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第20話 狩野くるみの独白②

「な、なんで……? なんで、俺はこんなことをしてるんだ……?」


 課長は脂汗を流しながら、床にのたうち回っています。


 なぜこんなことになっているのか私にも分かりませんが、ただこの状況を誰が作ってくれたのかは薄々わかってきました。



(あのメッセージ……)



 どうやったのかはわかりませんが、たぶん課長は「私と別れない」と言うたびに、拳で股間を殴りつける暗示のようなものがかかっているようです。


 私は、きっと翔悟くんが何かの方法で援護射撃をしてくれているんだと信じ、この不思議な状況を最大限に利用しようと心に決めました。


「か、課長。わ、私と別れてもらえますか?」


 もう一度、私から課長に言いました。


「ふ、ふざけるな……。別れない……あああああ、もうイヤだぁあぁああ……」


 自分の言葉の途中で、課長は再び自らの右こぶしを振り上げ始めました。


「わ、別れてください!」


「――! ……あ、ああ! わ、わかった、別れるよ!」


 一瞬、ニヤリと笑った課長の口から遂に別れるという言葉が出てきました。



 やった!

 私はそう思いました。



 ――しかし、またボグッという音と課長のうめき声が会議室に響きます。

 再び、課長は自分の拳を自分の股間にめり込ませて悶絶しました。


 会議室はガラス張りなので声は聞こえなくても中の様子は丸見えになっています。

 でも、さっきから課長はうずくまったままなので、ちょうどテーブルや椅子に囲まれて課長の異様な行動は外から見えていないようです。


「わ、別れるって言ったのに……。な、なんでぇ……?」


 課長がうめき声とともに疑問を口にします。

 今にも気を失いそうな雰囲気です。

 どうやら課長も自分の「別れない」という言葉が、異常な行動の引き金となっていることに気づいたようです。

 ですが今は、「別れる」と言ったのに自傷行為を続けていました。



 恐らく今の「別れる」というのは、この場を収めるための口だけの言葉だったんでしょう。

 だからさっきと同じように、アソコへ拳が振り下ろされたようです。

 どうやら心と言葉が違うと、同じことをされるみたいです。


 一瞬、課長の言葉を信じた私がバカでした。

 また、同じ目に合うところです。

 これ以上、この人に騙されてはいけません。



「課長。これで最後にしましょう」


 私は一歩、課長の方へと進み、足元で転がる課長に向けて言いました。


「私と 別れて もらえます よね?」


 私は一言ずつ、ハッキリと発音しながら尋ねました。

 課長は青い顔をして震えつつも黙ったままです。

 やがて課長の右手がゆっくりと振り上げられました。


「課長――」


 課長は自分の右こぶしと私の顔を交互に見ています。

 課長の顔は汗まみれで涙目で鼻水も出ていて、なんだか汁まみれになっていました。


 私はその情けない顔を見て、思わず吹き出してしまいました。



 ようやく、この人の呪縛から抜け出せるかもしれない――



 そう思いました。


 そして、いつか言った覚えがあるような言葉を無意識に口にしていたのです。



「フフッ。課長()、さっきから痛そうにしてますよ……。早く私と別れて、楽にしてあげたら?」



 課長は私に言われて、震えながらスラックスの自分のモノの位置を確認しました。


 彼のそこは、間違いなく普段よりも数倍に腫れあがっているようでした。

 課長はそれを見た瞬間、


「ヒぇっ!」


と悲鳴を上げ白目をむいて気絶しました。

 同時に、彼が握った拳もほどかれて下に降ろされたのです。



◇ ◇ ◇



 ――あれから二週間が経ちました。

 私は変わらず、会社に通い続けています。



 あのあと、課長は救急車で病院に運ばれていまだに入院中です。

 二日連続で目の前で救急車を見たのは生まれて初めてでした。


 救急隊員に、


「彼はなぜ、自分の股間を何度も力いっぱい殴ったのですか?」


と真面目な顔で尋ねられましたが、私もよくわからないとしか答えようがありませんでした。

 まあ、実際よくわからないわけですけど。

 翔悟くんが救急隊員から逃げたときのことを思い出しました。


 最終的に、過度のストレスによる自己への暴力性が云々とか言われていました。

 ストレスって便利な言葉だなと思いました。



 課長は退院次第、系列会社の倉庫管理の閑職へ異動が決まっています。

 どうやら課長の普段からの素行不良に頭を抱えていた課長縁故の重役からの直々の辞令により、「怪我とストレス療養のため」という名目で異動させられるそうです。

 異動後もお給料は変わらないということなので、奥さんとお子さんには不倫のことで本当に申し訳ないことをしたと思っていましたから、それを聞いて少し安心しました。

 出世はもうない、と噂に聞いていますが……。



 そんな訳で、私は死ぬこともなく課長と無事に別れることができました。


 ずっと心を悩ませていた問題が急に解決すると、緊張感が失われてなんとなくボンヤリとした気持ちになるものですね。



「狩野さん……狩野さん!」


「あ、はい! 千曲ちくまくん、どうしました?」


「どうしました、じゃないですよ。大丈夫ですか?」


 後輩の千曲くんに呼ばれていたのに気づかず、私はボーッとしていたようです。

 千曲くんは私の所属する課の後輩で、私が課長と付き合うきっかけになった福岡出張に本来行く予定だった男の子です。


「ごめんなさい、大丈夫です」


「まったく……ひょ、ひょっとして彼氏のことでも考えていたんですか?」


 千曲くんが急に変なことを聞いてきます。


「え⁉ 私、彼氏なんていませんよ?」


「そうなんですか! 狩野さん、彼氏いないんですか!」



 千曲くん、そんなに笑顔で。

 ひょっとして、私のことをバカにしてますか?



「あまり大きな声で、彼氏いないとか言わないでください」


「す、すいません。……あ、でも好きな人はいたりするんでしょ?」


 千曲くんはずいぶんしつこく追及してきます。



「好きな人……ですか」



 そのとき、私の脳裏に翔悟くんの少し照れたような笑顔が浮かびました。


「――そうですね。好きな人というか、気になる人はいますけど」


「いるんですね……」


 千曲くんは今度、すごくしょげた顔をします。



 なんですか、その顔は。

 いい年の女が片思いしてると思って哀れに思ってるんですか?



「そりゃ、私だって気になる男性ぐらいいてもいいでしょう? ……相手は年下ですけど」


「え、年下⁉ 狩野さんは年下の男性でも恋愛対象になるんですか⁉」


「え、ええ。別に、相手の年齢は気にしませんよ。年下でも素敵な人なら」


 急に勢いづいた千曲くんの声に驚いた私は聞かれていないことまで答えてしまいます。


「そうですか! わかりました! 失礼します!」


「あ、あの、用件は何だったんですか……て、行っちゃった」



 やれやれ。

 頼りない後輩ですが、私が指導していかないといけませんね。




 課長と別れることができたあの日から、翔悟くんにお礼を言おうと私は毎日、あの事故現場で待ち伏せしています。

 でも、翔悟くんは帰る道を変えてしまったのか、帰る時間が私と合わなくなったのか、あれから一度も彼には会えていません。

 こんなことなら生徒手帳を見たときに、彼の名前だけでなく住所も控えておくべきでした。


 生徒手帳で通っている学校が枳高校カラコーということはわかっているので、学校に直接、問い合わせることも考えました。

 でも、私の前からの彼の立ち去り方を考えると、あまり目立つ方法を取るのは迷惑かなと思って躊躇しています。



「ありがとう。君のおかげで、わたし元気にしてるよ。もう変な気は起こさないからね」



 彼が置いていったメモは、お守りとして大事に取ってあります。

 いつか彼に直接、お礼が言えたらいいな。




 ――あと、今なら悩むことなく彼に迫っちゃうかも、なんて思ったりもしています♡




ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


第1章という名のイントロダクションはここまでです。

第2章からはいよいよ翔悟の学園生活のお話となります。


更新の励みになりますので、よろしかったらブックマーク、☆での評価、コメント、レビューなど、お待ちしております!

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