第29話 わかるんだよ
「なんでアンタは自分の子供へそんなに迷惑をかけてられるんだ!?」
思わず発した俺の怒声に、
「そんなもん、俺が親だからに決まってるだろうが!」
クズが急に立ち上がって叫んだ。
「俺だって親が言うとおり、ガキの頃から勉強していい大学に入り、外資系にまで就職した! そうやって我慢しながら親孝行の息子を演じてきたんだ! お前らだって俺の子供なら俺のためにそうするのが当然じゃねぇか!」
口周りに泡を吹きながら叫び続ける。
「俺ばかり親の喰いものにされるなんて不公平だろうが! 同じように自分の子供にさせて何が悪い!? 子供なんて親の養分になってりゃいいんだよ!」
言いたいことを言ったのか、肩で息をしている。
だが、そのあまりに身勝手な主張に俺は呆れるしかなかった。
「――お前、ホントにクズだな」
健太郎さんは俺のことを心配して、その遺産を俺に残してくれたってのに。
クズはなんでこんなにもクズなことを言えるんだ。
「……クズ?」
しかし、俺の言葉を聞いたクズが不気味に笑った。
「そういえばお前はガキの頃から今みたいに俺を見下した目をしていたな。昔っから俺は、お前のその目が大っ嫌いだった」
クズが俺を指差す。
「今、思い出したわ。お前のその目、俺の親父が俺を見ていた目とソックリだ」
そして、俺を嘲るように笑った。
「お前がどれだけ取り澄ましてようと、お前にも俺の家の血が流れてんだ。どれだけ俺を否定しようが、お前も根っこは俺と同じタイプの人間だって忘れんな」
俺はクズの言葉に背筋が冷たくなる。
――俺とコイツが同じ人間だって?
「俺だって親の前ではずっと、いい子を演じてきた。オヤジとおふくろが死ぬまで俺は必死に自分を偽ってきた。お前だって今、本当の自分を偽ってるんだろうが?」
……偽ってる?
違う。
俺は本当に、何もかも無関心だった自分を変えたいんだ。
「……俺は自分を偽ってなんかいねぇ」
しかし、俺が発した反論の声は口の中で小さく響くだけで、強い意志を自分でさえ感じることができなかった。
たしかに俺は16年間、ぼっちで他人をどうでもいいと思っていた人間だ。
そんな男がたかが数ヶ月、偶然手に入れた『操作』の力で人助けした程度で、何を変えられるのか。
その疑問がいつも頭にあったからだ。
「わかるんだよ。ホントはお前、こんなことする人間じゃねえだろ? 自分だけ良けりゃ周りがどうだろうと気にしねぇだろ?」
クズが一歩、俺の方へ近寄る。
「……違う。俺をお前のようなクズと一緒にすんな」
胃から絞り出したような声で応えるが、自分でも声に力がないのがわかった。
「無理すんなよ。お前はそんな人間じゃない。何故ならお前は俺そっくりだからだ」
俺とこのクズがそっくり?
「んなワケ……ねぇだろうが……」
ようやく絞りだした俺の弱々しい反論を聞き、
「その割にはさっきからお前、俺と口調がそっくりだぜ」
クズが指摘して、楽しそうに笑った。
「諦めろ。お前は俺の息子だ。お前が言う、クズな人間である俺の血が流れる、クズな人間なんだよ」
ああ、気分が悪い。
俺は……俺は……。
「お前の考えはわかるぜ。どうせ奈那に恩でも売って、お礼に奈那を抱こうとでも考えてんだろ?」
クズが俺の目の前まで来て俺の目を覗き込んだ。
な、何を言ってんだ。
俺はこんなクズとは違う。
そんなこと考える訳が……。
ああ。
でも奈那に迫られたあのとき、もっとハッキリと奈那を引き止めることは出来たんじゃないのか?
奈那の裸まで見ておいて、そんなつもりはなかったって、ホントに俺はそんなつもりはなかったのかな……。
「いいぜ、社長の後だったら好きにしろよ。奈那の処女だけ貰えればいいって社長も言ってたしな。それだけで俺に五百万もくれるってんだ」
クズ親父が、タバコのヤニで黄色くなった歯を見せて笑った。
違う。
いくら義理の妹だって、俺はそんなつもりで……。
でも奈那の裸体は、本当に本当に美しかった。
彼女の身体を思いのまま抱きしめることができたら……。
「なんなら金も少し分けてやるよ。金だって欲しいんだろ? な?」
クズ親父が俺の目の前まで聞いて、そう囁いた。
……金。
そうだ、金はあっても困らないよな。
金さえあれば母さんは夜勤するほど働かなくて済んだ。
そうすれば母さんは富士さんと出会うこともなく、あの火事に巻き込まれて死ぬこともなかったかもしれない……。
「そうだ! 俺もお前の後に奈那を抱いてやろうかな。母親と娘の親子をヤる機会なんて、早々あるもんじゃねぇしな!」
親父が最後に、心底、楽しそうにそう言った。
その言葉で、俺の頭の中は一瞬にして真っ赤になった。
それは怒りの炎だったのか、血の色だったのか。
「いい加減にしろぉ!!!!」
俺は大声で叫ぶと、指が折れるほどの力でフィンガースナップを鳴らした。
瞬間、俺の親父は『操作』特有の虚ろな目になった。
――ああ、気分が悪い。
俺は押し寄せてきた吐き気を我慢できず、その場に跪いて胃の中のものを全て嘔吐してしまった。
かといって今日は玲奈さんと会ったりして、朝食からはほぼ何も口にしていなかった。
そのため、胃から出るのは鼻の奥で嫌な臭いをさせる胃液だけだった。
苦しい。
誰かに自分の胃を、爪を立てて握りしめられているような猛烈な痛みを感じ、立ち上がることが出来ずにいた。
涙目で俺は、目の前に立つ俺の親父を見上げる。
コイツだけは、コイツだけは許さない。
俺はフラフラの状態で立ち上がりながら、目に溜まった涙を拭い、口の中の胃液をすべて吐き出した。
ダメだ。
胃が痛すぎる。
息が細切れにしかできない。
俺は左手で自分の胃の場所を力いっぱい鷲掴みにして、胃の痛みを出来るだけ誤魔化すようにした。
そして、ゆっくりと指示を始める。
「まずはその社長ってのに連絡して、奈那との食事はナシになったと言え。煩く言うなら警察へ通報すると伝えろ」
『操作』された俺の親父は、スマホを取り出してどこかへ電話をかけた。
最初は電話口で大きな怒声も聞こえたが、警察の名を出した途端、電話は切れた。
これで親父の再就職の芽もなくなった。
社長に対してなんらかのペナルティがあっても、とは思ったが、あくまで未遂で終わった話だ。
それに、優先すべきはこちらだ。
さあ、最後の『操作』だ。
「これからお前は誰にも迷惑をかけることなく、自力で奈那から奪った金をすべて返済しろ」
親父はボンヤリとしながらも頷く。
『誰にも迷惑をかけない』という曖昧な言葉にしたのは、玲奈さんやさっきのクラブのマキ以外の相手がいたとしても問題ないようにするためだ。
そして、この『操作』が意味する本当のことも十分理解した上で、俺は命令を出していた。
「行け」
俺の言葉を受けて、俺の親父はこちらへ背を向けると、そのまま振り向きもせずにまっすぐ公園の出口へと向かった。
俺は姿が見えなくなるまで、睨むように自分の父親の背中を見つめていた。
そうすることで、俺の中に流れるあの父親の血が浄化されてほしいと願った。
――反面、そんなことは幻想でしかないと自分でも分かっていた。
俺の中に間違いなくあの父親の血が流れているという事実は、自分が死なない限り消えないと、この時の俺にも十分、分かっていた。




