第13話 見せてみなさい
「おまたせ。いま、コーヒー淹れるね」
くるみの声で、俺は我に返った。
部屋から出てきてキッチンに向かうくるみの姿は、紺のパーカーに丈が足の付け根ぐらいまでしかないモコモコのショートパンツだった。
くるみの真っ白で少し肉付きのイイ太ももが丸出しになっている。
ちょっと、足!
露出、多くね⁉
俺が高校生だからと気を抜いているのか、さっきの姿見といい、この格好といい、あまりに無防備過ぎないか、この人⁉
「コーヒーはミルクと砂糖入れる?」
あまり太ももを凝視してはいけない、でも見たいという俺の葛藤に気づかないくるみが、キッチンからのんきに声をかける。
「ミ、ミルク⁉ ……て、ああ、コーヒーはブラックでいいです」
「えー、高校生なのにブラック飲めるんだ。私なんて、いまだにミルク入れないと美味しいって思えないんだよね」
「コーヒー好きの母を真似て無理してブラックで飲んでいたら、いつのまにか飲めるようになりました」
言って、三途の川での母さんの死の話を思い出し、俺の胸は少しザワついた。
「そうなんだ。でも、たしかに翔悟くんは甘いコーヒーよりもブラック飲んでそう」
「そうスか?」
「うん。ちょっとクールな感じが、ね。はい、どうぞ。インスタントでゴメンね」
「いえ、ありがとうございます」
俺はコーヒーに口をつける。
いろいろなことを考えすぎて、コーヒーの味なんか全くわからなかった。
「――あ、そういえば、子猫はどうなりました?」
俺は気分を変えようと、元々の騒動の原因である子猫のことをくるみに尋ねてみる。
「それが見失っちゃったのよ。でもケガもしてなかったし、多分、無事だと思うわ」
「あの逃げっぷりを見たら、大丈夫そうですけどね」
「ホントよ。抱き上げたらパッと飛び出して、あっという間に逃げ出しちゃうんだもの」
「くるみさんの抱き方がヘタだったんじゃないですか?」
「あ、ヒドい! こう見えても、実家では猫を二匹飼ってるんだからね。猫の扱いは慣れてるのよ」
「どうですかね。あの逃げられ方はダサかったですよ」
「む~。でも、たしかにそうなのよね。せっかく助けてあげようとしたのに……」
「ハハハ。ま、猫は、こっちの事情なんかお構いなしですから」
俺は笑って、コーヒーを啜った。
……ふう。
猫の話をしたおかげで、さっきまでの悩みが少し頭から離れてくれた気がする。
さすが。
猫さまは偉大。
さて。
冷静になって考えればくるみは本来、今日死ぬ予定だったんだよな。
それを、生き返ったとはいえ俺の命と引き換えに救っておきながら、今度は俺の能力の実験台にするって何だか本末転倒じゃないか?
俺が救った命なんだから何でもしていいって考えはちょっとなぁ……。
そう考えると、くるみで『操作』の実験をする度胸がどんどん萎んでいく。
こんな気分で実験するのも気が引けるな。
……仕方ない。
実験は、別の誰かをまた考えよう。
今日は、このまましばらくしたら帰るとするか。
俺がそう決心したところに、
「さてと、それじゃ……」
くるみがおもむろに立ち上がり、再び隣の部屋へと消えた。
かと思うと、小さな木箱を持って戻ってくる。
「なんですか、それ」
「なにって救急箱よ。ケガがないか見てあげる」
「はあ⁉ だから俺はケガなんかしてないですって!」
「あんな事故に遭っておいて、ケガがないなんてありえないでしょ! アナタ、十五分ぐらい意識もなかったのよ⁉」
たった十五分?
三途の川には一時間ぐらいいたつもりだったのに。
三途の川の方が現世より時間の経過の仕方が早いのか?
たしかに肉体を離れた霊体の方が感覚が鋭くなって、体感時間も長くなるというのはありえない話ではない。
――て、今はそれどころじゃねぇ!
「いや、大丈夫ですって! ケガがないっていうのは自分でわかってますから!」
「自分でそんなのわかるワケないでしょう⁉」
いえ、それがわかるんですよ。
今の俺は、リリィによって虫歯さえない超絶健康体になっていることが分かっているんです。
「でも、コレは言えないしなぁ……」
俺が俯いてため息をついている隙に、
「どれどれ。まずは頭のところをお姉さんに見せてみなさい」
くるみが言いつつ俺の前髪を掻き上げる。
「え⁉ ちょ、勝手に何してるんですか! やめてください!」
慌てて抵抗したが間に合わなかった。
「あ……」
くるみが目を見張る。
くるみの手で掻き上げられた俺の前髪の下に隠れていたのは、俺の額の右半分をほぼ覆いつくす火傷の痕だった。
「え……? これ、今日の傷……じゃないわよね?」
「――違いますよ」
もちろん、この火傷の痕は今日の事故でついたものではない。
これは、俺の過去のケガだ。
「これを見られたくなかったのに……」
一年前についた、この火傷。
あの日から俺の人生は変わった。
鏡でこの火傷を見るたび、俺はあの日のことを思い出す。
リリィも何故かこの傷は治さなかったが、それは逆にいい。
なぜなら、これは俺の罰だから。
俺が一生、背負っていくべき傷だから。
ただ、この傷を見て人に同情されるのは違う。
だから、前髪を伸ばして額を隠した。
自転車通学もやめて、人に額を見られないようにした。
それなのに、この人は……。
「もういいや」
一度はやめようと思ったが、もういい。
くるみに実験台になってもらえばいい。
人の見られたくないところを無理やり見るような人だ。
どんな扱いをしたって構うもんか。
都合のいいことに今、前髪を掻き上げられているから、俺はくるみと目が合っている。
あとは――
「こうか!」
俺はまるで相撲技の猫だましのように、俺とくるみの間で両の掌を勢いよく合わせた。
部屋に『パアアン』という乾いた破裂音が響く。
命令は?
命令はどうする?
――もうどうでもいいや。
とびっきり下品な命令にしてやれ。
「あなたは俺とセックスがしたくてたまらなくなる」
どうだ。
命令してやったぞ。
さあ、本当に死神の能力は発動したのか……?
と思っていたところ、くるみがゆっくりと立ち上がった。
そして彼女はパーカーを脱ぎ、ショートパンツを脱ぎ、キャミソールを脱ぎ、ブラを取り――
パンティを脱いだ。
「翔悟くん……抱いて……♡」
こうして俺はくるみに裸で迫られることになったのである。




