第21話 はじめまして
奈那が俺の家に転がり込んできて、早いものでもう五日が経過した。
「お兄ちゃん、おはようございます」
居間と繋がる襖を開いた俺へ、台所から奈那が笑顔で声をかけてくる。
「おはよう」
五日目にしてすでに、奈那が作るみそ汁の出汁の香りに釣られて居間への襖を開けるのが日課になりつつある。
今日の朝食は出汁巻き玉子に豆腐とわかめの味噌汁、納豆と昨日のうちに奈那が作り置きしていたほうれん草の胡麻和えだった。
俺一人だと朝はトーストで済ませていたから、奈那が来てからの食卓の充実っぷりに驚きだ。
お米は奈那が来てから白米ではなく雑穀米に変わっている。
「すいません。私、お米が大好きで白ご飯だと食べ過ぎちゃうんです。だから家でも仕事先でも雑穀米にしていて……」
俺はこれまで雑穀米は未経験だった。
しかし、二日目に奈那が買ってきた白米と一緒に炊き込むタイプの雑穀米は、風味はあるもののそんなに苦手な味ではなかった。
だから奈那に付き合って毎食、雑穀米にしている。
俺の分だけ別に炊くのも面倒くさいしな。
食事を作ってもらってるだけありがたい。
「今日の仕事はなにをするんだ?」
俺好みの甘くない関西風出汁巻き玉子に舌鼓を打ちながら、何の気なしに奈那へ尋ねる。
いつもは奈那の仕事のことなんか聞かない。
朝はいつもNHKのニュースを見ながら、俺と奈那の唯一の共通の話題である天気の話をする程度だ。
だが今日は、少し思うところもあって奈那の仕事のことをちょっと聞いてみた。
「あ、仕事ですか……? えっと今日は……雑誌のインタビューです。もうすぐマネージャーが来ますんで」
「そうか、わかった。洗い物はいつも通り、流しに入れておくだけでいいから」
「すいません。本当は私がやらなきゃいけないのに」
「いや、俺の方が楽させてもらってるんだから、それぐらいはやるよ」
奈那は、夜は俺より早く寝ているようだが、朝は確実に俺より二時間は早く起きてる。
朝イチでシャワーに入り、洗濯をして、それから朝食の準備をする。
そして今のように二人で一緒に朝食を済ませてから、奈那は仕事へ出掛ける。
いつも家の近くまでマネージャーが迎えに来てくれているらしい。
朝食の後片付けと洗濯物を干す作業だけが俺の仕事だ(もちろん、奈那の下着は別に奈那が自分で風呂場に干している)。
奈那の仕事は夕方に終わるらしく、毎日、夕食の材料を買っては夕方ごろに帰ってくる。
それからすぐに夕食の準備に入る。
仕事後に家事をするのは大変だから、夕食は俺が作ると奈那には言ったのだ。
しかし、
「いえ。お世話になっているのだから私にやらせてください」
と言って譲らない。
仕方ないので風呂掃除は俺がして、せめて毎日、湯船に浸かってもらっている。
それぐらいしか奈那にしてやれることがない。
それにしても奈那のやつ、中学生なのにスペック高すぎるだろ。
義妹じゃなければ迷わず嫁に貰うタイプだ。
「じゃ、お兄ちゃん。いってきます」
「いってらっしゃい。仕事頑張って」
「……はい、ありがとうございます」
奈那は外を向いたまま返事をしてドアを閉めた。
マネージャーとの待ち合わせに遅れそうだったのだろうか。
珍しく俺と目を合わせずに出て行ったな。
食器を洗い、洗濯物を干し、部屋に軽く掃除機をかける。
時計を見れば、まだ朝の9時を回ったところだ。
奈那のおかげで日々の暮らしがだいぶ楽になっている。
勉強を始めてもいいが、まだ時間的に余裕がある。
ゆっくりとコーヒーをドリップし、俺としてはこの時間に珍しくテレビを点けてみた。
俺は普段、こんな時間にテレビは見ない。
夏休みの午前中なんて、興味のない芸能ニュース中心のワイドショーぐらいしかやっていないからだ。
だったら読書でもするか、YouTubeでも見ていた方がいい。
ただ、ちょっと気になるところがあって今日はワイドショーを見てみた。
テレビでは芸能に疎い俺でも知っているお笑い芸人が司会のワイドショーがちょうど放送されていた。
「クオーレの愛川 奈那さんが行方不明」
ちょうど画面に出てきたニュースの見出しをみて、俺が飲みかけのコーヒーを吹き出したのは言うまでもない。
「やっぱりそうだったか」
俺はテーブルに吹き出したコーヒーを拭きながら呟いた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、俺は自分が住む隣の区の、とあるファミレスで人を待っていた。
ランチタイムではあったが郊外のファミレスだったため、それほど混雑はしていない。
待ち合わせ相手が来るまで気まずい思いをしなくて済みそうでホッとした。
俺は周囲を確認してからスマホを取り出し、ネットニュースを開く。
「人気アイドルグループ『クオーレ』メンバー、仕事現場に現れず」
タイトルを見るだけで、思わずゲンナリとしてしまう。
クリックして記事内容を読む。
クオーレのメンバーである愛川 奈那が、オフ明けの一昨日から仕事現場に現れていないという。
自宅にも帰っておらず、事務所は警察への捜索願も検討中ということだが……。
「俺のウチにいるんだよなぁ……」
俺はため息をついた。
奈那が仕事に行っていないかもしれないというのは、実は俺の家に来た翌日から薄々感じていた。
なぜなら、奈那のマネージャーが俺の家まで奈那を迎えに来なかったから。
たしかに奈那からは、マネージャーは家の近くで車を止めて迎えに来ていると聞いていた。
しかし自宅以外の、しかもいくら義兄とはいえ得体の知れない一人暮らしの男の家に、まだ義務教育中で超売れっ子の所属芸能人が滞在しているのだ。
普通はスキャンダルを警戒して俺の家まで直接、マネージャーが迎えに来てもいいはずだ。
もし事情を知らない芸能カメラマンに、俺の家から奈那が出てくるところを撮られたりしたら、たとえ火のないところでもムリヤリ煙を立てられかねない。
奈那も芸能事務所も、あまりに無防備過ぎる。
俺の中では五分五分の確立だったが、残念ながら良くない方の予想が当たってしまった。
まあ、その辺を不思議に感じたのは、藁科先生としぃちゃんの騒動が記憶に新しいからだ。
あれ以来、俺の家から女性が出て行くときは何となく盗撮を気にするようになってしまっていた。
だから奈那のあまりに無防備な行動に不自然さを感じたのだけれど。
俺は奈那の失踪のニュースを見た直後、奈那にLINEを送っている。
これまで奈那の仕事仲間に誤解されてはいけないと、仕事中の奈那にLINEを送ることは避けてきたが事情が事情だ。
俺は奈那とのトーク画面を再び開く。
「いま、何をしているんだ?」
という俺のLINEに少し遅れて、
「今はスタジオで撮影中です」
と奈那は平気で大嘘の返事を送ってきた。
俺がいつもNHKや経済ニュースしか見ないから、まだ自分の無断休み騒動がバレてないと思っているらしい。
今考えてみれば、奈那がいるときはいつもテレビがすでに点いていて、ニュースかYouTube Musicが流れていた。
俺が民放を見ないようにミスディレクションしていたのだろう。
――やれやれ。
世間の話題から疎い俺をうまく利用されたものだ。
スマホを置き、店の入り口に目をやる。
すると、遠目からでも目立つほど綺麗な女性がちょうど店に入ってきたのを見つけた。
周りの女性と比べ頭一つ背が高く、地味な事務員の制服に身を包んではいたが、スタイルがモデル並みにいい。
今年30歳になるとはとても見えなかった。
20代前半と言っても通る美しさである。
そしてここ数日、俺が毎日食卓で向き合っている少女と瓜二つだった。
俺は席を立ち上がり、手を軽く上げる。
気付いた女性が店員を制して俺の席まで小走りでやってくる。
「はじめまして」
年下の俺から声をかけるべきだろうと俺は頭を下げた。
「すいません、はじめまして」
女性も深々と頭を下げる。
奈那の母親、安倍 玲奈さんである。




