第19話 お祝いするわ
その日は俺が一度目の高一だった昨年の七月。
夏休みに入る一週間前の金曜日だった。
『今日はこっちの家へご飯を食べに来なさい。明後日は翔悟の誕生日でしょう?』
学校の休憩時間にスマホを見ると、母さんからLINEが入っていた。
『私も健太郎さんも今日は非番だからお祝いするわ』
俺は溜め息を一つついてからLINEを返す。
『わかった。学校が終わったらいくよ』
正直、あまり気は乗らなかったが行かないわけにはいかない。
行かなければ、今年の誕生日プレゼントにねだっていたノートパソコンが手に入らないかもしれなかったからだ。
母さんが健太郎さんと入籍し、俺が一人暮らしを始めて三ヶ月が過ぎていた。
母さんからは毎日LINEが届くし、週に一度は母さんが俺のアパートにひとりで来て、俺がサボっていた掃除や洗濯などの家事を済ませて帰る。
俺も月に1~2回は向こうのマンションへ晩ご飯を食べにいく。
正直、母さんとはまだしも健太郎さんとは、今ぐらいの距離感でいるのが一番楽だ。
大学は東京へでも進学して、もう少し自然に二人との距離を空けるつもりでいた。
放課後になり、俺はいつも通り素早く荷物を片付け始める。
一週間後に迫った高校最初の夏休みへ向けた期待が、クラス全体に浮ついた空気を醸し出していた。
特進科は夏休み中も補講が多く、遊ぶ時間も普通科より全然少ないが、それでも夏休みというものは気分を高めるものだ。
「興津くん。もう帰るの?」
そのとき後ろから俺を呼び止めたのは、俺と一緒に特進科へ合格し、また同じクラスとなっていた美幸だ。
枳高校の特進科は全部で5クラスあって、一年生は受験時の成績順にクラス分けされる。
つまり、首席合格の俺と同じ特進科一年一組にいるということは、美幸も枳高校受験者中トップ30に入る成績で合格したことになる。
中学のころは本人が希望しないリア充生活を三年間送っていたはずなのに、一体いつ勉強していたのだろう?
中学三年間、友達も作らず(できず、とも言える)にガリ勉して合格した俺よりも、美幸の方がよほど頭がいいのではないだろうか。
「今日は母さんに呼ばれてるんだ」
俺は美幸に目線を合わせることなく言った。
さすがに俺も、中学の時ほどいじめを意識して人の目を避けるようなことはしなくなっている。
しかし、美幸と喋ると周囲の注目を浴びることに変わりはない。
俺は高校に入っても、美幸との会話はできるだけ少なくしていた。
「そうなんだ。ゆきさんによろしく言っておいてね」
そこまで会話したあと、美幸はみんなに聞こえないような声で、
「今度の日曜日、お誕生日だよね? おめでとう」
俺の耳元につぶやいた。
俺は「覚えていたのか」という驚きを隠し、黙って頷いた。
そして鞄を持ち、いつも通り一人で教室を出た。
母さんと健太郎さんの家は、学校から俺のアパートを越えて、繁華街を抜けた辺りの高級マンション地域にあった。
俺は当時、まだ自転車で通学していたから自転車でマンションまで向かう。
自転車を漕ぎながら、俺は自分の頬がニヤツいているのに気づいた。
恥ずかしくて認めたくないが、美幸が誕生日を覚えてくれていたことが嬉しかったのだ。
母さんと美智子さん以外で俺の誕生日を祝ってくれるような人なんていないから、ちょっとした言葉だけでテンションが上がってしまう。
我ながらキモい。
――そんなことを考えながら自転車を漕いでいたら、何やら周辺の雰囲気がおかしい。
道が異様に渋滞しているし、緊急車両のサイレン音が遠くで聞こえていた。
なんとなくイヤな予感がして自転車のペダルを漕ぐ力を強めたが、俺の予感は的中していた。
◇ ◇ ◇
「危ないから下がってください!」
警察や消防の大声が響く。
しかし、マンションを包む煙と炎の轟音と、それを必死に抑えこもうとする消防車の放水音がそれをかき消した。
「……どういうこと?」
母さんと健太郎さんが住むマンションが炎に包まれているのを見つめ、俺は呆然と呟いた。
「君! 危ないから下がって!」
侵入禁止のロープへフラフラと近づく俺に警官が叫んだ。
「こ、ここ……母さんと健太郎さんが住んでるマンションなんですけど……」
警官が健太郎さんを知っている訳はないのに、俺は働かない頭でマンションを指さしながら言った。
「住人の身内の人かい? 話を聞きたいから、あちらの方へ回ってくれるかな」
警官が言う方向には、警官や消防隊員と泣き叫ぶ人たちが集まっていた。
「大丈夫かい? 気をしっかりもって!」
なかなか動き出さない俺を心配して、警官は大きな声を掛けながら俺の肩を叩いた。
俺は叩かれた反動のまま、ロープ際を再び足を引きずるように歩いた。
そのとき、マンションの窓が大きな音を立てて吹き飛び、そこから火柱が上がった。
……あそこは母さんたちの部屋の辺りだ。
俺は無意識にロープをくぐり、マンションへ向かった。
「君! 危ないぞ!」
背後から先ほどの警官の声が聞こえたが、俺は足を止めることができない。
……いま、窓の向こうで左右に揺れていたのは母さんの手じゃないか?
そんなことを考えながら、俺はマンションの目の前まで近づいていた。
瞬間、再び窓が吹き飛び、火の粉が飛んでくる。
「うわあああああ!!」
その火の粉が俺の頭につき、右の頭部へ激痛が走った。
そこから、俺の記憶はない。




