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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:さなかの国
13/100

13.さなかの町


 ふさふさの()っぽと耳をつい、目で追った。

「領主のお屋敷ぃ~?大通りはわかるかなぁ?道なりにず~っと北へ行ったらね、分かれ道があるの。左に坂がみえるから――」

 食堂の女性給仕だ。"獣の徴"を持っている。ヤマネコの耳と人の耳、両方あるから"四つ耳"で、あるいは大男が曰く。

『"二分咲き"なんて呼ばれるね。近頃じゃ、そっちのが好まれる』

『二分咲き、ですか?お花さんみたいに?』

『まさしく!咲き具合になぞらえるのさ。"獣の徴"がもっと濃くて、人の耳のない"耳なし"なら"五分咲きの亜人"、"獣頭"なら"満開の亜人"なんてな』

『よつみみって、呼んだらいけないの?』

『いけなかないが……避けた方が賢明なんだ。侮蔑をこめる奴らのせいさ。でなくとも、()()によっちゃ悪しざまになる。ややこい言い方になるけどね。比べちゃ、花が咲くのはいつだっていい。麗しくて、良い印象だろう?獣の徴は悪いモンじゃない、なら相応しい表現になおそうって、思いついた人らがいるのさ』

『たしかに、お花さんはいつも素敵です!』

『でもね、そしたら今度は"亜人"も良くない、ってな言われ出して、結構キリがないんだ。徴をもたない"只人"基準じゃ横柄だからってさ。"小人(フロン)"や"巨人(ジャイ)"も亜人だが、今じゃもっぱら亜人とは呼ばれない』

『ふぅん……ほんとは悪いと思ってるみたい』

『ん……』

『かっこう良い動物はたくさんいるよ。からだが大っきいのだって、つよそうだ。ほんとになおさなくちゃいけないのは、ずっと、呼び方じゃなくて、呼ぶ人……ちがう?』

『……思いだしたよ、友達が言ってた。只人が勝手に言うだけだって。少年は間違っちゃない。()()()を持たすのが結局、悪いんだ』

 目の色、髪の色、肌の色、当代だれもとやかく言わずに、亜人の徴を悪く言う。新たな呼び方も、すぐ廃れるかもしれない。ヴァンガードは取りおいて、いまの()の常を授けたのだった。

 丁寧な道案内だった。給仕のことである。徴を言うなら、"二分咲き"がまるい。もっとも、少年少女がとくに気にしたのは、呼び方どうこう大人の都合より、ぴんぴん動く獣の耳と、ゆらゆら動く尾っぽであったが。

 あんまり夢中で聞き逃しても、さいど案内してくれる。すなおな好奇心たちを、彼女も面白がっていたのかもしれない。

「まいどぉ~」

 広場から領主の館まで、一時間と半ほどかかるそうだ。

 時計の木と出くわすたびに、フランが長短の針を読んだ。これくらい経ったから、あとどれくらいでしょう。陽の傾きが全てのゼンには、ずいぶん便利な技と思えた。町はまだ目新しさをたもっていたから、道中、話題には事欠かなかった。

 して、だいぶ早い到着となろうか。領主の館も、門前である。

 先へ進ませてもらえない。

「神子と守手だぁ?なぁ、絵本の読み過ぎだぜ嬢ちゃんたち」

 館は、鉄門もまたずうっと奥の、見えないところにあるそうで、阻むのは門番二人組だ。けらけら笑うのは()かさのほう。"聖巡礼"を()()()()()と捉えていて、まるで取り合おうとしない。若い方は根が親切らしく、大笑いこそせずにいて。

「こんな立派なお馬を連れだして、親父さんに怒られるぞ」

「お父さんは神殿聖国にいるんだ。エマが一緒でも怒らないよ」

「ぶるるる!」

「聖国なんてよく知ってるね!坊や」

「馬鹿お前、本で読んだんだよ」

 あわせてこんな調子である。本物の神子がどれほど訴えても、燃えさしに火だ。掟に、巡礼に、信じてもらえない。年かさが腹をかかえて笑う間に、陽も傾きだしている。空の色もじき変わるだろう。

「どうしようね、フラン」

 もはや時間の無駄だと、ゼンは思っている。自分たちだけで行ってしまおう――フランに言いたかった。

 西へ。

 向かえば良いらしい。フラン、ヴァンガード、そして門兵にかいつまんで聞いて、ゼンは見定めた。神殿聖国に行くなら、西だ。

 しめたものである。十分だ。向きさえ決まればどれほどだろうと、前へと進むだけなのだから。

「そ、そうですね……」

 フランは鼻で笑われようとも、言いつけの順守を考えている。領主に会えと授かったのは確かだ。話を聞いてもらえないのも、また確かだが。いくらか迷って、やっと決断する。

「では――」と。ついに取り払うのは、なじんだ頭巾と髪留めであった。火の色をした輝きが、あらわになる。「これでどうでしょうか?神子の徴というのは、特別だそうです」

 黒髪とかけ離れた異色を前に、門番ふたりは、一瞬、かたまった。顔を見合わせ、しかるのち。

「ぶぁわはっは!手ぇが込んでるね!お嬢ちゃん!」

 膝を叩いて大笑い。やはりと言うか、年かさの方だ。

「んな上等な髪染め!いったいどこで用意したんだい!えぇ?でもよ、せーっかく染めるんだったら、ぜんぶ染めちまったら良かったんじゃないかい?そっちの方が迫力あるだろう!」

「う、この髪の色は生まれつきですっ!」

 "神子の徴"を見たならば人は、神子が「神子だ」と気がつくという。遅かれ早かれ、多かれ少なかれ。ただ、ニブちんなのも、たまにいる。

「なっはっは、なぁお前、どう思うよ?こいつぁすさまじく傑作だな?」

 年かさは投げかけて、されど、若いのはちっとも笑っていない。

「や、やぁ。どうでしょう、ね。これは、ほ、本当に、ほんものの神子、なのでは?彼女自身もそう、言ってますし……」

「おお!お前はそう思うか!そんでどうする大変だよなぁ、領主さまに会わせてやろうか!」

「ええ!それが良いかと思われますっ。ただちに取り次ぎましょう!」

「そうだな、それがいいだろう!うん。なぁんて……まぁよ、念のため聞いとくが、冗談だよな?」

「い、いえっ、自分はまったく本気です」

「はははは……はぁ?馬鹿が!お前っちょっとこっち来い!」

 よほど気に食わなかったらしい。怖い顔をして年かさは、若い方の首根をがっしり肘で捕まえる。門脇にある小扉を蹴りあけ、ずけずけ奥へと引っ込んだ。

 門前に残されているのが、神子と守手と一頭だ。

「い、行っちゃいましたね……中には入れていただけるんでしょうか?」

「……どうだろうね。あ、声が聞こえるかもよ――」

 耳利きが耳を澄ましたら、見つかる音がいくらもあった。奥の詰め所の中からだ。くぐもって全部は知れないが、怒鳴る部分は筒抜けだった。ゼンはわかるだけ、フランに伝えた。

「えっとね……

 『お前なぁ、ガキのいうことなんざ、ほんきに思ってんじゃねぇよ、なんねん門番やってんだ』

 『でも』……ちいさくて聞こえない。

 『てきとうにあそんどきゃいいんだよ!なにまに受けたつらしてんだ!?俺をばかにしてんのかがきの前でよっ』

 『そんな』……『と思って』

 『てめぇ、そー言うのはいくらでもかってだけどな、だからって――』早口でよくわかんないや。

 若い方が何か言ってる『知りませんよ!?』だけ……。

 『んなことあるわけねぇだろが、もし』……『俺にはじかかせる気か!?』

 『そんな……』あっ!」

「なっ、なんですか?」

「や、なんでもない」

 どちらかがどちらかをぶったのを、ゼンはひとまず黙っておいた。

「出てくるみたい。でもひとりだけだね」

 扉をくぐるのは、年かさだった。息が荒くて、どこも痛んでなさそうだから、おそらく、ぶった方なのだろう。顔をあげると、ぎょっとして見せる。

「な、なんだ!まだいたのか!さぁもう今日は帰った帰った。じき陽も暮れる、ままごとは終いだよ!」

「ん。フラン、もう行こう。暗くなる前に、ねる場所を探さないと」

「は、はい……」

「まーったく芝居が込んでるね」

 領主に会うのは無理そうだ。一連を経て、さすがのフランもさとってしまう。大人しくゼンに従った。

 来た坂を一行は引き返す。しょぼくれた旅の連れを横目にゼンは、次どうするべきかを考えている――時間をとられちゃったな。夜はどこで過ごそう?宿ってところを、ヴァンには聞いたけど。

 お金を使えば、屋根を得られる仕組みらしい。すると、宿の場所とはどこであろう。町でわからないことは衛兵に訊けと、食堂の給仕にも教わっている。大通りに戻ったら、鉄帽を探すべきだ。

 石畳に、長い長い坂だった。行きも帰りもすれ違う人はなし。あといかほどかで、みたび大通りを望もうか、そんな折。何者かがうしろを駆け下りてくる。

 はやくもゼンは勘付いた。背中に視線を受けている。どうも鋭く、必死さがあった。ただ道急ぐだけの人ならともかく、スリとかひったくりとか、小さな悪者の話も、大男に聞いた後だ。エマの背から銅剣――なれた方――を引き抜いている。

 振り向けば。

 抜く必要はなかったと、すぐに気がつけた。遠目に走り寄るのは、鉄帽ゆえ。

「おっ、おい。おーいっ!待ってくれ!」

 しかもさっきの門番だ。若い方で、顔を腫らしている。待て、というので、少し待ってやる。

「はぁ、はぁ、やぁ、刃を、おさめてくれないか。抜き身は、警らに捕まるよ」

「ああ、うん」 

 そんな話も聞いたのだった。お縄はたまらないので、ゼンは武器を収める。思いがけずに喜んだのはフランだ。

「門番さん!もしかして、領主さんに会わせていただけるんですか?」

「い、いや、ふぅ、残念だけど、それは僕には難しかった……でもね、はぁ、とりあえず、ちょっと――あそこで一休みしないかい」

 若い門番は膝に手をつき、息を整えて、鉄帽の下を拭ったら、大通りの一角を指さした。坂のきわにある、巡回兵の休憩小屋だ。夕焼けがかった今の時分なら、無人だからと案内された。

 まぐさをエマにふるまってもらう。馬留めの作法を、くわしく教わる。結べなくとも、見張りをつけること。馬泥棒が町には多いそう。ゼンはハッとした――三人組は知ってたんだ……。エマは強くっても、たづなをとられると弱いって。

「ありがとう。このために走って来てくれたの?」

「やぁ、まぁなんというかな、神子のお嬢さんの一行を、ただ見送るだけというのはね……」

 彼はフランを"神子"と信じていた。小屋に入る。差し込む夕陽に、むかいあった長椅子が赤い。「先輩」の話を、門番はした。

 それが名とばかり思えたほどだ。若いのは何度も「先輩」を言った。さきの夏かさとは、また別の町兵で、おどろくべきかな、火の神の村の出だそうだ。

 夏が何度か巡るうち、国へ働きに出す、二番の戦士の誰かだろう。少年少女は正体を知れなかったがともかく、若いのはもっと新()の頃、世話になるうち「先輩」と打ち解けて、村の話を聞かされたという。

「物静かな人だったけれど、誰より強くて頼りになった。今でも町にいてくれたらなぁ……」

 "火の神の村"を知る人間がほかにいないを、若いのは悔やんだ。巡礼を、彼が信じても、兵士としての(くらい)が低くて、門番長――夏かさだ――にはかなわない。ならばせめてと、走ってくれた。たずさえるのが、旅の心得だ。

 はじめに掲示板を言った。この町では、広場の酒場の前にある。()()の集う場所であって、ゆく町々にもあるはずだから、いつでも気にかけるべきなのだと。

「駅馬車の時間だって書いてある。酒場の集まりに訊ねるのも手だ、いい寄合馬車が見つかるかもしれない。運があるのを祈ってる」 

 西へ向かうなら、いずれ"さなかの国"を出る。出れば"統べ手なき土地"があり、更に過ぎれば"エウロピア公国"があるという。

「弧大陸から聖国を目指すなら、必ず寄るのがドラッドネルトの港町だ。西の果て、とか言われてる。もちろん、俺は聞くだけさ」

 西の果てまで至ったら、"海"を渡らなければならない。誰も泳ぎでは渡れない、大きな大きな水たまりだ。いかにして渡るかはさておき。

「港町まで、僕たちだけで行けないかな?」

 何の気なしに、ゼンは訊ねた。聞くふしぶしには、つねに誰かの――ふたりと一頭以上の、影があったからだ。門番は、とんでもない!とかぶりを振って。

「危険がすぎる!面倒でも、先々で馬車を乗り継ぐべきだ。時には東へ逆戻りしたって、かならず誰かと一緒にね。守手の君を侮るわけじゃない。けど、たった二人で道を行って、どちらか体を悪くしたらどうする?夜の見張りだって、とてももたないぞ」

 摘み逃した実につむじを(目から鱗だ)打たれた。ゼンはさまざま思い浮かべる。日に一度だけの"治癒の神秘"。遭ったオオカミ、人攫い。数えきれないほどの(つるぎ)に、銃。戦士長より大きな戦士――この先、フランとふたりで、まにあうだろうか。"一条"だけでも、()()()()()のに?

「そうとも」門番は言った。「旅には、()()が欠かせないんだ」 

 ゼンは考えをあらためる。父親のもとへ急くばかり、日の出も見ずに町を出る気でいた。いけない。気がつかせてくれた門番には、ふかく礼を言った。

「やぁ、こんなことばっかり。すこしでも恩を返せたならいいけど」

 巡礼の一行は、背を見送られて大通りを下った。宿というのは金さえあれば、遅くとも泊めてくれるらしいから、ひとまず広場に戻って、掲示板を探すつもりである。

 すぐ見つかった。聞いた通りに酒場の前だ。

 焼けた空が、なかばの夜闇と攻防している。近く敗れるだろうに、不安はすくない。円形の広場に煌々と輝きだすのは、王国製の街灯だ。篝火よりちいさな灯であるはずが、月よりも濃い白光をくれる。掲示板を読むのに、フランも困らなかった。

「どう、わかりそう?」

「ううん、知っている字と、知らない字が混ざってます。すぐには難しいかも……数字はだいぶつかめそうですが」

「そう……門番は言ってたよね?酒場の人にも聞いたらいいって」

 西行きの馬車を探すのだ。

「でしたら、私はこのままここで」

 フランは足が悪いまま、エマの背がすっかり居所である。昼飯時にはヴァンガードがひょいと抱えてくれたが、ちょっとした乗り降りも危なっかしい。馬泥棒を門兵は言ったのだし、見張りをかねれば具合がよかった。

「治癒の神秘にも備えておきます」

 今さらながら大事、あまり古傷は治せないという。一日前後がいっぱいで、ちょうどこの暮れでぎりぎりだ。

「まにあうといいな。ぜんぶ治せなくても使ってね」

「ええ」

「じゃ、行ってくる」

 酒場の回動扉(スイングドア)を、ゼンは押しのけた。


「うっ……」

 臭気。これが厳しかった。満ち満ちている、ぬるいにおい。種類があまりに多すぎた。獣の糞尿の方がよほど潔い。なにがなんだかわからずに、気分が悪くなってくる。食堂の仲間だそうに、食欲によいとは思えない。

 汗臭い。焦げ臭い。あぶら臭い。もくもく()()()が煙臭い。酸っぱい、甘い、香ばしい、ツン!鼻を刺すのはなんであろう――酒精だ。人が飲んでも平気なのかな。泡を見てゼンは心配になった。

 くさい。しかし何事も慣れだ。慣らさねば。もとい、鼻をおさえるのに、手が足らなかった。

 両耳をふさいでいる。

 やかましすぎた。にぎわいや凄まじい。外からだって察せはして、踏み入ったなら卒倒ものだ。

 カチャカチャカチャ!と食器がつんざく。野太い笑いにどつかれる。どなられた、ただの注文だ。人はつどえば、これほどうるさい。

 何事も慣れだ。これにも慣らさねば。ふさいだ耳を、じょじょに開いた。不意の大音量に、何度も肩をすくませた。

 しばらく。

 落ち着きを得たら、手近な席へ近寄ってみる。

 広がるのは橙の薄灯り。こぼれた汁や食べくずで、足をすべらさぬように用心。

 肩を叩いてみる、酒をあおっている只人だ。

 あのう――と、だしてみた声は、思ったよりもはるかに小さい。


 神殿聖国に……。

 んえー?あんだってー!?

 神殿聖国に!行きたいんだ!

 巡礼にゃ興味ねぇよ!


 次。

 こぶとりの四つ耳。


 西へ向かう馬車を探してるー!

 うちな東だ!ほかあ当たんな!


 次。

 がっしりとした只人。


 あの!ちょっと聞きたいんだけど!

 《何?すまんが公用語でたのむ》

 あっ、ごめん、なんでもない!


 次。

 子どもと思いきや、小人であった。


 西へ向かう馬車を知らない!?

 耳元で叫ぶなよ!んーなにでかけりゃ聞こえてる!

 西に行きたいんだ。

 おもてはみたのかよー?

 掲示板のこと!?……いちおう!

 ああん……?そうだ、あれに聞いてみろ。この辺のことにゃ詳しいぜ。


 小人の指さしを目で追うと、カウンターの端を陣取る二人組がいる。 

「ありがとう!」

 ゼンは伝えて、早速向かった。


 おい、いいのかよ。

 ああ、俺あ正直者だからな。

 けど連中、《暴利》だろ?

 嘘は言ってねぇーよ。ま、分け前あったら奢ってやる。

 ははは、おーい、もう一杯!


 背後の小人が相席と笑った。喧騒のさなかでも、ゼンはもちろん聞き逃さない。ただ言葉の意味だけわからない。

 カウンターにて声をかけてみる。この辺に詳しい、と指さされたのは"満開"だ。獣人なりに、なんだかよくわからない、という(つら)を見せたのち「まあとりあえず座れや」と隣席をうながす。

 ――なんて動物だろう?

 ゼンは思った。"満開"にして"獣頭"は、御許でみない徴だった。黒いはだ、ほそながのおもて。やけに長い舌で、ちろちろ酒を舐めている。

 右手に舌を観察しながら、ゼンは「よっ」と跳んで腰かける。座りをよじるちょっとした間に、こんどは左が気になった。二人組とは別である。

 ――女の人だ……。

 この酒場ではめずらしい。目深い頭巾で顔だちは隠れるが、からだつき、仕草、花の香でわかった。

「んでぇー、西行きの馬車を探してるって?」

 右手が本題だった。

「そうなんだ。ほんとうは、ドラッドネルトの港町まで行きたいんだけど」

「おいおい、そりゃあずいぶん遠出だな!」

 ひとつ奥にいる只人だ。欠けた歯でにやり、覗き込む。

「面白そうだぁ、くわしく聞かせてみなって!」

 もろもろの教えを顧みて、自分の目的だけを、ゼンは話した。父親に会いに行きたい。

「"神殿聳えし聖なる国"たぁ、いいお心がけだねー!えぇ?」

「ああ、たいした信仰さぁ。親父さん、熱心な神殿教徒だったのかい」

 わかるようで、よくわからない。うまく答えられずいても、二人組は愉快そうにして構わない。話を続けている。

「なぁ、神殿聖国っていやぁ、歩いてったら十年はかかるなぁ?」

「いーや、十年で済んだら安いもんさ!馬車には絶対乗らなきゃな」

「十年……?」

「ああ、夏が十回は過ぎるってぇこった!」

 衝撃だ。ゼンはおもわず仰け反った――夏が、十回?

 父親が去り、母親がなくなり、三度の冬をひとりで越した。信じられないほど長かった。痛んで、寒くて、なお長かった。成人のときを思って、気が遠くなった。

 それでさえ、あと五回の夏だ。

 頭の中で、ゼンは指折る。十は、五よりもずっと多いはず。なにせ――両手の数になっちゃった!

「たいへんだ……!」

「ああそうだよな、わかるぜ」

「だから馬車を探してるんだろー?」

「あ、うん!そうだね……馬車に、乗ったらどれくらいかかるのかな?」

 男たちはきょとん、顔を見合わせる。まるで勘定を知らない子どもの面だ。

「おい、どんくらいになるんだよ?」

「おお?そりゃあ、俺にゃわかってるぜ!だけどな、ここまでいったらよ?やーっぱり何か足りないよなぁ!?」

「おっと、そうだな!そうだとも!あれを出してもらわなくちゃなぁ?」

 げらげら笑いにかたやゼン、ふとした考え事である。


 神殿聖国まで、歩けば十夏。これが事実なら。

 ――手紙……。お父さんからの手紙は、どういうこと?

 神殿聖国から火の神の村へ、きっかけの手紙は届いたのだ。朝を数えて三つ前。父親が去って、三度の冬だ。

 ――お父さんはとっくに聖国にいて……しかも手紙が村まで届いた?

 歩いて十夏の間を、いったい、どうして行き来したのだろう。

 いちばん素早い馬を駆って、どうにかして海をも越えて、聖国についてすぐ、手紙を出したなら、三度の夏でも間に合うだろうか。


「よぉ!」

 只人がやかましかった。難しい数えがままならないので、ゼンは続きを諦める。何やら求められているらしい。

「あれだ、わかるか?」

「あれ……?あれって、なに?」

 きょとん、今度はゼンの番だ。すると「これだよ、これ」と獣人なりの、にやり、がある。毛深い指が輪っかをつくる。

「旅じゃあ、いつ何時(なんどき)入用になるかわからんもんさ!聖国まで行くってんだ、いくら()()な格好してたってよ、すこぉしは腰に下げてんだろう?」

「ああ……」

 ゼンには何かとすぐにわかった。まさに教わった通りであった。懐を探り、あれ、を取り出す。信用が高いと、聞いている。

「これのこと?」

「お、おお!」

「《エウロピア大金貨じゃあねぇーか!?》」

 男どもは顎をふたえにした。只人ともども、鼻を伸ばしている。四つのまなこが、ぎらぎら輝く。

「これをどうするの?」

「へへっ、わかってんだろう?俺達が何か教えるってことぁ、対価ってやつをもらわなくっちゃなぁ?」

「ああ、それはそうだね……」

 対価。ゼンはよく知っていた。施しというのが嫌いだった。贈り物だって学んだが、「(自分)」もよく言った。返せないものを、もらうのは苦しい。

「俺達の情報はぁ、質が良けりゃその分、ちょーおっとばかり値が張るぜ?そうだよなぁ」

「そうさ、そうとも!だから先払いだ!先払い!返品不可の先払い、機会は今夜のこのとき限り!」

「値段?はどれくらいになるの?」

「まさに!ちょうどよ、まけてやってぇ、その金貨で一枚こっきり!」

「ん……」

 視線に聡いゼンだった。意図まで汲めるのは、ときどきだ。

 べとっ、とまさに。

 心地よくなかった。敵意に似ていた。だから観察する。前のめり。あがる口角。ほそめた目。つばの泡立つ欠けた前歯。


 ――いけない気がする……。


 しかし迷いがためだ、隙をゆるした。

「西行きの駅馬車なら町端でみつかるぜ!七時と十時の二本は遠出、昼よりあとのは隣町までだ。個人の馬車ってぇなら、おあいにくさま今日は品切れ。聖国までは馬車に乗りゃそうだなぁ~半分の五年ばかしでつくんじゃなかろか!どうだあ、とっておきだろう?」

 まくし立てたのは獣頭だ。金貨はまだ、渡していない。

「おやおや、お代金がまだじゃあないか!?」

「おおっと、しまった!先払いの約束だったけどな?教えちまったら戻せねぇ、もらいっ!」

「あっ……」

 やろうと思えば隠せたが、ゼンは甘んじて渡してしまう。いちおう、教えはしてくれたのだ。施しというのが嫌いだった。

「《店主、一番高い酒をくれ!》坊主も飲むかい?ながぁい旅出の無事を祝って、一杯奢ってやってもいいぜ?」

「がっはっは」 

 硬貨をはじく長い鼻。やらしい笑いを響かす只人。視線の意図がもうわからなくたって、ゼンは居心地がわるくなった。

「……いや、僕はいいよ。それじゃあ」

 忘れたい思い出が、増えた気がする。逃れるよう、高めの席からたっと降りる。去り際に。

「のぅ、そこな《ありくい》」

「ん?なんだあ、俺か?」

 左が右手へ声をかけた。つまり女性が、獣頭に言ったのだ。

 あらためて見る。顔かたちが、ちょうどわからない。頬を被った外套の雨除けが、とくに目線を隠している。肘をつくから、きゃしゃな手首がのぞく。鼻長をさす指はたおやかだ。透きとおった声が、やはり女性だと確信させて――もう用のないところだ――ゼンは振り向くのをやめた。

 一杯、奢ってもらう気かもしれない。

 行こうとしたとも。


『お待ちよ、(わらべ)や』


 酒場がしずまりかえって思えた。凛とした()に、ゼンは射られた。行こうとしたとも、構わずに。

 からだがまったく動かない。

 首筋を、ぴぃん、と糸で引かれている。酒と油にぬれた床から、足がどうしても離れない。


 ――これって。


 "見知らぬ森"に、そっくりだった。行ってはならない。戻れ、戻れ。

 したがうべきだ。ゼンは直感した。しかし、あとになってもわからない。ほんとうに、自分の意志でそうしただろうか?

 振り向くまでが、戦士の時間の出来事だった。

「うむ」

 頷いても、被りは深いままである。二人組に、女性は向き直った。

『正直に言うがええ、男ども』

 ついた肘のまま、指先をゆらゆらおどらせる。五つの爪が(くう)を撫でる。何かを手繰り寄せるかのようだ。なにも見えないはず。なにも匂わないはず。糸か煙か、引かれておもえた。

「な、なんだぁおめぇ」「何をだよ……」

『《ありくい》、おぬし《でたらめ》じゃな?聖国まで馬車で五年というのは』

「んん、ああ、そうさぉ。ただのその場の思いつきだ……」

『ではおぬし、聖国の何を知っておる?』

「やぁ、俺あ、聖国なんて、噂でしか聞いたこたねぇ……物好きの行く場所だろう?さして興味ねぇよ……」

『只人、おぬしは?』

「俺も似たようなもんだぁ……」

『ふん、じゃろうてな。して、おぬしらが童にくれてやった話は、エウロピア金貨に値するか?』

「やあ、しないね」「するわけねぇ、ぜんぶ、おもてに書いてある……」

『ほかに有益な知恵を授けられるか?金貨一枚に相当する、なにかを隠し立ててはおらぬか?』

「どうだろうなぁ、ない、と思うぜ」「ないだろうなぁ……」

『なれば、つける文句もなかろうて。あるべきものは、あるべきところへ……そうじゃろう?』

 女性がちらり、こちらを見た気がした。目線は被りに隠されていた。

『話は終いじゃ。《己が薄汚れた詐欺師と思うなら、金貨を置いて酒場から出てゆけ》』

「おお……そうだな……」「ああ……これ、お勘定」

 二人組は、とぼとぼ酒場を出て行った。四つのまなこが、うつろだった。

 支払いとはべつに、一枚のエウロピア金貨が、カウンター上で輝いている。

 ゼンは、あっけにとられていた。ぼうっと過ぎてしまっては、すべて夢かと思われた。


「ほれ、童よ」


 きんっ!と弾かれた。金貨であった。ゼンは胸元でつかまえる。

「え、あ……ありがとう?で、でも……あれ?」

「おぬし、西行きを探しておるのか?」

「あ……うん、そうだよ」

 女性が向き合った。脚を組みなおしている。目線は、どこまでも隠れていた。薄い唇がほほえんで、黄金色の髪房がこぼれる――黄金色の。そんなたとえをどこで覚えたか、ゼンはとっさに思い出せない。

「すれば、今晩は"目抜き"を東へ向かうのがよかろうな。すこし歩くが、潰れた酒場が見つかるはずじゃ」

「東……?行きたいのは西だよ」

「まぁそう急くな。ときには逆戻りも要ると、誰だか言っておらんじゃったか」

「ん……そうだね、でも、あれ?」誰が言った?若い門番だ。

「ときにおぬし、文字はもう読めるかの」

「え、いや、読めないんだ……」

「そうかえ、では東にずっと進んだらな?狼の尾のかたちに、小石をちりばめた模様の板……看板をしるしに探すがよい」

「狼の尾?」

「そうじゃ、探しものが見つかるやも知らんぞえ。もっとも、"明かりが(とも)るか灯らぬか"……どうなるかは()()()次第じゃ」

「そ、そうなんだ……」

 戸惑いだ。ゼンには戸惑いがあって。

 はたしてこの行いに、どれほどの価値があるのかも、ついぞ知れないが。本心だったと言い切れる。


「これ、あなたにあげるよ」


 ゼンは女性につきだした。投げて返された金貨である。

 外套と黄金の髪房が、傾げる首にあわせて揺れた。たおやかな指は伸びてこない。

「ええんか?望みのものが手に入ると、決まったわけじゃあなかろうに。聞けば、おぬしは旅のまさに()()()、何かと金が入用じゃ。くらべて、わしは困っとらん。それでもか?」

「対価だ。返せないものは、うけとらない」

「くふふ。このたまさかの行いで、困ったことになるやもしれんぞ?」

「そのときは、そのときだ。それに――」

 ゼンはためらった――フランをどう呼ぶべきなのだろう。仲間、友達。意味を知るばかり、これまで持たないものだった。旅の連れ、など便利な呼び方も、教わってついぞ浮かばずにいた。

「それに……ここにはないけど、もう一枚あるから」

「そうかえ?さらば童の言う通り、おとなしく貰うとしようかのう……」

 やわらかそうな指先が、硬貨をそっと包みこんだ。渡るべくして渡ったのだ。ゼンは先より、ずっと気分がよかった。

「じゃあ、僕は行くね」

「うむ、達者でな」

 これは記念にとっておこうかの。喧騒を出る間際だった。背中に凛と、つぶやきだ。思わず見返す。遠くでひらひら、たおやかが揺らされている。"糸と煙の踊り"とはちがって見えた。

 回転扉を、ゼンは勢いよく押しのけた。


 夜闇の色に濃い空がある。されど、とあらがう、強い瞬きが街灯だ。風が吹く。まとわりついていた臭気を押し流してくれる。土の中から這い出た気分だ。雨季をのがれた山のもぐらに、こんな気持ちかと聞いてみたい。

「ゼン!どうでした!」

「あっ」

 ひといきつく間に、フランの方から気がついた。それも石畳に立っている。治癒の神秘が間に合ったのだ。

「使えって、ゼンも言ってくれたので……」

「よかった!はやいだけ、たくさん使えるもの」

「それもそうですね!」

 ところで。

 フランには、ずっと隠し事があった。恥ずかしさから言わないでいる。

 じんじんひりひり、内股が痛い。慣れない跨り通しのためだ。足首を治すのに集中したから、半端な"治癒"しかできていない。

 もしもだ、ゼンに言ってしまえば、ていねいに軟膏を塗ってくれるだろう。やはり恥ずかしい。言わないでいる。

「どうだった?掲示板は」

「ええとですね、西門から馬車が出るそうですよ。時間は、はじめふたつが……」

「七時と十時?」

「そうです!それで、お昼からのは……」

「隣町まで?」

「そうです!なぁんだ」

 ふたりでわらう。ゼンはつかんだ手がかりを言った。東にどうやら、西行きがある。

「すこし歩くみたいだけど、行けそう?」

「行けます!行きましょう!」

 そこだけ確かめ、宿を探す。なせるだけフランは我慢強い。

 東へ、巡礼の一行は向かう。昨夜であれば濡れ薪をくべたが、町はずっと明るかった。もうひと試み許してくれた。

「……なんて呼んだらよかったのかな」

 行きながら、酒場のできごとをゼンは語った。

「ともだちも、なかまも、意味は知ってるけど、いたことないから」

 寂しげにうつむくものだから、フランは色々こみ上げる。なにもかも構わず、抱きしめた。

「と、友達で、仲間です!旅の、仲間です」

「あ、あぶないよフラン……」

 しばし、ふたりはそのままでいた。フランに抱きしめられるのが、ゼンは好きだった。はじめてできた人間の友達の、涙をちょっとふいてやり、やはりその後は東へ向かった。

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