第23話 私のために
「ただいま帰りました!」
その日の16時すぎ。
笑顔で家のドアを開けた奈那を、
「……おかえり」
居間から出迎えた俺。
「お兄ちゃん、今日はバイトないんですよね? すぐにご飯の支度、始めますから。出来上がりは6時ぐらいでいいですか?」
洗面台で手を洗いながら、奈那が居間にいる俺に声を掛ける。
「奈那。夕飯の支度はいいから、とりあえずここへ座って」
俺は奈那に言う。
「……? はい、ちょっと待っててください」
洗面台の水音が止まり、手を拭きながら奈那が居間にやってくる。
そして、ちゃぶ台の上の俺のスマホの画面を見て奈那の表情が固まった。
「座ってくれるか?」
俺はもう一度、奈那に言う。
スマホにはもちろん、奈那が失踪したと報じたニュースが表示されていた。
奈那は強張った表情のまま俺の前に正座する。
そんな奈那を見て、まず俺は少しわざとらしいぐらいの笑顔を見せた。
そして、
「別に怒るワケじゃないから正座なんてしなくていいよ」
出来るだけ優しく奈那に声をかけた。
「……怒らないんですか?」
俺が言っても足を崩さない奈那が尋ねる。
「なにに怒るって?」
「お兄ちゃんに、仕事へ行ってるって嘘をついていたこと……です」
消え入りそうな声で奈那が言う。
「なんで俺が奈那の仕事のことで怒るんだよ。奈那のマネージャーでもないのに。俺は義理の妹を家に泊めてただけだ」
俺はそう言って肩をすくめる。
奈那は俺の言葉に驚いたようだが、そんなことは当然だ。
「この5日間、奈那のお陰で俺のQOLは爆上がりすぎて絶賛限界突破中なんだぞ? 感謝こそすれ、怒ることなんか何一つないよ」
奈那の家事はミスを捜すことが難しいほど完璧だし、いつも家に美女がいるというのは、そんじょそこらのアロマテラピーなんか裸足で逃げ出すほどの癒やし効果がある。
ストレッチ姿は下半身に毒だけど。
「正直、ココに泊まるなんて言われたときは面倒ごとに巻き込まれたと思ったよ。けど、今はそんなこと思ってない。奈那がいてくれて助かってる。本当にありがとう」
俺は頭を下げる。
「そ、そんな……」
奈那も恐縮して頭を下げた。
「それに俺も半年以上、母さんと義父を事故で亡くして家に引きこもっていた時期があるからな。どうしても人に会いたくないときや、奈那のように仕事に行きたくないときだってあるのはよくわかるつもりだよ」
ここで俺は改めてスマホを取り上げる。
「ただ、仕事は周りの人に心配をかかるだろ? それは反省しないとな。奈那にも事情はあったとしても、だ」
「……はい」
「ここに来て4日間、毎日仕事だって言って出ていたけど、どこにいたんだ?」
「毎日、マンガ喫茶を転々としてました……」
「よく店員や他の客に気付かれなかったもんだな」
「マスクとメガネをしていたらそれほど気付かれないです。夏休み中だから、私と年齢が変わらない子も多いし」
なるほど。
学校が始まっていたら、平日昼間からマンガ喫茶に入り浸るなんて即通報案件だもんな。
夏休みだからこそ出来たことか。
「仕事が嫌いになったワケじゃないんだろ? なんでまた?」
「少し、仕事でイヤなことがあって……」
「このままじゃ、辞める云々の話になりかねないんじゃないのか?」
「それは、それで仕方ないかなって……。まだ仕事に復帰する気持ちもないですし……」
――それはウソだろ。
仕事でイヤなことがあって辞めようってヤツが、毎晩、あれだけしっかりストレッチしない。
いつでも仕事に復帰できるよう考えてるからこそ、あれだけ念入りにストレッチをするのだ。
「奈那がアイドル辞めるのは自由だけどさ。俺は残念だな」
「……え?」
「いや、これまでアイドルなんて興味もなかったけどさ。身内にアイドルがいるってなると気になって見るようになるじゃん」
俺はここ数日、奈那がいない日中にYouTube Musicでアイドルソングばかり聞いていた。
「アイドルソングとかキャピキャピしてて苦手だったんだけど、身内が歌ってるって思うと聴けるもんだな。で、いざ聴いてみると元気出る歌詞も多いし、励まされる感じで楽しくなってきたんだよね」
特にリリィの忠告があって以来、気落ちしている時間が長かったからな。
俺の心のリハビリに、奈那の所属するクオーレの曲はとても役立った。
「何だっけ……
♪キミの背中 押す 私の手
感じますか 伝わりますか♪」
俺は恥ずかしながらもヘタクソな歌を奈那に披露する。
それを聴いた奈那が笑顔になり、口を開いた。
「♪Go! 今ここから
Go! 飛び出して
キミのために 私のために♪」
奈那が俺のあとを継いで歌ってくれた。
当然だけど、やはり本人が歌うと半端なくイイ。
「クオーレの人気曲の『Go!』ですね。私もこの曲、好きです」
サビを歌い終えて奈那が微笑む。
「奈那が料理作ってくれてるときに歌ってた鼻歌でさ。密かにいい歌だなって思ってて、YouTubeでこっそり検索したんだ。最近、ヘビロテなんだよ」
「気付きませんでした……」
「奈那が帰ってくる前に再生履歴をいつも消してたんだ」
俺は真顔で答えた。
「そこまでしてたんですか!?」
奈那が口に手を当ててコロコロと笑う。
「義妹が歌ってる曲をヘビロテで聴いてるって、なんかキモいじゃん?」
特に本人にバレるとか。
どんな顔して聴いてんだよ、プププとか。
いや、奈那がそんなこと考える子じゃないのはわかってるけどさ。
「お兄ちゃんに聴いて貰えてるなんて思わなかったです。言ってくれたら良かったのに」
「もうバレたから今度からは隠さずに聴くよ。明日CD買ってくるからサインしてくれる?」
「喜んで」
奈那は笑いながら頷いた。
「……まあ、そんなワケでさ。新規ファンも一人増えたことだし、もう少し仕事、頑張ってみない?」
俺は冗談めかして奈那に提案する。
奈那は手元を見ていたが、やがて、
「そうですね……。もうしばらく頑張ってみます……」
そう答えた。
一件落着……なのか?
ただ、奈那の表情が少し曇ったような気がしたけど。
まだ何かあるのだろうか?




