第3話 じゃ、いこ
◇ ◇ ◇
前にも言ったが中学入学後から美幸は、その美貌と性格の良さで一躍、校内で人気者となった。
一方、相変わらずぼっちから抜け出せずにいた俺は、人気者になった美幸の足を引っ張らないよう、周囲の目を意識して次第に美幸と行動することを減らしていた。
美幸から一緒に下校しようと誘われることもあったが、俺はなんだかんだと理由をつけ、それを避けていた。
しかし、朝の登校時はそういう訳にいかない。
始業時間は決まっているわけだから、どうしても登校時間は近所である美幸と被ることがあった。
「おはよ」
この日もウチのアパート向かいの電信柱から、タイミングを見計らったかのように出てきたセーラー服姿の美幸が挨拶をしてきた。
「……おはよう」
挨拶をされれば、いくら距離を開けようとしているからと言って、人として俺も返事せざるを得ない。
俺の返事に美幸はニコリと笑うと、
「じゃ、いこ」
まるで「私たちは毎日一緒に登校しています」といった顔で、当然のように美幸が俺の隣に立って歩き始めるのだ。
「あ、ああ」
こうなると今更、遅れて歩く訳にもいかない。
俺だってこの時間で登校しないと遅刻になってしまうのだ。
やむを得ず、美幸と並んで登校する。
こういった感じで週に一度か二度、美幸と登校する日があった。
もちろん下校時と同様、陰キャの俺が美幸の隣を歩くことで美幸の評判を下げるワケにはいかない。
同じ中学の生徒の姿を見つければ、速やかに距離を取った。
だが――
「ねえ、どこいくの?」
距離を開ける俺を小走りで追ってきて、美幸はそう声をかけてくる。
俺の気遣いに気付く気配すらない。
周囲の目を気にしながら、逆に周囲の目を一向に気にしない美幸と会話をするのはとても疲れた。
だが、いくら疲れようとも問題なく登校できる日はまだマシだ。
俺ばかりが周囲からの目に緊迫している登校中、追い打ちをかけるように、
「しょうちゃん」
美幸が急に足を止め、俺の名を呼ぶ日が何度かあった。
『「しょうちゃん」はやめろ』と思いながらも足を止めたままの美幸の方を振りむく。
「……どうした?」
顔を上げず、じっと下を見つめる美幸に俺は尋ねた。
「私、今日、学校行きたくない」
こういうとき、美幸は決まってそう答えた。
「また出た……」
予想していたとは言え、実際に言われるとため息が出る。
なぜなら、こうなると美幸は梃子でも動かないことを知っているからだ。
「帰る」
そして美幸は俺の意見など聞かず、問答無用で踵を返し、自宅に向かってずんずん帰ってしまうのだ。
「お、おい、待てよ」
そうなると俺も美幸に付き合って一緒に美幸の家へ向かうしかない。
自分と母親(この頃はもちろん、母さんは元気だ)が住むアパートの大家の娘である美幸を放って、自分だけ学校へ向かうなどという選択肢は借主にはなかった。
また万が一、体調不良が理由で家に帰りたいと言っているなら家までの道中が心配だからだ。
仕方なく俺は美幸の背中を少し離れた距離から追いかける。
これで例えば美幸の親が『ズル休みなんて許さない』というタイプだったら違ったかもしれない。
しかし美幸の母親である美智子さんは、
「学校なんて行きたくないなら行かなきゃいいのよ」
という、子供にとって都合のいい、大変理解がある母親だった。
だから、さっき家を出たばかりの美幸が玄関前で俺を背後に従えて立っていても、
「おかえり」
だけで何も尋ねることなく出迎えてしまう。
「いつも美幸を家まで送ってくれてありがとうね」
美智子さんが、2階の自室に上がっていく美幸の後姿を見送ったあと、まだ玄関に立ったままの俺へ振り向いてお礼を言った。
「いえ。もし体調不良が原因で帰りたいって言うなら心配なんで」
「あの子は幸せ者ね、しょうちゃんがこんなに心配してくれて」
美智子さんのまさかの言葉に俺は慌てた。
「そ、そんなんじゃないです! あ、あの、大家さんの娘さんですから」
「あら、ごめんね。変なこと言っちゃって。意識させちゃったかしら?」
謝っている割にはニヤニヤとしながら美智子さんが言う。
「もともと美幸《あの子》、今日はいつもよりも早めに家を出たから、しょうちゃんの所に寄ると思ったのよね」
「早めに……ですか? でも、美幸が俺のアパートに着いたのはいつもと同じ時間のはずですけど」
俺は今日、別に早く家を出たりなどしていない。
美幸が早めに出掛けていたのなら、ちょうど家の前で鉢合わせることはないはずだが……。
「あ……そう。そういうことになってるのね。じゃ、どこか立ち寄ってから、しょうちゃんの所へ偶然のタイミングで通りがかったんでしょう」
美智子さんが、今度は美幸の部屋のドアを見上げながらニヤニヤしている。
どうしたんだろう?
「さて、しょうちゃんはどうする?」
美智子さんの言葉の意味を考えていた俺へ美智子さんが尋ねる。
どうするというのは、もちろん学校のことだ。
美幸を家まで送り届けたこの時間になると、すでに中学は遅刻が確定だ。
そして一時限目の最中、みんなの注目を一身に浴びながら教室へ入る勇気がこの俺にあるかといえば、
「そんなもの、あるワケがない」
のであった。
「俺も休みます」
必然的にそう答えざるを得ない。
こうして結局毎回、美智子さんが俺の母さんにも電話をしてくれ、二人でそのまま仮病でズル休みをする羽目になるのであった。




