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第11話 何もないってことよ

 ボックスシートに座っていた鶴見さん(刻文院こくぶんいんの先生というけど、俺は直接の関わりがないので敢えて「さん」付けにしておく)は、藁科先生に目を向けたあと、藁科先生の後ろにいる俺をみた。



「……そこの枳高校カラコーの生徒は?」


 鶴見さんが俺を指さして藁科先生に尋ねた。


 鶴見さんが、会ったことのない俺を枳高校カラコーの生徒と一目でわかったのは、俺が敢えて枳高校カラコーの制服に着替えてきたからだ。


「彼は……」


 藁科先生の言葉を遮って俺が自分で答える。


「LINEで送られてきた写真へ、藁科先生と一緒に写っていたのは僕です。刻文院こくぶんいん学園(からたち)高校普通科一年の富士翔悟と言います」


「は? 何だって?」


 鶴見さんは俺の言葉を受けて、自分のスマホの写真と俺の顔を交互に確認した。


「……たしかに。で、何の用だ? 映見えみと別れてくれってことか?」


 鶴見さんの言葉に藁科先生が口を挟む。


「待って。まず言っておきたいのは、私と富士くんの間には何もないってことよ。私は彼の物理の補講をしていただけ」


「補講だって? 補講なら、なぜ学校ではなく生徒の家なんかでやっているんだ」


 席に座る前に二人の会話はヒートアップし始めてしまった。



 どうしよう。

 間に入って止めるべきか?

 でも、まだ自己紹介しかしていない俺が入ると、話が複雑化してしまう気もして躊躇してしまうけど……。



 俺が踏ん切り付かずにオロオロしているところへ、タイミングよく店員がメニューを持ってやってきてくれた。

 店員が俺たちの只ならぬ雰囲気に気付き困っているのを鶴見さんも見つけたようで、一度咳払いをして、


「まずは座って注文したらどうだ?」


俺たちに着席を促した。


「……失礼します」


 藁科先生を、鶴見さんと向かいになるシートの奥へ誘導し、俺は通路側に座った。

 藁科先生と鶴見さんはホットコーヒーを、俺はアイスコーヒーを注文する。


 飲み物が来るまで、俺たちは一言も喋らずにいた。

 俺はその間、先ほど二人がもめ始めたとき、ケンカを止めもせずにオロオロしていただけの自分を恥じていた。



 あれでは、何のためにここへ来たのかわからないではないか。

 気後れしたとしても、ちゃんと話をしなけれぱ。



 俺がそう決意したころに店員が飲み物を持ってきた。

 飲み物を配りながら、なんとなく俺たち三人を興味深そうに観察している。

 先ほど一悶着あったことが余程気になったらしい。


 飲み物を配り終わってしまい、名残惜しそうに店員が席を外れると、鶴見さんがゆっくり口を開いた。



「では、改めて。――富士くんと言ったかな? 君は何の用でここにいるんだい? ここは僕と彼女である映見の話し合いの場のはずだが?」


 鶴見さんが俺を見つめつつ言う。



 彼氏として腹わたが煮えくりかえっていると言われてもおかしくないのに、冷静に話を進めようとしてくれることは本当にありがたい。

 ここは、キチンと俺の思いを伝えさせてもらわないと。



「はい。今回の件、もともとは僕の担任の多摩先生から、物理の個人補講を藁科先生に依頼してもらったことから始まります。そのお話をさせてもらいたいと思い、勝手を承知で同席させてもらいました。お伝えするべきことが終わったら僕は失礼します」


 俺はここで一度、シートに座ったまま深く頭を下げる。


「今回の件、お騒がせして本当に申し訳ありません。ただ先ほど先生も言った通り、先生と僕の間に一切、やましい関係はありません」


 そう言ってから、俺は家から持ってきたものをテーブルに広げた。


「これは藁科先生から教わっていた物理の補講に使っていたノートと参考書です。夏休みに入ってから今日の夕方まで合計で四日間、各日90分から120分ほど、藁科先生に僕の部屋で『物理基礎』のご指導をいただいていました」


「……見せてもらうよ」


 鶴見さんが俺のノートをめくる。

 鶴見さんも刻文院こくぶんいんで物理教師をしているというから、俺の見せたノートに偽りと無理がないことはわかってもらえるだろう。


「僕が志望する大学へ進むには早めに物理の勉強を始めるべきだと多摩先生が判断し、藁科先生へ学校業務外のボランティアとして依頼してくださいました。学校業務外のボランティアですので校内で補講を受ける訳には行かず、僕の部屋を使っていました」


「君の志望大学とは?」


 鶴見さんが尋ねる。



 俺の志望大学は本当はまだ、はっきりと自分の口から言えるような明確な目標ではない。

 行けたらいいなぐらいの考えではあった。

 口に出すのも烏滸おこがましいといった所か。


 だが、多摩先生との会話と違い、ここは誤魔化している場合ではなかった。

 俺は小さく息を吸い、覚悟を決めて声に出した。


「東大理Ⅲです」


 国内最高学府である東大の中でも、最も難しいと言われる医学部『理科Ⅲ類』。

 それが俺の志望大学である。

 


 俺の言葉を聞いて、鶴見さんは片眉を上げた。


「そういえば枳高校カラコーに随分と優秀な生徒がいると聞いたことがあるな。君がそうなのか?」


「ウチの高校には僕以外にも優秀な人材は多いと思いますが、一学期期末では僕が学年一位を穫ることができました」


 俺はテーブルに広げていた補講のノートを片付け、今度は期末の試験結果と一学期の通知書、そして特待生の認定証を見せた。

 鶴見さんはそれらの書類にもザッと目を通す。


ウチの(刻文院)学園でも、久しぶりに東大を狙える生徒が出たと早くから言われていたからね。でもたしか、その生徒は昨年の入学だったと思うが……」


「はい。昨年、母と義理の父を事故で亡くしたショックで一年近く休学したため、留年して普通科へ転科になりました」


「そうだったのか。それは気の毒に」


「ありがとうございます。ただ、そのために特進科で受けられるはずだった理科の特別補講が受けられないという問題があります」


「ああ、なるほど。それで今回の補講の話に繋がるのか」


 鶴見さんは俺の説明を理解してくれた。



 とりあえず、俺が伝えるべき話はすべて伝えた。

 後は鶴見さんがどう判断するか、だけど……。




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