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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:賢狼の裾
99/106

99.真実


「ボクはおとりを走らせる」

 できるだけ、かっこうつけて言ってやった。

「どのみち誰かが月に報せなきゃ」

 信頼とは推論を放棄することだ。みずからにやどる莫大な信頼が、アムソフィヤの念頭にはあった。


『あのね、アム』

 十四夜、月闇の森、栗拾いの口実。おくびょうそうに彼女は頼んだ。

『お願いがあるの』

 今夜の大きな心配事が、いどむべき現実とはまるで遠いところにあるのを、彼女はわかって、気遣えないでいる。うまい相槌をうてたか、もうあいまいだ。

『おばあちゃまが手放さないなんて嘘』

『嘘ついた。またあの人に嘘ついちゃった……』

『私が、わたしを信じられないの』

『あの人を裏切ってたら』

『お願いアム、あなたならわかるでしょう?平凡なわたしとはちがう、あなたは魔法使いだもの』

『確かめて』

『もしもあの人の子じゃなかったら……』

『……うふふ、お馬鹿のひとつ覚えね?でもわたし、たまたまこれしかないの。これだけはすごく得意』

『でも自分の首を刎ねるのは怖い』

『わたしが躊躇えば、そのときはわたしも』

『あなたにしかお願いできないの』

 わかった、君の気を晴らしてやる。アムソフィヤはほかにも言ったはずだった。めったなこというな。泣くな、泣くなって。その首席の盾は本物だろう。

 そんなもしもがあってみろ。あいつ、首つって後を追うぜ。


 ――ボクが"魔法使い"なもんか。


 愛するふたりの不安を一掃してやる、魔法の杖のひとつだってもちやしない。だから時には欺いてでも、地道にこつこつやるっきゃない。 

「元気だったかい、フィオナ」

 ぷすぷすぷす、と撫ぜる鼻でご挨拶をくれた。ご主人に似て優美な白馬である。

「いつも文句もなく思慮深いな君は。そんなとこかさねて悪いんだけれども、もひとつわがままに付き合ってくれ」

 フィオナはぐんと頷いた。大変な夜に、ふたり反対の路をめがけている。高い鞍にいま飛び乗った。ぽくぽくと蹄をならす。

「……君らのことはいつだって、命に代えても助けに行くさ。けど、首をどうこうされちゃあ止めようがない」

 なにか確かめるまでもない。()のことわりは彼らにつよく梃子いれしている。いざ彼らを殺めるとすればそれは、彼ら自身の刹那の選択に(ほか)なるまい。

 夜がぐんぐんと後ろへすっとんでゆく。

 命じもせぬのに、フィオナは勢いよく駆けだしていた。尋常なら三日もかかる道である。そして(あるじ)を思う馬の闘志は、心臓の力をゆうにしのぐ――君の蹄だって減らしはしまいよ――"魔法使い"ではないけれど、それくらいなら余裕でできる――なぜならボクは"水君"なので。


『"常に酔っていなければならぬ"』  


『なぁにも酒でなくたっていい。なんでもボクのすきなもので、いまが酔うべきときだから。詩でも美徳でも、愛にでも』


『彼らの心を圧し曲げる、おそろしい重荷をとりはらうのに、せめてボクらが酔わなくちゃ』


『目覚めるようなことがあれば?もしも孤独なこの夜道、今がいつだか訊いてやろう』


『風に、星月に、時計の針に。すべての飛び過ぎ行き巡り歌うものどもに』


『今がいつだか訊いてやろう。「酔うべき時」だと答えるはずだ』


『そう応えるよな、君だって?』


 みたび白馬が(いば)えると、金色(こんじき)の蹄に水が触れた。夜の街道に広がる、一面の海。すべるように波をかけだして、ふたりは流れ星よりずっと速い。

 みるみるうちに白い人馬の影が消えると、さざ波の幻聴と、しぶきのような霧があとにのこっている。




 ---




 "乙女の城"が見おろす町並みの、すこし小高いところ、とある酒場の出来事になる。時あたかも目覚めたての空の色をうつして、くすんだ窓硝子が鮮やかである。 

 "城主連合"も主要人物の、秘密会合とみなしてかまわない。貸切って集うのはトロンコーソ氏、ペケリーノ氏、シエゴ氏、バルモロ氏、そしてシルヴェストリ氏である。おのおの側近もつけず、すきな机席をてんでばらばらに陣取っている。

「少々早計ではありますまいかな」小器用なバルモロ氏が口火をきった。「それもこんな早朝に、このような場所」

「うまく運んだ、だから集った」大きな口のペケリーノ氏である。「それだけのことであろう。あいにく祝い酒のひとつも出ないが」

「つまりは貴殿の発案であるか?」声の大きなトロンコーソ氏が慎重であった。「言付けで事足りるであろうに、あらためて集おうとは」

「なに、ヘイランリック卿ではないのか……?」いいなりがちのシエゴ氏は案じた。「わたしはそう聞いた」

 シルヴェストリ氏は黙っている。ここは城市でも上等な酒場であった。いずれの机に座っていても、店主の位置(カウンター)からの見通しがよい。確かめてからは背後の棚にならぶ酒樽と、蛇口の構造を眺めていた。中身は多く黄金の液体である。掃除が行き届いているのも気に入った。

「いかが思われる!アベル殿!」

 議論は続いていたらしい。シルヴェストリ氏が、おっくうそうに振り向いたところであった。

 酒場の正面扉が蹴破られ、なにかが放り込まれる。おおきくて、黒い。

「おとついよりかなり寂しいですね」

 入り口に、逆光で不穏なふたつの影がしゃべった。

「火加減はひかえめを心がけたのですけれど……」

 それは少年少女の声である。店内に歩み入ってくる。

「魔女の軟膏がご入用ですか?」

 彼らが放り込んだ、なにかおおきくて黒いもの、それが焼け焦げた人間であることに、"城主連合"はやっと気がついた。呻くのだから、まだ息がある。

「おお、ガスパルや……!?」

 いたわしそうに声をあげ立った、トロンコーソ氏であった。なりふりかまわず駆け寄って息子にすがった。ほとんど少年少女の足もとである。"城主連合"が口々にいう。

「なんとむごい!」

「おもての兵は何を……!」

 炭のにおいが酒場を満たしてきた。それは純粋な火のにおいであった。

「簡単でした、なにもかも」

 少年がこともなげにいうと、トロンコーソ氏は激情をあらわにした。そばの(つるぎ)かけにむかって手をのばす、けれども柄が引き抜けない。()()が指先からはなった赤い光の矢のために、刃が鞘に射止められている。

 ほかの"城主連合"が続かんと立った。少女のふるう光の鞭に、ひとりは抜く前から剣を奪われた。あとのふたりは撃ちかかったが、さらなる少女の光の鞭と、少年の"守護剣"に迎撃されて、武装解除を余儀なくされる。

 まだトロンコーソ氏があきらめていない。事態の刹那にも、ふところの優位を保持している。腰の短剣を引き抜きはしたのだが。

「父上……」

「ガスパル……!?」

 まだ息がある!と気がついて硬直した。こうなるともう打ってでられない。

 一連のできごとを完璧に鑑賞できた、シルヴェストリ氏にいたっては、手のとどくところに剣がなかった。睨みつけられて今や取りようのない、カウンターに滑り込んだ一振りを除けばだが。

 少年少女が背中合わせになって、誰もどこへもいかせない、と態度でものがたっている。

「今度はうまく加減できそう?」

「さぁ……ちょっとわかりません」

 一本の剣と二本の光の鞭を前に、かつて腕に物言わせた"城主連合"がなすすべない。代表面をペケリーノ氏が代わった。

「ここまでして、ただで済むと思うなよ……!」

「ええ、ここまでするとは思わなかった」

 少年は獰猛に吐き捨てた。

「あなたがた見せかけは立派でも、芯の腐りきったリンゴだ」




 ---




 冥界巡りはしなかった。巨木のうろにあって、くぐったあの"穴"とは、もっと異質なものであったと思われる。

 ヴィクトルは気がついたとき、酒蔵らしき場所にいた。しずけさと、ひんやり加減からして地下であろう。空模様はうかがいようもない。肉体や理性に満月の痕跡は見当たらない。

 擦りむけた足、もしかすると流血の惨状――悪性に従属した烙印としてのそれらを、変身のあとには恐れるものだ。幸いか、まとう衣服さえまともな、それも自前であった。しめった石造りを、ひたひたと歩きはじめている。足取りも蹣跚(まんさん)とはしていない。

 小さな迷路のようだ。棚に寝かせた酒樽や、梁にかかった蜘蛛の巣に、松明の火影がしみている。魔除けにあたるものだから、無人の地下で火を灯すなどして、かならずしも妙なことではない。しかし今では確信がある。

「呼びたてたのは貴殿だな……」

 奥まった小部屋に、人物は待ち受けていた。

「ヘイランリック卿」

 彼は記録机に腰を預けて、読むふりしていた羊皮紙から、おや、と顔をあげた。

「大変な夜をお過ごしだったようですね」

 さっともちかえたのは試飲用の杯だ。掲げて、無害そうに笑む。

「いかがです、まずは一杯」

 ヴィクトルは剣を帯びていない。




 ---




 アリシアスナは一晩で愛着そこそこの馬をくだった。真の愛馬は親友に預けてしまっていた。かえってよかったかもしれない。

「お義母さまはそのままで」

 あたりのほとんどが緑ののっぱらである。ぽつりぽつりと建物のほか、むかう面前には端から端まで、灰色のかたくなさで染まった都市城壁がそびえている。なるだけ田舎の門へ迂回したけれど、"賢狼の裾(ホロゥノーツ)"は人口七十万からなる大都市だ。

 よって有する一万の常備兵力に異議はないとしても、祭日でも訓練日でもなかろうに、早朝の門前でまみえてくれる五百の軍隊の列は、どう捉えたっておだやかではない。

 捕縛が目的ならよいが。アリシアスナは考えた。(つか)はまだ按じている。戦士専業の領都守護兵は士気も練度も高い。

「アリシア様……」

「任せてください」

 良人(おっと)の母の前だから、これだけが取り柄なんですから、と卑屈に偉ぶるのはやめておいた。わかっている、ほんとはいつだってやめておいたほうがいい。

 二頭の手綱をとって先導をはじめる。ここまでうまくいきすぎていた。ひとつも交戦しなかった。声の届く距離まで近づけば、もはややり過ごせはしまい。それでもまっすぐ行って城門をくぐるほかないのである。アリシアスナだって頭に浮かべはした――亡命って、どうやるんだろう?――相手方一味には知略家アベル・シルヴェストリがいるのだ。全部お見通し、ということか。

 握る手綱が進むのをためらった。

「お待ちください……」

 ふりむいて、はたと見上げてみるジャンヌの顔は、なにか決意に満ちている。こうした表情をアリシアスナは美しいと思う。

「もしものことがある前に、知っていただきたいことがあります」

 伏し目がちだったのを、視線があって。

「麦畑の獅子を……」

 言い淀んでも、言い切った。

「ロドリゴを(あや)めたのは(わたくし)なのです」

「はぇ……」

 誰にでも秘密はあるものなのだ。




 ---




「扉を閉めてはいただけますかな?」

 ヘイランリックの指示に、ヴィクトルは従った。こうなると酒樽の泡の音も、かさかさとした小動物の足音も聞こえない。

「もっと、もっと近くへ。ネズミにさえ聞かれては困ります」

 よどんだ空気。机上にランタンひとつ。部屋の四隅は黒い。

 主導権は剣を帯びた側にある。その人は机上の羊皮紙をさわった。

()()()()()()だが、よく書けている」

「いかな口実で」

 次をどれだけでたらめと笑えるだろうか。

「狼憑き、その衝動を抑えきれないかの大騎士は、神秘の癒しを求めてとつじょ放浪の旅へ出た。

 巨悪を斃してさえ帰心矢のごとしとはゆかぬ。なにせ置き去りにした妻は他人の子を孕んでおり、生家では父親殺しの弟が待つ。

 意を決してついに戻るも運悪く、故郷を血で染めあげてしまう。かねての懊悩にけりをつけ、前非を悔いてつぐないを……」

 ヘイランリックは首をかしげてきりあげた。真顔である。

「真実は勝者によって描かれるものだ」

 そして脅迫する。

「ご想像に容易いでしょう。"賢狼の裾(ホロゥノーツ)"の鋸壁から射かけられる矢の雨や、ことを(おおやけ)にされた弟君の苦境が」

「……従うことで、何かの保証が?」

「その倨傲(きょごう)なふるまいを、もっと戒めることだってできたのですよ」

 ため息。

「あなたをダンコヨーテ再生の旗頭に。そうした意見も一時期はあった。再三にわたる打診を拒絶してきたのもまた、あなただ」

 たとえ剣を帯びたとしても、なにも解決しえぬ境遇にヴィクトルはいた。目前にいるヘイランリックは所詮、先代金鉱伯アウレリオの傀儡だ。無事に帰さねば一夜戦争となる――ただそれだけならあるいは身ひとつでひきうけられた。違うのだった。家族を守らなくてはならない。どんな「かもしれない」も回避して、守らなくてはならない。ある少年の金言が浮かぶ――人は所詮、手の届く範囲のものしか守れない――手遅れ、まさしく今がそうであった。"穴"のあやしい呼び声に察して、だからせめて応えたのである。ヴィクトルは選ぶことにした。

「……署名を」

「必要ない。あなたの筆はおそろしいから」

 ヘイランリックは代わりにかかげた。ひとたび辞退したその金色の杯は、言わずもがな毒の杯である。




---




「灼熱したひっかき棒を肛門にあてがい、息子を去勢しようとする夫を、(わたくし)は必死で止めました」

 "賢狼の裾(ホロゥノーツ)"の城壁前である。残された時間に急かされるように、ジャンヌは馬上から語るのだった。

「もっと小さなときです。目を離した隙に断ち切られ、生な血の滴った尾を、あの子は持参しました。涙ぐんで顔をゆがめても、泣き声もあげずに」

 アリシアスナは思い出される。無邪気に訊いたことがあった。生えずに着物が便利ですよと、ミゲルは笑って答えたが。

「それから私は、食事に毒をまぶすようになりました。さながら悪しき魔女のように。あの人の衰弱するのを、待ちました。

 けれどあの人はもちこたえた。気がつかれるのを長くながく怯えました。そしてとある未明、おぼつかない足取りにもかかわらず、何か邪悪な決意に満ちて、二階の息子の寝室へ向かうとする夫をみて、私は……」

 遠くへやっていた視線を、ジャンヌは引き戻す。

「こうした真実は本来、私の手で埋めてしまう必要があった」

 裏手の森のむこうでさびしい、ロドリゴの墓碑が思われる。

「この期に及んで申し上げるのは、証言する者のなくなった、あとの風評を恐れてのことです」

 アリシアスナとて戸惑った。こんな状況には慣れていない――たぶん多くの人がそう――いっぽうで。

「……あの、私が自信をもって申し上げられるのは」

 軍は前進して近くなっても、あるところから進めずにいる。アリシアスナにとってほぼ剣域であった。

「わたしたちはふたり、無事に領都へのぼれます」

 都市の軍勢を相手に無理よ、やはりそんな目つきで母は見る。

「だから"盾持ち"の騎士なんです。お母様ならよくご存知でしょう?」

「あなた……」

 ようやく声をかけてよいものかと、千人隊長格が一歩前に出て、口をひらきかけた。

「我々は――」

「誰がよこしたのです!」

 隊長格はすっかりあえいでしまった。言い返すなりアリシアスナはさっとあらためる。鋸壁に人影はみえない。あれば事だった、ジャンヌを守りながらの大立ち回りは不可能に近い。術師を載せた戦車もない。僥倖。では、いましがた大門から軽快に飛び出してきたものは。

「……黒い馬車?」




 ---




 眠気だ。

 極限疲労を仮想した行動訓練で、もっともおそろしかったもの。

 緊張すべき瞬間でさえ、ふとしたはずみで意識を失う。まして子どもは夜に眠るべきだ。

 少年少女は東奔西走、こちらの城市をはじめて訪れて以来、いまだまともに眠れていない――ハルバートン領への急行・捜索、銀狼護衛戦とで二夜が過ぎた――ましてやどれも訓練ではない。

 おなじ酒場の朝である。一方的に武装をとりあげ、優位を演出こそしたが、ひくつく瞼を抑えようがなかった。互いの手首を縄にかけた、"城主連合"が雌伏している。

「いつまで頑張るおつもりかな」

 ひとりだけ店主の位置(カウンター)をあてがわれたままの、アベル・シルヴェストリが声をかけた。どんな無駄口をたたかれようとも、眠気覚ましにやり返していたのが、いよいよ少年少女の唇は重い。

「なにを希望されるのかも申し上げられないでは、皆目見当もつきませぬな、どこまで待てばよいのやら」

 ますます眠くなる、深みのある声である。疲労衝くべし、正しく戦の掟である。そして正騎士を尋常に「拘束」できるほど、頑丈にあざなわれた縄など存在しえない。数的有利の側が一挙に決起すれば、形勢は容易に逆転する。

 事実フランの片膝がかくりと落ちかけたそのとき、店内には緊張が走った。

「――ですか……」

 しかし卓を腿でたたいただけで、ついに"城主連合"は立ち上がらない。死人がしゃべったからだった。

「ガスパル、なんと申したか!?」「おお、まだ息が……!?」

 黒焦げて、しるしのわからぬガスパル・トロンコーソは、まだ若い、声の大きな騎士である。彼は少年少女のすぐ足元の、石造りの床にうずくまっている。

「父上、まことなのですか……」

 それはぶつぶつと聞き取りづらい。

「"悪心"を、幇助したと……」

「誰が申した!その者らが!?」

「穴が、穴があったと……」

 父親として、トロンコーソ氏はわなわなと震えた。

「けしからん!」同卓でひとり勢いよく起立した。「左様な言いがかりでこの狼藉たるさまか!誓ってあり得ぬことをッ!」

 それは大きな声である。

「おお、それでは……」

 かぼそく言う、ガスパルの黒いまなじりには涙が光った。


 この間ものの十秒ほど、視線を感じぬのをいいことに、ゼンはこっそり目をつむれている――フランの限界が近い、ここからは……――しかし思索も刹那、立ったまま眠っていたかと否めない。いかんせん次の出来事を予期できなかった。

 酒場の扉が開け放たれる。

 すわ敵か味方か、視線が集まる。

 陽の光のなかから、人物はひとり。

「…………」

 狼は、静かな方がおそろしい。

「ヴィクトル……!」

 なぜここに!?"城主連合"がうろたえた。

「何があったのですか!」フランも正味おんなじ台詞だ。

「話せば長い」唸り声である。

「よかった!」だいじな忘れ物を、ゼンは預かっていた。「こちらをお返しできます……」

 少年少女は気が抜けて、"城主連合"に背を向けている。そしてヴィクトル・サンドバーンは、肝心の剣を帯びていない。


 四人の"城主連合"が、ひとつの卓から一斉に飛び出した。拘束は引きちぎっている。ある者は床に寄せ集められた剣を狙い、ある者は息子に駆け寄った。ある者は最も近くて最も目につく、カウンターに寝かされた剣に、手を伸ばそうとした。往年腐っても、この星の戦士の敏捷さであった。

「盗人じみて恥じ入りますな」

「アベル!?気を違えたか!?」

 一滴の血も流れなかった。"城主連合"の誰も、(つか)に触れさえできなかった――但し書き、ここまでで言う"城主連合"に、アベル・シルヴェストリ氏は含まれてない。彼はいち早く目前の剣をとって、カウンターから身を滑り出すと、ほとんどの人物の行く手を遮っている。またそのとなりでは。

「もうおやめください、父上」

 死人が立ちはだかっていた。

「観念すべきときだ、城主方みなさまも」

 ふだん声の大きな、まだ若い騎士、ガスパル・トロンコーソはしずかに言った。こめかみの涙がはしった跡は、塗りたくった煤が落ちたがためだ。

「疑問であったご様子、何者がこの場に集めたのか……?」

 刃をつきつけるアベル・シルヴェストリ氏の、深みのある声である。"城主連合"が言葉につまって唖然としている。

 おもてが騒がしくなってきた。

「おおたいへん!たいへん!大遅刻だ!」

 とどくのは物おじしない、調子のよい声。

「いや~、友のふさっとした獣耳にかけて誓いますけれどね!こんな予定じゃなかったんです、ええ、誓ってもとはと言えば!」

 オリヴァーである。えっほえっほと酒場に駆け込むなり、きょろきょろとする。

「ああ助かった、こちらは大方予定通りで!長らくお待たせいたしました!」

 詰めてつめてと手仕草でのたまうので、入り口付近をあけてやる。

「どうも皆様方ご清聴ありがとうございます」ふつうは後に言うものだ。「はい、オリヴァー・クサカベであります。結論から申し上げますと、ご明察のとおり"城主連合"方の偽旗作戦およびサー・サンドバーンに対する権威失墜のもくろみはまんまと失敗裏に収束いたしました――関連して残念なことに死人が一名、出ましたが。事態の規模を思えば憚らず言って、類まれなる幸運でした。きっと眠たい方もご同席ですので、後始末のほう、さっさとご協力いただければと思います……」

 常人の三倍くらいでまくしたてるので、口をはさむ隙もなかったが、オリヴァーはつと後ろをむいた。するとすかさず。

「小間使い風情が!」大きな口のペケリーノ氏だ。

「"旧都"に何がわかる!」いいなりがちのシエゴ氏。

 ははぁん、と人さし指を立てるのを、オリヴァーはまず返事とした。「ちょうどいいこと言いますね!」外から誰かを招くそぶりをした。「それではお越しいただきましょう……」

 入ってくるのは見知らぬふたり。どちらも名乗るより前から、気品のたかい人物が伝わった。

「紋章執行官、ヘルミアナ・パンデルミア」知的そうにちょんと礼をした、小人の女性である。脇には大判の本を丁寧に抱えている。

「巡回判事、レナードルフ・テリア・モンタルパン」犬頭で、長身の男性であった。小顔からは白黒の長い毛並みと、単眼鏡の細い鎖が垂れている。黒く荘厳に召しているのは簡略な法服とわかる。脱いだ円筒状の帽子とよく似合っていた。

「大判事次官がおいでとは……」ヴィクトルがこぼすと、レナードルフはおだやかに含みわらった。「あなたほど災難な御仁も稀だ」顔見知りらしい。

「ここからは謎の小間使いの青年オリヴァー・クサカベとしてではなく、新設された"連合憲兵局"そのダンコヨーテ情報部次長として申し上げますが」

 今こそ出番だ、毅然としている。憲兵、とは表ざたの肩書きである。少年少女もこの明け方に知ったばかりであるが、口の達者な青年オリヴァーの正体とは、先進国(アメイジア)からの支援を受けた、いわば諜報組織員であった。

「正面はむろんご覧のとおり、窓や勝手口からの逃亡なども、とてもおすすめ致しかねます。周囲には護衛の統括騎士二名を配備してあります。みなさまの疑わしき罪状を知り尽くした以上、彼らはすこしの手心もくわえません。こちらの少年少女(おふたり)とは違ってね」

 まじめな目線をちらとやって、すぐ"城主連合"を見つめなおす。もう飄々とはしていない。つまり、と息継ぐ。

「悪心幇助、公権転覆の謀議、統括騎士ヴィクトル・サンドバーンに対する暗殺の画策・未遂、当局の裁治権を無視した不当な権利の行使、恐喝、煽動、租税の違法収奪、収賄、不正会計ほか……国家騒乱罪を適用するに足る複数の嫌疑。時が時ならば問答無用で断頭台直行も妥当なところ、ご安心ください。これらは我々"憲兵"の訴えであって、判決文ではございません」

 目くばせをもらって、巡回判事レナードルフが引き継いだ。

「巡回裁判所は憲兵局からの通報を受け、本件には国家存亡にまつわる喫緊の悪心有事の疑いがあることを認めます。

 あわせて審理の未然またはその最中での、更なる被害拡大を防ぐため、悪心有事条項第七に基づき、関連する以下の人物らの騎士権凍結をただちに宣言します――」

 もそもそとした口の動きで、レナードルフがはっきり告げると、紋章執行官ヘルミアナは、小脇にかかえた大判の本を、ひょいと片方の手のひらに展開した。ばらばらと(ページ)が鳴った。分厚い、騎士名録である。

「なにを根拠に!」「おめおめ納得ゆくものか……!」"城主連合"の抗議の声。

「手っ取り早いお話、統括騎士の宣誓証言があれば物的証拠は免除されます」と、オリヴァー。

「盾にもの言わせてッ!?」

 怒りのまなざしと歯ぎしりは、ヴィクトルの胸に返却された、盾の首飾りへと向けられる。この間にも彼らの名前はレナードルフによって読み上げられて、ヘルミアナの筆によって消されてゆく。

「念のため……」名を連ね終えて、レナードルフは咳払い。「いまにのべた()()()方の武器携行権、徴税権、軍事動員権は判決確定まで凍結されます。また捜査対象となる当該家の財産は、判決が下るまで差し押さえの対象となります。このことは大公の名で、すべての連絡所へと告知されます」

 よろしいですな、とレナードルフがあてるのは、どんな"城主連合"にでもない。ともかく彼の名前は呼ばれなかった。

「都市領主裁判所は、大巡回裁判所の意向に従います」深みのある声である。

「謀ったな、アベル・シルヴェストリ!?」「裏切り者!」

「人聞きの悪い」

 シルヴェストリ氏がさっと切先をはらうと、"城主連合"はおののいた。

「これほど意に満たぬことはなかった」

 ともかく加勢、ということである。発言に彼の立場を知ろう。

「よりにもよって公の膝下(しっか)にて私利を測り、貪婪(どんらん)を極め、節操もなくドゥ・ニノーに阿諛(あゆ)する貴殿らと事あるごとに顔をつきあわせ、まったく虫酸のはしる思いであった」

「金鉱伯に担ぎあげられた身で何を……」いいなりがちのシエゴ氏。

「響かんな、事の曲直もわからぬようでは!」シルヴェストリ氏の口調には義憤がこもっている。「我々は長きにわたる角逐のすえ、"悪心"の混迷に勝利することを得たのである。善良なあまたの祖先の命が贖った勝利だ。血で刻まれた深き覆轍を踏むのを、見てみぬ振りせよと……?」呼吸をおさめて、肩をなおした。「更なる白刃と血しぶきがお望みであれば、おのがじし喚かれるがよい。だがひとつ情けをくれてやる。貴殿らも、残忍性と専横をふるまうために"騎士"になったわけではあるまい」

 こうなると"城主連合"もやり口をかえた。

「……外様だぞ、ドラッドネルトの判事の言うことだ」

「所領の者が黙っていまい」

「認むるところが無いとは言わん、だが信じないぞ悪心などと!」

「……そうでなくては長男をつかわせん」

 息子の無事をたしかめたトロンコーソ氏だけは、肩を落としてあきらめのついた顔をしている。シルヴェストリ氏は見て言った。

「無罪をうたうなら情偽はおのず明らかになる……」

「同情はいらん、よこせと言っている!誰もが納得できる真実を!」大きな口のペケリーノ氏。

「悪心!ヘイランリック卿に左様なたくらみがあるはずなどと!」小器用なバルモロ氏。


 事態はいつまで続くものか、首をもんでいたゼンは、ここらで聞いた。かちっ、とヴィクトルの手のなかで何かが鳴った。

『あなたの遺書だが、よく書けている』

 これには目が覚める。

 思うに、ヘイランリック・ドゥ・ニノーの声だ。ヴィクトルはそれを前に掲げている――小型のカセット録音機。そんな道具も技術も概念も、エウロピアにはありえないが、"迷宮"内部でならまれに見かける。それも持ち出せるなら"魔石"である。はて、探索の成果物を貧乏性でためこむ何某が、よく厄介になっているのはいずこの邸宅であったか――きっとはじめからの策であろう?わからない、ゼンはともかく真実を受け入れた。

 録音されたヘイランリックの声は、すこしもへつらう芝居をしない。勝者の筋書きを騙り、脅し、杯をすすめる。すすめる杯はがしゃんと落ちた。音声は断片的らしい。

『――雷と嵐のただなかだった。深夜の肌色をした女がやってきて……』

 とつぜん何かに怯えだす。真実をとつとつと語りだす。はっきり聞き取れるのはほかに。

『いくつかの策謀と、あやしい知恵を与えた……』

『"悪心"と知って加担した?』唸り声である。

『……察しはした』

 記録はここで終わっている。

「"夕霧峠"の霧中には、人声を真似る怪異が潜んでいたが……はたしてこれもその仕業であるかな」

 ヴィクトルの配慮が聞かせたのである。

「……ハルバートン領の調査中に、とある納屋を焼きつぶしました」フランも目が覚めたらしい。「不明な、けれど脅威と断定できる魔物と、その無数の卵を認めたからです」

 実態の解明はこれからであった。"城主連合"が銀狼討伐を企図した本当の理由にせよ。ヘイランリック・ドゥ・ニノーの筋書きがうまく運べば、線はそちらで整合したのかもしれない。

「満月の日に私たちは、一滴の血も流していません。誓えます、巡礼の神子と――」「騎士の名にかけて」

「私も証言する……」

 ガスパル・トロンコーソまでがつづくと、"城主連合"方の表情は、急激に老け込んできた。汗をかいている。

「……この国難にこそ、力をあわせるべきだ!」

「我らから剣を奪えば、誰がこの地を治めるのか」

 すると判事側の何名かが、小人の紋章官ヘルミアナをみた。彼女は、あらまだ出番がありましたのね、といったふうに。

「判事の宣言された騎士権凍結の対象はあくまで個々人、然るべき当主交替までがこちらでは記録されています。断絶とは異なるとお見受けしますが」

「左様で間違いありません」判事レナードルフ。

「たしかに、むずかしくっておそろしい話だ」旧都の使いとしてオリヴァー。「いつどこが戦場になるのやら、わからない星を僕らは生きています。だから多少のケチがついても熟練の戦士を欲する訳で……"城主連合(みなさん)"がたの代わり、と言っては失礼ですかね?先だってもバラッツァ傭兵団頭取と急ぎの契約を済ませまして、永年雇いあげということに」

「そ、そんな金がどこに……」

「隅からすみまで説明する暇が、この先々うーんと見つかることでしょう」こんどは憲兵将校としてのオリヴァー。「いまは安心してご同行願います。"城主連合(みなさん)"がたの嫌うこちら"エウロピア連合"は、法と秩序にのっとった、善良な法治国家を目指しておりますので」


 すべてはエルカテリーナ公の手のひらのうえ、ということだろうか。賢狼は侮られたことを、何倍にもしてやり返す。政略の場でできたことわざを、彼も引用した。

「霧中を急ぐ狼が氷湖に落ちたのには……どうやらいくつかの訳がある」

 いのこった酒場に響く、深みのある声である。

「獲物に目がくらんでいたからだ。

 仲間の声を聞かなかったからだ。

 火を恐れて掲げなかったからだ……」

 ふぅんと唸った。眉間にしわをよせていると、経験豊富な教師のようにもみえる。

「そもそもそれは、はたして狼だったのか?」

 憲兵局にさえ直前まで知れなかったという、エルカテリーナ公の護刀(まもりがたな)。"城主連合"の内偵者。なによりヴィクトル・サンドバーンが騎士徒弟時代にやどっていた、北方森林最有力騎士家の現当主。

「ここまでのご無礼、何卒お許しください」

 都市"賢狼の裾(ホロゥノーツ)"領主、アベル・シルヴェストリは深く礼した。とくにフランがあわてて応じた。

 心にもない発言をする人だと、ゼンには(はな)からわかっていたが、黙っているだけヴィクトルも策士だ。言われてみればふたり、似通っている。

 刃を背にやったままその人は、その人なりに不器用にほほえんでみせた。

「ご帰還を心待ちにしておりました、サー・サンドバーン」




 ---




 義務へ急ぐような早足は、()()()()の得意とするところでない。石張りのでっぱりにやられそうで、すかさず立て直す。お月様にあるお城に、アムソフィヤはいた。

 目をつむって少し立ち止まる。落ちつけ、落ちつけ、と宙を撫でる。うすく緊張感のただよう城内だった。回廊の硝子に薄曇りの朝の、ほの明るい陽がさしていた。ふーっと息つき、また歩きだす。視野は晴れた。人けを意識したのは、ここではじめてだ。

(緊張した?)

(ええ!だってこれまでにこんな――)

(――そうね)

(マリー・タンゴの――!)

 消失点もあいまいな、長い廊下の向かいから、女子二人組がやってくる。うちのひとりなど。


 ――うお、めっちゃ……。


 艶っぽい(セクシーだ)。と、すれちがいざまアムソフィヤは目を奪われながらも、異物感から理性を取り戻した。

 緑の将校服。

 "星降る溝"系の、はりのある暗い肌色で、ウィンクをくれた二分咲きの彼女、まちがいなくアメイジアの手のものだ。剣を帯びるから剣士と知れる。対悪心有事特殊作戦将校、王国英雄、もっぱら"特務"とかいう。なぜここに?

 

 ――くそ、ふたりいたのに見逃した。


 断じて狙っているとかのお話ではない。

 女の子のナイショ話にありがちな、いたずらっぽい笑い声に気を取られて振り向くと、裾長のはざまからくゆるふたりの尻尾がハート模様をつくっている。

 酒には酔っていないはずだが。


 今朝は妙だった。

「入るよ、エルカテリーナ様――!」

 扉のまんまえでやっとみまわして、喉がつっかえる。控えの間の、知った近衛とは別に、更に奥まったこの侍従控室には、槍の戦士がいあわせていた。

 見間違えない。

 片隅に着席、得物をかかえて瞑想していて、どうみたって主席書記ではない。おのれがおかしいのかと思ったが、"盾持ち"のシュワルコフ流門下生だ。

 扉は勝手にひらかれた。


 あら、アムソフィヤ。と、来訪なぞとっくに知るくせに、エルカテリーナは眼鏡のすきから上目遣いをした。執務机で筆を手にとる姿は、もうここ十年、変わっていないような気がする。

 自分の祖母のようにも思っていた。じっさい長らく会わないでいても、身内として扱ってくれている。

 挨拶を放っておくと、エルカテリーナは、すかさず筆をまた走らせながら、アメイジアから提供してもらった老眼鏡が、いかに執務に役立つかを称賛しはじめる。

「聞いてない、きいてない……」

 じゃあなあに?と、同じ仕草で筆をとめるので、ずばり用件を言ってやるほかはない。

 すると、まぁ、ようやく顔を見にきたの。といった具合のことを言い、機能的だが威厳のある部屋の中央をそっと手でさした。また筆を走らせながら、あなたが遊んでくれたら、その子もよろこぶわ、という。

 つまりアムソフィヤが今立つ位置である。前かがみの乳母が心配そうに控えるのをよそに、その幼児はひとりよちよちと、白い貫頭衣のすそを、勇ましくつかもうとするところであった。

 もう歩けるのか。髪の色なぞたよりにならない――ん!と、その子が仰ぎ見るので、思考は霧散した。


 ――母親ゆずりの目ではない……!


 アリシアスナのひとみは、わすれな草の花のような、やわらかい青色をしている。

「こんな一目みてわかること……」

「誰しもに、求めるものがあるものね」うしろから、筆の音はいつしか止んでいた。眼鏡もたたんだのだろうか。「ときには真実(アリシア)、あるいは理解(ソフィヤ)

「……この子の名は?」

「アニマ・ラミ(真心の鏡)リエル」 

 どうせエルカテリーナのことだから、何もかもを見透かしている。ここで言う、何もかも、とは、いちいち真実として、確固とした形をもって知らされないと、ふつうの人は気が気でないような事実すべてだ。

 ヴィクトルは子種を疑っていたのである。悪心との連戦による心身の衰弱、そして"誓えない"妻の涙にあてられて。

 ひもとけば、あるいは長きにわたった陰謀というやつが、みえてくるのかもしれないが――まかれた不信と疑惑の種の始末が、ささやかな理解ひとつで事足りるなら、アムソフィヤとしてはうれしいところだ。




 ---




 時ところを前後する、ここは陰謀の酒蔵だ。

 ヴィクトルはどんな真実もまだ知らない。目前のヘイランリックの言動からして、アベル・シルヴェストリは始末されたか、寝返ったか。はたして妻と母は無事であるか。

「あなたを殺せるとすれば、あなたの手だけだ」

 杯を手渡すことの恐ろしさにはたと気がつくと、ヘイランリックは対峙したまま、机のむこうがわへと退いた。

 ここに気迷いをさそう"穴"はない。

 だから信じて、ヴィクトルは祈ることができた。幸運の蜜よ降れ――甘受するためにもまず目前の、ヘイランリックをどうにか葬る。

「謝罪しよう、サバト殿を拒んだことを」

「アレは関係ない」

「まこと出来たご子息であったな」

 ヘイランリックの苛立ちは、(つか)に向かう手にあらわれた。

 あとは硬貨の裏表、たくさんの血を流すことになる。それは守ると"誓約"をかわした、全人民への裏切りだ。


 ――"我は騎士、守手志す人の騎士"……。


 おのれが潔く死ねば、戦争は避けられるかもしれない。おのれが意地汚く生きねば、なにか守ることなどままならない。

 首の回らない、この刹那、ヘイランリックが剣を払えば、毒の杯なぞあおらなくとも、ヴィクトルはやはり死ねたのである。

 あきらかにそうはならなかった。

 なにが起こったか真相を、おとぎ話と思って、誰も信じはしないだろう。"商隊の聖巡礼"がはじまったときすでに、暁転の杖はふるわれていた。


 ある男がいる。


 馬丁を装って城へ忍び込んだその人物を、目端にうつした者がいたやもしれない。しるしを記憶できた者は、ただ皆無である。

 この密室がふたりきりとは、どこにも記述されていない。

「動くな……」

 闇の中から、産み落とされた影は言った。ヘイランリックの喉笛に、針のようなものをさしこんでいる。金色の杯がすべり落ちる。

「ブラッドポックスの麻痺毒は強烈だ、これより深く食い込めば不可逆の神経損傷を起こす」 

 サルヴァトレスと呼ばれる彼は、砂の土地の強いなまりで言った。

「考えつかないもんかねぇ。暗い穴倉へ誘い込むのに、まさかてめえの番だとは」

 一連の事態を、もっとも俯瞰していたのが彼である。あいた右手のひらの内で何かを砕くと、滴る謎の液体を、飲め、と耳元で強要した。

「ドルトル、なのか」

「そうなんだろうな、そう思えるなら」

 汚れた水面にあえぐ魚のように、ヘイランリックは液体を口にしおえる。権謀術数に教育された男だから、正体不明の刺客の慈悲のなさを、皮肉にもよく見抜けるのである。

「お前の意識はあと二十分で昏睡して戻らない。解毒薬は城内に隠した」

「……舐めたばかりで?馬鹿な」

「溺れ死ぬのに海はいらねぇ。喚きたければ勝手にしやがれ、ネズミが馳走によろこぶさ」

 サルヴァトレスはみなまで言わない。一歩退くのに、細い針を残したままでいる。棒立ちするヘイランリックの剣帯がひとりでにずり落ちた。

「訊ねたら応えろ。今度の一件、手ぐすね引いたなアウレリオじゃあるめえ。唆した奴のしるしは?いったいそりゃいつだ」

「真夏の……雷と嵐のただなかだった。深夜の肌色をした女がやってきて……未来を見透かしたような、言葉だった。いくつかの策謀と、あやしい知恵を与えた――」

「永遠の命もくれてやるからと?」

 首筋の針が動くので、ヘイランリックは唾をのむのをためらう。

「旦那、合図したら訊け」何をと明言されずとも、サルヴァトレスが顎をしゃくるのに、ヴィクトルはうまく従った。「……"悪心"と知って加担した?」

「……察しはした」

 ヴィクトルは反射で受け取った。肩越しに放りつけられたその謎の小道具の、赤いでっぱりだけは押すなよと、サルヴァトレスはいう。

「兜の酒場へ行け。役者が雁首揃えていりゃあ、あんたの出番はもうないはずだが」

 せっかちに急かされるまでなく背を向けて、ヴィクトルは陰謀の穴倉を後にできた。道を行かねばあり得なかったはずの、無類の信頼をよせて。


 あとの出来事は、なるべくしてあいまいだ。

「斯様な真似をして、無事に主門を潜れると……?」

「城の慣習なんざうんざりさ」

 ヘイランリックと踵を接して城内をゆく、その男に気がつけた者はいなかった。なにかと人とすれ違う、死の指が首筋の針に触れる。ぎこちない挨拶以上の言の葉は、唇の上で消えてしまう。

「……これ以上なにをおのぞみか」

 上階の書斎へ至るころには、ヘイランリックは勢のない声である。曇り硝子からさしこんだ白い陽の中の、影のような男の異常性をよく認めている。常のごとく着席するようすすめると、男のほうは執務机に気楽そうに腰かけた。

「言った通りに書け、それで解放する」

 影の男は懸けて誓った。

 まもなく忙しない息遣いが、部屋の前までやってきたとき、ヘイランリックは助けと思った。

「あの勘定方、帳簿をちょろまかしてるぞ」

 ヘイランリック様、失礼いたします。扉を破ったエスコーベルは、ひたすら何かに恐怖するだけ、そこにある影に見向きもしない。

「サバト様がお亡くなりに……」震えた声である。

「なん――」

「まことに勝手ながらこのエスコーベル、これよりお暇を頂きます……!」

 尋常な死ではないらしい。サバトの真の所在を知る者はごくわずか、ましてその"(あるじ)の城"の警護は"乙女の城"の比ではない。

「手前をこらしめてくれと頼みまわりながら、世をわたってるようなクソガキだった」

 首筋の針は抜けていない。

「殺しが手前の存在に重さをよこすと、本気で期待してやがる」

 宣告された昏睡時間まであとわずか。

「もてあそんで火をつけたがために谷底へさかさまに身を投げた、田舎娘の名も知らねえ……」

 ヘイランリックは屈辱のもと、指示された内容を必死で書き終えた。棘のある薔薇、大きな月、燃えさし、青い猫……その実、訳の分からない単語の羅列だ。

「……右側二番目の引き出しを開けろ、約束の代物だ」

 解毒薬。ヘイランリックに選択肢はなかった。小さな陶製瓶に封入されている、ともかくそれを飲まなければ。

「弟子入りを拒まれりゃ、コケにされたと憤る。あげくそいつの妻に一服盛って、手籠めにしようとする……」

 飲み干したあとはあとのことだ。武装は解除されているが、影の男とて剣を帯びない――。

「ああ……」

 しかしこうも背を向け続けられるものだろうか、優位に立つすべをほとんど失ってなおも?

「俺の気に障ったな、そのどれでもねぇ」

 最後にみとめた影の形相は、おそらく怒り狂っていた。

()()()にまで刺客を送り込んだな」


 この書斎の扉を次に叩くのは、連合憲兵局ほか調査・取り締まりのための、各領からの有志一団である。率いるのは、家名から廃嫡され、逃れた先のドラッドネルトで身を修めていた、ドゥ・ニノーの次男ジャンゴであった。

 一家と仲を違えたように、曲がったことの嫌いな彼の帰還もあいまって、"賢狼の裾"は安定をいよいよ確固とするのであるが――ジャンゴは血統からして、細かいことに気がつける青年だ。

 それを父とは呼びたくない。ヘイランリックは執務机につっぷして息絶えており、どうやら自死とみなしてよい。

 疾うにくたばったアウレリオがさも存命中のようにふるまい続けるには、非才なおのれでは悪心の力を借りるほかなかった――といった旨の、おおよそ真実と整合しそうな一筆まである。

 非常に精巧に筆を真似た、偽造文書である可能性を、ジャンゴだけは漠然と考えた。

 のちに聞く、血のつながりの上での兄の、異常な死に方にもやはり――深酒をして眠った場所が、たまたま人目の届かぬ、腹をすかせた猟犬どもの檻であった――ただ因果なことだとジャンゴは理解して、何かを訴えようとは思わなかったが。


 そう、真相は闇の中。いつもすぐそこで全てを見ている影が、世に語ろうとでもせぬかぎり。




 ---



 

 もちろん、謎はまだ残っている。

 たとえば断罪の朝に、ハルバートン領のはずれにいたはずの少年少女 (とついでにガスパル・トロンコーソ)だけが、どうして同じ早朝に、"乙女の城"の城市に集えたのか。


 少年少女は、自分たちの転がり出てきた立派な暖炉が、城市にあるアベル・シルヴェストリ氏の私邸のものとは聞かされていなかった。出迎えたのはシルヴェストリ家の息女シルヴァン――水面下でのドゥ・ニノーとの暗殺合戦を生き延びられた数少ない人物だ。彼女に手配された幌馬車のなかで、以降の段取りを手早くすませ、たまたまついてこられたガスパルには煤化粧やらをほどこした――。


 よくわからないと思う。寝不足気味かつ慌てていたから、少年少女さえ完全にはわかっていない。

 

 夜明けの荒蕪地に、絶好なあらわれ方をした、オリヴァーの駆る白馬車――商隊の黒馬車にどことなく似ていた――を忠実に守っていたのは、ほんとうにハルバートンの農兵であったのか?少年少女が物おじせずに飛びこんだその白馬車の内部では、実際なにが行われたのか。

 然るべき時が訪れるまで、彼らの軌跡をなるべく隠そうとする何者かの意図もあって、さらなる真実は書類の束に埋もれてしまう。

 以下の情報の断片が、せめて手がかりになるといいが。


【修理部のめずらしく理性を欠いたおぼえがき。タイプされた本文を押しのけそうな赤文字】

 

 ――回路が焼けきってるぞ!なにをしたらこんなになる!?どこの馬鹿が(以下判読困難)

 

【対する開発部の非公式コメント。とんでもなくおおきな黄色の付箋に、みっちりと理知的な黒文字】


 ――仕様書は嘘をつかない。冗長性には……【高度に専門的な内容につき中略】……よって理論上は起こり得るべくもない……万が一たとえば対象が、五剣と魔導の欲張りセットでもない限り。

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