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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:一条の道
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7.交流


 薄く溶けた雲を通して、真上に射しこむ陽があった。昼時だ。少年少女と一頭は、変わらぬ調子で道をゆく――いや、なんの話題か途切れて以来、誰かがいささか遅れがちやも。

「どうかした?」

 振り向き、ゼンが訊ねる。

「ぷるる」

 振り向き、エマが案じる。

「い、いえ、なんでもないです……っ」

 小走りに答えがついてくる。何度かこれを繰り返すのだから――フランの気になるようなもの、どこかにあったかな?――ゼンに思わす、それは兎だ。ゆえ、こうも口にした。

「ね!もしかして、お腹すいたー!?」

 またまた距離ができている。腹が空くか、眠たいか、疲れたかすると、人は元気が出ないものだ。

「ええとっ……はい!」

「そっか!どこかでお昼にしよう」

 来たる飯時を見過ごしもする。おばばが用意してくれて、多めにとった今朝だった。ゼンは足音を背に数えながら、道の先々へ目を凝らしている。まだまだ町は遠いらしい、どこまで続くか一条(ひとすじ)だ。ところで、ひとつ思いだす。老商人に聞いたのだった。この辺りには"あれ"があるはず。

「ちょっと先を見てくる!エマと一緒についてきてっ」

「えっ!は、はいっ、わかりました……」

 ゼンは駆け出した。もうほど近くにあっていい。なにせどうしようもなく一条を、昼になるまで進んだのだから。まもなく、やはり見つけられた。曰くこの場所の名は――"聖域"だ!

「フランーっ、ここだよ!休憩するならここがいいって!」

 老商人はここで夜を明かす。それから村に訪れる。例の二頭立てでもおさまるだろう、繁る緑の一角を、切り抜いてできて"聖域"は、ただの空き地で一見だ。しかし驚くべきか、商人曰く、この一帯は()()に守られているという。獣を心配しなくてよいから、寝いびきだってたてて平気だと、霜柱を撫でる得意げがよぎった。

 ここまで危険はなかったが、安全の実は採れるだけ採れたらいい。休息にはもってこいな"聖域"である。樹々が囲って枝葉を伸ばすから、いざ雨ざらしも避けられそうだし――

「水筒をちょうだい?奥のほうで水が湧いてるみたい。すぐ汲んでくるよ」

 フランの追いつくや否やであった。ゼンは革水筒をふたつ手にすると、エマの背にあった(おけ)をかついで、樹々の間をひょひょいと行ってしまう。小気味よく慣れた足取りだった。

「はぁ~……」

 へにゃ、と声を上げたがフランだ。身軽な背中を見送ったらもう、地べたにぺたん、座り込んでいる。朝から休まず歩きどおし、すっかり疲れきっていた。ひとりきりでは気も緩んだ。

 ふんす。

 おっと、厳密にはひとりきりでない。脇に立つ(エマ)が鼻を寄せる。

「だ、大丈夫です、お馬さん。ちょっと休めばよくなりますから。こんなに歩くのが、はじめてなだけで……」

 まるでちがった少年少女だ。獲物を追って一日中、山を駆けずり回れるあの少年と、生まれてこの方を、"育て屋"で過ごしたこの少女である。だが、根っこの部分で似ていなくもない。けろりと歩き通せるのは何故だ。黙々ついてゆけるのは何故だ。

 フランは体の具合をたしかめる。頬がほてった。足が腫れている。おおきなマメができている。こすれた踵に血が滲む。それでも、と、唇を噛んでいる。


 ――足手まといにはなりません……。


 フラン・フラムネルの決意は固い。なにがなんでも、ついてゆく。幼く小柄、それでたくましく、村一番のあの少年に。


 ――おばあ様は言ってました。やろうと思えばただひとりでも、ゼンは聖国まで行ってみせるだろうって……こんなちょっとを歩くだけ、彼にとっては試練でもなんでも、ないんですから。


 しかもフランは知っていた。ゼン・イージスが、いかに生きてきたかを。全容、とは言わないまでもだ。比せば自らの恵まれ様を、痛いくらいに弁えている。弱音など、だから決して吐くまい――彼の前では、絶対に――と、かたく胸に誓っている。

 少女にとって、これは当然だった。いくらか経って、繁みの奥から彼が戻ったとき、座り込んだまま、とても動けずこそいて、なんでもない風につとめたのも、やはり当然であった。

「はい、お水」

「ありがとうございます!」

「エマのはこっちね……」

 馬とは、意外にひっそり水を飲むものだ。

「小川があってね、すぐそこだった」

「よくわかりましたね」

「うん、音がするよ。ほら……」

 フランはゼンを真似てみた。手をかざし、耳をすませば届くのは、しかと水音――ただし、エマのもたげた口から滴る。  

「……私には全然みたいです。ゼンは耳がいいんですね!」

「なれてるだけだ。ふだんとちがった音を探してれば、危ない目にもあわずにすむもの……さ、食べよう」

 ここは聞き耳いらずの"聖域"だからと、嬉しげにゼンは鹿毛の背をあさる。すんだと見えればエマはそそくさ、若草を()みに端へ行った。

「全部おろそうかって言ったのに、ガンコなんだ」

 念のため、"育て手"がくれた食料を数える。きちんとふたりで三日分。町までかかって一日いっぱい、担いだ弓に矢はつがうまい。

「すごいよフラン!」

 それでなお笑顔に、ゼンは頬張った。

「この乾パン、砂糖がまぶしてある!干し肉も……しっかり味がついてるし」

 のどにはりつく乾パンも、歯がもげそうな肉切れも、心底うまそうに食らうのだ。だから、という訳でもないが。

「あの……」フランは、ついに言うことにした。ずっと気がかりなのであった。

「うん?」

「お腹が空きませんでしたか。その、ひとりで暮らすあいだ……」

 ぱくぱくっ、食べきってゼンはあまい指をねぶる。あごを浮かして、んーと唸った。やはり訊かずにいたらよかったか――いいえ――フランは実際、知るべきだった。

「僕の家はね、燃えちゃったんだけど」

「はい……」

「その頃だけかな?よく覚えてる」

 何でもないよう振り返る。ゼンは、すべてをフランに教えた。

 家が焼けた日とは、母親と最後に話した日である。

 母親の死は、おばばに聞いた。

 立ちのぼる火炎を前に、焦がされるくらい座りつくした。

 どんな気持ちでいたくとも、腹が空いてはしようもなかった。

「泣いたよ。泣いたけど、泣いたらもっと腹が減るぞって。聞いたとおりだった。すぐに食べることしか考えられなくなった」

 井戸水でしのいで、何も食べない日があった。

 おもてでは誰も知らんふりをした。かげでは、なにかしらくれる人もいた。

 残飯をあさっていたら、ののしられ、ぶたれた。

 村では食えずに、山へ行った。

 しらない木の実はだめだと覚えた。舌がぴりぴりするだけならいい、何度もひどい目にあった。

 幼虫やみみずが手頃だった。木や地面から掘り出して食べた。とうてい腹は膨れなかった。

「どうしたってお腹が空いていた。でも、そんなに長くは続かなかったよ」

 よくも笑える少年だった。

「じきに、森を教わったから」

「……どなたに?」

鷲頭(しゅうとう)の狩人を知ってる?三つ前の夏かな、彼は村に来た」

「あっ……!」

 あざやかにフランは思いだしている。あの()()の狩人の訪れが、まさかゼン・イージスを救っていたのだ。

 よそ者が"御許"で日をまたぐのを、村の掟は許さない。しかし、火の神様が許すなら別だ。鷲頭の狩人は許された。村が掟に生きるように、彼もまた掟に生きたからだ。流浪を是とする一族で、さだめた山で冬を越す。"御許"の山に導かれたのだと、その人は滞在の許しを請うた。肩書き持ちの大人たちが、額を集めても結論は出ない。火の神様に委ねるしかない。"育て手"が狩人と祠へ赴き、条件つきの答えは得られた。行き帰りのほか村に寄らぬこと。とくに、去るのは昼間であること。鷲頭の狩人は誓って守った。

 フランは明細に覚えていた。その訪問は育て屋にとって珍事であったし、村人の顔をろくに知らないでも、鷲頭のおもざしなら焼きついていた。火の神の村に生まれてこない、"獣の(しるし)"を持つ人だった。

「彼はけっきょく、冬を越すのをあきらめた。自然をあまくみた僕が、おおきな怪我をさせちゃったから。なのに、笑ってくれたんだ。笑ってたと思う……なんだったかな、そう。《教え》それから《役目》だと言って」

 ふたりは言葉を(たが)えたから、あまねく通じ合えた訳ではないが。

「剣とおなじだ。言葉がなくても、技はまなべる」

 野山で生きる矢先であった。ゼンはなにもかも身につけた。

「それからは、飢えなくなった」

 はじめはひとり、焚き火の(しろ)に枯れ枝を集めた。立派な仕事だがそれしかなければ、今頃どうしていたことか。射止め方、仕留め方、捌き方、作り方、見つけ方、そして見分け方。十夏の頭に詰まった知恵は、誰にも奪えはしなかった。かけがえのない出会いも然りだ。

「そう、だったんですね……」

 とうに昼飯は終えていた。木陰を統べかけた静寂を、そよ風が穏やかにさまたげる。樹々がさわさわ奏でては、小鳥がさえずり、梢を揺らした。まだらな木漏れ日がきらきらと、聖域の色を塗りかえる。明けたての、春の色だった。

「三つも冬を……」視線を落とすまま、フランはぽつり。「こごえませんでしたか」今でさえ、風のご機嫌次第だ。

「前の冬は、とびきりだったね」

「おばあ様でもはじめてだったそうです、あんなにたくさん積もったの」

「へぇ、だったら……」ゼンはまとったぼろを手繰り寄せる。ひと冬でだいぶ擦り切れた。「だいぶしのげたのかも、これもあったし」

「そうですか……!」

 ゼンは知らない。ずっと知らない。もとはふかふか毛布のそれを、本当は誰がくれたのか。陽のさす昼間も堪えた冬だが、よい外套があってくれた。むしろ食うのに、すこしひやりとした。

「三人組って呼んでるんだけど……」

 ナルガズトーワには悩まされた。姿を見せない悪さを覚えた。

「備えをいくつかダメにされちゃって」

 分けておくのも備えのうちだ。山の岩かげ、森の木の(うろ)、林に枯草の休憩所、平野のどこかの土の中。燻した肉や干した果実ほか、まともな衣類を散りばめてあった。もしも失くしていなければ、熊並みに寝こけていい冬だった。 

「足りるか心配でセツヤクしたよ。思っちゃった。僕を追ってくれるほうが、よっぽどいいのにって」

「追われて、怖くありませんか」

「平気だ、つかまらなくっちゃね。それに棒のひとつでもあってくれれば……あ、そうそう」

 ゼンは立ち上がり、この道中、頼りになるはずの武器を言った。戦士長のよこした剣である。粗末な造りの鞘はまだ、エマの背に載ったままだった。手に取っている。

「うん?これって……」じゃっ、と抜いてかざした刃は、でらり、とにぶい光を放った。「練習用の剣かな」

「練習用、ですか?」

「同じのを見たことがある。鋼じゃないね、たぶん銅だ。それも刃が引いてあるから……」

 握って、こぶしが裂けない刃だ。重たくあって、鋭くはない。打つにはいいが、斬るのに能わない。本物の危険から身を守るには、いささかお粗末な一振りである。

 村には鋼もあるだろうに、穢れに渡すのが惜しまれたか。あるいはこれも掟のうちか、はたまた嫌がらせであるか――けれど、神子を思うなら真相やいかに。ゼンが見やれば不安げだ。

「大丈夫。木剣よりはずっといい。弓だってある」

 いつでも本気の少年である。棒きれと、弓と矢があれば、なにごとも工夫次第であった。銅は帯びてみる気になれず、取りやすいようエマの背に返す。進むべき先を、もう見据えている。

「さぁ、そろそろ行こっか。ちょっとおしゃべりしすぎたね」

 "一条の道"のちょうど半ばに、"聖域"は位置するのだそう。順調に行っても、見込みは暮れか――町の夜って、明るいそうだけど――知らない森であるならば、暗くなってから踏み入りたくない。

 ゼンは、ツツツ、と舌を鳴らしてエマをうながした。ずだ袋をおぶりなおして、すぐさま行ける格好である。かたやフランだ。座ってじっと動かない――いいや、踏ん張っていたとも。どうにか立とうと。

「す、すぐ行けますから……」

「待って、どこか怪我したの?」

「いえ、ちょっと力がうまく、入らないだけで……」

 ようやくの(てい)で立ち上がって、声も、膝も、震えていた。野生の子にはすぐ察せない、怪我でないのなら、おなかがいたいの?鈍感な背を、エマがこづいた。

「ん、どうしたの」

「ぶるるん!」

 牝馬は鼻を鳴らしたら、もそもそ口をこねだした。いささか首を縦にふりもする。フランは思う――さっきもでした、なんだかお喋りしてるみたい……。

「あのね、エマっていうんだよ。僕らの言葉がわかるんだ」

「え――?」

「それでね」

 ゼンは二の句もつがせずに、

「もういちど座ってみて」

 フランをどきりとさせるのだ。やっとの思いで立ち上がれたのに。しかし、ふたたび座するまではやかった。腕をとられて、あれよあれよと。

「靴を脱げる?ああ、すりむけてる。マメもつぶれちゃって……痛いでしょ?いい軟膏があるよ」

 なされるがままにフランがいると、ゼンは手際よくことを終えた。つまり、ちんまりと(まる)い真鍮容器を、ずだ袋から取り出して、肌色になじむ内容物を、とっくに塗り終えてしまっている。いま施すのは当て布だ。

「そうだよね、なれてないんだから」

「エマちゃんに……?」

「うん、気がつけなかった。ごめん」

「動物さんと喋れるなんて」

「エマはとくべつだ、森の動物たちとは違う。彼らの言葉までわかったら、もっと大変だったかな」

 笑むときも、笑まざるときも、どこか憂いげな少年であった。両手を洗い流しては、乾かすためにすりあわせている。

「それより脚だ、なんとかしないと。痛むだろうけど、もっとさわっていい?」

「は、はい……」

「長く座っちゃよくなかったね、すごくこわばってる……」

「きゃっ!」

「痛い?やっぱり」

「い、いえ……」

 動物対話の(すべ)にまだ、ほうけたままのフランだったから、いっそう大きな声がでた。くっ、と強く押し込まれたのは、ふとももの、だいぶつけ根であった。

 というのも、小さき知恵曰く。慣れない脚には力がつかず、はりきりすぎて痛むのだ。ずっと動かすままならよいが、冷めてしまったらかたくなる。かたくなったら、よけいに痛む。

「このあたり、もんでほぐせば、すこしはよくなると思う……どうしよう?」

 ゼンはすっかり手を止めている。良しといわれるのを、純粋なまなざしで待っている。

 フランの鼓動は跳ねたままでいる。誰にも、まして男の子には、触られなかろう部分であった。しかし貫く少女でもある。前へ、と思いが強いから。「お、お願いできますか……?」そう、また歩けるなら。鼓動を高めた。

「もう片方を自分でやってみて。つけ根の……ほら、ここ!内側に、やわらかい骨が……」「んっ……」「あるでしょ?わかるかな」「は、はい……」

 こり、こりと、こすられている、つまるところは内股だった。しめっぽい()をフランは漏らすが、必死のゼンは構わない。進むには脚が必要だ。

「ほんとうに、な、なんでも、よく、知ってるんですね。あっ……」

「脚の怪我はね、僕もしたから。傷はよさそうなのにうまく動かなくって、それで教わったんだ」

 教えたのは例の狩人だろうか。フランはうすく思い浮かべるだけ、ももを這う手つきにすぐ気をとられた。たしかに、こり固まっているらしい。痛くて、それから。

「んんっ……」

「痛すぎない?」

「いえ、大丈夫です。その……ちょうどよくって」

 素直さがはばかられる。なぜ言えないのか、気持ちいいのだと。卑しさにおのず、頬が熱くなった。

 ふくらはぎから、おしりの方まで、丁寧にゼンはもみほぐした。たびたび漏れる嬌声に、くすぐったいの?とほほえむ無邪気さがあった。

「どう?そっちは。うまくできてる?」

「ええと……」

「代わろうか?」

「……お願いできますか」

「いいよ」

 二度も真剣にとりくむと――むろん、骨の髄まで真剣であるが、ゼンをも汗ばませるつとめであった。

「どうかな、ちょっと立ってみようよ」

「はいっ……」

 はたして苦労の甲斐あった。フランは立てた。手を引かれながらも、すくっと立てた。ふたりでたいそう喜んだ。

「これなら、歩けそうです……!」

 ぼんやり重たく、しかし動くのだ。だったら、フランは歩いてみせる。

「よかった。痛いときは、いつでも言ってね」

「ごめんなさい、遅れたくなくって。それで、よけいに……」

「いいんだ、僕が気がつけなかった。でも、どうしようね」

 陽の傾きをゼンははかった。かなりの時間を要したのだった。日暮れに間に合うこの道だろうか、いっそ休むのも手の内だ。

「私のせいで一日を無駄にできません。行けます。行きましょう!」

「うーん……」

 駆け足でならどうとでもなろうが、足並みはきっとそろわない。心がけを思って、ゼンが見るのは。

「ぶはん」

 健脚そのもの、自信馬である。荷をすでにだいぶ載せながら――のせたらよい、並走しよう。の鼻っつらでいる。聞くべき相手はひとりだけだった。

「……乗ってみない?エマに」

「わ、私がですか!お馬さんは、こんな近くもはじめてで……」

「なら練習だ。そしたら今日も無駄じゃなくなる、でしょ?」

「ふふーん!」「あ……」

 首尾がよければ間に合うからと、フランの背中を押すのはエマだ。その旨、ゼンが伝えると。

「が、頑張ります……!」

「むずかしくないよ、ちょっといくつか覚えるだけだ」

 ゼンはさっそく準備にかかる。鹿毛の背の荷物をととのえる。(あぶみ)を下ろして、エマに向きを指示した。

「来て、フラン。ここに足をかけるんだ」

 ひざまずき、ゼンはみずからの肩を叩く。さも当然に、踏めと言っている。

「え……えっ!」

「脱がなくていいよ!足が痛いでしょ。いい?肩にのせるのは右足だ。あぶみを踏むのが左足。じゃないと、ふふ、前後ろになっちゃうからね」

 ゼンならひょいと飛び乗れるが、エマの背は子どもに高すぎた。はじめたてなら踏み台が要る――僕もさいしょはそうしたはずだ。

 ちいさな肩をあしげにするのに、フランはいかにも恐る恐る。ゼンにとっては、なんの苦でもない。がちり補助をして、落とさない。

「よし、かかったね。(くら)にしっかり手をついてー、反対側へ右脚を回して……すこし押そうか。いち、にの、さん!」

「わ、わ、わ!」

 ぶきっちょなフランの両脚が、さまざまエマの脇腹をつつく。本来であれば「前へ」の合図だ。

「エマ!我慢!」

「ぶふはん!」

「どうどう!フラン、前のめりだと危ないよ!」

 なんとかまたいだ馬上には、フランの知らない景色があった――高いっ!――目を回す。とっさ、馬首にしがみつく。

「怖がらないで!エマはぜったい振り落とさないから。まっすぐ、まっすぐ座るんだ」

「は、はいぃぃ」

「ぶるるん!」

「うう……」

「よし、よし。背を伸ばして、そう!前に倒れたらいちばん危ない。エマの首を押し返していいんだよ、びくともしないから」

「ふっふん!」

「つかむのは、たてがみ……じゃなくて、いまは手綱があったね。これを握って、両手だよ。はなしていいのは降りた後だけだ。あ。乗る前から握っておくんだっけ?」

「ぶるるる!」

「うん、はじめてだもの。これは次にしよう」

「わかり、ました~!」

「うん、うん、うまく乗れてるよ。そうそう」

「ほん、とうですか?」

 腹帯の具合を確かめて、ゼンとエマは、よし、と互いに頷いた。

「フラン、行けそう?陽の出るうちにつけるかもよ」

「う、わ、私は……」

 尻ごみがある、フランには。またいだ脚が頼りないから、高さもいっそう恐ろしい。落ちてしまったらどうなるだろう?止まっているから、せめてよくて、動きだしたなら大変だ。きっと、もっと、恐ろしくなる――だけど、だけど……!

「い、行きましょう!行けますっ」

「いいね、フランも言ってる!行こうかエマ!僕とどっちがはやいかな?」

「あ、わ、わ、わ、わ!」

 少年少女と一頭が、ちょっと変わって道をゆく。


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