて多くの不正解を作ってきたのです。マイノリティーを切り捨てる時代は終わり、マジョリティーを無理やり迎合させるのが正解の時代です。
世界が目指す未来、そこでは全てが善であり全てが悪であるという、この世を体現した矛盾を抱えた思想が出来上がりましょう。だからこそ再び「神」という絶対者の存在が必要になるのです。発展し過ぎた現代だからこそ、神は必要不可欠であると愚考いたします。
神でもない私達に出来る事は、可愛過ぎる自分と、誰よりも愛おしい己を守る事だけで、自己解釈に基づく自己弁護だけなのです。責めるべきは自分ではなく、反省するべきなのは相手の方である。正義だとか悪だとか、存在すらも怪しい抽象的概念を追い求めるのではなく、己が行った全ての言動を肯定するべく、自分とは違う人間を否定し、全ての事象を他人のせいにすれば良いのです。
しかし人間は群れる生き物だそうで、本能的に孤独や孤立を拒絶するものでして、所詮は社会的な畜生なので御座います。いくら周りの人間が間違っていようとも、結局は味方を探して徒党を作り、世間に対して自分が間違っていない事を証明するのに必死になるのです。それでも根幹として自分以外は間違っているので、みんなおかしい、自分だけがこの世の善であり、正しいのは己だけであるという結論になるのでありましょう。
群れ、決別し、結成し、決裂する。
それを繰り返す不毛なサイクルは、何も政治や社会だけでは御座いません。
先ほど、私は神という絶対者が必要だと述べましたが、現代の日本には八百万の神が誕生しているのです。確立した我と絶対的な個が、あらゆる場所で生まれて仕上がりつつあります。それらは神と形容しても差し支えない程までに肥大した自尊心を持ち、代わりに羞恥心や謙虚さを失っております。今では全員が神なのです。日本人口、総柱である。
貴方様は神様ですか?
最後に、かの有名な詩想家である、山内ほへと氏の詩を引用させて頂きます。
【他責の念に苛まれる】
顔がブスなの遺伝のせい
頭が悪いの先生のせい
恋人できないの異性のせい
性格悪いのネットのせい
お金がないの政治のせい
幸せじゃないの国のせい
せいぜい全てが周りのせい
せいせいするほど他人のせい
それら全てが親のせい
全ての不幸は親のせい
私を産んだ親のせい
勝手に産んだ親のせい
親を産んだ親のせい
その親を産んだ親のせい
現生人類がアフリカから旅をしたせい
深海にいた単細胞のアメーバが進化したせい
地球と言う星に水があったせい
ビッグバンが起きたせい




