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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:さなかの国
25/100

25.境の町

◆←文頭二字下げの代替です。


 さなかの国に「(さかい)」は多彩だ。町の名の数を言っている。西境の町、東境の町、丘上境の町、斜め森境の町、青蛇川沿い境の町――まだまだ尽きない。弧大陸もさなかであるから"さなかの国"、四方八方に大地が広がり、広がる向きだけ境も多彩だ。

 すると不思議である。どれだけ町の名を並べ立てても、「南」そして「北」を冠すそれが見つけられない。"さなか"の中では有難い、万全な地図をのぞめたとする。訳が半分知れるだろう。南部は山谷森川が支配して、国境沿いたる町がない。では北は?軽く歴史を知らねば訳は知れまい。

 境の町、と単に呼ぶ。実に最北端の町である。"さなか"に(さかい)が敷かれたかつて、最初に名誉を賜った。だから単なる「境の町」だ。

 南方最寄りの町からして、うんざりするほど遠方に所在する。北へと続く果てしなき野原、踏み枯らされた一筋に、轍の跡が重なれば道だ。もしもあなたがゆく旅人なら、乗る乗り物に恵まれたらよいが。でなくば前を見据えて進むなど、経てば経つほどきっと嫌になる。

 歩けば思う、やけに疲れるこの道だ。向きは確かか、違えてはいないか。いくら、どれほど、進もうと、何も見つけられそうにない。

 南北にかかる長く緩やかな勾配に、人は気がつけないでいる。大地と空の二分に飽いて、下げた額をふと上げるのは、足元に石畳が混じったときだ。町が近いか見渡せば、おおかた肩透かしをくらう。なんならじきに、なおげんなりする。待ち受けている、のぼり急斜面である。

 選んだからには避けられない。けれど、それは最後の登り坂。ひとつ、ふたつ、踏ん張り利かせて、どうにか頂に辿り着く。慰めの報酬として、町影を得る。まだ小さいのだから慰めだ。もっともあとは心配ない、程よく楽にくだれるだろうから。

 足を棒にした旅人たちの、ほとんどがここで振り返る。実には険しい道のりだった。延々のぼりつめてきて、行く先も見えずいた訳だ。感慨深く思っては、陽を頂くまま火を熾す。明日の自分に、続きは任せよう。

 振り返らない者もいる。突っ切ってしまう連中がいる。疲れた訳など気に留めない。疲れていたとて、訳もない。のぼりもくだりも前を見据えて、更なる彼方を目指しているから、慰めに価値は見出さない。そうした人種に生まれつくと、乗り物の有無も大事でなくなる。察しの通り、"商隊"に巡り集った人々やまさしく。もちろん彼らは馬車とて馬とて、とても大事に扱うが。

 黒い馬車が例のげんなり坂を踏破したのは真昼方。引き切ってなお壮健の四頭、不具合のないゴム製の車輪、乗り合わせた人々の性質まで顧みると、明日を迎える土地としては、境の向こう側こそ相応しく思えよう。

 夜に沈んだ町の灯を、"商隊"はたしかに眺めていた。但し書くには、南側から。つまり国境越えが適っていない。前へ進めぬたったひとつの言い訳を、ハウプトマンはこう宣言する。


「金が、ない……!」


 意味をイトーが補うところ。

「厳密には、国境越えに心もとありません」

 一同集った晩飯の席。出来立てあつあつな焦げ目焼き(グラタン)が、白ソースの湯気を香ばしく漂わせている。その具材にせよ、料理番が昼間の内に、町まで行って帰って調達してきた。事が勘定通りに運んでいれば、存在しない手間だった。だが手間は「節約」を生みもする。その友の名に野宿を挙げて、頷かない旅人はいない。暮らすだけでも、町では金が要る。道を行くにも、町では金が要る。一泊するならなお贅沢だ。馬車の置き賃、手入れ代――手を出すなよ代――、食費に宿代、通行税。誰しも金に余裕があるなら、足を棒にせず馬車旅を選ぶ。金がないからみな足を棒にする。

 諸般の事情を顧みて、だいぶ裕福なはずの"商隊"だった。いくつも町を通過しながら、その度、選ぶことができていた。今夜は門前?それとも町内?少年少女が転がり込んで以来、馬車の景気が良くなったからだ。それもそのはず、こなす仕事は大人ふたりぶん、寝床は大人ひとりぶん、お得な二人二役である。

 まず崇めるべきは火の神子の神秘、白昼灯とあわせて経済、光熱費を激減させた。そしてこの()の真理を説こう。剣の腕前は「金」になる。守手の心情と奮闘の逐一はまたの機会として、ここまで乗り合い連中と一人前に稼いだのが実際である。

 特別な黒い馬車への乗車券、「隊費」の上納を、少年少女は滞らせなかった。むしろ余分に寄与したほどだ。なれば、だいぶ裕福なはずの"商隊"に、今更の節約が要とされる訳など、ちいさなふたりに見出されるはずがない。仮にそうだったとしても、大人は決して、そう、とは言わない。

「すまん、俺のしくじりだ!」

 商隊長は詫びる折、事実から半分を抽出した。出国人頭税の値上げが既知の情報より大きい。素直に食らうと現金の貯蓄がかなり苦しくなる。

「ははぁ、苦しいのはあくまで『現金』ね」得心顔でヴァンガード。「つまり荷はあるけれど、金がない?」

「いかにも。作れなくもないが割が悪い」

「聞いて安心した。まるきり財布に穴、って話じゃないんだから」

 一行の愛称を、ここらで思い出す必要があるだろう。"商隊"だ。彼らの(かしら)は商売をしている。あだ名に"大将"とついた頃、商隊長は賭けに出た。イトー家の後援から自立するべく、ただ運ぶだけから、危険(リスク)冒した(とった)

 乗り合いから上納される「隊費」の一部を「貨物」とし、「貨物」をいずれ「現金」に換える。経済という方程式に濾して不思議、同じ「金」でも「隊費」と「現金」は、必ずしも等号で結びつかない。

 利潤が大きくつく限り、「隊費」の徴収はおこなわれないのだから、一種の投資信託である。"誓い"も噛まして、乗り合いたちは了承している。少年少女ははじめこそ欠かしたが、初乗りするなら注意事項だ。

 すこぶる順調だった。少なくともこの商売の差額で、ティレルチノフ夫妻の旅費は十二分に賄われてきた。一部の乗り合いは特別な恩恵を受けた。馬番ダルタニエンは一時期の働きぶりを、いまだに斟酌されている。稼ぎに乏しいサルヴァトレスは、隊費を秘かに免除されること幾度か、"さなかの町"の一度を除くと、まったく催促されていない。

 危機回避(リスクヘッジ)も行き届く。誰か西行きの気を突然変えて、馬車をすぐ降りると言いだしたとして、直近の隊費は返してやれる。たとえ総員の心変わりだろうと、商隊長は真に受けられる。それだけの現金は蓄えてあった。実は今もある。

「正味のとこ、出るばっかしなら出られるとも。公国(エウロピア)までも一直線なら、なんとかなろう。ただそりゃ、万事めでたしに期待した場合でな……俺の性分とは相容れん」

 常に最悪を想定する。今でこそ商うこの髭の強面は、国ではもっと別な働き方をしていた。ただ一種の秀才というやつで、今の生き方に自信を持つし、芯には鋼の信念と、根には黄金の配慮を宿すから、事実を全て明かそうともしない。すなわち――ある意味で、と注釈の上だが――少年少女が乗り込んだため、狂ってしまった歯車についてだ。

 まさか"集団暴走(スタンピード)"を忘れてはいまい。大災害だ。黒い馬車が追われたあの夜、ハウプトマンは行商の荷を大量に放棄した。せざるを得ないが、英断だった。一方、返ってこない内容物、それは少年少女の重さのぶんで、重量単価に頼る商い方に、非常に大きな打撃といえた。

 以後の"商隊"ではしかし、見かけ上の裕福さが保たれた。少年少女の仕事を思えば、裕福になって妥当だからだ。並行して商う人は、懐を割り、危機回避(リスクヘッジ)分を一時割り、今日に及ぶまでひと月に足らず、商売一本のやりくりで、現状までなんとか持ち直した。

 そして境を前にして、もっともらしく税だけ罵る。"商隊"の馬車は大所帯。ついでに少年少女は二人二役、寝床はおとなひとりぶんでも、人頭税まで立派におとな二人ぶん。天災に似た痛手である。ただし、形はだいぶ好ましくなった。時が設けた一線の話だ。まず、欠けたから足りぬのではない、足りたと思って足りぬのだ。前なら新参に責が重く、後なら(かしら)に責が重い。更に、のしかかる負担が明らかになる頃、少年少女は()()ではない。"商隊"の一員として、それぞれが九分の一を受け止められる。(かしら)は最後の仕上げに陳謝する。勘定違いをして悪かった――堂々と節約を布告する。

 さて才能であれ黄金であれ、世に行き渡ってこそ人を感化する。"商隊"の誰も動じなかった。「金がない」と、低頭されども――なに、どうせ大したことはない――すぐそこにあるのを知るからだ。世間様が実物をご所望というなら、せいぜい協力の姿勢を見せる。

「大将の右に倣えだ。ふぅー。この先の土地柄、出たとこ勝負は具合が悪い。ふぅー……あちッ」

 調達の都合で待たされた晩飯に、ヴァンガードでさえ舌を焼かれた。よそわれたての皿々を、吹き冷ますのに一同が無心、当座のお話に愚直についてゆけるのは、小首をかしげる少年くらい。「ほうして(どうして)?」一口先に頬張っている。

「正規の組合がなくなるからさ。ふー……はふっ!」

 境の向こうの話をしている。ゼンは笑った、ごくんと飲み込み。

「ヴァンったら変なんだ。刃を握ってもケガしないのに、舌はネコジタなんだから」

「ん!ほりゃ……」はふっ、と大男は無理くり飲み込み。「気合が違う!前も言ったろ?飯くらい安楽に食いたいよ。少年こそよくペロリといくね」

「これくらいでちょうどいいもん」

「ヤケドに気をつけろ?ダルだって慎重に食ってる」

「うん」

 ちなみにフランもぺろりといける。とっくに三口はぺろりといった。食いしん坊と呼ばれた気がして、隠れてぽっと赤くなる――火の神の子らは熱さに強い。

 戻れるうちに道に戻ろう。「組合がない」この事実は、旅人にとって優しくない。金がない旅人には、なお優しくない。"組合"は仕事を集約、斡旋し、報酬を確約する機関で、流れ人にも食い扶持を与えるが、運営母体は国とする。境の向こうに()でればしばし、町はあっても国がない。国がなければ、組合はなく。組合がなければ、仕事はない。ただし、これは最悪の想定だ。

「そんで……ない、とは俺も言ったがね大将、行くのはみんな大陸道沿いだろ?」と、ヴァンガード。「デカい町なら嫌でも通る。町があるんなら仕事がないワケない。まったくこの馬車は絶望ってのとご縁がないよ」

「……好かんな。何をとっても外は信用に欠く」悲観主義の唸り声である。

「だから自票は大将に入れたんだ。ヴィーも一票だな。反対は?――いないか」

 どのみちここの国境(くにざかい)が、稼ぎ所として適当だろう、一致を見ては飯が進んだ。一度だけ、ヴァンガードとイトーでこんなやり取りがあった。

「いっぺん出たらどんなもんだい、エウロピアまで」

「"時駆け"なしと考慮しますと、二か月」

「常識を思えばまだ快速だ。()()の方は?」指で輪を作っている。

「望ましくは大金貨五枚です」

「食う金ばっかしゃ妥当の位だね……」

 さりとて今は飯時だ、慌てたところで仕様もない。"商隊"はおとなしく明日を待った。

 今宵のまとめ。余剰費と呼ぶ、隊費たる食費や税やら――危機回避分と等価――を除いた、正真正銘の非常事態に備える金である。これの目途さえ立ったなら、"商隊"を阻む障壁はなくなる。天運が望まれた。腕があっても仕事がなくば、金は形になってくれない。


 明朝、分担決めにはハズレができた。門を通れば馬車が金を食う。出発の目途が立たぬ場合に備え、門外待機の馬達と、しばし退屈せねばならない。常の留守番なら交代制だが、今日に限ってはツキが物を言う。選ぶ手段もまた肝心だ。

「運試しなら裏表(コイントス)のがよかないか?」

「意志の介在が薄弱だ。不本意な選択も強いられる。不愉快極まりない」 

「へへぇ、(グー)に負けても吠え面かくなよ?」

「ぬかせ」

 何で決めるか?"剣盾礫(じゃんけん)"である。意志と選択と運で競えて、しようによってはこと公平だ。いまどき童でも知るこの遊戯、念のため意味を砕いておこう。

 やり方は単純。剣、盾、(つぶて)、その三種を、手指の形で表象し、相性によって勝ち負けを定める。

 熟練の、剣士の手中に「剣」ありし、剣気を宿して「盾」をも引き裂く。表象するには、握った拳に立てる二指。突き出す中指・人差し指を、ぴったりつけて振るから「剣」だ。

 はたして木製の「大盾」は、降り注ぐ「礫」の雨なら防ぐだろう。表象するには、開いた(てのひら)。相手に向かって突き出すか、天に構えて「盾」と為す。

 無数の「礫」は「剣」に強い――理由付けには諸説あるが――万の礫で剣士が無事でも、剣士の()()が無事では済まない。表象するには、握った拳。剣士の脇や肩越しを、「礫」は卑劣にすり抜ける。

 こうして見事な三すくみ。周知の事実であるのと同時、解釈について異議が絶えない。たとえば典型「剣がひとつ、盾がひとつで、礫が万では理不尽だ」とか。ほかに「万の礫を現に用意しろ、捌き方なら見せてやる」など、寡黙で謙虚な剣士さえ、急な早口で語らせる。何もかも無視して普及するのは、ひとえに便利であるからだ。たかが遊戯だが、しかと競える。意志と選択と、幸運を。

 今朝に競うのは"商隊"の八人。行商の都合で町へ赴くハウプトマンを除いて、負け残り式。一度も勝てねば残留だ。


「「「「剣、盾、礫で、一、二の、三!」」」」


 掛け声とともに表象した手を三種見せあう。武器や道具の開示であり、正々堂々の勝負の宣言にあたる。この先は正式な作法に基づくことで、公平性を担保する。一、と言って互いに背を向ける。二の、と言って胸元に手を作る。三、と言って翻り、手を見せる。一度つくった手は変えてはならない。もし破ったなら反則負けだ。通してみれば、くるっと一回転。大人同士では滑稽に思えよう、しかし大人同士でこそ、これは必要だ。何故か。"矢をも追う目か、文字だけ追う目か"、武人と文人に隔たりがありすぎる。

 もとい、この()の戦士は目が良すぎた。向き合いながらに手を作るなら、それは剣盾礫(じゃんけん)を模した別の勝負になる。戦士と戦士で実際行う、動体視力に基づいた極限の後出し勝負である。格上の必勝が約束されるから、沽券が賭かる。

「どうだ、俺らは戦士流でやるかい?」とはまさにヴァンガード、対ヴィクトル戦を前にして。しかし「いかん、いかんぞ!」割り込むハウプトマン。「今回ばっかし、運試しだから意味があるんだ」

 正式な作法にのっとったから、大の戦士らの対戦がある。一回戦目を、それぞれ少年少女に敗北したのだ。

「そっち礫は当然ナシだろ?剣士だもんな、剣でこなくっちゃ」

「どうだかな。盾を執らん手もないぞ」

「ぐぬ……」

 ふたりの勝負は熾烈を極めた。たとえ作法にのっとってさえ。

「一、二の、三。一、二の、三……!」

 ぐるぐる回る大の戦士たち。またその回って速いこと。足元で小石が鋭く跳ねる。気のせいだろうか、うっすら白煙。そのうち土から火が熾るやも。

「一、二の、三!」

 長引く勝負。ヴァンガードは迫真、数を叫んでいるものだから、礫と呼んで拳骨を飛ばしかねない。かたや冷静にみえてヴィクトルは、勝利に対して貪欲だ。使える手ならなんでも使う。心理戦なら一枚上手か。くすくす笑いの商隊をお構いなし、至極真剣な当人ら、稀に見るほどの負けず嫌いだから、どんな戦いにも全力である。決戦までに、五十三手を要とした。

「ふん……」

「くそっ、三回勝負だ!」 

 誇らしげなのはヴィクトルである。負け惜しみさんの再戦要求は、日が暮れてしまうため却下とされた。

 さて"剣盾礫(じゃんけん)に公平、剣士は不平"など、巷ではささやかれもするが、剣士の多いこの星だ、おいそれからかう事なかれ。彼らが本気を出したなら、拳で敵う者など稀である。作法の価値もわかるもの。

 結果がたとえ二分の一でも、必ず敗者を仕立てるあたり、競い事らしく残酷でもある。最下位決定戦はヴァンガード対ジニー、どちらかが必ず三戦三敗。裏目裏目に出る日はあろう、剣盾礫(じゃんけん)だったら笑って済ませる。ただその人の今日はツキなしだから、すこし退屈してもらう。結果や如何に。

「っしゃあ、滑り込み!」

「ありゃ、ドベはあたしかい!」

 幸い、退屈だけが対価のはずだ。日中の門前に立つ町の兵士らは、旅人の安全までを保障する。留守番が仮に無力だとして治安にさほど不安はないし、ジニーがどれだけツキなしだとして、精霊弓を取り落としはしない。

「大人しくのんびりさせてもらおうかね」

 ひらひらと手を振る長耳に見送られ、あとの八人は町へ繰り出した。


 "さなかの町"を思いだせるなら、"境の町"を知るも同然だ。領主が居座る丘の有無、ほかは似たり寄ったりの町並みをしている。それなりに整った石畳の路地を、それなりに満たす人々の活気。あいだを縫うのに苦労しない者は、町の歩き方を心得ている。

 西だ東だと耳目を養い、少年の胸に新鮮さは宿らずしかし、経験をもった観察でなら、行く先々に楽しみを見出せる。昼間に賑わう明るい酒場、客を引こうと宿屋の丁稚、果物路商の値札の数字は、きっと相場の三割増。ここは旅人通りらしい。

 注意の先を人に移してみる。彼らもまた来て去る人ら。多様な徴で入り乱れ、見てきた"さなか"の町らしい。ただ、ふと、異な空気を覚えもする。そして思いだす。ここは"境"だ、"大陸道"から最寄りの"さなか"。"さなかの町"を切って貼ったようでも、決定的に在り所が違う。中より外の者達なのだろう。戦う術を持つ商人、持たぬ商人に付き添う護衛、いかにも荒くれた冒険者。まだ健在な春風が通りを吹くのに、どうにも鼻先がかさつく訳は、彼らが運ぶ砂と埃のせい。戦う意気を常在し、それを全く隠そうとしない。


 ――特別なんだ、"商隊"って。


 そわそわせずに日頃を過ごせるのは、己より遥かに強い大人たちが、不相応なほど静かでいるからだった。"境"に踏み入り、踏み越すこの頃、ゼンはようやく思い知る。"商隊"は何もかも丁寧で親切だ。当たり前、に気がつくためには、意外なほど多くの時が要った。

「"(ここ)"の商取引所はな、これまでの町と違って北側に位置してる。なんでかわかるか、嬢ちゃん」

「えと、大陸道が北側にあるから……ですか?」

「悪くない、だがもう一声欲しいな」

「では……大陸道に近い北側の方が、商人の越境に便利だから。どうでしょう?」

「よぉし。そんじゃあ南はどうだった。俺たちの通ってきた門は、他と比べてなんだかおかしかなかったか?」

 ハウプトマンはフランを試している。ゼンはわかって、問いの答えはわからない。よく見てきたつもりで、見え方が違う。

「あっ!門番さんしかいませんでした!税吏がいてもいい時間なのに」

「正解だ。もし荷があれば徴札(しるしふだ)がつく。知っての通り、札付きのままじゃ町を出れん。取るには清算、清算には税関。この町の税関の所在といえば……初見でも商人なら見当がつくな」

「北ですね!」

「ご名答!考えなしで馬車で乗り込もうもんなら、町を南往北往させられる訳だ。越境の目途も重かろう?さて――」

 目抜き通りにぶつかって、旅人通りとはお別れだ。ここで北行きの商人組が別行動になる。

「ゼン、怪我しちゃだめですよ」

「フランこそ、ハウプトとはぐれないようにね」

 互いに見送る横顔は、思いのほか早く人混みに紛れた。町の中心部に近づいて、あたり賑わいは騒々しいほど。平時よりだいぶ濃いらしいとは、目抜き通りを西へ、中央広場を目指してわかる。

「おォイ、いいとこフン詰まりじゃあねェの!」

 みっしりと人、人、人。いつのまにやら渋滞だ。取り込まれて足止めを食らう。

「……例の祭りの影響か」

「どうにもらしいね!けどこりゃだいぶ想像以上だ」

「なんでェ!俺がデタラメ吹かせたとまァだ思ってやがったな!?」

「そうは言っちゃないって!流石の俺だって、出来過ぎ話には用心するってだけで……」

 今日の"境"は一味違う。サルヴァトレスは持ち前の目敏さで、昨日の内につきとめていた。彼が腰帯(ベルト)に押し込んだ藁紙に、その詳細が記されている。ちょいと拝借した町の掲示物だ。ゼンは人混みの膝にもまれながらそれを掴み取ると、窮屈にひろげ、内容を再確認してみた。こう書かれている。



 ――【ご案内】若葉の闘技祭【境の町主催】――

 

 春満ちて新緑輝くさなかの今日に、恒例「若葉の闘技祭」の開催を告知します。


 開催日:暮れる春初巡の祭日


 開催場所:西方大広場


 参加条件:剣術の心得がある十七夏(才)未満の男児。ただし、道場認定資格を有さない者。(十五夏未満の参加希望者は、監督者の同行を要とする)


 優勝賞金:大金貨五枚


 参加料:中央金貨一枚


 伝統息づくこの境に、若き灯火の栄えあらんことを。奮ってのご参加をお待ちしております。



 記載は他にも細々続くが、掠れた文字で読みづらい。今や大概なしわくちゃ具合にせよ、南門をくぐるより前は些かまともだったものだ。見せびらかすサルヴァトレスは得意げだった。

『俺様にかかっちゃよォ、しょーみの目途がもォついてんだ!なんたってウチにゃおあつらえ向きの小せぇのがいやがる!』

 藁紙が回し読みされる間に、サルヴァトレスはゼンの頭を撫でくりまわす。

『フダンの稼ぎなら目にも止めねぇが、事情が事情だ聞き捨てならねぇ。なぁ坊主!モチロンいけっよなァ』

『僕はいいけど……』

『はっははー、そうこなくっちゃ!取り分はお前が三、俺が二ってトコで構わねぇぜ!』

『欲張りサルヴァ!ゼンくんのぶんをとりすぎだ。そのわけかたじゃ、隊のお金もたらないし!』

『おうよく勘定できたな食い意地ばかが!大将だって無策じゃあるめぇ、足りねぇ分だけお助け致すンだよ』

『二人頭一枚でも出してくれりゃ(ウチ)は助かるが……それにしたって大金貨五!えらい大金だ』

『渡りに船でもえらい大船見つけたね。底に穴ぼこ開いてなきゃいいが。なぁヴィー、どう思う』

『……知らん』

『そもそもこの要旨、どうにも感心しかねます。子どもを剣闘士扱いとは……』

 最後に藁紙を手に取って、イトーは顰め眉だった。なんならこの旨また言って、加えた。

「それにしてもこの賑わい、狂気的なまでありますね」

「へっ、余計にそそられるってな先生?なんつった、そら……デントー、デントーだかんな!」

 イトーといえば商人組の常連で、今日は冒険者組に混ざっている。監督役を名乗らせるのに消去法だ。冒険者組は手が空かず、言い出しっぺは詐欺師風で適さない。一方イトーに難はなく、ついでに興味に富んでいる。

「否めませんが……」

 今頃眼鏡を光らせるのだろう。ゼンは察しても窺えなかった。みんなの声こそ拾えても、いつの間にやらだ、景色は知らない大人の脚だらけ。藁紙に気をとられすぎたらしい。ちょっとまずい、はぐれ目に遭うのは自分やも。人混みの圧力など、やろうと思えば押し返せるが、言いつけに背くかもしれない。ひとまず耳を頼りにする。

「――そりゃ相手の方がだろ?」

 不明瞭にもサルヴァトレスのがなり声なら辿れた。向けて精一杯を口にする。

「待って、みんな!」

 届かない。「サルヴァ!ヴァンガード!」何度か叫んでみてわかる。辺りがあまりにうるさすぎた。ちょうど喧騒のあちらこちらで、きゃっきゃと子どものはしゃぎ声が飛ぶ。意味を為さない音としてだけ、自分の声も同じようなものだろう――どうしようっ――そんな折。人混みの隙間を縫って、目前に槍が降って来た。

「わ」

 もとい、槍は降ろされていた。石突きからで、もちろん安全。その珍しい得物の柄を、ゼンはやたらに見慣れている。すかさずしっかりつかまると、予期したように身体が浮いた。

 驚くほどによくしなる名槍だ。早くても遅くてもいけない、ゼンは人混みの頭をけ飛ばさぬよう慎重に跳ぶと、おおきな友達の肩にうまくすべり乗った。受け止めて彼はびくともしない。なにせヴァンガードよりも大きなからだだ。

「ありがと、ダル!」

「どういたしましてぇ」

「おいッ、何してる!」

 歓談の間もない。背中側から怒鳴られて、ゼンは肩越し振り向いた。獣の男がいる。大猿の類か五分咲きで強面、じろり、睨みつけてくる。

「ごめんね、おじさん。土がはねた?」

 ゼンは帯びた柄をおさえ、男の顔に当たらぬよう気を遣った。強面など刃ほど馴染み深いから、なにも相手で選んだ態度ではない。幸い借りた巨体のおかげで、鞘は邪魔っけにならなかった。

「……いや。いい身のこなしだ」

「うん?えっと……ありがとう!」

 獣の徴が混ざった男に、怒声をもらえばまず恐ろしい。あるいは半端な徴を口実にして、理不尽な反撃を試みる者もままあり得るのがこの世の理。ゼンにはまったく理解しがたい。しげしげ男を眺めるのも純粋、彼が開いてのぞかせる襟元の、肌色模様が気になったからだ。灰黒毛皮の胸板を、引き裂いている数多の古傷。すなわち戦う者。剣を帯びるから、剣士と知れる。

「おじさん、旅の人?」

「お前さんこそヨソから来たな。祭りに出る気か?」

「そうだよ」

 問いに答えが頂けなくとも、素直な少年、素直に答えた。すると。

「出場届けは済ませたのか」

「ううん。ちょうどこれから……」

「何」

 何、とはもしや独り言。もはや男に怒りの影はなく、辺りのやかましさに飲み込まれそうな喋りをする。

「じき締め切りだぞ」

「えっ!」

 ゼンは行くべき西へ向き直った。目線がとても高くなってなお、人の頭と肩ばかりぎゅうぎゅう、通りの果てが果てしなく遠い。

「まだ広場のはじも見えないのに!おじさん、()()ってどれくらい?」

「鐘がかき鳴らされるからわかる。鳴り止むまでが受け付け期間だ」

「聞いた、ダル!?間に合うかなっ」

「ど、どうかなぁ。ゼンくんのせて、まだ三歩だよぉ……あ」「あっ!」

 まさしく、その高らかな音が聞こえたか。いくらあたりが騒々しかろうと、聞こえぬ戦士は"商隊"にいない。

「鐘……」唸る者がいる。「ほんとだな。はは、霧晴鐘かと思ったよ」笑う者がいる。後者は只人なりの巨人で金髪、よく目立つ。やや前方に見つけたゼンは、その後頭部めがけとにかく叫んだ。

「ヴァンガード、ヴァンガード!」

 高さが稼げて声が通った。揺れる金髪をゼンは信じた。

「これ、締め切りの合図だって!」

「何!」「……何ィ!?」

 ひっくり返ったがなり声が、そこら辺から追随する。

「どォすんだオイ!」「どうしようなヴィー!?」「いちいち俺に振るな……」

「仕方ない、奥の手だ……みんな備えろ!俺のケツに引っついてこいよ!」

 力に任せて先陣きって、大群衆を押し退けるのか?それにも能う大男だ。けれども違った。ある意味で、もっと、はるかに、()()()()()()。まったく馬鹿げた話と思うかもしれない。ヴァンガードがそれからひとつ、「ふぅー……」と息を整えて、直後のことだ。一瞬の、しかし完全なる静寂が、このごった返した通りに舞い降りた。

「通るよ、ちょいとゴメンな。通るよ!」

 ヴァンガードの声は良く通った。西も東も、鐘の音を残して他のなにものも、遮ることができなかったからだ。人混みは続々と分かれ、男のために道を作った。


 この奇妙な現象を体験した者の中に、怪我人はなかったという。また、「何」が起こったかは理解できても、「どうして」起こったかを明確に説明できる者もいなかった。核心にもっとも近いのは、たとえば、少年に鐘を伝えた黒大猩の徴の剣士だ。少なくとも彼は「誰」が起こしたかを直感していた。その証言を借りるとすれば。「気構え次第で抗えたか?どうだかな、鼻っ面を不可視の棒でぶっ叩かれたみたいだった。あんまりの衝撃で……そうだ、衝撃。雷みたいに駆け抜けて――は、どうして俺は無事でいるんだ……?わからんな、わからんよ。誰もかれもがおんなじで、俺もただただ、その一人だった。あの"大男"の連れ合い以外、閉口せざるを得なかったんだ。まったくの訳の分からなさに」

 ところで、地元の名士、と"さなか"で呼ぶなら、土地の信頼が厚い剣客を指す。もとは流れにせよ、どんな徴を有するにせよ、捧げた献身の大事さによって、得られなくもない肩書きだ。名士は無論、顔が利く。ときどき無理も押しとおす。

 とある事実を更に付加しよう。例のように道が拓かれたことで、"商隊"は参加受付所の目前まで比較的速やかに辿り着けた。ただし待ち受けていたのは申し訳なさそうな顔を連ねる町役人たちだった。思えば締め切りの鐘は鳴り止んでおり、訊けば締め切り厳守は伝統の一部だという。「そこをなんとか!」「残念ながら……」「鐘の一振り二振り変わりゃしねェだろォ!?」あわや一悶着、とまでは至らず。奥の役人が手前の役人に耳打ちをし、それが左から右へと幾度か繰り返されると、どうしたことか、特例がまかり通る。少年は参加の機会を逃さずにすんだ訳だ。何者がどんな関与をしたのか、"商隊"が知ることはない。名も告げなかったその人が、"商隊"の行き先を知ることがないように。

「バナガス司令!」

 交わらぬ軌跡もある。だからこそ、すこし寄り道を許されたい。具体的には今まさに、右腕たる部下に呼び止められたが為に、下あごを怪訝にしゃくらせ振り向いた、その黒大猩の剣士についてなどだ。

「何度言わせる、代行だ」

 バナガス・ハラムの冒険者人生を今日の有様たらしめた究極の要因が何かとすれば、この"境の町"にてかなわぬ恋に囚われたことだろう。相手は只人の町娘、しかしバナガスに――猿の徴を混じらす平たい(おもて)に紳士的な微笑を添えることで、ご婦人たちをぎょっとさせ、泣く子を絶叫させるバナガスに、人種という名の境界を打ち破ることなどできようもなかった。冒険者なる肩書きも、当代さして尊ばれずに、良くて流れ者、悪しくはならず者、徴とあわさり招く蔑みの視線をかいくぐり、辺鄙な"境"に足しげく踏み入った訳は、当人の胸に今も秘められている。

 境はついぞ越えられなかった。想いは実らずにしかし、得たものならば道に多くある。とくに放浪に磨いた剣技は鋭く、常にバナガスの味方だった。そして"徴"とは個性でもある。"境"でよく見る黒猿だ――愚直な彼の通い路に、思いがけなく救われた者たちが、彼の名のもと集ったのは、いつかの"境"の危機だった。()にもありふれた危機ではあるが、筆頭凌いだバナガスは、とうとう"境"の顔となった。そうして、あらたな地位も得た。

「そうでさ失敬、組合長閣下!」

「……貴様の頭髪も侘しくなったな」

「へぇ!どうしてだか事あるごとに毟られまして……あやや、こぉれ以上はご勘弁!」

 度重なる推薦と任命が、バナガスをぐんぐん押しあげた。手始めに冒険者組合長、じき順当に町の防衛戦略相談役、より懐に入って防衛戦略顧問、後継不足をもっていよいよ町兵の総司令官代行。不要な注目を嫌うから、どれも当人には不本意の肩書きである。甘んじてなお受け入れるのは、いつの間にやら抱えてしまった私兵たち――"ハラム一派"を統率するのに、便利だからの一辺だ。せめてと設けた一派の掟、つまり、堅気(非冒険者)に礼儀正しくあれ、新前の面倒をよく見よ、町兵と揉めごとを起こすな、の三つを遵守させるのに、地位はそれなり役に立つ。人の使い方もやがて覚えた。どれだけ厳しく律しても、ひとところに野郎どもを(たむろ)させては風紀とは保たれぬもの。用もなければ各地に散らし、必要とあらば呼び寄せるのがよい。祭日の警備など典型だ。

「何か異常は?」

「スリの報告がなんぼか。こっちでも二、三ひっ捕らえやしたが、他は至って平穏でさ」

「ならばよし」

 連れ合って彼らは人混みを縫っている。一派の頭目と右腕が揃うのを認めて、ひとり、ふたりと続くものが増える。

「親方だ」「なんです、何か事ですか」

「貴様ら、持ち場はどうした」

「俺ぁ……そう、巡回です!」「俺も、俺もです!」

「そうか、休めるときに休め」

 一派は顔を見合わせた。その面倒見の良さに反して部下への態度は釣れないお人だと、バナガスは知れ渡っている。

「なんだぁ、えらくご機嫌だ!」

「ああ、明日にゃ()()振るぜ」

「槍か、ふふ!今さら剣を手放す勇気はないが、槍も悪くはなさそうだ」

「あやこりゃたまげたね!相当な良巡でもおありで」

 無邪気に笑う少年の瞳が、半獣バナガスをうつして返した。好奇はあって恐れなく、純真でしかし遠くを見るよう。バナガス・ハラムは確かにその時、いて当然のおじさんだった。

「さぁな、俺の良し悪しは人と違う。だが何にせよ、ああ、気分はいい」

「その割にゃあ……張り詰めてもいらっしゃる」

 長年の付き合いから察して、右腕が探る。すると古参もすぐに気がつく。

「もしや追ってますか?あの金髪の魁偉」

「そうだ」

 偽る理由を、バナガスは思いつけなかった。

「兵隊が入り用で?」

「いや……実害はない。そう強く信じたい」

 でなくばどうして対処する。通りを埋め尽くすだけ兵をかき集めたとして、何かが再現されるだけ。ならばせめても、ひたすらに、善い客人であることを祈ろう。幸い目ならある。あの大男は、あの少年の連れだ。

「何モンなんです、いったい」

「"境"の向こうから来た戦士だ、おそらくはな」

「へぇ、外のモンですか……」

「そうした表し方も、能うやもしれん。どれ、小話をひとつ聞かせてやろう。今晩にでも噂になろうが――」

 このとき本音を語り過ぎたのを、バナガスは自省することになる。秘めるべきを秘めてきた彼らしからず、"境の町"の頂点という、今の地位にも相応しくなかった。

 上に立つのが獣のなりで、影に唾吐く町兵もいるが、絶対的な戦士の理屈が、あまねく反意を挫いている。膨らみきった一派の末端までが、半獣の頭目を信望するのと同じ理屈だ。すなわち、そんじょの戦士が束になってかかったところで、バナガス・ハラムにかなわない。一振りの剣さえ手中におさめれば彼は、町兵団のまるごとに匹敵し、熟練の冒険者一党を訳もなく蹴散らせる。そんな剣士ですら、また弁える。もしも境を越える気ならば、倣って覚えておくべきだ――俺くらいの存在は、ゆく先々の土地にいる。超越する何某も、無論……――バナガス・ハラムは、ありふれている。


「あのおじさんも急いでたんだ」

 交わらぬ軌跡もある。が、僅かながらに縁は繋がった。冒険者組合へ向かったヴァンガードたちのあとに、鐘のおじさんが続くのをゼンは見ている。記憶に残るだろう。人混みを駆け抜ける商隊を、唯一追った人でもあるから。

「説明はきちんと理解できましたか?」

「あ、はい……たぶん」 

 横っ面から強い語気をくらって、咄嗟の返事は公用語だった。気のつよそうな女役人が、受付台に肘で前のめり。

「本当に?」

 苛立たし気にも思える。

「……あー、タイヨされる木剣のみを、武器として使用できます。体術および魔術の使用にセイゲンはありません。ただし……えっと、ああ。ただし、いかなる場合においても、顔面や急所をシツヨウに突く行為、明らかにサッショウを意図する攻撃、決着後の追撃は禁止です」

 訊かれたのだから答えたのに、女役人は気味悪がって仰け反った。口をあけたまま、相方に座る役人に目配せをする。男の、おそらく魔術師だ、女のあとを引き受けた。

「よろしいでしょう。それでは、宣誓を」

 このごろ得意になっている、ゼンは聞いたままを繰り返しただけだ。

「わたしは誓います。いま、今日、ここで、これからの言葉に、けっして嘘を交えません。

 わたしは当大会の参加条件を満たしています。

 わたしは十七才未満の男児です。

 わたしはどんな剣術資格も有していません。

 わたしは大会規則を遵守します。

 わたしは決着した相手に、一切の追撃を行いません。

 わたしは誰も(あや)めません」

「では最後に、当技会への参加によって生じる全ての損害・損失について、"境の町"および技会運営陣は一切の責任を負わないものとします。これに了承しますか」

「了承します」

 参加料を支払うついで、イトーが「私が彼の保護者です」と宣誓するおり胸に手をあてた様を真似ながら、ゼンは手順を遵守した。かねて説明されたように、役人のあとを復唱したのだ。"誓い"であるから復唱でよい。むやみやたらと結ぶなかれは"誓約"の方で、"誓い"はむしろ便利に使うべし。おもに信用の創出に有効である。期間設定をはじめ条件が明確であれば、相互悪用も避けやすい。ただし完全無欠の仕組みでもない。"星の理"に基づき働く"拘束力"そして"後押し"は、"誓い"を口約束と分かつ絶対要素だが、"誓約"に比せば欠くところがある。機能の上では"本心の表明"を言い、信仰の上では聖性を言う。

「結構です、係員の点呼をお待ちください。ご健闘を」

 ゼンは礼を返して受付を離れた。イトーとサルヴァトレスに迎えられ、参加者の待機所と思しき一帯で出番を待つ。

「お見事な宣誓でしたよ」

「そう?だったらイトーのおかげだね」

 受付の立て看板の表記が"王の綴り字"――当代アメイジアの軍用標準文字。またの名を、()()()()()――であったため、ゼンは公用語で通したのだった。役人たちは"さなか人"らしいが、彼らの手元の手引書までがアメイジア語でびっしりだと気がついたのは、逆さ文字の判読を試みたときである。貸与、制限、執拗、殺傷、そんな厄介な言いまわし、ゼンの"さなか"の辞書にはまだない。

「おー聞いたぜ!ずいぶんザルな文言でェ、方便とっかえ効きそうだ。用心しろな坊主!こっからの相手、役人騙くらかした(ひょん)な手合いが混じってッかしンねぇぞぉ」

 割にへらへらとサルヴァトレス、毛頭本気で脅してはいない。ゼンとて怯える筋はない。

「だから魔術師がいるんだよね?嘘をついてもわかるように」 

「魔術師ですか、あの受付に?」

「そう、おじさんの方ね。なんていうか……僕のこと、魔法理(まほーり)に見てたし」

「それは、直感で?」

「うん、ジニーが前にやったのとよく似てた」

「ほぉ……」

 ほとんど無形の待機所は、相変わらずの混雑具合だ。押して押されての三人は、点呼とやらがいつかわからずに、先の失敗を繰り返さぬよう、はやくから広場中央を目指しはじめる。ときどき進みやすくなるのは、声を張り上げる衛兵が、人の流れを抑えるからだ。

紋々(ズミ)()ったゴロつきが仕切ってるかと思や、どこも役人仕事らしーな」

「ええ、予期したよりもだいぶ体裁の整った催しのようです」

「僥倖僥倖、金子もきっちし期待できらぁ!」

「……そうですねぇ」

 集客具合は熱狂の(てい)、馬車は無論、人通りにも規制。優勝賞金、大金貨五枚も、確かに実在するのだろう。イトーも疑うところはない。参加受付でゼン・イージスのために与えられた札番はなんと百三十三。順当を重ねるのなら、徴収済みの参加費だけでも賞金を二度出せて余すのだ。

 だが、ここまで来てしまうと――かえって湧き立つ疑念もありますね……――胡散臭いのを覚悟していた。もといイトーは期待していた。嘘はつけない。百三十三の少年たちが、受付前でそうだったように――や、これでは表現として不適格です。彼らとて嘘は言えたでしょうから――改めよう。通ずるところがあるとすれば、暴かれるのが決まった嘘に、どんな価値が伴うのか、という点で――気にかかりますね、"真偽の看破"。確立された手段と言えど、魔術師なら誰でも、とはいかぬ技。それがここにはあってしまう。

 人並外れた少年がそう感じたのだ、イトーは信じる。ここら大前提を掘り起こそう。王国人の常識にだいぶ通ずる。他人の心に触れる魔法は、当代アメイジアにおいて、厳しく規制されている。選び抜かれた有資格者が、法や医療の名のもとに、限られた行使を許されるほかは、ただ学ぶことさえ難しい。何故(なにゆえ)か、とは、よもやドゥファスも目くじらたてまい。魔法省も設立当初、「自由、さりとて不可侵」の標語を、魔術人心の両面を指して掲げたと言うが、魔術師への偏見払拭を意図しただろうこれには、どれだけ大きな自由にも、侵さざるべき領域つまり、良心に基づく制約よあれ、という道徳的な祈りも込められていたに違いないし、提唱者たる時の長官はこうも残したのだ。

『魔術の歴史は人の歴史、人の歴史は悪心との戦史。恐れることはありません。()()()の脅威に晒されながら、我々は無比の免疫を身につけてきました』

 精神感応魔法に対しての言だ。要は当代、大概な魔法理をもってして、他人の心は操れぬ。操られる()()()()()()。希望的観測をじつは含んでいる。しかし魔法理と希望の相関とは、炎にくべる薪に等しい。もしくは降らす雨の量だ。史実アメイジアは信じることで、蝕む炎を退けてきた。

 逆説的に、抜け穴は消えない。覗き、覗かれを単に語るなら、ないし依頼でも窓掛けは開く。くわえて「誓って、これから嘘はつかない」、こんな唱えを試みるときは、窓外からの視線の主が、闇夜に紛れる不届きものではないか、一層の注意を払うべきだ。自らの心を無防備で良しとするのに、"誓い"は必要十分な圧力である。

 存在意義はこうして生まれた。「大概な魔法理をもってして、他人の心は操れぬ」けれど、精神魔法の専門家諸氏は、狭い界隈に広く明らかな件の原理をもって、"真偽の看破"で飯を食える。論ずるまでなく高級な技能だ。もしも如何なる魔術師の徴、具体、長杖(スタッフ)短杖(ロッド)、導書に水晶、況や唱えもなくして実現するなら、一等研鑽を積んだ術師と知れる。

 ――それがここにはいてしまう。

 ケンジ・イトーの疑念も、よってむべなるかな。界隈の常識を知悉こそせず――それこそ、その道を突き詰めねば辿り着けない、希望的観測の真実などには及ばず――しかし、またひとつの道をゆく者として、ある使命感に駆られている。

 ――記録に残しておかなければ……。

 ごう、と炎が四つ上がった。催し事の中心地だろう、鳥瞰すれば正円形の石畳の広場を、縄がまた円に(さかい)する。この向こう側へと踏み入れるのは、祭りに参ずる少年たちだけ。取り巻く人混みが歓声で染まっている。イトーはさなか、最前列にいる。革表紙の手帳を懐から取り出すと、より詳細な観察と素描を試みた。

 "さなかの町"ほど開けた広場だ。街灯の数こそやや少ないが、どちらがどちらに似せたのだろう。東西南北の四方に煌々、高く聳える井桁の焚き火、その存在で内円を分かち、麓におのおの闘場を抱く。数はかぞえて十六座。ゼン少年も、あのどれかに立つ。

「ね、イトー」

 隣で背伸びの少年は、手帳と舞台を交互に見やった。

「これって、"神子守の儀"だ」

「なんですって?」

 係りの呼び出しがはじまっている。

「百三十三番の出場者!百三十三番!」

「あっ、僕のことだよね?行ってくるっ」

「お気をつけて!」 

 イトーは眼鏡を押しあげた。

 

 ◆


 すべての男の参戦と、(神子を除いた)すべての女の観戦のもと、最高の戦士を選定し、その者を"神子の守手"に任命する。それが"神子守の儀"。

 普遍的に読み替えるなら。

 地域共同体が総出で選定手順に関与して、ひとりの戦士の社会的地位の昇進を見届ける祭事。

 なるほど。結果の承認を目的とする、紛れもない通過儀礼だ。それもおそらく、魔法理的な意義が、多分に含まれている。(当事者たちに、およそ自覚はないかもしれないが)


 ……信仰や信心を言ったとき、少年は身近な覚えとして、彼の山の師にあたる鷲頭の狩人について語ってくれた。その人物は熊を獲ったのち、遺体を至極丁寧に扱いながら、なにやらの呪文をとなえるのに、多くの時間をかけたという。

 共にいて少年は、その必要性を――大切さを理解した。そして「信仰」の存在と概観を学べた。互いに言葉を解せないながらだ、刮目すべきところである。だが、互いに言葉を解せないが為に、少年には残された疑問があった。狩人のおこないの意義についてだ。とくに、呪文によって何がもたらされるかまでを、真には理解できないでいた。わからないながら、少年は手順を模倣し、遵守した。鷲頭の狩人が山を去った後も、ほかの動物を獲るたび欠かさなかったという。

 私はこれに示唆される。

 手始めに、答えを再確認しよう。狩人のおこないは、謝罪であると、私には推測できる。目的は、来たるやも知れない復讐の予防だ。推測を重ねるが、悪霊、あらたな熊、別の動物、または不猟といった形で、獲った命が仕返しを試みぬよう、在りし大いなる力と栄誉を称えるのが、呪文の大要だったのだろう。

 似た事例を、私は様々知っている。よって「手段」を観察することで、あるだろう「意図」まで推測できる。

 "神子守の儀"ではどうだろう?

 手段は決闘にあり、意図は守手の選定にある。依然、明確だ。

 ならば、この祭り――"若葉の闘技祭"ではどうか?

 手順が宙に浮いてしまう。意図に見当がつかずいる。あるいはこれも年月が生んだ「少年の模倣」なのかもしれない。しかし……そうでないのなら?ここはアメイジアの宗教特区ではない。文化の保全を目的とした慣習の再現を想定するには、弧大陸を包む神秘は未だ深すぎる。


「サルヴァトレス、彼の付き添いを任せても?」

「へ、金の卵の親鳥だぜ!言われなくたってェ」


 いつから行われている?古くからある、皆が言う。毎年一度、雨季を控えた春の終わりに決まって開かれる。具体的な数字は出てこない。

 これにまつわる文献はないか?訊ねるまでなく、期待できない。土地の古馴染みでも見つかれば、話も違ってくるだろうが、誰彼探すにこの祭日……人を雇えば費用も嵩む。当座の手持ちは豊富といえない。

 優勝者はその後どうなる?何故、参加資格が少年だけだ。"神子守の儀"と異な一点である。後先で言えば、後なのだろうか。おそらく模倣、しかし、やはり何故。あの受付に訊ねてみるのが筋だろうが、どうにも気が進まない。どうしてだろう?

 ふと、違和感の正体を理解する。町門をくぐり、広場へ近づくにつれ増えた。視界に白がちらついている。多くの者が、白い布を、身に巻き付けるなど装うからだ。腕に、首に、あるいは衣服そのものも白に。"神子守の儀"を聞かなければ、こじつけだろうと気にかけなかった。間違いない、人々は模して、待ちわびている。

 まさしく私が晴天を仰いだのは、そうせよ、と神秘に命じられたかだった。


 ――ああ。


 そして見つけてしまっては、実感もさせられよう。我らが信じる"巡り会い"とは、また似て非なる運命の力が、この星を覆っている。あたり群衆を見返してみても、祭もさなかの熱狂が、相も変わらずあるのみだった。私のほかに目撃者はない。

 この催しを、私は知らないでいた。王国まで伝わっていない為だ。大陸道を間近にして、真偽看破の魔術師まで居合わせるこの大祭が?そうとも。()()が善しとしないからだ。受付へ向かうのはやめだ。

 

 ◆


 革手の表紙をイトーは閉じた。ひそかに期待していたような、辺境の奇祭はここにない。調査への貪欲さが失せると、途端に罪悪感に苛まれる。頭に過ぎったのは父親のない授業参観。ゼンの登壇にはまだ間に合うはず。人をかき分け、舞台袖へ戻ろうと急ぐ。おろしたての手帳をなくしたのは、きっとこの時だ。

 財布と思えば革表紙の手帳、盗んだスリは拍子抜け、中身を見れば首を傾げた。塗りつぶされた落書きのほか、アメイジア語の筆記体で「形骸化した娯楽」「政治性なし」と、殴り書かれている。訳はわからぬが上等な紙だ、白紙のぶんが銀貨に化けた。故買商はまた首を傾げる。塗りつぶされた落書きを、光にかざして見た為だ。何が描かれたかは知れないが、たった一文、判読できる。「儀式は神話の親になれても、神話の子となることはできない」もとは詩人の持ち物らしい。


「やっちまぇー!坊主ー!」

「はい、頑張()ます!」

 手中に木剣、あたりに観客。気絶・降参で負け抜け方式。炎が焦がす空の色以外、"神子守の儀"の再現だ。決闘としては異端(イタン)らしい。あって然るべきの"自由決闘巻物(スクロール)"がない。それの与えてくれる"ゲンテイテキフシセイ"なるものが、ゼンには想像つかないが、無いと知ったヴァンガードがこさえた渋い顔ならよく覚えている。やはり町門をくぐる前だ。

『なぁ、穴ぼこ見つけちまったよ。スクロの規定が見当たらない……もしや()でやらすなんて』

『医療術師が常駐、とはありますね。腕前のほどはわかりませんが』 

『ヤブでも居ッだけ上等でェ。スクロにいたっちゃ真品なんてよ、領主の財布でも吹っ飛ばしちまう』

『やぁ、だいぶ気がかりだね。スクロのない競技決闘は異端だ、万一ってことも……』 

『心(ぺぇ)ねぇーって、真剣勝負じゃあるめぇし、たかだかガキのチャカジャン(チャンバラ)だら?』

『……木剣だろうが人は殺せる』

『躓くだけでも人はおッ()ぬさ』

『怪我させないようにすればいいの?』

『ん……』

『ゼンだって!怪我しないとは限りませんっ』

『うん、どっちも大丈夫』

『自信があるかい……?』

 それからゼンは頷いてみせた。

『……ああ。信じよう、少年を』

 だから、なにがなんでも、どんな形でも。


 ――今日は誓って、怪我をさせない、怪我しない……。


 百三十二を倒さなくともよい、七人そこらとイトーが数えた。相手は同じくみな少年。じきにわかるが、どこぞの戦士団とは違う。無資格とはいえ"対人剣"を心得ている。すると木剣がつまり剣であり、振り回されるのは棒とかけ離れる。それが皆みな果敢に勝ちに来る。少年ながらの剣士らに、自らを縛る愚か者はない。

 第一戦目は只人の少年。"構え"も型も見事なもので、二、三合まで応えてみせるが、左体側の扱いが雑だ。典型的な見せかけ(フェイント)で釣って、利き手首をめがけ浅く入れる。怯みを認める。懐へ入る。残る握りを柄尻で打ちつつ、みぞおちを肘で押し退ける。取り落とされた剣をしかと踏み、ゼンは"鉄門の構え"をとった。切っ先が地を向く堅い構えだ。子どもの腕は刃より短い。取り返そうと彼が試みるなら、次は鎖骨を打つことになる。

 悔し涙の対戦相手を、ゼンは見送った。武器を失えば戦意は萎える。痛いと人は降参をする。それがふつうであるらしい。ただ、彼の潔い降参は、もっと剣術によりそっていた。徒手ではつけ入る隙が無いと、ふっと理解する瞳が見えた。浅いとはいえ、神経を打った。痛いと彼は言わなかった。泣き駆ける先で迎えてくれる、父親がいてうらやましい。

 第二戦目には二部咲きの少年。なんの徴か知れないが、獣の耳が生えている。彼はなかなか素早かった。足さばきがよく、飛んで跳ねまわる。剣術の方は粗く荒くも、身体の強さを活かすのが巧い。獣人の子の剣士であれば、へたな只人の大人より強い。そんな話を思い出したせいだ、ゼンは一番のしくじりを起こした。狙いも加減も誤った。

「そこまで!」

 今日の見届け役は審判と呼ぶ。彼らのたすきにそう書いてある。審判が叫び間に入ったら、戦いの手を止めねばならない。 

 ゼンは頭が真っ白だった。勝負はすっかりものにしたが、相手の少年が倒れて動かない。顎を打つ気はなかったのだ。上腕の筋をめがけたところ、不意に顔から入って来られて、手遅れで。はじめての「差別」だったかもしれない、一戦目より強く打ったから。

 幸いすぐに目を覚ましてくれる。問題ないと医療術師が言う。獣の少年は、気絶も負けも気に留めない。何度も平気か訊ねたが、頑丈なのが取り柄だからと、さばさば調子で去っていった。

 それならよかった、でゼンは終われない。空いた時間を素振りに徹した。確認、確認、確認だ。狙いのしくじりもそうだが、不安だった。決闘のさなか、握りをすっぽ抜かしたのだ。ここ一万振りにないことだ。顎にぶつけた瞬間だった。制動はしたが、手放す気はなく、決着の気もなく、無ければ困る剣柄は咄嗟に、"煌策(とっておき)"で掴まえねばならなかった。


 ――たまたま、よかったけど。


 何が悪かったかわからない。たとえ動揺に面くらおうと、剣を手放すなどあってはならない。出来るべきことがうまく出来ないと、ゼンは悔しくてたまらなかった。しかしはたして本当に、たまたま、すっぽ抜けたのだろうか。


 ――もしかして、僕が"誓った"から……?


 今日は誰にも怪我をさせない。たしかに、下あごを砕かずに済んだ。あるいはもっと悪い何かを免れた。

 第三戦目は不戦勝になる。相手が辞退したという。審判から由を聞くついで、素振りはやめるよう、とがめられる。周りを()()()()からいけないらしい。ゼンは素直に従った。

 四、五、六戦、つつがない。打ち込む数が変わっただけだ。最後に至って、すこし手を焼く。


 ――サルヴァが言ったのは、このこと……じゃないよね。


 最終戦も七人目、巨人(ジャイ)種の子どもは優に二メルの巨躯ときた。

「お前、強い。小さいのに」

「君も強いね、大きいし」

 ここまで相手をした中で、身長ほどに頭抜けて巧い、ゼンの率直な感想だ。果敢だが堅実、大人びている。すこしの油断で負けもあり得る。

「……なら、どうして、本気じゃない」見抜けたのは、彼だけではなかったかもしれない。「親父だって、手を抜けば、俺に勝てない。なのにお前、手を抜ける。俺、くやしい、すごく」

 全力を、ゼンは尽くしていたとも。制約の内にいるだけで、相手を舐めてかかったことはない。今度もそうだ。打ち合わせた数、百合以上、似た剣を既に何度か見たから、打ち込めた数が十一本。それで負かせず、だから手強い。嘘は言わない。

「俺、お前の本気がみたい」

 撃剣は静か、間合いを測る対峙も数度目、ゼンは答えに窮してまう。

「……僕の"誓い"がダメだと言ってる」

「なら、なら……俺の全力、みてくれないか」

「君の全力?」

「これだ……」

 巨人の少年は剣を納めた、ように見える。そこには鞘がないからだ。"必殺剣"の行動様式。最高峰のそれであれば、抜き打つ一撃は山をも両断するという。

「お前が止めたら、俺、()()()

「……約束してくれる?」

「誓って」

「いいよ、やろう」

 ゼンは勝機をここに見た。侮りはない。"必殺剣"の恐ろしさなら、よく知っている。しかし痛みに負けない相手なら、ほかにどうして負かせよう。

 剣士と剣士の戦いはしばし長く、決着の時は一瞬である。


 一閃。


 輝いたのは勝者の剣だ。木剣が燃え上がっている。

「今まで戦った剣士のなかで、君はとびぬけて強い。誓って本当だ」

 炎をゼンは振り払った。鋼同士でこうはならない。"必殺剣"を受け流すため、すれちがう刹那、"剣気"をうまく御した結果だ。しくじれば、どちらか怪我をしただろう。

「……俺、まだまだ、だ」

 がくり、膝をつく巨人の少年。上衣の前が、はだけて落ちる。真剣ならば致命の一筋を、ゼンは素早くしかしそっと撫でたのだった。知らずのうちに実行している、彼我の力量差を知らしめるのこそ、この決闘の本質である。痛みに屈しても、技に屈しても、"守手"の座には決してつけない。

「負けだ……お前、強すぎた」

 巨人は巨躯なり強みがあるが、只人と形を異にするために、技の難しさもまた負うものだ。「俺、これから、もっと、頑張る……」「うん、僕も頑張るよ」"五花"には長躯向けの指南も豊富だというから、彼が剣をよく続けられたらいい。闘志を新たに去る好敵を、見送りながらゼンは思った。


 "戦士長"なる人物を、思いだすなら今かもしれない。なかなか大した戦士であった。ゼンの木剣に百と打たれて五体満足、ついには死なずに済んだのだから――おおげさではない。"剣気"を覚えたゼンの木剣は、牛の首くらい両断できる。実際それが試されたのは、調理され待ちの肉塊ではあったが。遠く飛ばせる域にはないだけ、"剣気"の価値とは剣士の価値だ。

 すこし理屈に立ち返ろう。

 戦士の体は"闘気"を纏い、剣士の剣は"剣気"を纏う。"闘気"は戦士を頑健に保ち、"剣気"は剣をより鋭くする。ふたつの力は相殺しあい、結果、純粋な鋼刃の鋭利さが、純粋な骨肉と競る。力量互角の仮定をしている。

 尋常ならざる"闘気"の持ち主が、刃を肌で弾く例は稀ながら、それなりの"剣気"の持ち主が、人身を易く刃で引き裂く例、これは至ってありふれる。するとヴァンガードのした心配が、どこにあったか見当もつく。

 "剣気"を生ずる一条件に、剣士の意識は欠かせない。剣の形をしたそれを、使い手が「剣」と信じられるか否か。戦士長はこの理に救われたとも考えられる。あるいは、挑戦者が必死のうち木剣に宿しただろう剣気を、その強靭な闘気で凌ぎきった、とも解釈できる。回顧の裾も広がろうか。後先をすこし入れ替えたなら、違う戦いがあったはずだ。あの銅剣の一突きは、岩オオカミの鎧を貫いただろう。腐した木剣は砕けずに、舞台を血で染めあげたかもしれない。 

 ゼンが旅立ち一か月、ひと月あれば少年は変わる。剣と"剣気"が、最たるや。かたや元よりある力、ある、と教えたのがヴァンガード。思いのままの増減を、学ばせたのもヴァンガード。"剣気"ありきの戦いに、余裕を仕立てたのも、やはりヴァンガード。

 戦士団より強かったはずだ、ゼンがあしらった若葉の剣士らは。なにせ剣技と"剣気"を備えていた。ゼンが立たずにいた舞台を見よ、散った鮮血の跡やおびただしい。圧倒的な力だけが、惨事流血を回避させる。圧倒的とは、持ち主であり、授けた人をいう。

 馬鹿げた話と思うかもしれない。ヴァンガード・アーテルは他者になりきり、模倣した剣を完璧に振るえる。握りの左右や、技に留まらず、性格までを演じ分けられる。それはたとえば――勇猛、蛮勇、慎重、果断、冷静、臆病、堅実、狡猾、高慢、冷酷、率直、腰強、性急、野性味、傍若無人。まだ続く。ゼンが攻略を終えた剣士は、ひと月分で、百余を数える。

 相対者たちが唇も噛む訳だ。児戯に大人が付き合っている、背の勝る者ほど思ったはずだ。木剣ながらの真剣勝負、何もかもを顧みたとして、火を見るよりも結果は明らか。一点の曇りもなく、"商隊"が信じていたように、ゼン・イージスが勝つに決まっている。


「やりィ!坊主!」「ゼンくん!おめでとうー!」


 幾千の目から親しみを見つけた。ゼンは(グー)に親指を立てて、「すべてよし」の意を仲間たちに返す。口で唱えても届かないだろう、肌が震えるほど広場は騒がしい。訳を視線から想像するに、どうやら決着に湧いている。悪くない気分だ。村ではこうはならなかった。




 ---



 

 さなかの平原で、彼女はひとり歌っている。家族の帰りを待っている。


 

  ここにいるよ 約束したね

  あなたを 覚えています


  ここにいるよ あなたの背中を

  わたしは 覚えています


  夜は 帰り火を 

  目印に 灯しましょう


  ここにいるよ 約束したね

  あなたの おうちはここにある



 馬たちだけを観客にして、気ままに人目も憚らず、いくつの歌詞を風に贈っただろう。

「おや……」

 ちゃりん、と背後で鳴った気がして、ジニーは御者台を見下ろした。革張りの座席にいつのまにやら、硬貨が薄く積もっている。

「ありがとうねー!」

 旅人流の応えがある。気障(きざ)に手を挙げ、振り返らない、立ち止まらない。待たせる人がいるのかもしれない。

「こんなことなら、楽器のひとつでもあればよかったねぇ」

 恥ずかしがり屋な物好きは、硬貨の数だけいたはずだった。荷台の屋根をジニーは飛び降り、意外とかさむ投げ銭に思う。

「それにしたってずいぶんさね」

 道脇にしても繁盛である。十にひとりがくれたとしたら、町はやたらと賑わうらしい。南門までの半キロル長を見やれば、よその馬車が点々と並んでいる。数えるまでなく今朝より多い。みな星を頂くうちに、北上してきたことになる。ご苦労なことだ。

「ありゃ……」

 ちょうど門兵だろうか二人組が、ひとつむこうの馬車番に何やら声をかけていた。ずっと奥では二、三輌、町門へむけてのそり動きだす。光景に、ジニーが連想したのは駐禁取りの警官だ。車輪が王国で回る頃だった。申し訳なさそうな顔をして彼ら、駐車許可証の有無を訊ねてくる。書類に不備なくほっとしていると、今度は"速乾処理装置"――馬糞を回収し圧縮熱処理、堆肥化するそれ――の基準違反を慇懃に指摘してくる。挙句、高い罰金を容赦なく取る。

「まさか、ここで()()()は言われないだろうけど……」

 言いがかりの種なら思いつく。馬車には門を通さないままの積み荷、唄を吟じて勝手に商売――取り締まり兵の善良さを信じたとして、のけ、と告げられるだけで一大事だ。何故なら馬車の主(ハウプトマン)が不在の為に、魔法の馬車には欠かす魔法がある。それは悪しくも重さを司る。荷を満載の屋根付きだろうと、健康優良児たちの十六脚なら運べよう。ただ、足取りはきっと亀なり蝸牛(つぶり)なり。さらに問題が行き先だ、金食い門をくぐるしかない。

「弱ったね」

 なんとなしジニーは振り向いた。我らが黒馬車こそ最後尾、まさか見つかる助けもない。しかし、奇妙な人影なら見つけた。長耳種の目を通さなければ、ある種、不気味ですらあった。

「ご機嫌よう」

「ごきげんよう……ひとりかい?」

 どうにも少女の一人旅。目深に被り(フード)、脚が悪いのか杖をついている――あたしに声をかけて、何か助けが必要なのかもしれない……――全てジニーの先入観だ。先入観とは、大火を熾す火口(ほくち)に等しい。

「よいの、そうじゃとしよう。そうじゃとすればお主、この徴に免じて――」

 長耳の耳に触れられるほど、「少女」は歩み寄っている。ひら、とたおやかな指を泳がせ彼女は、凛とした音でうたうだろう。


『ちと、頼みを聞いてくれるな?』





 ---




 広場で少年たちが木剣を打ち鳴らす頃、境も北の商取引場――商人組合の建造物が居並ぶ一帯で、路地や小広場を覆う遮陽布越しに、ぬるく日光が注いでいる――にて。

「お馬さんを繋いだままの……馬車が、多いですね」 

 馬車、と口にするたび、フランはまだまだ気恥ずかしかった。商隊仕様の特別製があたりまえだと思い込んでいて、おかしな物言いをしたことがある。聞いて転げるほど笑ったのは、どの町の商人だったか。

「そうさな、積み下ろし一本でとんぼ返りってな多そうだ」

 幸いに、子どもがどんな無知を言っても、商隊の大人は馬鹿にしない。正しい答えを授けるついで、微笑むくらいならしてくれる。そうそう()にない特別具合を、語ってみせるときもそうだった。長い物語を今は要約しよう。"商隊"走らす魔法の馬車は、ハウプトマンこそ唯一の持ち主。彼がとある試練を乗り越えて得た、ふたつとない、汗と勇気の結晶である。

「系列の仕入れと卸売りですか?」

「ああ、流れが噛める荷は少なかろう」

「町の大きさのわりに競り場も静かでした、手強そうです」

「手強いだろうな。だがやることは変わらんぞ、算盤の前にゃ――」「情報ですね!」

「わかってきたな嬢ちゃん!」

 失敗するのに恐れがないとき、初学者は多くを身につける。ここで新たな仕入れは無謀。商人にとって"境"は中継点であり、ほとんどの荷は運び手が既に決まっている――フランの理解は円滑だ。役立ち方も心得ている。

「ちょっとお時間いいですか?」

「おん?」「なんだい、みない嬢ちゃんだ」

「私、行商の見習いなんですけれど……勉強させてもらいたくって」

 すんなり、とはいかないが、髭の強面より花ある少女だ。情報と(きん)を秤にかけながら、新参に対して滑らす口もあるだろう。

「その数字って古くないですか?三日前には五銀半でしたよ。三日でどうやってここまで――?それは内緒です!荷が余ってる?あっ、騙されません!灯油(ともしびあぶら)は北でだぶついてるって聞きました」

 フランは溜まった地元の顔に混じる。雑談をする。転々とする。ハウプトマンは、こっそり後をついて行く。こっそり、なのが肝心だ。他人のふりである。いざという時の護衛を兼ねる。そして何より、切り札でもある。

「電気結晶を積んでるって?お嬢ちゃんトコのは」ここぞと見極め、雑談の環に押し入るハウプトマン。

「はい、それなりに。南ですこし捌いたんですが……」知らない髭です、とばかりにフラン。

「ここで更に積む気はないか?」白々しくも髭の強面。

「うーん……」答えをとっくに持ちながら、困ったふりをしてみせる少女。

「何、嬢ちゃん北行きだろ?」元から輪にいた商人何某だ、()()のわりに清潔漢。

「ええ」

「よしときな、"境"を越すにゃ重たいぞ」

「そうですか?でも大陸道沿い向けなら悪くないって」

公国東部(シュワルコフ)旗の大隊がご帰還なすったばっかじゃなけりゃあね」商人何某の用心棒だ、剣士のわりに人懐こい風。「時期じゃない、だろ?俺でもわかるぜ!ありゃ半月そこら前だったもんね」「ああ」

 ここまでなかった情報だ。それも、高い確度で偽りがない。この流れの商人たちは、新参で見習いの――ついでに可憐な――少女に、いい格好をしようとして、他が後ろ手に握り潰すような事実を開示してくれた。

「……おふたりはこれからも南へ行くんでしたね?」

「そうだが……」

 合図を待たずに、フランは押す気だ。彼女を子どもと侮る勿れ、その秘めたる商才をハウプトマンは既に見ている。知恵と算術が要るならイトーほど頼もしい右腕もないが、機を見るに敏とはこの少女の為にある言葉だ。

「荷を交換しませんか?私たち」

 商人何某は目を丸くする。

「油だぜ、ウチの荷は」

「知ってますよ。油は油でも、青竜菊の精油でしょう?お薬になる高級品です」

「そんでも電気結晶に化けるったらボロい――」「ちょっと待て、比率は?」

 商人何某氏は相棒の口を塞ぐ。商売の時間だ。

「それは品物を確かめないと……」

「見せるのは構わんさ」「目利きまで出来んのかいお嬢ちゃん!」

「どれ、そりゃ俺が」

 しゃしゃり出るのが髭面である。案内される仕切り箱とは別の箱から無作為に選ぶ。華奢な小瓶をさんざん眺め回す。栓を外して、手団扇で香りを嗅ぐ。

「上等だな」

 値打ちを伝えるのに十分な評価だ。

「一箱を四単位でどうですか?」

「流石にしぶい」

「四と四分の一です」

「……いーや」

「四と半。正直、かなりぎりぎりです」

「……全部を、か?」

「全部を、です」

「む……」

「相当、軽くなりますね?別の荷だって載せられますし、手堅さは(きん)に劣りません」

「黄金だろうとも、傷でおじゃんな点を除けばな。そっちのモノも確かめんことには」

「保証できます。でも一対四と半です」

「保証、ね。ふぅむ」

「それと、こちらが南で得てきた全ての情報も」

「何、いいのか?」

 商人何某が見やったのはハウプトマンだ。とっくに見破り、見破られ、髭面は動じず肩をすくめる。

「俺らにゃ当分縁のない土地でね。そちらさんの斟酌まで清算させてくれるんだったら、妥当な線と思いたいが」

「は、良心が生む商機とは!了承だよ。荷はここで?」

「ああ、出入りの都合は?」

「急がない」

「助かる、ウチのはよそに停めててな」

「今日は道がえらく混んでる、落ち着いてからで構わんよ」

「なら夕刻までに」

「心得た。秤に誓って」「秤に誓って」

 商談成立。 


「……な、どゆこと」

 髭面と少女を見送りつつだ、相棒の脇を剣士は小突く。

「なにが」

「あのふたりって、別の隊から来たんじゃないの?」

「あのねぇ……」商人何某はため息も出よう。しかしお気楽さを買ってこれを雇ったのだ、青筋は立てるだけ損というもの。「まぁいい……髭の旦那の"さなか"は達者だが王国訛り。嬢ちゃんは不安定な代物に『保証できる』と言った。結晶に品質を謳えるのは王国人だけで、『結晶を積んだ王国人の馬車』の組み合わせなんて、ふたつと居合わせるもんじゃない。流通の元締めが元締めだからな」

「……そんで?」

「見習いを狙った押し売りかと思った、最初に限っての話だぜ。嬢ちゃんのあらため様でピンときてたよ、ふたりは同じ荷を運んでいる……あの感じ、よほど大きな隊らしい」

「へぇー!なるほどねぇ、ぜんぜんわからなかったぜ!」

「お前、からきしの察しでよく腕ばかり立つね」「ありがとよ!」「褒めてねぇ!」

「そんじゃさ、本題がとんとんだったのはどういうワケ?いつもはもっとじっくり粘るじゃん」

(ハナ)からそれっくらいを訊いてくれ……いいか――?」


 誰が損して誰が得をした?

 強いて述べるなら、町が得を逃そうとしている。"境"の荷には「(ふだ)」がつく。札は貨物に帰属する。馬車主の面を問わず、荷の来た道と出る道が、同じであるなら税はかからない――よほど使えない税制の穴である。

 少し考えてみるとわかる。荷の来た道と出る道を、もしも同じくするとして、生める利益がどこにある?大きく見えて狭き穴、ごくごく稀ゆえ抜け道だ。くぐる為には、「荷の交換」が肝になる。交換には「信用」が欠かせない。更に両者は必然的に、ほとんどの荷の運び手が既に決まっている"境"において、見知らぬ誰かと誰かだろう。

 あってない穴、と言っていい。"商隊"ならばするり通り抜け、荷の効率化を達成できる。越境すなわち税関通過に、わりの悪い品を抱えたくはない。電気結晶がそれにあたった。交換相手の流れ何某氏にとっては、"さなか"の内地に辿り着く頃、つまり"商隊"が満たしてきた需要が落ち着く時合いに、美味しく捌ける商材だ。青竜菊の精油の方はどこへでも、脚さえ伸ばせば買い手がつくが、西向きではやや伸びすぎて、大きな利益は見込めない。言いかえるなら行く手に競合少なかろう、魔法の馬車にもってこいだ。諸般の事情を顧みて、双方円満の取引だった。憂慮すべき点があるとすれば、フランが言うように。

「このやり方って、税吏に怒られたりしませんか?」

「ふむ、郷に入らば郷に従え、ってな言葉があるが――」

 あってせいぜいお小言でしょう、とは法を精査したイトーの言である。やり口の発想主であると同時に、法は法だからと捨てきれない性根の持ち主だ。決断はお任せしますよ、隊の大事が今ですから、とは苦い顔だった。

「立つ鳥跡をなんとやら、とも言うもんだ。抜け穴についちゃ一筆残して、相当の(きん)を払うつもりでいる。もちろん南北両方のぶんをな。それができちまうくらいには、俺たちゃこれ以上ない首尾だった、そうだろ?」

「はい!頭の中の財産に、税はかかりませんからね」

 商人何某たちからは、"境"のむこうの商況までを(つぶさ)に仕入れることができた。駆け引きに生きる商人にとって、腹を割った情報交換の機会など、黄金よりも得難いものながら、まるきりな良心を互いに秘め損ねた成果といえる。さて、大人ばかりでもこれがあり得たか。

「おう、嬢ちゃんには活躍に見合うだけ駄賃をやらにゃあな!そうさ……これくらい!」

 ハウプトマンが見せるのは(パー)だ。

「銅貨五枚?」露商の果物で喉をうるおせる。

「まさか!」

「銀貨で五枚ですかっ!」町の少女らが焦がれるような、装飾品(アクセサリー)も視野に入る。

「いーやいや、金貨で五枚だ!」

「ええっ」

「ま、中央金貨(小さい方)だがな?」

「それでも、そんなにっ!」

「無駄遣いするんじゃないぞ」

「もちろんです!」

「おっと嬢ちゃんのことだった!心配するだけ余計な世話だな、わはは」

 運気才気に富める者になら、あらたな行商の手がかり金にさえなっただろう。実際そうは使われない。小さな金貨の行く手については、またそのうち。

「ん、なんだ……」

「あ、祭歌(お囃子)でしょうか?」

 ふたりは商区を出がかりだった、祭りの喧騒には遠い。それに陽気さよりも不穏さだ。昼にさしかかり競りは閉じられ、活況さの褪せた通りに響く、入り乱れた大声で、切迫に何かを訴えている。

「嬢ちゃん、ちと……」

 毛深い腕でフランをかばう、ハウプトマンは剣をもたない。想起するのは暗雲の東海岸、平和維持任務に就いたあの日、撃つなと厳命されたのは、暴徒と化して迫る"異海教徒"たちだった。

「広場へーっ!」「魔物の襲撃ーっ」

 はっ、とハウプトマンは我を取り戻す。路地を覆った天布はもうない、明るい陽射しの中にいる。

「"集団暴走(スタンピード)"だーっ!」

 男の衆が脇を駆け抜ける。商区へ、門へ、事態を報せに急ぐのだろう。 

「お、おい、そりゃどっから!」

 手近な白い首巻き(スカーフ)を、ハウプトマンはひっつかむ。反応と体幹に優れた剣士だ、びたり脚を止め応じてくれる。

「西からだ!警戒線がもう破られた!」

「何ッ!」

「ハウプトっ!門の外には!」

 比しては金にも価値がない。

「リリー!なんてことだっ」




 ---



 

 染みひとつとない白装束を、その男は纏っていた。広場に満ちる人混みを、煩うことなく行く彼は、剣を帯びるから、剣士と知れる。身頃の外套(マント)の純白でやがて、"王の綴り字"にて記される「若葉」の文字を覆い隠す。解体途中の受付の前だ。係りの女に、剣士は訊ねた。

「これは何回戦目か」

「はい?」

 あたり歓声が張り上がる。常人の耳では、とても聞き取れない。

「じき終いだろう」

「え?」

 あたりどよめきに関わらず、聞こえたとして意味を解せない。この剣士は何用なのか、何者なのか。

「――筆頭外務の、コマンダ・カザフィだ」

「す、すみません、どなたですって?」

 あたり大喝采が埋め尽くしている。困惑顔の受付係に、剣士はいよいよため息が出る。募る苛立ちを押しこめるよう、鼻根を指で押し上げた。眼鏡があったら整っただろう。けれども剣士は何もつけない。己の神経質さを咎めるための、儀式のようなものだった。生来抜けない癖でもあった。あたり喝采が落ち着きつつある。銀味がかった頭髪をなでつけ一呼吸、それから身分を口にする。


「私は()殿()()()()、エリオネッラ・カザフィだ」


 亮然と、決して怒鳴ってはない。だが常人はこれに震えただろう。漏れ出た"闘気"を受けた者らに、詐称を疑う余地はなかった。この祭り事に出資する、"光の騎士"がここにいる。

「こ、これは大変失礼をっ」男の係りが駆けつけて、対応に加わった。「ただいま、最終戦の決着がなったようです」

「どうにもそうらしい……対戦の組み合わせは?」ここからでは、舞台の様子はうかがえない。

「は、申し訳ありません、名前までは控えておらず……」

「人種の話だ」

「それでしたら!巨人の子と、只人の少年でした」残った番号をなぞって、係りの女。

「ふん、二分にひとつか。無駄足でなければよいが……」騎士は鼻根を押しあげる。「勝者に会えるか」

「もちろんですとも!まもなく賞金授与式ですから、どうぞ広場中央へ……」

 時をして、その広場中央から聞くのは。


「おーい、主役が逃げちまったぞー!」


 どんな主役か知る人もいよう。よく聞く耳で、しかしときどき、驚くほどに聞く耳を持たない。係りの制止を振り切って、訳も伝えず、どこへともなく彼は消えた。すると子どもだらけの祭日に、あのすばしっこい少年を、いったい誰が捕まえられる。

「……つまり、勝者は只人か。よりにもよって」徴を思えば簡単な推理だ。

「す、すみません!ただちに捜索の手配を……」

 ハラム一派の連絡係に依頼を伝えたとして、どのみち反古になるだろう。じきに報せが伝わるからだ。或る少年がとっくに知った、悪い報せだ。混乱が広場に招かれる。誰も、祭事どころではなくなる。


「"集団暴走(スタンピード)"ーッ!西から来るぞぉぉお!」


 転々とする状況に、受付係らの慌てふためきようといったら。だが気の毒は死に至る病ではない。むしろ彼らは、そしてこの町は今、女王の膝元ほど安全でいる。

「あっ、あの、どちらへ!」

「決まっている」

 背越しに応える白騎士は疾うに、西へ、歩みはじめていた。

「後先というのは肝心だ。弁えるものが善くも勝者らしい」

 純白の裾が風にはためく。




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「西方を目して竜牙の陣を敷く!一隊を四人、相互には二槍の間隔!ゆけ、ゆけ、防壁沿いを南北へ!駆け足!」

 バナガス・ハラムが飛ばす号令もこれで幾度目か、到着したての町兵と一派の者らは聞くや否や、続々配置についてゆく。百人がかりの陣形が出来上がりつつあった。その時は近い。

「有志の冒険者諸兄はこのまま門の防衛を!ご助力に感謝する!」

 ちょうどゼンが西門を飛び出した時、"鐘のおじさん"は陣形の最前へと向かうところだった。予備戦力の扱いらしい門前の一団には、"商隊"の戦士たちを見つけられる。十かそこらが「有志」であるから、何も労はない。

「みんなっ!」

「少年!よく来たね」「ゼンく~ん!大会、どうだった?」

「うん、誰も斬らずにすんだよ」

「おお、そりゃえらかった!」

 わしわし頭を撫でられるのに、ゼンはすこしだけ甘んじる。"集団暴走(スタンピード)"をよく知る身だから、気が気でないのが本心だ。

「本当に、ここにいるだけでいいの?」

「時がくればわかるさ……ほれ」

 ヴァンガードが顎をしゃくる。"鐘のおじさん"バナガスの背中が見える。聞こえる。


()()を信じろ!だが過信はするなっ」

 

 魔物の大群が遠からず、この地を埋め尽くさんとするのだ。つっ立ち向かうは愚かに思える。だが例外は稀に人にあり、今度は特別、場所にあるという。ゼンも多少は教わった。

「ケッカイがもしはたらかなかったら?」

「その時ゃ俺らの出番だね!」

「戦士が要る、ってそのこと?」

 脅威を聞いたらそちらへ向かえ、きっと戦士が要るはずだから。"さなか"滞在中の商隊の掟で、しかし。

「"集団暴走(スタンピード)"でしょ、この人数で足りるの?」

「ふふ、そう心配しなさんな、こんだけ集まってたら大したもんだ」

「……よく統率がとれている」唸り声である。

「いいお(かしら)がいるらしいね」

 バナガスは今も叫んでいる。  

「来るぞッ!怯むなよーッ!」

 木陰もほどない草原が、弧に描いている地平線。じきにも歪む、もぞもぞ押しあがる。足裏にくすぐったさを覚えるが早いか、とかく悟るだろう、来たるは巨体だ。

「んー、ありゃ橙巨牛(だいだいおおうし)かな?」

「おいしいお肉が、たくさんとれるねぇ」

「ちと歯にはさがるがね」

 四足で大地を踏みしだく音は、馬の襲歩のごとくかつ重い。もう耳で聞くより、肌で感じる。空気の圧でうぶげが震える。気を抜けばひっくり返ってしまいそう、とは、なにも迫力を示す比喩ではない。


 ここで橙巨牛について添えよう。名で体を現わすがまさに、橙の毛の大牛だ。魔物にしては非好戦的、温厚とすら言えるだろう。注釈、縄張りに干渉しない限りで、すなわち家畜化はかなわない。

 平均体長五メル前後、四頭立ての馬車に並べて相応しい。特徴的とされるのはほかに、筋肉質の図体それと、比しては小さすぎる頭部。人と巨人での相関ならむしろ、(おお)きいほどに頭も巨きい。橙巨牛はそうでない。いっそ簡潔に「不釣り合い」で、遠目に一見、間抜けに思える――二本の角を見つけるまでは。それがまた巨きい、草を食むのにも不便そうなほどに。

 さて加速する質量とはつまり力であり、速度をもった巨体はつまり、巨きな破壊力を蓄えている。無数に群れたそれと真っ向、勝負をしたならどうなるか。ヒトはぺしゃんこ、町並みは倒壊、橙は赤く染まることだ。


「目を凝らせ、一頭たりとも通さん!」


 バナガス・ハラムの号令に、疑うべきは正気か耳か。従順に目なら凝らしたか。距離百、九十、八十メル、緑を塗り潰すその橙色の濁流こそが、天災の名に恥じぬ"集団暴走(スタンピード)"。狂気もさなかの巨牛たちは、"竜牙"を前に直進を止めない。

 すっかり町は呑みこまれる――誰彼が抱く予見に一致し、紛れもない事実と符合する。そう、これまたなにも比喩ではなかった。

 突然、二手に()けたのだ、橙色の濁流が。竜牙の陣そして"境の町"は、急流をわかつ小島となっていた。まだ目は凝らせているだろうか。"さなか"の町々に備わる対魔物用「障壁結界」は、不可視である。


 作者不詳とされている。結界魔法の分類で、「障壁結界」も代表格におかれるのが、対"集団暴走(スタンピード)"用のそれだ。弧大陸ではあるいは"さなか"こそ発祥の地と目されるが、予備的な警戒線の再定義法を残すのみで、製法は当代に失伝している。

 界隈の共通認識にならうなら、さほど驚くべきでもない。今日(こんにち)、"魔術"は隆盛、"魔法"は衰勢の途にあって、これは関わる者が増えながら、物の理に反するほど、継承が困難になる(ことわり)の反映だ。魔法は基本三要素、「製法」「用法」「存在」のうち、うしろふたつさえ押さえられるなら、望外と言って差し支えない。

 漠然とした手がかりなら有る。製法についてだ。真円が鍵だろう。偶然の一致を避けるための、魔法陣描図の常套だ。"さなか"の町の広場とくれば、どこもかしこもどうして(まる)い。敷き詰められた石畳の下、巨大な魔法陣を備えるが為だ。すくなくとも、住民たちはそう信じている。保守をおこなえる者がないから、見て確かめるのは愚かな真似だ。いとも簡単な推察のもと、想像だけが結びつく。陣がすなわち、結界を起こす。

 起動を示す発光現象を、しかと目撃する機が一度(ひとたび)あれば、なるほど、三代は語り継げよう。深夜が時にも白昼をもたらそう青緑色の閃光は、人智の及ばぬ緻密さを、幾何学模様に湛えている。"境の町"の今日にも見れたはず。人ひとりをして、これは成しえない。数には数を、力には質を、不詳の作者の手腕といえる。複数の行使者をたてる設計は、ふつう、魔法理の収束に困難ばかりをもたらすものだが、障壁結界は特別だ。広場に募り、人々は願う。手を取り合って瞑目し、陣が輝くのに頼む。祈りの仕方に作法はない。子や同胞(はらから)への愛、生への執念、抱く思いの矢印が、同じ方角を指すのなら、脅威をきっと退ける。

 ここにまたひとつの信仰である。知られていない、知ろうともされない、訳も由来も、なにもかも。そうするべきだと伝え聞き、誰もが手順を遵守する。危機を生き延び歓喜して、祝宴ののち、日常へ帰る。今を保つだけの生き方で、精一杯な人々に、罪科(つみとが)はない、ふつうなだけだ。我慢ならない人種もいるが。

「ほんとに誰も覚えてないの?作った人のこと……こんなにすごい魔法なのに」

「殊勝な人の名前ほど、()くなっちまうモンなんだ。存在を()したんだろうね、成果がこれさ」

 百、千、万、覚えたてのかぞえと照らし合わせても、ゼンは答えを出せないでいる。名無しのひとりが救ってきた数を。

「感心したかい」

「うん、すごく」

 なにより手法が優れている。巨人の一振りに抗うのに、小柄が選ぶ(すべ)と同じだ。

「受け流すんだね、押し返すんじゃなくて」

「確かに、促すのが"さなか"流らしい」

「うながす?」

「滅しちまうのだって手だが、こいつの作者は心優しい。魔物(連中)の行く先は否定せず、ただ『避けてくれ』とだけ依頼している……」

「ヴァンは本当に物知りだ」

「いま見て思いだしたのさ」

 南北へ迂回する轟音は、その実、力の塊だ。四肢を突っ込めば、二度と帰ってはこまい。よかれ、防壁を距離のまま澱みなく流れて止まずにいる。バナガスが叫ぶ。

「まだだ、気を抜くな!」

 戦士は誰も逃げ出さなかった。とくべつ気負った空気もない。胆力というよりも、結界への信仰がそうさせている。ゼンも理解する。 

「平気に思えるよ」

「そうとも!ただ、完璧ってのもまた難しいぜ……ああ、噂をすれば」

 緩流にすら舞うしぶきがある。橙色の大粒がひとつまさに、不可視の境を突っ切った。

「ああした()()()の対応が俺たちの仕事だね」

 しかし勢いを失するにまもなく、その巨牛は、囚われていた狂乱を忘れてしまったらしい。歩いて、きょとん。あたりに角を巡らしている。

「結界が効いて居心地が悪いんだ」

 陣の兵士らが一部散開し、切っ先で追い立てはじめる。はぐれはあわてて流れへ帰る。

「今回は運がいい、好戦的なヤツだと怪我人も出る。通り抜ける数自体、そう多くないがね。俺一人でも間に合うくらいさ」

 言ってのけるが、ヴァンガードはふつうとちがう。

「でもぅ、ヴァンガード」と、ここでダルタニエン。「このままだと、べつのお牛を探しにいかないとねぇ」

「そう!そうなんだよな」

 すこし想像してみてほしい。意気揚々と行こうとする道に、橙巨牛がたむろしている。のんびり加減で居座るさまに、微笑みかけるなら無知か猛者かだ。常識的な旅人たちは、命大事に遠回りを選ぶだろう。損失される時間たるや、実際に嵩んだものらしい。"境の町"の商人組合は良しとせず、冒険者組合に依頼を発注するに至った。

 西部平原にて交易を妨げる、橙巨牛を間引きせよ。ただし、群れを刺激するのは大変危険であるのに留意されたし――ヴァンガードの見繕った仕事がそれだ。

「この分じゃ撤回されちまうかなぁ」

 契約金が返還されるだけ、牛の尾一本手に入らない。無論、少年が技会を制する始終にかけて、埋もれたなかから件の依頼を掘り出した甲斐もぱぁだ。

 はみだす橙はその後も続くが、追い返すにもかぞえるほどで、もはや来たる地響きよりも過ぎた地響き。地平に緑も垣間見え、いよいよ諦めも肝心な頃合いに。

「おっ……活きのいいのが来たんじゃないか!」

 不可視のほころびをついたのは、最後も最後の集団だった。十には足りぬか、さりとて多い、真っ正面から突破して、勢いのまま迫っている。

「この数は危険だ!お前たちはさがれっ」

 最前にいてバナガスはまず、側近たちを退避させた。抜き身の一振り、迎撃態勢。手練れだろうが、荷は軽くない。

「っしゃあ、出番だなダル!」「ほぅい!」

 ここぞと駆け出すおおきなふたり。間に合うか否かに心配は無用。 

「行くですか?ヴィクトルも」

「……行かん」

 なるほど、門を背中に微動だにしない。怠惰とは責めまい、ゼンも一緒に留守番なのだから。作法ともみなせる。仕事とは、請け負った者こそ果たすべきだ。

 木の葉のように牛たちが舞うと、"竜牙の陣"にどよめきが満ちた。バナガス・ハラムが二頭捌く間に、稀な槍手が二頭仕留めている。衆目は前線に食い入って然り。だからこそ、ゼンは不自然に感じた。ただいま自分に注がれる、何某からの熱心な視線が。

 ちろり見返す、誰もいない。視界の端に白がちらつく。反射で追うと、向くのは門だ。集う「有志」だったのは確か、白装束の剣士がひとり、裾をなびかせ去り際にある。

「嫌によく見る……」

 ヴィクトルも共に振り向いていた。なんの話か、ゼンはわからない。

「見る、見られる……やー、でした?」

「……いや、気にするな」

 聖騎士の扮装にヴィクトルは唸ったのだ。路傍の石に、人は宝玉を信じない。よしんば輝きを放っていてさえ。


 巨牛がどれも片付いて、"集団暴走(スタンピード)"も引ききったとみえると、ヴァンガードたちは帰還した。嬉々としてふたり担いでいるのは、仕留めたての一頭である。

「朗報だ!俺らの依頼、お頭さんが見なし完了にしてくれるってよ!」

「あしたのごはんも、たくさん入手う!」

 牛肉がのしり、地へ降ろされる。あとの手柄は惜しくも町に譲るのだそう。もっとも、欲張ったところで"冷凍庫"を破裂させかねない。

「町は夜通し祝宴だろうね」

「……祭も続けば忙しないな」

「言ってくれるなよ!万事めでたし、俺たちもあやかろうじゃないか」ヴァンガードは得た順調を数えだす。「町は守られ、依頼は完了、食費が浮いて、報酬も出る。さらに少年も優勝ときたら……国境越えにゃ十分な稼ぎもできたろ!」

 稼ぎと聞いてようやくだ、ゼンはハッと思いだした。

「たいへん!」

「おお、どうした急に」

「賞金、もらうの忘れてた!」

「え」

 今から戻って間に合うだろうか。取り分の牛はどうしよう。肉屋に預けて、イトーを探して――まだ西門も跨がない頃だ。ハウプトマンが駆けこんでくる。髭面を蒼白にして。

「大変だっ!」

「今度は大将!どうしたって?」

「リリー、リリーがっ!」

 馬車の留守番は誰だった。本日一番ツキのない、ジニーリリーがつとめている。その所在とは門外で、およそ結界に守られていない。(あるじ)不在の黒馬車は、機動の効かない重量級だから、危機を聞いてから退()くでは遅い。せめて彼女と馬たちだけでも、災難を免れていればよいが。ハウプトマンが先の混乱のさなか、知った南門の兵士をたまさか捕まえ、一連訊ねてみたところ、少なくともそのように目立つ退避者――馬四頭を引き連れた長耳の女性――はなかったという。

「確かなのか」「お頭さんにも相談しよう」

 険しい目つきのヴィクトルでさえ、今にも捜索に駆け出さんかと前のめりでいる。ヴァンガードは町への協力要請を提案する。

 焦燥に駆られた公用語のやり取りにつき、ゼンが事態を把握するのには、ダルタニエンによるおっとりとした通訳が要った。それから首を傾げもした。大の戦士らが、方々駆け出すよりかは前だ。

「ジニーだったら、広場で見たよ?」

 決勝も直後、壇上からの景色だった。もちろんエマたちも、黒馬車も見えた。湧きに湧く人々、その向こう、外縁のひょんな小路地にて。遠方につき見誤ったとすれば、幅ぎりぎりの四頭立てを進入させて、荷台屋根から手を振り祝ってくれるのなど、ほかに誰だろう、想像つかない。 

「そりゃ、たしかにあたしさね!」

 ジニーの無事はすぐにわかった。四頭立ての黒馬車は、見落とす方が難しかったし、西門一行が広場へとすっ飛んでいくのに、巨牛を担いでいたのも一因だ。人々がみる。すわ次の祭りだとはやし立てる。さながら聖者の引っ担ぎ(御輿)に道が為る。ジニーの方もすぐに気がつく。再会もほど落ち着いて、彼女が語るところはこうだ。

「脚を悪くしたその子にね、もちろんお乗りなさいってあたしゃ言ったのさ。ちょいと稼ぎがあったばかりだったし、あんたたちならその何倍だって訳がないのを信じてたもの」

 ハウプトマンは涙をこらえて繰り返した。「ああ、まったくお巡り合わせに感謝だ!」

 通行料の負担を()()()()は申し出たそうだが、ジニーが受け入れることはなかった。ゼンの決勝を見届けたのち、待ち人を探すため人混みに消えたという。むしろの礼を伝える機会は、二度と訪れまい。

「町に入ってみたはいいけどさ、えらく混んでるし、ほとんどの道で馬車はとおせんぼだったからね。土地勘のある子で助かったよ。その後は知っての通りの大騒ぎ……でも結界陣ったら見応えだったね!おさまってからはこの子たちに――」"商隊"の馬たちを言っている。「任せてみたらどうだい、あんたったらどんどん遠ざかるみたいじゃないの!」ハウプトマンとの距離の次第で、黒馬車の魔法は強弱する。「それで悟った訳さ、あたしの今日は待つがいいってね!」

 ジニーのみならず門前の旅人すべてが"集団暴走(スタンピード)"を免れたというから、「祭日の門外に客置くべからず」なるしきたりを徹底した町兵たちにも頭が下がる。そう、死人はでなかった。

「よかったです、本当に……」

 神子と苦難のいわれからして、深く憂いたのはフランとて同様だ。すこし遅れて合流するのに、イトーとサルヴァトレスを伴なった。かたやで賞金を逃したゼンが晴れきらないでいると。

「ははぁ、俺様に感謝しやがれよ?」

 大金貨を指に滑らせて、器用な料理人サマは言うのだ。後から後から、どこからともなく数を増やし、あらためてみると、五枚もある。しかし寂しい(ふところ)こそが、サルヴァトレスには常であるからして。 

「スッたんですか?油断も隙もない……」イトーははやくも出処を察する。混乱に乗じて運営から掠めたのだ。

「人聞きの悪ィ!貰えるもンを頂戴したまでサ、あるべきものはあるべきところへ、ってェんだ!」

「……完遂されれば、左様だろうな」唸り声である。これにはサルヴァトレスも「ぐぅ……」とうめいた。純粋なまなざしのゼンが「すごいよサルヴァ!ありがとう!」追い打つのだから逃げ場がない。あるべきところへ、金貨はおさまることだろう。

 なんの訳もない、苦難もあってない、かくして"商隊"は何も失わず、望むすべてを得ようとしている。

「言っただろう、迷信さ」

「そうだな、まったくそうらしい」

 明日までが保証されることはない。それでもヴァンガードの主張に、ハウプトマンは今やご機嫌に頷くのだった。ケチをつけるには順調すぎる。取り引きも円満、ここに完了だ。

「まさか四頭立ての一輛(いちりょう)だけとはね!」

 商人何某は驚いてみせた。扱う品から推量するに、"商隊"が動かせる経済規模とは、実際の「商隊」顔負けでもおかしくない。

「あいにく下手の横好きでな、日々を凌ぐにも精一杯だ」

「いやはや、これだけ大所帯!回せてるだけ恐れ入るよ」

 商人何某の勘違いを、ハウプトマンはすぐに解せる。無理に(ただ)しはしなかった。妻はさておき、徒弟に参謀、五人の護衛――うち一人は少年の見習い――給金を出すにも、苦労しよう。など、いかに実態と異なるか、明かして惑わすこともない。

「さ、南の閉門には……まだ間に合いそうか。こちらはお暇するとしよう、明朝のごった返しは願い下げだ」

 町では宵の宴が開かれるから、商人何某の見込みは道理である。ただし。

「用心は平気か?"集団暴走(スタンピード)"にゃ余波がある。そっち護衛はひとりきりだろう」

「問題ない、ありゃバナガス・ハラムも負かすほどでね……何、知らない?」

 (さかい)を知らぬ"商隊"にとって、打てども響かぬ名前だった。さりとて大した剣士と知れよう、その用心棒氏の動向をすこし。危機を聞いては西門へ駆け、道中、急ぐハウプトマンにフランの面倒を任されていた。結界陣に参加した後は、少女をしっかり身内に届け、何食わぬ顔で商区に引き上げた。使いっ走りを厭わぬお人好しだ。のち、御者台で相方とふたりになっては大笑いした。

「伝え逃した?いーって、いーって!俺の名なんて!それなり強いだけなんだから、名無しの方が格好よかろ?」

「ふぅん、わからん主義を言うねぇ。ヘンに謙虚だよ、武人のくせに」

「俺じゃなくっても謙虚になるかも、あのしかめっ面の剣士を前にしちゃ」

「おいおい頼むぜ、人相なんかに一々びびってちゃアガったりだ」

「真名を知らんからそー言えるのよ。とうぜん、知らんのでしょ?」

「知る訳ない!」

「ありゃ、ヴィクトル・サンドバーンなんだわ。常勝無敗の断頭台」

「……まじかよ?」

 広くも狭い世界である、何某たちの先行きに幸あれ。"商隊"といえば、彼らの真逆を向いていた。当面は北だ。牛肉をばらし、積むものを積んで、諸々の手続きを済ませたのは、火ともし頃の閉門もまぎわだった。

 黒馬車の屋根にゼンはいる。ただいま町を出た。巨牛がまだうろつくかもしれない、しばらく行くうち、見張りの目は多い方がいい。とはいえ、危険があるならまだ先だから、閉門作業をぼんやり眺めている。すると閉じかけた門の口が、数騎の人馬を吐き出すのが見えた。急ぐらしい、それぞれ先を競うかだ。ほどなく脇を追い抜いていった。周辺域の安否確認を担う早馬だとは、あとで教わる。

 人影がひとつ、まだ残っていた。夕間暮れに浸かる北門に、遠巻きで、ぽつん、それでいてわかった――鐘のおじさんだ――むこうも見えているだろうか、ゼンは(チョキ)を掲げ、振ってみせた。

「ありがとう!」

 届いていないかもしれない。表情など、なおわかるはずもないが、微笑んでいる、ような気がした。勝利まで伝わったらいい。

「どうしたんだい?」昼番席からヴァンガードが覗く。

「何度も見かけたのに、言えてなくって。でも、まにあったと思う!」

「そいつは気分がよかったね」

「うん!」

 "境"の門が、そして閉じ切った。


 ◆


 偽ることなくこれを記す。さなかの国。"写し鏡の土地"として仮初めの繁栄を享受する、ちぐはぐな国だった。恵まれた自然、温暖な気候、神に庇護された天地……その国に住む人々は実際、拠り所とする神々が、どんな姿をしているか知らない。

 "神在りし土地"に神子在りし。神無き土地にも神子は生まれるが、その数とはまったく比にならない。聖国はだから目を光らせる。弧大陸もさなかにして、"神在りし土地"の最東端を、(せかい)の裏側からだろうと支援する。その名産とは、絶滅危惧種の神子そして、守手に足り得る戦士であるのだから、まこと条理にかなっている。

 風習に含意される真実は、彼等の神の御姿と同様に、知られていない。知ろうともされない。従順にそれを守って生きることで、また守られる何かがある限り、歴史は繰り返されるのだろう。終わるとすれば、私の責任だ。

 あの日、イトーは見たらしい。澄み渡る空に輝く太陽、翳りを生むは稀なる翼影……つまり見られていた、ということにもなる。  

 すこぶる順調な旅路だった。直近に訪れる災難というのも、巨牛の肉の噛み応えにやられて、顎をだるくするくらいのもので。(名誉のために付言する。隊のために手を尽くしてくれた料理人は、稀に見るほどの腕利きでも、最先端の厨房をついぞもたなかったのだ)

 気味が悪いほど順調だった。大人たちは不安を見せまじと努めていた。単なる自信や楽観で片付けるのに、あまりにも深刻な事態が、幾度と迫ってもそうだった。短期間で二度も遭遇した"集団暴走(スタンピード)"は、そのはしりである。どちらも西方に由来していた。まさに行く先だ。

 徹底された心配りがあった。たしかに覚悟した善人たちは、特別な支え合いのもと、西の最果てを目指し続けた。

 "境"を越えたのは、旅立ちおよそひと月頃である。私は憂慮する。脚色なく、委細この先を知り尽くしても、善人だけが乗る馬車だったと、あなたは認めてくれるだろうか。


「儀式は神話の親になれても、神話の子となることはできない」――『金枝篇』ちくま文芸文庫 J.G.フレイザー 著 吉川 信 翻訳 



本話の劇中歌「帰り火」のデモ版を製作、Sound Cloudにて公開中です。

https://soundcloud.com/kokubyo/im-here-kaeribi-demo?si=fbbfab7dd2d24da3a362c32caec1aeee&utm_source=clipboard&utm_medium=text&utm_campaign=social_sharing

(24/8/17)

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