第8話 ズルい
「よし! じゃ、改めて私たち二人の友情に乾杯しましょ! さあ、童貞! お酒を持ってきなさい!」
多摩先生が空になったグラスを掲げた。
「やれやれ、わかりました。今度は何を呑むんですか?」
俺も今更、童貞という言葉を訂正させる気力はない。
「私は白をおかわり!」
「私はハイボール!」
「かしこまりました」
俺は恭しく頭を下げ、冷蔵庫から酒を取り出しテーブルに運ぶ。
「つまみも足りなくなってきたわね! そこの……」
「童貞が作らせていただきます」
「しょうちゃん、私も手伝うよ」
「ああ、ありがとう。じゃあ……冷蔵庫からエノキとベーコンを出してくれ。エノキバターでもするわ」
俺は追加のつまみを作りながら、引き続き吞んだくれている多摩先生と藁科先生を眺めていた。
正直、引っ掻き回されてはいるものの、それほどイヤな気分ではない。
それにしても、外見は違っても意外と考え方は似てる二人なのかもな。
仲がよくなる訳だ。
雰囲気はまったく違うが、結局俺は、母さんと美智子さんの二人吞みに付き合った頃を思い出し、胸が暖かくなっていた。
◇ ◇ ◇
それからまだ一時間以上、先生たちは呑んだくれていたのだが――
「ちょっと~! まだ呑み足りないんだけど~!」
「タクシー来たんで帰ってください。明日は金曜で平日だから、学校で通常業務があるんでしょ?」
あまりにいい時間なので、俺が勝手にタクシーを呼び、二人を無理やり帰らせることにした。
「なによ、童貞はノリが悪いわねぇ」
「だから童貞なのよ、富士くんは」
酔っ払い二人がガハハと笑う。
多摩先生はまだしも、処女が判明した藁科先生にまで言われたくないが、もちろん口には出さない。
「はい、お疲れさまでした。おやすみなさい」
「美幸ちゃんに変なことしちゃダメよ!」
「あと、避妊はしなさい!」
「変なことしていいんですか、しちゃダメないんですか」
一応、ツッコんでおくが、どうせ酔っ払っていて聞いちゃいない。
二人はタクシーの扉が閉まっても聞こえるほどギャーギャーと騒ぎながら帰っていった。
運転手さん、ごめんなさい。
そのあと、俺は散らかった部屋の片づけと洗い物に手を着ける。
朝、起きてから他人の呑み会の片付けをするのは避けたいからな。
美幸も一緒に部屋の片付けを手伝ってくれた。
結局、すべての片づけが終わったのは日付も変わりかけている頃だった。
「しまった、もうこんな時間じゃないか。片付けありがとな。そろそろ帰れ」
俺は慌てて美幸に帰りを促す。
「え、もう帰んなきゃダメ?」
美幸が上目遣いに俺に尋ねた。
「お前まで何を言ってるんだ。いま、何時だと思ってんだよ」
「12時まえ」
美幸が壁時計を見ながら答える。
「いくら美智子さんたちが家にいないからってダメだ。帰れ」
「はーい、わかりました……」
美幸が名残惜しそうに立ち上がる。
俺も一緒に立ち上がった。
「え? 玄関までお見送りしてくれるの?」
「は? 何言ってんだ、こんな時間に美幸一人で帰せる訳ないだろ。送ってく」
当たり前だろ。
「え、え⁉ ……う、うん、そうね! 送っていって!」
「だからそう言ってるだろ。早くしろよ」
「あん、待ってよ~」
俺と美幸は、それほど遠くない美幸の家までの道のりをゆっくりと歩く。
「しょうちゃんとこうやって並んで歩くの、久しぶりだな」
美幸が足元を見ながらボソリと言った。
「そうだっけ?」
「そうよぅ。中学の頃までは一緒に帰ったりもしてたけどね」
「ああ、まあ、そうかもな」
「また、しょうちゃんと一緒に帰りたいなぁ」
美幸が寂しそうに言う。
「クラスどころか学年まで違うんだから仕方ないだろ」
俺は言い訳をする。
まあ、そうじゃなかったとしても美幸と一緒に帰るという選択肢はなかっただろうけどな。
クラス、いや学年、学校の人気者となった『枳高校の至宝』の美幸の隣を、ぼっちの俺が歩くワケにはいかない。
「――あ、ねえ。そういえば私の誕生日プレゼント使ってくれてる?」
「ああ、ありがとうな。使わせてもらってるよ」
夏休みに入る前、俺の17歳の誕生日に美幸がくれたのは青のバンダナだった。
それは『飛行艇』のバイトのときに使っている。
「まあ、私以外からも、さぞかし大勢からプレゼントを貰ったんでしょうねぇ」
美幸がイヤミのように言う。
「なに言ってんだ。貰ってる訳ないだろ」
俺はそう答えたが、これは嘘だ。
なんだか今年の誕生日は色々と頂いてしまった。
梨華からは高級そうな長財布を、吉野さんからは『春季限定いちごタルト事件』をもらった。
意外なことに長尾からもヘアスタイリング剤を貰っている。
「ふーん。別にいいけど」
「本当に別にいいと思ってるやつは口に出して言わないと思うぞ?」
「わかってるよ。ただ、あんまりライバルを増やさないでほしいなってだけ」
「ああ? なんか言ったか?」
「なんでもない」
「なんだよ……」
なんだ、まだ酔ってるのか?
俺は、妙にプリプリと怒っている美幸をキチンと家まで送り届けた。
「じゃあ、おやすみ」
美幸の家の玄関前で美幸にそう言うと、
「ねえ、しょうちゃん。家、誰もいないから上がっていかない?」
俺の挨拶に答えることなく美幸が言った。
「早く寝ろよ。二日酔いの顔で美智子さんと会うことがないようにな」
俺は手を振って背を向けた。
「――ズルい」
美幸の呟きを俺は背中で聞いた。
そう。
ズルい俺は、美幸の言葉が聞こえなかったフリをして立ち去るしかできなかった。




