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第16話 やさしいのね

「私、会社の課長と不倫してるの……」


 くるみの告白は、そんな一言から始まった。



 不倫……。

 童貞高校生の俺には明らかに荷が重すぎる話なのだけど、くるみには関係ないようだ。

 きっと、誰かに話したかっただけなのだろう。



「入社研修が終わって、三ヶ月目に配属された今の部署にいたのが課長だった。ウチの会社では、どれだけ優秀な人でも課長になるのは早くて三十台後半なのに、彼は三十歳ですでに課長になっていたの」


「ふーん。仕事が出来る人なんですね」


「社内でも異例のスピード出世だったらしいわ。そんなエリートなのに、新入社員の私にも優しく接してくれて。女子高から女子大へエスカレーター進学してそのまま会社に就職して、男性にまったく免疫がなかった私は、だんだんと彼に憧れるようになったわ」


「でも不倫ってことは課長そいつ、既婚者なんでしょう? そういう人に安易に恋愛感情を持つのは、いくら男性に慣れていないからとはいえ如何いかがなものかと……」



 一応、一男子高校生としての意見を言ってみる。

 恋愛すらしたことがない俺には、そんな大人の恋愛事情なんかわかりゃしないけど。



「彼、結婚指輪をしていなかったの。もちろん、私の前で奥さんの話もしなかったから、私はてっきり彼を独身だと思ってしまって……」



 あいやー。

 童貞高校生の俺でもわかるが、その課長、最初っから蜘蛛の巣を張ってたね。

 ウブな女性が巣に引っ掛かるのを待っていたんだろうな。



「それでも最初の一年間は何もなかったのよ? 私からアピールなんて当然出来ないし、課長が私に言い寄ってくることもなかった。でも逆に私の課長への想いは、その一年で静かに育まれていったわ」



 なるほど。

「その一年で」ってことは一年後、なにか転機があったんですね?



「二人で福岡へ出張に行ったの。会社の規定で男女ペアでの出張は原則禁止なんだけど、課長と出張に行く予定だった男性社員がインフルエンザで倒れたから、急遽、私に声がかかって。正直、ラッキーと思ったわ」


「そのときに、ですか」


「……うん。私も彼を信じ切っていたから、中洲の屋台で飲みながら夕食を済ませたあと、酔った彼からの『もう少し飲みたいから僕の部屋に来ないか』という誘いに、疑うことなく乗ってしまったの」



 誘いに乗ってみたら課長に乗られちゃった、と。

 いやん、大人って怖い。


 ただ、このときの彼女は課長に恋してるワケで、ほぼ合意の上ってのがまだ救いか。

 まあ正直、彼女の部屋着を見てもわかるけど警戒心が薄そうだもんなぁ。

 蜘蛛の巣を張っていた課長にとっては、飛んで火にいる夏の虫だったんだろう。



「そこで初めて、彼から既婚者だと明かされたわ。ショックだった……。でも、初めて自分のすべてを捧げた相手を、嫌いになることがどうしてもできなかったの。『奥さんとの関係は冷え切っている』という彼の言葉を信じたのもある」


「そりゃ嘘でしょ」



 テレビで何万回と使われてる展開じゃん。



「……やっぱり他の人が聞けばすぐにわかっちゃうのね。気づかなかったのは初めての恋愛に溺れたバカな私だけ、か」


 くるみが自嘲気味に笑う。


「いや、そんなの嘘をつくヤツの方が100パー悪いですよ。それに、そのときは意図せずにそういう(不倫)関係になってしまったから、その嘘を信じるしか自分を正当化する方法がなかったんでしょう? あまり自分を卑下しない方がいいですよ」



 自分で言って鳥肌が出る。

 俺なんて自分を卑下してばかりだってのに。



「ありがとう。やさしいのね……」


 くるみが、自分のコーヒーカップを見つめながら呟いた。



◇ ◇ ◇



 あのとき、俺のとっさの一言でくるみは『操作』の呪縛から一瞬、解き放たれた。


「愛し合ってもいないのにセックスなんかしちゃ良くないってことだよ!」


 苦し紛れの言葉だったが、それは偶然にも、課長との望まぬ不倫で苦しんでいた彼女の琴線に触れたらしい。

 俺の言葉は『操作』の支配力を超えてくるみの潜在意識に届き、彼女の暴走を止めてくれた。

 俺はその瞬間を逃さず、くるみを止めていた両手を離すと自分の前髪を掻き上げた。

 そしてくるみと目が合った瞬間、素早く手を叩き、


「俺が掛けた『操作』を忘れる!」


俺はくるみにそう命令した。

 こうして、くるみの野獣ビーストモードは解除されたワケだ。



 俺がくるみに『操作』を掛けてから、今まですべての記憶を消すという命令も考えた。

 しかし、お互いが全裸でいたことや、くるみが泣いていたことに対して話の整合性が取れなくなるかと思い、敢えて限定的な命令に留めておいた。



『操作』が完全に解けた彼女から泣きだしたワケを聞くことになったのは、お互いが服を着てリビングに戻り、俺がキッチンを借りてコーヒーを淹れ直した後のことだった。

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