第12話 早くどいて
鶴見さんは俺の事情を理解し、補講に関しても一定の理解は示してくれたように見える。
無理を言って俺が同席した甲斐があったというものだ。
あとは鶴見さんがどう判断するか、だけど……。
「富士くんの補講に関してはわかった。でも、映見。なぜ、その話を僕にしてくれなかったんだい? ちゃんと説明してくれれば僕だってこんな思いをしなくて済んだのに」
鶴見さんが藁科先生の方を向いて詰問する。
たしかに、いま考えると藁科先生が取ったのは完全な悪手だった。
まさか俺のことが枳高校だけでなく刻文院にまで伝わっているとは思わなかったが、俺のために補講をしているとちゃんと伝えてさえいれば、俺のことを噂で聞いていた鶴見さんなら俺の補講を許可してくれる可能性があったのかもしれない。
それを、藁科先生が鶴見さんへの説明を避けてしまったために、
「関係が補講だけではないから言いたくなかったのではないか」
と疑われる結果になってしまった。
正直、俺は補講の件に関しては彼氏へ内緒にせずに伝えておいてほしかった。
もし彼氏に知られて正にこのような状況になったとき、俺にも多摩先生にも、藁科先生へ責任が取れないと思ったからだ。
伝えて許可が取れれば万々歳だし、彼氏から許可が下りなかったとしても、それは仕方がないと諦めるつもりだった。
もともと独学でなんとかしようと思っていたのだし。
なぜ藁科先生が彼氏である鶴見さんに、多摩先生とのアリバイまで工作して黙っていたのか。
そこは俺にも理由がわからないままだったが……。
「だ、だって本当に私と富士くんには何もなくて補講をしているだけだったから、わざわざ伝える必要もないかと思って……」
「それにしても彼の部屋で勉強というのは理解できないな。学校側はもちろん、もし他の生徒や父兄にバレたとき、説明が面倒なことになるのは想像がついただろう? わざわざ多摩さんと口裏を合わせてまで隠す必要もないと思うしね」
鶴見さんは組んだ両手をテーブルの上にのせ藁科先生に語りかける。
それは恋人同士のケンカというより、どことなく父から娘へのお説教の雰囲気があった。
「例えば、富士くんがわからないところを週に何回か学校で聞くといった具合に、穏便に済ませる方法もあっただろう? 君がそれを思いつかない人とは思えないんだが」
ああ、もう、なんか俺のためにすいません。
藁科先生、もう俺の補講は気にしなくていいので、ここは鶴見さんに謝って仲直りしてください。
そう、俺が思っていたところで、
「……もういいです」
藁科先生が静かに言った。
……おっとぉ。
この気配はヤバい。
切羽詰まった女性の逆ギレの臭いがする。
たしか、狩野くるみがクズ課長に対して急にキレだしたときもこんな雰囲気だった。
「信じてもらえないならいいです。もう別れます」
ほら、出た。
とんでもないこと言い始めたよ、この人。
「映見、何を言ってるんだい? ここにいる彼とは何もなかったということは十分わかった。なぜ補講のことを教えてくれなかったんだと聞いてるんだ。別れる、別れないの話じゃないんだよ?」
鶴見さんの言葉にも、
「いいんです。もう」
と、藁科先生はとりつく島もない。
どうしよう。
なんでそんなに頑ななのかはわからないけど、とりあえず俺も仲裁に入らないと。
「あの、藁科先生……鶴見さんは別に先生を攻めてるワケじゃないのでは……」
「帰ります」
俺と鶴見さんの言葉が聞こえないかのように、藁科先生は席を立ち上がった。
「富士くん、退いて」
シートの奥に座っていた藁科先生が、通路側の俺に言う。
「ま、待ってください。落ち着いて彼氏の話を聞いてあげてください」
「聞きたくないし、もう彼氏じゃない。早くどいて」
聞く耳を持たない。
先生に言われるままに俺が退いてしまえば、藁科先生は本当に帰ってしまう。
俺は席を立てずにいた。
一体どうしたんだ、藁科先生。
俺の部屋では、鶴見さんとの関係がダメになるかもしれない恐怖で手が震えていたはずなのに……。
「早く!」
何度目かの藁科先生の強い言葉を聞いて、
「富士くん。席を開けてやってくれないか」
鶴見さんが諦めたように言った。
「いや、でも……」
「今はこれ以上、僕とは話をしたくないんだろう。一度、間を開けた方がいいと思う。僕も、このままだとまた厳しい口調になってしまうかもしれないしね」
彼氏である鶴見さんにそう言われたら俺は何も言えない。
俺は席をずれて藁科先生を通した。
藁科先生は席を立ち出口に向かう。
去り際に、
「富士くん、ごめんなさい」
と小声で言ったように聞こえた。
俺はどうしたらいいかわからず、鶴見さんの顔を見た。
鶴見さんは藁科先生の後姿を見ながらため息をつくと、俺と目を合わせ、
「富士くん。すまないが映見を頼んでいいかい?」
そう言ってきた。
「お、俺ですか?」
焦り過ぎて、思わず自分のことを俺と言ってしまう。
「もちろん本来なら僕が追うべきだし、いくら信用したとはいえ、君に映見と一緒にいてもらうことに不満はある。しかし、今の映見は僕と冷静に話せないと思うしね」
鶴見さんはそう言いつつ、コーヒーに口を付ける。
「どうやら映見は君のことを信用しているようだしね。頼んだよ、富士くん。映見には明日にでもまた連絡する」
「……わかりました」
俺は財布から自分のコーヒー代を出した。
「いや、いいよ。コーヒー、飲んでもいないじゃないか」
「いえ、そういう訳にはいかないので」
鶴見さんの言葉を無視して小銭を置くと、そのまま俺はファミレスを後にした。
……冷静なのはいいけど、コーヒーを飲んでる場合か?
なんとなく、彼氏の態度として納得がいかない気持ちがあった。
そう思うのも童貞の青臭い気持ちなのだろうか。
◇ ◇ ◇
藁科先生は駅への一本道をゆっくりと歩いていたので姿を見失わずに済んだ。
「藁科先生! 待ってください!」
俺の声で藁科先生は立ち止まり、こちらを振り向いた。
藁科先生にようやく追いついた俺は、走って追いかけてきたために乱れた息を整えたあと、
「……いいんですか? 鶴見さんと別れるつもりで会いに来たワケじゃないんでしょう?」
そう尋ねた。
もともと別れたかったのならファミレスで会う必要はなかったはずだ。
実際に、会った最初は俺との関係を否定していたんだし。
藁科先生はしばらく俺の目を見つめていたが、やがて視線を外すと、
「いいの。私が悪いんだし」
そう言って、ふたたび歩き出した。
「いや、だから先生……」
俺も再び先生の跡を追うしかない。
そのまま駅に向かうと思った藁科先生だったが、急に立ち止まると道沿いのコンビニに入った。
おいおい、まさか……。




