第4話 ちょっと熱いから
吉野さんの急な訪問のあと、しぃちゃんが誘ったため、なぜか三人で一緒に俺の家で勉強する事になった。
俺が引き続き数Ⅰの演習問題を解いている横で、しぃちゃんには英語の長文を辞書片手に読んでもらい、吉野さんには読書しがてら、しぃちゃんの英語を見てもらうことにした。
しかし――
「しょうちゃん、ここの構文はどういうことなん?」
「あ、ああ。It is about timeのあと仮定法過去になってるでしょ? これだと『そろそろ~する頃だ』って意味だよ。ところでしぃちゃん。さっきから言ってるけど、そんなに近付かなくても見えるから大丈夫」
俺の右側からしぃちゃんが、先ほどよりさらに緩くなったように見える胸元をさらけ出しつつ質問してくる。
いかんいかん、見ちゃいけない。
だが問題はコレだけではない。
「ねぇ、興津くん。そこ、計算間違ってるわよ」
しぃちゃんとは反対の左側から吉野さんが俺の計算ミスを指摘する。
「え、マジ? ……てホントだ、こんな単純ミスを……」
でも、そりゃ間違いもする。
だって俺の左腕には、吉野さんがピッタリとくっついているのだから。
見ちゃうと意識してしまうから目は向けていない。
だが、この感触は間違いない。
さっきから俺の左の二の腕には、吉野さんのあの巨胸がギュウギュウと押しつけられている……!
さっきから俺の左腕が温か幸せで堪らない。
お、おかしい。
勉強開始時は正方形のちゃぶ台の各辺に一人ずつ座っていたはずだ。
それなのに気づけば俺の両脇に美人二人が寄り添っている。
右を向けばしぃちゃんの胸元の緩さにドギマギし、左腕には吉野さんの暴力的に豊満な胸が押しつけられている。
まさに両手に花の状態だが、実際にやってみると緊張するだけである。
なんということだ。
しぃちゃんと二人きりだとムラムラしちゃいそうだったから吉野さんに参加してもらったはずなのに……!
さっきよりも一層、煩悩に脳みそが支配されそうになってる。
これなら今日は朝から勉強なんかせずに外に出てれば良かった。
多摩先生は、こういう意味で外に出掛けろと言っていたのだろうか……!?
気を抜けば俺の下半身の相棒が反応しそうになってしまう。
俺は必死に、目の前の数Ⅰの問題文を何度も頭の中で読んだ。
問題を理解するためではない。
頭の中を問題文でいっぱいにすることで煩悩を押さえつけているのだ。
おかげでギリギリ、勃起してしまうのを踏みとどまれている。
すげぇ、数学。
やはり勉強は役に立つ。
多分、使い方違うけど。
「……ごめんなさい。私、目が悪いからどうしても近くに寄って見ようとしちゃうのね」
俺が必死に煩悩と戦っていると、吉野さんが赤くなりながら言った。
今日の吉野さんは眼鏡をしてきているが、吉野さんのヒドい目の悪さは俺も知っている。
「そ、それじゃ仕方ないね……」
自分から、彼氏でもない男の腕に自分の胸を押し付けるような女性なんかいるわけない。
おっぱいなんぞに気を取られてしまうクソ童貞の俺が悪いのだ。
ごめん、吉野さん。
――しかし、どちらにせよこのままでは二人の前で無様に俺のジュニアが勃起しているところを見られてしまうのは時間の問題だ。
どうにかならないものか……。
「ねぇ、巴さん。興津くんが勉強しにくそうだから、ちょっと離れてあげたら? あと巴さんのシャツの胸元、開きすぎよ。男子の前でちょっと、はしたないんじゃないかしら?」
ここで吉野さんが俺を挟んでしぃちゃんに忠告してくれる。
あああ、ありがとう、吉野さん。
しぃちゃんの胸元が見えなくなるのは残n……じゃなくて、勉強のためにはそれでいいのだ。
俺は安堵していたが、しぃちゃんからは、
「ああ、これ? 別に見られてもええんよ、見せてんねんから」
という俺の予想の範疇を越えた答えが返ってきた。
「み、見せてるって、どういうこと!?」
俺も驚いたが、俺ではなく吉野さんが尋ねる。
「だってしょうちゃん、さっきからウチにバレてない思て、ずっとチラチラ見てるんやもん。カワイイ♡」
「え、ちょっと待って! しぃちゃん、俺がそこを見てるの気づいてたの!?」
さすがに我慢できず、正直なところを聞いてしまった。
「当たり前やん。ウチから見せてたようなもんやしな」
な、なんてこった。
俺はしぃちゃんの掌の上でずっと踊らされていたというのか……!
ていうか、恥ずかしい!
「と、巴さん。自分から男子に胸元を見せるなんて、それこそはしたないんじゃないの!?」
ズレた眼鏡を直しながら吉野さんが言う。
吉野さんてしぃちゃんの一学年下なんだけど、すでに年上に対する態度じゃなくなってるな、こりゃ。
「そんなこと言うて、吉野さんも自分のおっぱいをしょうちゃんの腕にわざと押しつけてたやろ?」
しぃちゃんが吉野さんの胸を指差しながら言った。
「そ、そんなことないわよ!」
吉野さんが胸を両手で押さえながら慌てて否定する。
「またまた。ウチ、吉野さんみたいにおっぱい大きないから、羨ましくてずっと見ててん。意識しなきゃ、あんな押しつけ方せぇへんはずや」
しぃちゃんの指摘に、吉野さんの顔がみるみる赤くなる。
変なことを言われて怒ってるのだろうか。
これは助け舟を出した方が良さそうだ。
「しぃちゃん。吉野さんが彼氏でもない俺にそんなことするワケないだろ? あまり失礼なこと言っちゃダメだよ。吉野さんも怒ってるじゃないか」
俺はしぃちゃんに真剣な顔をして言う。
「こ、これは怒ってるんじゃないんだけど……」
吉野さんが頬に手を当てている。
なんとか誤解を解いてあげないと、吉野さんがかわいそうだ。
「はぁ、ここまで鈍感だと呆れるわ。なぁ、吉野さん。ちょっとキッチンで話さへん?」
しぃちゃんがキッチンを指さして吉野さんを誘った。
「う、うん」
二人は連れ立ってキッチンに立ち、そこでなにやら相談が始まった。
「このままやと、いつまで経っても――」
「少し刺激を与えてやな――
「二人がかりで協力して――」
「意識し始めたらこっちのもんやから――」
「そっからは自由競争で――」
なんの話?
「ただいま」
しぃちゃんと吉野さんがキッチンから帰ってくる。
「話はついたから勉強を再開しましょう」
吉野さんがニコリと笑う。
やはり眼鏡の吉野さんの笑顔はとてもいい。
「OK。じゃ、勉強再開しようか」
俺の言葉を合図に、二人は当たり前のように俺の両脇にピタリとくっついてきた。
「勉強……するんだよね?」
「そうやで」
「そうよ」
「せ、狭くない……?」
「狭くなんかない」
「そ、そうですか」
一体、台所でどんな話し合いが行われていたんですか……。
もう、考えても無駄だなコリャ。
俺は頭の中でずっと問題文を音読することにした。
◇ ◇ ◇
この状況で一時間、相棒を反応させずに勉強を続けていた俺を褒めてほしい。
ヘタをすると俺は、今日読んだ数Ⅰの問題文を一生覚えているかもしれない。
「ちょっと休憩にしないかい? 飲み物いれるよ」
俺は立ち上がりつつ二人に言う。
「ウチ、紅茶がええ」
「じゃ、私も」
「わかった、紅茶にしようか。ホット? アイス?」
「アイスかな。身体がちょっと熱いから」
吉野さんが言う。
だったら俺から離れればいいのに……。
そう思うものの、口に出すことはない。
言っても聞いてもらえないだろうし、正直、くっついていて欲しいのが本心なのだ。
そんなことを考えながら台所へ向かうそのとき、またドアホンが鳴った。
「また来客? しょうちゃん、人気者やな」
しぃちゃんにからかわれる。
「いや、俺の家に1日でこんなに人が来ることないよ。ダレだろ?」
訝しがりつつドアを開ける。
するとそこには、
「やっほー、翔悟。ひさしぶり!」
サングラスをかけた矢作 梨華が立っていた。




