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第4話 いまさら?

「ねえ、早く上がっておいでよ」


 なかなか階段を上がってこない俺にしびれを切らした美幸が、階段の上から顔を出して俺を呼ぶ。

 その顔には例の小悪魔のような笑顔が浮かんでいた。

 まさか自分を家に置いて、俺一人だけ登校するなんて夢にも思ってない顔だ。



 ……まあ、実際そうだから反論もないんだけど。



「じゃ、お邪魔します」


 俺は美智子さんに頭を下げて靴を脱いだ。


「はい、いらっしゃい。悪いけど旦那はもう出勤したし、私ももう出るところだったの。いつも通り、お昼は適当に済ませておいて」


 美智子さんが階段を上がる俺の背中にそう声をかける。


 看護師長である美智子さんは残業で帰宅が遅くなることが多い。

 そのため美幸の家には冷凍食品やレトルトなどの買い置きが沢山あった。

 お昼はそれを食べておけ、ということだ。


「すいません、ありがとうございます」


「いいのよ。美幸をよろしくね」


 よろしくと言われても、と思いつつ、俺は階段を上がって美幸の部屋のドアをノックした。


「どうぞ」


 美幸の返事に、俺はためらうことなくドアを開く。

 小学校の頃から入りびたった美幸の部屋は、俺にとってすでに女性の部屋ではなく半分身内の部屋のようなものだ。

 いまさら緊張することもない。


「相変わらず、小ザッパリとした部屋だな」


 美幸の可愛らしい外見から、普通は部屋も女の子っぽい部屋を想像するだろうが、期待に反して美幸の部屋はそういう装飾がまるでない。

 本棚の少女マンガがなければ、男の俺の部屋とほとんど同じじゃないだろうか。


 小学校の頃は、美幸の部屋もこうではなかった。

 出会ったばかりの頃なんて、普段着として千鳥柄のドレスを着ちゃうようなヤツだ。

 部屋の中も人形やぬいぐるみなど可愛らしいものに溢れていた覚えがある。

 しかし小学校高学年へなるに連れ、次第に人形やらドレスやらが部屋から姿を消し、中学校の頃にはだいぶこざっぱりしてしまっていた。


「だって、前の部屋は落ち着かないって言ったじゃない」


 美幸が口を尖らせる。


「俺が言ったからかよ。自分の部屋なんだから、自分好みにすればいいだろ」


「そうしたらしょうちゃん、部屋に来なくなっちゃうでしょ?」


 たしかに前の少女趣味の部屋は、俺にとってケツの座りが悪かった。



 ん?

 じゃ、美幸は俺のためにこういう部屋にしているってことか?



 ……そんなバカな。



 で、ここまでして学校をサボった俺と美幸が、美幸の家で二人きりになって何をしていたかというと――


「じゃ、勉強しよっか」


学生鞄から教科書を取り出しながら美幸が言う。


 そう、俺たちは学校をズル休みしておきながら遊ぶわけでもなく、今日の授業でやるであろう範囲の勉強を家でしていた。

 午前のうちにみっちり二人で勉強をし、昼飯を済ませてからは美幸の部屋にある少女マンガや小説を読んで過ごす。

 そして、下校時間の少し前に家へ帰るのだ。


 勉強の間も、俺たちは何か特別な話をしていたわけではない。

 わからないところをお互いに教えあうぐらいで、話していない時間の方がよほど長かった。


 俺たちは、こんな日を年に数回、繰り返していた。



◇ ◇ ◇ 



「決して優等生ではないよな。意図的に中学がっこうをサボってた訳だし」


 俺はあの頃を思い出しながら美幸に言う。


「富士くんと一緒にね」


「だから、俺は美幸に付き合ってただけだっての。――なあ。なんであの頃、たまに中学がっこうをサボってたんだ?」


 思い出したついでに、俺はふと尋ねてみる。



「……え、なんで?」


 バツの悪そうな顔をして美幸が尋ね返してくる。

 こいつがこんな顔をするなんて珍しい。


「なんでって、そりゃ気になったからだけど」


「え、いまさら?」


 まあ、俺は黙って何度も美幸のサボタージュに付き合っている。

 確かにいまさら、高校生にもなって何を気にしてるんだと思われても仕方ないかもしれない。


「学校でイヤなコトでもあったのか?」


「べつに。みんな良くしてくれてたよ」


 嘘ではないだろう。

 それこそ中学生にもなって、美幸をイジメるようなヤツがいたとも思えない。

 小学校の頃の俺たちの境遇を考えれば俺はまだしも、美幸の中学生活なんて天国みたいなもんだ。

 不満なんぞ、あるはずがない。


「それとも、人気者には人気者の辛さでもあるってのか?」


 ぼっちをこじらせていた俺には想像もつかないが、そんなこともあるのかと聞いてみる。


「なあに、それ?」


 だが、それも違うらしい。


「じゃあ、何なんだよ。俺までサボりに巻き込むだけの理由を教えてくれよ」


 俺が問うと、


「あー、えっとね……」


美幸はしばらく答えに窮している。



 ……え?

 そんなに言いにくいこと?



 あまりの沈黙の長さに堪えきれず、俺が逆に気を使って、「いや、ムリに答えなくていいぞ」と言おうとしたとき、美幸が意を決したかのように顔を上げた。



 美幸の顔を真正面から見るのは久しぶりだった。

 大きな瞳に長い睫、高い鼻に小さな唇。

 知らないうちに、また美しくなったように見えた。



「距離、をね、測りたくて……」


 小さな声で美幸が話し始めた。


「――あ、ごめん。なんか言ったか?」


 美幸の顔に見惚れていたとは言えず、思わず聞こえなかった振りをした。


「んっ……だからぁ……」


 美幸は顔を少し赤らめていた。

 そんな顔も美しいな、と俺は懲りずに考えていた。

 その小さな唇から答えが返ってくる。


「しょうちゃんとの距離を確認したかっただけ」


 語尾が消え入りそうになりつつも、美幸は必死になってそう言った。


「距離? 距離ってなんだよ」


 俺の問いに、


「別にいいじゃん。もうこの話はいいでしょ?」


美幸は話を打ち切ろうとしてきた。


「俺らの距離なんて、なにが変わるってんだよ」


 納得いかない俺は美幸に問い詰める。


「そう。変わんないんだもん」


 即座に返してきた美幸が不服そうな顔をした。




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