第2話 お手伝いが出来るのであれば
「富士くん、こちらは藁科 映見先生。枳高校の物理教師で、数少ない私の同い年の友達よ」
多摩先生が藁科先生の隣に移動して俺に紹介する。
たしか多摩先生は今年27歳になるって聞いている。
だが、同い年の二人というには二人の外見は全く違っていた。
多摩先生は女子サッカー部顧問でバリバリの体育会系のため、浅黒く日焼けしていて化粧気も薄い。
どちらかというと年齢より断然若く見える。
対して藁科先生は、濃くはないけど多摩先生よりはしっかりメイクをしている。
ケバいってワケではないけど年相応の雰囲気があった。
スタイルも、少し背が低い割に発達した大胸筋のおかげでスーツの胸のところがパンパンに盛り上がっている多摩先生に、スラッと背が高く、モデルのように手足が長くてウエストもビックリするほど細い藁科先生と、二人の外見には全く共通点がない。
そんな二人が友達っていうのも不思議だな。
「よろしくね、富士くん」
多摩先生の自虐的な紹介をサラッと流しつつ、藁科先生が軽く微笑んだ。
「は、はい。よろしくお願いします」
俺は慌てて頭を下げる。
ただ挨拶はしてみたものの、これは一体どういうことだろうか。
重ねての説明になるが我が枳高校の普通科において一年次の理科の必修科目は『生物基礎』一択である。
だから、普通科一年の俺は物理教師とは何の接点もないのだが……。
「そんなワケで富士くん。夏休み中にエミから『物理基礎』を教えてもらうといいわ」
「え、なんですか、それ?」
話が唐突すぎるんだけど。
「つまり、富士くん一人のための理科補講をエミにしてもらうのよ」
「ええ!?」
そんなことが本当に可能なのか?
俺の驚きの声に藁科先生が答える。
「もともと美郷から富士くんの話は聞いていたのよ。家庭の事情で普通科に在籍しているけど、とても優秀な生徒がいるって。で、その子をどう指導したらいいのか、よく私に相談してきて……」
「ちょっと、エミ⁉ 余計なことは言わなくていいの!」
「はいはい」
二人の掛け合いから、たしかに二人の仲の良さがとてもよく感じられた。
とくに今、物理準備室には先生二人と俺しかいないからずいぶんと気を抜いているようだ。
「……コホン。で、富士くんが理科の補講を受けられなくて困ってる話をしたら、エミが富士くんに物理を教えてもいいって言ってくれたのよ」
それが本当なら独学で『物理基礎』を学ぶには不安が多かったので、この申し出はとてもありがたかった。
でも――
「……でも本当にいいんですか? 俺一人ってことは、業務時間外ってことですよね?」
正式な夏休み中の補講なら勤務時間内になるが、俺一人のための補講となれば間違いなく通常業務とは別に時間を割くということだ。
俺なんかのために、それは申し訳ないんだが……。
しかしそれを聞いた多摩先生は、俺が持ってきた『物理基礎』の参考書を丸めて俺の頭を軽く叩いた。
「富士くんは頭がいいから何でも自分で解決しようとするけど、それは悪いクセよ? あなたはまだ高校生で、一人ですべて解決するにも限度があるの。人に頼るべきところは頼る余裕を持ちなさい」
多摩先生の言葉の後を、藁科先生が追う。
「そうよ。私としても、我が校始まって以来の秀才のお手伝いが出来るのであれば、喜んで補講ぐらいするわよ」
「秀才なんてそんな……。でも、そこまで言っていただけるなら甘えさせてもらっていいいですか?」
「はい、素直でよろしい」
多摩先生がニカッと笑う。
「ただ問題は補講を行う場所なのよね。学校では他の生徒の手前、富士くんだけのために補講しているのを見られてはいけないし。かといって物理準備室は他の先生も使うことがあるから」
藁科先生が顎に手をやって悩む。
枳高校普通科の生徒で、
『アイツばかり夏休みに補講を受けられてズルい!』
なんて文句を言う物好きな生徒がいるとも思えないが、たしかに不平等ではある。
他の生徒に見られないようにするのは仕方ないことだろう。
「図書館なんかも夏休み中となれば枳高校の生徒が来ることもあるでしょうね」
それこそ吉野さんにバッタリと会う可能性はありそうだ。
俺と藁科先生が悩んでいると、
「そんなの、富士くんの家で勉強すればいいじゃない」
多摩先生はアッサリと言った。
「さすがにエミの家に富士くんを上げる訳にはいかないでしょ?」
「俺の家ですか? まあ、俺は別に構わないですけど」
数ヶ月前までの俺だったら、人を家へ上げることに抵抗もあっただろう。
しかし何の因果か、ここ最近はウチの家に来客が多くてその辺の感覚が完全にマヒしてしまった。
無料で物理の講義を受けられるというのなら反対する理由は一つもない。
ただ、俺がいくらイイと言っても……ねぇ。
「ね、ねぇ、美郷。自分から補講するって言っておいてなんなんだけど、その、本当に大丈夫、なの? 富士くんは普通科には珍しい奨学生で品行方正とも聞いているけど……さ」
藁科先生は俺の顔色を伺いながら小声で多摩先生に尋ねた。
まあ、そうだろうな。
いくら俺が大丈夫と言っても、初対面の男子高生の一人暮らしの家へ、こんな美人教師が単身で勉強を教えに来るとなれば身の危険を感じるのも当然だ。
「アハハハ! その点は大丈夫よ!」
しかし、多摩先生は藁科先生の心配を一笑に付した。
「え? なんで?」
「だってこの子、童貞よ? 付き合ってもいない女性に手を出す度胸なんてあるワケないんだから!」
「は、はあ⁉ ちょっ、な、なんてこと言うんですか⁉」
「み、美郷⁉ あなた、何を言ってるのよ!」
多摩先生の言葉に、俺と藁科先生が同時に声を上げる。
失礼な、と言いたいのに言えない。
だって俺ってば実際に童貞なんだもの。
「だってそうでしょ? 最近、ウチのクラスの矢作さんと仲がいいけど全然進展しないじゃない。向こうはいつでもウェルカムな雰囲気出してるのに。そんなことだから童貞なのよ」
「アンタ、なんでそんなことまで知ってるんだ⁉」
思わず先生をアンタ呼ばわりしてしまう。
「独身27歳で失恋したばかりの女教師は、生徒の色恋沙汰を教壇側から観察してニヤニヤするぐらいしか楽しみがないの」
多摩先生は悪びれもせず宣う。
あ、ダメだ、この人。
なぜこんなイイ先生がフラれたんだろうって思ってたけど、フッた人が大正解だったパターンだ。
「それにエミにはもう婚約している彼氏がいるんだからね。童貞が手を出しちゃダメよ」
多摩先生が藁科先生の肩に手を置きながら言う。
「美郷! そ、そんなことまで言わなくても……!」
藁科先生は顔が真っ赤だ。
童貞、童貞と連呼されて、俺も顔が真っ赤だ。
「こういう男は、こういう情報を入れておいた方が余計に手を出さなくなるからいいのよ。婚約者がいる女性にアタックできるような度胸があれば、とっくに童貞じゃないわよ」
俺の童貞は確定事項かよ⁉
確定だけどよ!!




