第29話 大井 美幸の独白②
「――じゃあ、私たちはこれで失礼します。患者の容態に何か変化があれば遠慮なくナースコールを使ってください」
院長と外科医の先生がドアを開けながら声をかける。
病室にいるみんなが頭を下げた。
ドアからその光景を見た院長が退室際に、
「それにしても彼一人にずいぶんと大勢集まったもんだね」
ボソリと呟いた。
そして、余分な一言だったかとボヤキながらドアを閉めていった。
それをきっかけに、私たちは全員、お互いの顔を見あう。
そして全員が気まずそうに笑みを浮かべた。
そう。さっき、詩織さんが「みんな」と呼んだのは、この病室内に集まった人々。
わたし、大井 美幸。
巴 詩織さん。
愛川 奈那こと、安倍 奈那さん。
それから――
「すぐに学校へ連絡をくれて助かりました。ありがとうございます」
言いながら女性に頭を下げたのは、夏休みにしょうちゃんへ物理を教えていた藁科 映見先生。
「こちらこそ、夜分にすいませんでした。以前、彼に助けられたときに彼の生徒手帳を見ていたんです。逆に学校しか連絡先がわからなくて、藁にも縋る想いで連絡したんです」
頭を下げた藁科先生に、頭を下げ返しているのが狩野 くるみさん。
しょうちゃんが刺されたときに公園で一緒にいたのは彼女らしい。
「いえ。学校に宿直がいてすぐにクラス担任へ連絡が取れたから私も来れたので」
藁科先生はしょうちゃんのクラス担任である多摩 美郷先生から連絡を受け、多摩先生と一緒に病院へ来た。
多摩先生は手術が無事に終わったことを確認して帰ったが、藁科先生はもう少し様子を見るといって残っている。
「映見……」
多摩先生が藁科先生へ何か言おうとして、溜め息をつきながら帰った。
藁科先生と会うのは夏休みに多摩先生と藁科先生がしょうちゃんのお家でお酒を飲んでいた日以来。
あのときも、
「なんで先生二人がしょうちゃんの家で飲んでるの?」
って疑問に思ったものだ。
……先生たちは酔っぱらっててそれどころではなかったけど。
「それに多摩先生がアタシに連絡してくれたから、みんなにも連絡とれたしね」
そう言う彼女は、しょうちゃんのクラスメートの矢作 梨華さん。
「それにしても翔悟が無事でよかったよ。先生からのLINEみたときには何の冗談かと思ったもの」
矢作さんは胸をなでおろすジェスチャーをする。
しょうちゃんのクラスメートに有名なモデルさんがいるって聞いていたけど、いま見せた動きもすごく可愛い……。
そんなことを考えていると、後ろから私の肩がつつかれた。
「……大井さんって興津くんの幼馴染みだったんだね。言ってくれればよかったのに」
私が振り向くとそこには、私のクラスメートの吉野 涼子さんがいた。
「ご、ごめんなさい。なんだか伝えるタイミングを失っちゃって……」
私は頭を下げる。
「あ、そんな謝らなくていいのよ。でも、私が興津くんの話をしたとき驚いたでしょ?」
彼女は今年から私と同じ特進一組に来たけど、一年の頃からしょうちゃんが好きだったと打ち明けられていた。
「う、うん、まあ……」
言いながら、私は再び室内を見渡す。
私を入れて八人。
全員女性。
しかも、みんな可愛かったり綺麗だったり、年上だったり年下だったり。
そして何よりも。
これだけの人数の女性が夜に連絡を受けて病院に駆けつけ、しかも深夜一時を回ってもしょうちゃんが心配で誰一人病室から帰ろうとしない。
ただのクラスメートとか、生徒とか女友達ってだけで、ここまでするものなの?
いや、違うよね……。
「美幸さん……ですよね?」
物思いにふけっていた私に、正面から声をかけてきたのは矢作さんだった。
「あ……は、はい」
「初めまして、になるのかな。翔悟といま、同じクラスの矢作 梨華です」
「あ、どうも……。大井 美幸です」
「美幸さんとは、一度、話してみたかったんです」
そう言いながらふと見せた笑顔がカワイイ。
「え、な、なんで……?」
「初めて翔悟の家に行ったとき、美幸さんの話を翔悟から聞いたんです」
え、ちょっと待って。
聞き捨てならないフレーズが二つほど出てきたんだけど。
「い、家に行ったときって、どういう……」
「美幸さんって翔悟の初恋の人ですよね?」
勇気を出して気になったことを訊こうと思ったら、矢作さんから思いもよらないカウンターパンチを受けて、私は言葉を呑みこんでしまう。
「いいなぁ。私も翔悟と小学校の頃に出会って、幼馴染になりたかったなぁ」
しみじみと矢作さんが言う。
幼馴染。
幼馴染、か。
ねぇ、しょうちゃん。
――私たちって、本当に正常な幼馴染の関係だったのかな?
◇ ◇ ◇
彼は、現れたときから私のヒーローだった。
彼と出会ったのは小学三年。
その頃、私はクラスでちょっとしたイジメのような扱いを受けていた。
彼ら彼女らにとっては年相応の子どもたちの深い意味はない、からかいだったのかもしれない。
しかし受ける側の私としては重大な問題であった。
直接的な暴力に発展することはなかったが、日々、自分に投げかけられる罵倒の言葉に、私の心は擦り減っていった。
両親への相談も考えた。
だが、ただでさえ共働きで私に寂しい想いをさせていることに責任を感じている両親である。
もし私がイジメを受けているなどと相談したら、全てを投げうってでも私の味方になろうとするだろう。
当時、人の顔色を窺うことに必死だった私は、両親の顔色さえ窺ってしまい、相談することを放棄してしまった。
私が我慢すればいい。
あと半年。
クラス替えを待てば、この流れも変わる。
そんな根拠のない希望を胸に、私は鉛が詰まったかのように重たいランドセルを背負って登校していた。
しかし毎日のように、
「いまここにトラックがハンドルを誤って突っ込んできてくれたら」
「あの工事現場の鉄骨を支えるロープがちぎれてくれたら」
学校が近づくにつれ一層重さを増すランドセルを背負いながら、そんなことを妄想することもあった。
今思うと、もしこの頃に彼と出会っていなければ、私はひょっとして今ここにいなかったかもしれない。
生きることに否定的になって、結果的に両親を悲しませる決断をしていたかもしれない。
そんなある日。
彼は私の母に連れられて快活に挨拶してきた。
「僕は、あ……じゃなくて興津! 興津 翔悟! 美幸ちゃん、よろしくね!」
私の人生が変わる瞬間だった。




