人間味のすゝめ
先日、私は知り合いから「お前には人間味がない」とご指摘を頂きました。もし仮に私が人間味のない人間だと仮定して、件の知り合いを人間味のある人間だと仮定するのならば、私は人間に対して人間味がない等と、心無い言葉に心を込めて言うような人間味のある人間にはなりたいとは思いません。
世の中には抽象的な共通認識が溢れておりまして、むしろ世にある共通認識とやらは全て具体性を欠いている気も致しますが、そういった詭弁の類を弄した所で皆様の貴重な時間を浪費させる訳にもいきませんので、今回は抽象的な共通認識の中でも「人間味」と言う言葉に着目して文章を綴らせて頂きます。
人間味という言葉の意味をインターネットで検索した所、下記のような文言が記載されております。
人間らしい温かみ。
人間としての豊かな情緒。
人間らしい思いやり。
人間らしい優しさ。
人間本来の持ち味。
要するに人間味とは性善説に則って考えられた概念であり、大前提として人間の一部分を表現している言葉で御座います。人間味という言葉は人間を人間たらしめる所以であるかのような過剰表現であり、不道徳的観点から言わせて頂くと、人間味は人間の根幹が善なのだと言う概念を植え付ける為の言葉に聞こえてなりません。人間味があると言われれば大概は褒め言葉として捉えられるのが、その最たる例で御座います。
人間は人間味という言葉で表現できるほど単純ではなく、カニバリズム以外では人間味という言葉を出さないで頂きたい。人間味という言葉を本物の生きた人間に当てはめるのが間違いでありましょう。人間を抽象的な概念に当てはめては、それにはまらない人間が生き辛くなってしまうこと請け合いであります。
人間味という概念は創作物が作り出した、偽物の人間を表現する時に使う言葉で御座いまして、実際の現実世界に生きる私に当てはめないで頂きたい。愛する人が死んで三日三晩泣き続けるだとか、親を馬鹿にされて激昂するだとか、何かしらの為に命をかけるだとか、如何にも人間味が溢れる場面でありますが、そういった安直な発想は物語のキャラクターが抱く短絡的な感情や行動で御座います。本物の人間は機械的で御座いまして、誰かが死んでも涙は枯れますし、親を馬鹿にされても笑ってやり過ごしたり、何かしらの為に命を掛けるつもりでも、死に直面すると逃げたりするものです。こういった事象を一般的には人間臭さとも形容しますが、それに対しても噛みついていては、顎と話が外れてしまいそうなので、今回は割愛させて頂きますので悪しからず。
兎にも角にも、性善説に則った人間味を強要されるのに癖壁とした私は、性悪説に則った人間味というものを思い付き、それを件の知り合いに実行した次第で御座います。
この話で私が読者諸賢の皆々様に伝えたいのは、人間に対して人間味が無い等と言ってはいけないという事で御座います。そして、人間が持っている本来の人間味というものを理解して頂きたく思います。感情的になるのが人間味ではなく、頭を使って思考するのが人間味というものかと愚考します。そして、人間は恐ろしいほどに機械的なのであります。それだけでなく、人間という生き物が幾ら賢くとも、時として野性味の溢れる獣になるのです。読者諸賢の皆々様も気を付けて頂きたい。
私は本当の意味で人間味を知っています。
人間臭さというのも知っているのです。
殺風景な話ではなく知っているのです。
味ですか?
実に不味い事になりましたよ……
臭いですか?
実にきな臭くなってまいりましたね……




