第1話 もう、帰る?
二学期が始まって一週間ほど経った。
暑い日は続いているものの、九月に入ってからは35℃を越えるような猛暑日は姿を消し、耐え難いほどの蒸し暑さが少し鳴りを潜めたような気がする。
それと並行して、クラス全体も夏休みという非日常から、学校生活という日常生活のリズムをようやく取り戻しつつあった。
しかし、この俺にそんなことは関係ない。
全ての授業が終わると同時に俺は、クラスメートの誰とも喋ることなく、素早く鞄に荷物を詰めて席を立った。
それは、二度目の高一を始めた今年の春の俺と同じような動きだった。
「――翔悟!」
しかし当時と違い、そんな俺を呼び止める声がする。
声の方を振り向けば、そこには渡良瀬と長尾の二人が立っていた。
いつもこの二人と連れ立っている梨華は、今日は午後からモデルの仕事で学校を早退している。
「もう、帰る?」
長尾が短く尋ねる。
「あ……うん」
短い俺の答えを受けて長尾が、隣に立つ長身の渡良瀬の顔をチラリと見上げる。
渡良瀬もそれに小さくうなずいて俺の方を見た。
「なぁ、翔悟。悪いんだけど来月の文化祭のクラスの準備、手伝ってくれないか?」
渡良瀬はスポーツマンらしい爽やかな笑顔で言う。
「文化祭の準備?」
枳高校の文化祭は例年、10月上旬に開催される。
夏休み明け、二学期初日のLHRで文化祭担当に渡良瀬が立候補し、ウチのクラスはメイドが接客するカレー屋台をやることになっていた。
数日前から渡良瀬はクラスメートたちと放課後、どんな店にするか話し合いをしているようだ。
「翔悟、料理が得意じゃん。なにか調理担当にアドバイスしてもらえないかと思ってさ」
渡良瀬の言葉に長尾が黙って頷く。
その長尾は当日、接客担当の女子生徒のメイクを担当する。
家族揃って美容師一家の長尾は、本人も美容師を目指しているので適材適所といえるだろう。
ちなみに現役人気モデルである梨華は接客担当の目玉だ。
当日は仕事で使っている撮影スタジオから本格的なメイド服を借りてきて、それを着るらしい。
自ら進んで、客引きパンダとして男女問わず動員をかけるとクラスメートたちの前で宣言し、大盛り上がりになっていた。
「……ごめん。バイトが忙しくて、ちょっと参加できそうにないんだ」
しかし俺は、二人と目を合わせないようにしつつも申し出を断った。
もともとLHRの段階で文化祭には参加できないと伝え、担任の多摩先生にも許可はもらっている。
「『飛行艇』のマスターにバイトのシフトを増やしてもらえないかって頼まれてるんだ。だから二学期から、放課後はほぼバイトになる」
これは嘘だ。
バイトのシフトは一学期と変わっていない。
毎日は無理でも、週に2~3日なら放課後に文化祭の準備を手伝うぐらいは充分出来た。
だが俺は、嘘をついてでも文化祭の準備を手伝うつもりはなかった。
「……じゃあ、もういいかな? バイト遅れるから」
俺は嘘がバレないうちに目を伏せたまま、渡良瀬たちの脇を抜けて教室を出ようとした。
しかし、渡良瀬も簡単に俺を帰してはくれない。
「ちょっと待てって!」
強く引き止める言葉とともに右腕を渡良瀬に掴まれ、俺はその場を離れることができなかった。
「なぁ、二学期に入ってからどうしたんだ? この夏休みの間、お前に何があった?」
渡良瀬が強い口調で訊いてきた。
クラス内にはまだ授業終了の開放感に溢れた空気が充満している。
おかげで俺と渡良瀬のあいだの只ならぬ雰囲気には長尾以外、誰も気付いていなかった。
「俺たち、せっかく仲良くやってきたんじゃないのか? それを急に壁を立ててきて。なんで、そんなに変わっちゃったんだよ」
聞きようによってはケンカ口調とも取れる言葉だろう。
ただ、渡良瀬からはそんな空気を感じない。
――やれやれ。
この男は本当、どれだけイケメンなんだ。
こんな愛想のない俺に対しても、いまだに諦めることなくコミュニケーションを取ろうとしてくれている。
しかし――
「別に何もない。渡良瀬こそなんだよ。腕を掴まないでくれ」
そう、何もない。
いや、違う。
何も変わっていなかっただけだ。
あのままいけば、いつか、何かになれるような気がしていた。
でも結局どこまで行こうと俺は俺であって。
俺以外の何かになんてなれるワケがなかったんだ。
「梨華も戸惑ってる。急に冷たくなったって」
いつもは無口な長尾からもそう言われた。
梨華の名前を出され、俺も正直、動揺する。
◇ ◇ ◇
夏休みが終わる前日、俺は梨華へ、
「もう俺には連絡してこないでくれ」
とLINEを送っていた。
梨華だけでなく吉野さんや、しぃちゃん、奈那にも同じようにLINEを送った。
既読がついた瞬間、矢のように質問がきた。
「なんで? ヤだよ、翔吾」
「富士くん、どうしたの?」
「ウチ、なんかアカンことした?」
「お兄ちゃん、やっぱり、あの時何かあったの?」
しかし、俺はどの質問にも答えることはなかった。
二学期が始まってからも、学校が違うしぃちゃんはまだしも、梨華や吉野さんとはほとんど喋っていない。
休憩時間には教室から出て人気のない階段で時間を過ごし、放課後も逃げるように下校する俺を見て、二人からもようやく最近は諦めムードが漂ってきた。
今日、渡良瀬たちと喋るのも、梨華がこの場にいないからだ。
梨華がいるときは、この二人とも話していない。
◇ ◇ ◇
「梨華は自分が気付かないうちに翔悟を傷つけたんだとショックを受けてる」
長尾の言葉に、再び胸が掻きむしられるような思いをする。
梨華には何の責任もない。
悪いのはすべて俺だ。
「――梨華は別に悪くない。そう伝えてくれ」
「オレたちからそう言われて、はい、そうですかって梨華が納得するか? お前から伝えろよ」
渡良瀬の言葉は正論だ。
しかし、俺は首を横に振る。
「思い出してくれよ。俺はもともと、渡良瀬たちみたいにクラスのイベントへ積極的に参加するような人間じゃなかっただろ? 三人と仲良く話すような人間じゃなかっただろ? それに戻るだけさ」
俺は渡良瀬に掴まれていた手首を振りほどき、
「もう、俺には構わないでくれ」
そう付け加えて、俺は教室を出る。
「お前だって楽しそうにしてたんじゃなかったか⁉」
その俺の背中へ、渡良瀬が叫んだ。
楽しい?
なにが?
クラスの奴らと、仲間のような顔をして笑い合った日が、か?
楽しいワケないじゃないか。
俺は一人で勉強して、東大に行って、医学部へ入って……。
そこまで思って、俺はふと廊下の窓から外を見た。
――そして、俺は何をしたかったんだ?
大変お待たせして申し訳ありませんでした!
最終第6章、本日より連載開始です。
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本日はあと二話、更新します!




