エロティシズム探求のすゝめ
エロとは背徳である。
性的興奮を覚える要素は年齢と共に変化していくものでございますが、そこに一貫した何かがあるのだとすれば、それは背徳的感情が起因しているのではないかと愚考致します。人間は背徳感にこそ性的興奮を覚えるのではないかと思い至り、今回はその考えを纏める為に筆を取った次第で御座います。我々が抱く性的興奮要素の根幹を知る事は、高度な頭脳を持つ人間という生き物の真意を知る事に繋がると、その事実に気付いてしまっては、読者諸兄の皆々様とて、居ても勃っても居られないのでは御座いませんか?
エロとは背徳であるという結果の経緯を、私(令和七年九月現在二十二歳男性、経験人数四桁飛前半、視覚的優位性保持者、圧倒的強者男性、頭脳明晰高学歴、高収入高身長、文武両道十一段)なりに考えを纏め、極めて個人的な見解を述べさせて頂きます。
―――はじめに―――
今回は学術的に性的な事象の話をさせて頂きますが、そういった文章に嫌悪感を抱く人間が一定数いらっしゃるのは承知しております。これを読んでいる貴方様が当てはまるのであれば、ここで読むのをやめて頂きたく思います。ここから先は私が何を書いていようとも、そんな駄文を読んだ貴方様の自己責任である事を忘るるなかれ。自ら汚れた所に踏み込んで、汚れたと文句を言うのはご遠慮頂きたく思います。決して私に文句を言わないで頂きたい。ここは不道徳を学ぶ場で御座います。
学術的に性的な話をする事に対してまでも、嫌悪感を抱いてしまう心の綺麗な方々は、ペニスは勃つしヴァギナは濡れるという、基本的には当たり前の摂理に対しても、過度なタブーを課せて背徳感を抱こうとする、前記した結果に基づく私の考え得る最もエロい人種で御座います。言い換えるならば、今回の話を読もうと思う読者諸賢の皆々様は、そこまでの変態という訳ではなく、あくまでも知的好奇心で揺れ動かされている、正常な嗜好の持ち主であるかと思われますので、どうか安心して頂きたい。ここまで読めた方は変態ではなく、ここまですら読めなかった方が変態である。そして、これを書いている私は決して変態では無い事を念頭に置いて頂きたい。
―――本編―――
性的な感心を抱く年頃は様々ではあるかと思われますが、そのゲートウェイとなる、ある種の起爆剤のような物は、男性諸兄の皆々様であれば共通しているのではないかと思われます。その起爆剤となり得るのは、概ね大きな胸だとか綺麗な御居処でありましょう。女性しか持ち合わせていない、芸術的な丸みや曲線、有り体に言えば乳と尻に魅了され、思春期の大半をその妄想に浪費した男性諸兄は多いかと思われます。
しかし、歳を重ねると共に乳と尻へ情熱的なまでの関心は薄れ、中年男性の大半は無理矢理奮い立たせていること請け合いでありましょう。多種多様な乳と尻に触れてきたせいで、それが大きかろうと小さかろうと、対して心は揺れ動かなくなってしまったという得意げな悩みは、決して特異な事では御座いません。どうして思春期の時のような、あの下半身を激しく熱くさせる感動を味わえないのかと、読者諸兄の皆々様も一度は考えた事があるのではないでしょうか?
経験が豊富になったから?
慣れてしまったから?
歳をとったから?
それらの答えは全て正しいのでありましょうが、ここからもう少し踏み込んで考えて頂きたい。どうして経験を積めばエロさを感じないのか、どうして「慣れ」が「萎え」を引き起こすのか、どうして歳を取ると女体への関心が薄れるのか、それらを突き詰めて突き詰めて、私なりに考えた結果こそが、最初に明記した答えで御座います。
エロとは背徳である。
思春期の頃は女性に触れるという事でさえタブー視されており、胸を揉むなんて行為は禁忌に近く、性行為などという想像もつかない、ある種のグロテスクな行動は、まさに背徳的感情を刺激する要素でしかないのであります。私達はその背徳的な行為に興奮を覚えて熱中していたのではないのでは無いでしょうか?
今となっては性行為が当たり前になり、あれだけ手が届かなかった事象に対して、少しでも慣れて仕舞えば、躊躇なく触れて弄り倒す。それでは背徳感を味わう事が出来ないので御座います。胸なんてものは柔らかいだけの脂肪と変わりない体の一部であり、尻なんて汚くて臭いだけである。トイレットペーパーがへばり付いている箇所に至っては、言うまでもなく言うまでもない。背徳的な要素は皆無で御座います。みんな性行為をしているし、みんな似たような動きをしている。そう考えて仕舞えば、エロくないのも当然でありましょう。例えるならば、毎日食べるご飯のようなもので御座いまして、豪華だったり貧相だったりの違いはあれど、腹さへ膨れて仕舞えば感動なんて生まれやしない。大半の男性諸兄は、毎日食べる飯に興奮するような変態ではないので御座います。もう多種多様な飯を食べ尽くした。腹さえ膨れれば何でもいいし、最近は腹すらも空かなくなってきて、飢えを感じるような機会も少ない訳で御座います。綺麗なものを汚したり、汚いものを貪ったり、酸いも甘いも、苦いも辛いも塩っぱいも、吸って食して飲み込んでしまえは、咀嚼という行為に飽きてしまうものでありましょう。可視化できる人間味には飽きがくるが、精神的な人間味が顕著に現れる行為は奥が深い。性的関心の行き着く先は、背徳的事象ではないかと愚行致します。
背徳的性関心というのも、なかなか具体的に書くのは憚られるような内容で御座いますが、明記しない事には話が進まないので、まずは背徳的な性行為の中でも、大半の人間が経験した事のある、不倫という刑法で裁けない悪事について書かせて頂きます。
どうして不倫が興奮するのか、それは背徳的付加価値が加わっているからであります。以上。
不倫に付いての詳細を書こうかと思いましたが、流石の私も良心という存在が不確かなものが、呵責という絶対に起こり得ない現象に、苛まれるような気がしたので、とりあえず差し控えさせて頂きます。正直に申しますと、不倫について書く事によって、私がそういった人間だと勘違いされるのを恐れたからで御座います。不倫は最低であります。不倫をエロいと感じるのは異常者だ。それが、人間の根幹をな……
やはり、ここで書ける事例が余りにも少な過ぎるのが問題で御座います。男性諸兄の皆々様は、確実に裁かれてしまうような背徳的性衝動に興じておられる方々も多いかと思われますが、さすがの私もここではそういった事象については書くつもりは御座いません。極めて個人的な背徳エロティシズムとして、誰にも迷惑を掛けぬよう嗜んで頂きたい。
―――追記―――
私は行くところまで逝ってしまった。様々な女性との経験を経た結果、私がいま一番興奮するのは同性と致す事である。誰かから見られるかもしれない野外で、会ったばかりの名前も知らない男、それも複数名と行う性行為は、背徳的要素を多分に含んだ行いであり、他所様に顔向けできない所業でありましょう。しかし、それがエロい。
※今回の話「も」全てジョークです。本当の私は決して興奮したりしませんし、そもそも性欲という情けない感情が欠如した、冷静チン着な紳士であり、勃起なんていうダサい生理現象を起こした事は御座いません。というより、ちんこないです。マジのガチ、ガチのマジ!!




