第17話 帰れないじゃん
バイト帰りに立ち寄った中央公園の花時計の前に、雨でビショビショになった吉野さんが立っているのを見つけて俺は驚いた。
「吉野さん!」
慌てて吉野さんの元へ駆け寄る。
「え、ひょっとして興津くん? どうしてココへ……今日は試験勉強をしているんじゃないの」
眼鏡をかけていないので、近くまで来てようやく俺に気付いた吉野さんが驚きの声を上げた。
身体が冷え切ってしまっているのかカタカタと震えている。
「俺は臨時でバイトに呼ばれて……って、そんなことはどうでもいいよ! いったいどうしたの⁉」
俺は自分の傘に吉野さんを入れたあと、トートバッグからタオルを差し出した。
「コレで身体を拭いて!」
「え……でも悪いよ……」
明らかに異常な状況なのにイマイチ緊張感がない吉野さんの返事を聞いて、
「なにを言ってるの、風邪ひいちゃうよ!? このタオルは今日使ってないから気にしないで!」
俺は思わず怒鳴ってしまった。
「ご、ごめんなさい」
ああ、何をやってるんだ。
吉野さんは何も悪くないのに謝らせてしまった。
「いや、俺こそごめん、怒鳴っちゃって……。でもとにかく、まずは身体を拭いてくれないかな?」
俺は改めてタオルを差し出す。
「うん、ありがとう……」
ここまで言ってようやく、吉野さんはタオルを受け取って髪や身体を拭きはじめてくれた。
「ねぇ、北上さんは一体どうしたの?」
当然の疑問を俺は口にする。
吉野さんのタオルを動かす手が一瞬止まった。
「用事でも出来たのかな。待ってたんだけど来ないの」
まるで何でもないことのように言う吉野さんは、目線を下にしたまま再び身体を拭き始める。
「来ない……って?」
じゃあ、吉野さんは待ち合わせの十時から五時間以上も、ずっとここにいたってことか?
雨だというのに傘もささず?
「連絡は取ってないの?」
俺の質問に吉野さんは微かに頭を振る。
「LINEも既読はつくんだけど、通話には出ない」
……つまり、何らかの理由で吉野さんからの連絡を無視しているということか。
「吉野さん……」
吉野さんだってバカじゃない。
こういう状況で、自分が北上に何をされたかはわかっているはずだ。
俺や渡良瀬の心配が、悪い方に当たってしまったということだろう。
それでも、吉野さんがここで待ち続けていた理由は……。
「だって帰れないじゃん。梨華ちゃんも長尾さんもあんなに一生懸命、私のために準備してくれて。興津くんの大切な試験前に部屋まで借りて。渡良瀬くんも心配してくれたのに、それを振り切って出掛けてきて……」
吉野さんは顔を上げないまま、小さな声で言った。
吉野さんは俺たちに申し訳なくて帰れなかったのだ。
こんなに長い間、雨の中を待ち続けていたのも、自らに罰を与えているつもりだったのかもしれない。
「だからって、こんなこと……」
そんなこと気にしなくていいのに。
だって吉野さんが悪いことなんてなに一つもないのに。
「吉野さん。寒いからこれでも着て」
うまく言葉をかけてあげられなかった俺は自分が着ていたボタンダウンシャツを脱いで、まだ震えの止まらない吉野さんの肩に掛けた。
「ダ、ダメ。興津くんのシャツが濡れちゃう。それにTシャツだけじゃ興津くんが寒いでしょう?」
吉野さんがシャツを脱ごうとする。
「シャツなんて洗えばいいから構わないよ。とりあえずもう帰ろう」
「でも……」
俺と吉野さんがそんな押し問答をしていたところへ――
「えー!? まさかの男連れかよ!」
俺の背後で甲高い男の声が聞こえた。
吉野さんにも声は聞こえたはずだが彼女の視線は上がらない。
代わりに俺が振り向くと、傘をさした枳高校の制服の男女3人ずつ6人が広場の入口からこちらに向けてのんびりと歩いてきた。
「ダメじゃないか、涼子。賭けにならないことしちゃあ」
6人の中央にいた背の高い茶髪のイケメンが笑いながら言った。
残りの奴らもヘラヘラしている。
「北上くん……」
ようやく吉野さんは顔を上げて男の顔を見た。
コイツが北上か。
たしかに顔はよくできている。
アイドルグループにいそうな甘いマスクだ。
しかし笑顔が下品すぎて印象を悪くしているな。
渡良瀬と同じスポーツマンとはとても思えない。
渡良瀬の方が数倍イケメンだ。
「五時間経ってもまだ待っているかどうかの賭けなのに、まさか男といるとはな。とんだビッチじゃん」
コイツ……。
このデートすっぽかしのことを全員で賭けにしてやがったのか?
「俺はいま通りがかっただけの知り合いだ。こんな状態の女の子を放っておけるようなどこかのクズと違うんでね」
思わず話し言葉がケンカ腰になってしまう。
「ハハッ、聞いたか? オレ、クズって言われちまった」
しかし、北上は意に介さず連れてきた奴らと笑っていた。
「なにがおかしいんだよ?」
「え~? だっておかしいじゃん。ぼっちの分際で光一に告白してきたんだから~」
俺の質問に、北上ではなく一緒にやってきた女が答えて笑う。
「図書室で暗~い顔して本読んでたぼっちに、からかい半分で優しく声を掛けたら調子に乗ってさ。ふざけんなって感じじゃ~ん」
女は吉野さんを睨みながら、北上の腕に自分の腕を絡める。
おいおい。
まさかこいつら、ひょっとして今回のことだけでなく、最初から吉野さんをからかうために近づいたってことか?




