第17話 私が保証する
母さんとの会話から週が明けた月曜。
美幸は相変わらずクラスメートたちに捕まって放課後の教室に残っていたが、俺はそれを尻目に一人でまっすぐ帰ってきた。
だがこの日、学校からたどり着いたのは、自分の家ではなく美幸の家である。
俺は美智子さんに母さんの話の相談に来たのだ。
――しかし。
「私が、ゆきさんに富士先生を紹介したの」
コーヒーカップを俺の前においた美智子さんの口から、思ってもいなかった言葉が出てきた。
富士先生。
名前は富士 健太郎。
母さんと美智子さんが働く病院の医師だという。
俺が中学に入ってから母さんの帰りが遅かった日の何回かは、実は残業ではなく、その富士先生だかと喫茶店で話をしていたそうだ。
デートもせず、たまに二人で仕事の愚痴やプライベートの話をしている仲だったが、昨晩、富士先生は唐突に母さんへプロポーズをしたらしい。
驚いた母さんは返事を保留して持ち帰り、金曜の夜、俺に嘘をついていたことの謝罪とともに、事の顛末を報告してきたのだ。
――正直、これまで母さんに残業と嘘をつかれていたことは、あまり気分がよくなかった。
そして今、それを黙っていた美智子さんにも俺は反感を抱いていた。
「……何で、母さんに男を紹介なんてしたんですか?」
肺から声を搾り出すように俺は呟いた。
「しょうちゃん。ゆきさんは、まだ32歳よ。しょうちゃんが大学を出て社会人になっても、あの人は40そこそこなの。その間、ずっとお母さんを独身でいさせるつもり?」
美智子さんが言う。
「別に、ずっとこのままのつもりなんてないですけど……」
「ゆきさんも、最初は頑なだったわ。しょうちゃんが無事に大学を出るまで出逢いなんか――って」
「……」
「でもね。しょうちゃんを育てることだけ目標とするには、ゆきさんは若すぎると思ったの。それで富士先生を紹介させてもらった」
小児科医で、母さんの8歳上の40歳初婚男性だと母さんから聞いた。
「子ども想いの、本当にいい先生。仕事を優先しすぎて婚期を逃したような人だから、ゆきさんの前の旦那さんのようなことは決してしないわ。翔悟くんのことも大事にしてくれるはず。私が保証する」
別に美智子さんに保証されなくても、あのクソ親父に比べれば世界中おおよその男性は聖人だ。
「しょうちゃんが反対なら再婚はしないって、ゆきさんは言っていたでしょ?」
「はい、それは聞きました」
昨日の夜まで、母さんに交際相手がいたことさえ知らなかったのだ。
それをいきなり再婚とまで言われたら、そりゃ驚くし言葉も失う。
考える時間が欲しいと母さんに言ってあった。
「ただ、しょうちゃんも中学生になったのだから、自分だけでなくゆきさんの幸せも考えてあげられるような男性になってほしいって私は思ってる」
美智子さんが諭すように言った。
「……それじゃ、もし反対なんかしたら俺が悪者じゃないですか」
「反対するのは構わないのよ。ゆきさんも反対されても仕方ないと思っているわ」
母さん本人からもそう言われている。
「でもね。一方的な独占欲だけでゆきさんを縛るのは止めてほしいの。しょうちゃんも、それはよくないってわかるでしょう?」
わかるけど、さ。
俺のせいで母さんが幸せになれないなんて、絶対にあってはならないことだけど、さ。
「……晩飯の準備があるんで帰ります。コーヒー、ごちそうさまでした」
――わかるってのと、納得するってのは別物だろ。
椅子を立ち上がった俺は、最後まで美智子さんの目を見て話すことが出来ずにいた。
この晩、俺は母さんの再婚に賛成すると母さんに伝えた。
母さんは真っ赤になって照れていた。
そして俺は、何度も「これでいいんだ」と念仏のように心の中で繰り返していた。
それから一年後。
無事、俺の枳高校特進科への首席合格が決まった。
「翔悟くん、合格おめでとう! 首席合格、本当にスゴいね!」
喫茶『飛行艇』の席で、正面に座る健太郎さんが言う。
母さんの再婚に賛成したあと、しばらくして紹介された健太郎さんは、180センチぐらいの高身長の割に猫背の眼鏡で、俺と会う日には必ず後頭部に寝癖をつけていた。
女癖の悪いクソ親父に比べ、ずいぶんパッとしない男性を選んだなと思ったぐらいだ。
「ありがとうございます。首席合格はずっと目指していましたから。これで母さんや健太郎さんに負担をかけずに済みます」
「負担なんて、そんな! 学びたい気持ちがあるのは素晴らしいことだよ。僕なんか、小児科医になる夢を持つまで勉強が大嫌いだったからね。だから中学のうちから勉強したいという意欲が翔悟くんにあるのなら、精一杯サポートさせてもらうよ!」
「いえ。健太郎さんには特に、ご迷惑をおかけしないようにするんで」
俺は一部、嫌味のように強調した言い方をする。
「翔悟! そんな言い方……」
母さんが慌てて俺をたしなめるが、
「ゆきさん、いいんですよ。いやー、相変わらず翔悟くんは責任感が強くてカッコいいなぁ」
健太郎さんはヘラヘラしている。
……嫌味も通じねぇのか、この人。
「それに、不合格して二人の入籍に泥を塗る真似はできませんから」
俺は付け加える。
俺の高校合格発表を待ってから入籍すると母さんたちは決めていたので、なんとか気まずくならずに済んだ。
「え! そんなプレッシャーをかけていたのかい!? それは申し訳ないことをしたな……」
健太郎さんが頭を下げる。
「いえ、逆にいい刺激になりました」
皮肉のような答えを返してみたが、健太郎さんは
「いや~、すごいな~」
と無暗に感心するだけだ。
ホントに大丈夫か、この人?




