第26話 変なの
「さて、君にはそろそろ現世に戻ってもらわないといけない」
死神が静かに言う。
「そうですね……」
あまり長い間、霊体と現世の肉体が離れていると戻りにくくなるとは以前聞いた。
タトゥーに刺されて三途の川へ来てから、裁きの時間も含めて体感では二時間ほどってところか。
つまり現世で換算すると三十分くらいが経っていることとなる。
前回の倍の時間、肉体から離れているってことだ。
限界がどの程度かは知らないが、そろそろお暇した方がいいのだろう。
――だが、それは母さんと健太郎さんとの再度の永遠の別れの意味でもあった。
「母さん……健太郎さん」
俺は改めてリリィのタブレットから二人と向き合う。
「……変な巡り合わせだったけど、翔悟ともう一度話せたのは本当に良かったわ」
母さんは画面の中で涙を隠そうとしない。
たしかに、おかしな巡り合わせと言えた。
ワルダのせいで二人は亡くなったのに、ワルダのおかげで二人とまた会うことができたのだから。
「医者を目指してるってリリィさんから聞いたよ。翔悟くんならやれる。頑張って」
健太郎さんの顔はすでに涙でグッチャグチャだ。
「ありがとうございます。お元気で……ってのもおかしいけど、まあ、そんな感じで」
「うん。翔悟も身体に気をつけて」
「これこそ僕たちが言うセリフじゃないか」
健太郎さんが泣きながら笑う。
俺は二人の言葉に頷いた。
母さんと健太郎さんはこれから、リリィとワルダの後釜として死神の遣い魔となる。
身内の贔屓目としても、元看護士と元医師の二人なら人の死を無駄に浪費するようなことはしないだろう。
続いて俺は、遣い魔の役割を二人に引き継いだリリィと向き合った。
「じゃ、リリィも……」
「うん。もし現世で縁があったらよろしくね。まあ、何に生まれ変わるかわかんないけど」
「あ、転生先って人間じゃないこともあるんだ」
「そりゃそうだよ。生きとし生けるもの、全て転生先だもの」
そう言うリリィの口許がキュッと締まったのが見えた。
「……ひょっとして不安になってる?」
ちょっと緊張しているような表情に、心配になって尋ねる。
今の記憶がないワケだから生まれ変わった先で、
「今回の転生先、マジハズレだわー、萎えるわー」
とか考えることはないだろうけど、やっぱり不安だよなぁ。
「……まあね。でも、どっちかっていうとワクワクの方が近いかな? 辛い思いをすることもわかってるけど、それも覚悟の上での転生だからね」
「覚悟、か……」
リリィは、これまで命を奪う側だったのに、これからは奪われる側へ自ら行こうとしている。
それはまさに並大抵の覚悟じゃなければ踏み込めないところなのではないだろうか。
「リリィはすごいなぁ」
思わず本音が漏れ出た。
「なぁに、それ? 変なの」
「いや、マジでさ。リリィの立場から現世に降りようとするって、スゴいことだと思うんだ」
そして何より、さっきははぐらかされたけど、リリィにそこまでの覚悟をさせた人ってどんな人なんだろ?
よほど立派な生き方をしてるんだろうな。
俺もその人に負けないように頑張って生きていかないと。
――すると、俺の考えを読んだらしいリリィが何故か笑顔になった。
「どうしたの?」
「……いや、別に。キミは無理せず、そのままでいいよ」
俺の質問に答えることなく、リリィはいつまでも可笑しそうに笑う。
いつの間にか、彼女の緊張した面持ちは消えていた。
まあ、リリィの緊張が解れたならいいか。
「あ、伝えるの忘れてた。今回はさすがに外傷がヒドいからケガは治せないよ。自然治癒しかないからムリしないでね。治せるようになったところは治しておくけど」
前回死んだときは目立った外傷のない事故だったから、リリィは傷を治して生き返らせてくれた。
だが今回は公衆の面前でタトゥーに刺されてるしな。
その傷がなくなったりすれば、それこそ大騒ぎだ。
「わかってるよ。やれやれ、しばらくは入院生活か」
「キミなら多少、勉強が遅れても大丈夫でしょ?」
「まぁ、多分。心配なのは出席日数かな」
俺が心配事を口にすると、
「自己治癒の力は底上げしておいてやろう。不自然でない程度に最速で治るようにしておく」
死神が口を添えた。
「ホントですか」
「今回はワルダの行動を止められなかった我々、三途の川の者たちの責任でもある。気にしなくていい」
「助かります、ありがとうございます」
「もちろん、今回だけの特別措置だぞ。――まあ、そんなことは言わなくても、もう思い出すこともないがな」
「……? どういう意味ですか?」
死神の最後の言葉に違和感を感じた俺が尋ねる。
「文字通りの意味だよ。しばらくすればキミは、ボクや死神さまのことはもちろん、三途の川でのことや『操作』で起こったこと、すべてを忘れるから」
「ハハッ。こんな濃い半年間のこと、忘れるワケないだろ? リリィや死神のことだって一生、忘れないよ」
リリィが下らないことを言うので、思わず俺は鼻で笑ってしまう。
俺の成績を知ってるだろうに。
記憶力には多少、自信があるんだ。
――しかし、俺の言葉を聞いてもリリィは優しく微笑んだままだった。
俺はそこに、リリィの複雑な感情が隠れていることに気づいた。
「……待てよ。まさか俺、忘れちゃうのか? リリィたちのこと」
到底、信じられることではなく、茫然と尋ねる。
リリィの表情を見れば、答えは決まっているっていうのに。
「キミのご両親が肉体を失ってから現世の記憶をなくしたって聞いたよね? だから逆にキミが三途の川との繋がりを失えば、次第にココでの記憶を失っていくんだよ」
「そんな……」
「キミはすでに『操作』を持っていないし、ボクは転生するから死神さまとコンタクトを取る方法もなくなる。もう、キミと三途の川の繋がりはなくなった」
たしかに、その二つが俺と三途の川を結ぶものだった。
「だから、キミはすべてを忘れる。ボクのことも、三途の川でのことも、『操作』のことも」
リリィの顔は、遣い魔をやめると言ったときのようにすべてを受け入れた笑顔だった。
「違う! 忘れられるワケないだろ‼ 忘れていいワケないだろ!?」
思わず声を荒げる俺に、
「いや、私たちのことなど全て忘れるべきなのだよ」
応えたのは死神だった。




