101.水の都
窓枠の溶けた爽快な青空を、おおきな鳩たちがゆき去った。一本おとなりの町並みとをへだてている、並木路の頭はまだ真緑だ。
落ちつきはらった階であった。天窓に陽を求める客は、時節柄かわずかばかりにしかいない。落ちる光線は長机のおもてをあたたかくはねて、遠慮がちな黄色でそれを照らしている。
新聞だ。
六割がたがアメイジア語で、発行日は真新しい。活字と手書きがまじっており、むかいからでも見出しが読めた。時疫にあてられた権力者の死。幸運な少女のお告げによって、辺境の村が魔物の襲撃を免れた美談。よく知ったような騎士の凱旋、役職についた元傭兵の名前。
それらを不意にたたみかけて、ひょいと首だけのぞいたゼン。
「ごめん、待たせてた」
ごわごわとした混合紙で、うまくしまうのに彼でもちょっと苦労する。ひろげる姿はさまになっていた。対訳を指導していたイトーは、『これですよこれ、父親像の固着記号は』と席を去り際ささやいたのだった。思い出し笑いのために、フランの口調はからかいめいてしまう。
「もうすうっかり会得しましたか?」この領の言葉のことである。
「まさか、読むだけでまだ三日はかかるよ」ゼンはなんでもないふうだ。「今夜は辞書を覚えないと……」
王立学術院出版のテキストだけでは不満らしい。
垢のしみこんだ手すりがなめらかな階段をくだる。過ぎる二階の端々から多少きこえてくるのは、調子っぱずれの歌ではなくて、建設的な談義のようである。一階広間は輪をかけて空いている、かと思えば、かたはしで異様な団子ができていた。うぉー……と漏れ出るのは一塊の感嘆詞。
「エルドレイン相手に恐れ知らずだね……!」
机をかこんでみな前のめり、しずかな熱気があった。商い人が多かろう。よくみればサルヴァトレスが混じっている。首をもたげてふと気がつくので、たがいに顎で挨拶をした。出店の抽選があるとか聞いている。
かたや一面の掲示物には「あなたを忘れない」の追悼文。人さらいの人相書きと脅し文句――見ているぞ、何某!――それから、ちんぴら騎士にご用心の風刺画。「けがれた聖職者」くらい矛盾した概念ながら、あいにくお目にかかって新しい。
「どうもありがとう」
新聞返却棚そばの窓口係はゼンに気がつくと、「あい、どうもねん」と訛った返事をしてくれた。ふさふさした熊耳の巨漢であった。頭上すれすれに「本日の食堂・各窓口営業、午後三時まで」の木札が垂れている。
おもての通りへ繰り出ると、見上げるはざまに高い空。
夏が帰ってきたのかと思う。落葉のぶあつくたまるダンコヨーテ北方森林は、金や茶色の秋の世界であったのに、ここ"無二の水瓶"ときたら。
「こんな陽気なら、もう少しゆっくりできたんじゃ」
フランもまったくそう思う――口に出すより先に、そこを退かねばならなかった。背後から、剣と荷を帯びた郵便配達夫たちがぞろぞろとでてきて、つないだ馬たちにのりかかる。一陣が馬首をめぐらす間に、厩舎主らしき老夫が道なみをしらせた。
「《”琥珀”はごった返してるぞ。”白”へ向かう者は?》」ふたりほどの郵便夫が挙手で応えると。「《ん、回廊を迂回するんだな》」発つのを左右へ見送る間にも、老夫は裏手から第二陣を引いてくる。
こちらはたしか“金の連絡所”。外見はべつだん金ぴかしていない。奥ゆかしくて立派なつくりでも、そびえ方としてはありふれている。仰げばちっとも目だたずに、ぎっしり詰まった通りの一部。それも都心部に九つもあるうちのひとつにすぎない。なるほど、「都市」とはこんなところ。誘惑でいっぱいである。
「ゼンも一杯いかがですか!」
そちこちから聞えているのだ、露店のうまい呼び込みが。もっともめぼしい近場のは、ミックス果汁の炭酸割りに、蜜も氷もたっぷりだという。
「一口わけてくれてもいいよ?」
往来の邪魔にならないように、たわいもなくふたり飲み過ごしていると声をかけられた。
「やぁ、どこからきたんだい?」馬を引く老夫であった。
「セルート!ダンコヨーテです」
答えるといささか思案気にされる。立ち話を聞かれたらしい――そうでないなら強情な値引き交渉を――日に焼けた老夫は手綱をくくって、アメイジア語を会話に選んだ。宿泊先は決まっているのかという。
「ええ、今夜はあちらに」
むかいの一等宿をゼンが手で示すと、老夫は腕をひらいてのけぞった。
「なにー!王様だとはオソレイッタね!」
ぎゅうぎゅうの軒並みが高く間近でみえないが、たしかに主城のある方だった。麦わら帽子をさっととりはらい、舞踏会ほどきざな礼をする彼は、顔をあげるとにやっとしている。それは優雅に、通りのゆくえを腕でなぞった。
「むこうの広場で劇をやってるよ!」
にぎやかなぶん、さまざまな人種がいるものだ。案内代をくすねる魂胆でもないらしい、単に世話焼きで愉快な老夫であった。
石畳は引っ剥がす余地もなく、みっちりと路地を覆っている。ひっぺがす、ゼンが言ったのである。「いざってとき武器にならないね」この都市の民衆は暴力を必要としないのだろう、とも。宿、道、橋に水路……いずれも名前を持つのであろうが、それら公共事業のすばらしさには、覚悟なくしてあっけにとられる。治水の発達ぶりは極まっており、澄みきった水面の上を伝わる鐘の音までが誇らしげに感じえた。気づけばひらけた大橋のうえ、伝統的な手漕ぎ船のゆきかう運河の模様を、足をとめ眺めていたのだった。
「いけない、まだやってるかな!」
演劇を催しているという、“琥珀の広場”はほど近い。「これから一番いい台本さ!」似たように運河を眺めていた、小人の男女が教えてくれる。「鐘がやんでも、まだ間に合うわ」礼を言って離れたあとも、彼らは欄干に腰かけたままで、かわいいわ、かわいいね、とこしょこしょ笑いをするのが聞こえた。
ありがたいことである。人々の流れに身を任せるまま、おのずと目的地につけた。
野外円形劇場だ。
「ハウプトたちもいるのかな」
ごった返しもいいところだから、まさか会えるとは思っていない。気高く白い舞台を扇状にとりかこみ、段々に下降する石のベンチを、一千人は埋めていた。夏の美しい花壇の色が、人垣のはざまにちらついている。気のいい大人が気がついて「見るのかい?」もひとつ先では「はじめてなのかい?」あの手この手に背中をおされ、いつのまにやら立ち見の最前なのであった。
「雨の日は沈まないのでしょうか……」
「たしかに?排水が気になるね」ゼンはあたりをさっと見張らすと。「あ、ほら見て。協賛の旗……」
「大きい!ここでもエルドレインですか。よほど大手の商家さんですね」
おかしなところばかり気にしてしまう。もっとほかにもあるはずだ、何夜目の公演であろう?とか。そもそもかくも耳目をあつめる、午後の演目とはなんであったか。
とにかく仕掛けが凝ってるのさ――どうしてかよく耳につくものである。場の開くのを待ちかねて、誰かがネタを漏らしかける。たしかに仕掛けは手が込むようだ。そばにある、何の柱かと思っていた。見上げたはなから、その「闇」は広がる。支える柱はどこにでもあった。一千人の頭上がまもなく、黒いとばりで覆われていた。
人騒がしさが引ききって、誰しもの目が慣れるころ、舞台のうえには、剣を帯びた男たちがいる。
「この真夜、風裂きて馬を駆るは誰ぞ!」
驚いた、こんなところまでアメイジア語だ。
—
【劇台本より抜粋】
(暗転待つ。騎士団・冒険者ら、闇に怯えて円陣を組んでいる。時機をみて風音、盛大に吹き鳴らすべし……)
怯える騎士団長役
「この真夜、風裂きて馬を駆るは――誰ぞ!」
(下手から”勝利の騎士”役、馬を駆り登場。実馬、吝嗇する勿れ!)
“勝利の騎士”役
「……ヴィクトル・サンドバーン。」(低い美声にて。注:サー・ノスタルジアとは衣装差別化)
歓喜する冒険者役
「武にものいわす“盾持ち”の騎士だ!」
鼓舞される騎士見習い役
「夜をば喰らう、”勝利の騎士”だ」
(“勝利の騎士”役、速やかに下馬。大胆な足さばきで、ひそんでいた夜の魔物らを斬り払う。閃光演出、配置1、2を起動)
一同
「おお……!」
(まもなく上手に夜の魔物の援軍、上手側どよめく)
囁き合う一団
「まだまだ来るぞ……!」「今度は何だ……!?」
(ひとりだけ上手にいながら、上手を見ていない)
よそ見をしている者
「あっ!」
(月光照明を、「槍」が横切るのを指さす。鼓動のように足音響く)
“巨人の槍手”役(声のみ)
「道を開けよ。闇は我が敵、槍こそ我が光」
(上手側の魔物、しずかに絶命。“巨人の槍手”役 、上手からのっしりと登場 。獣人面可とする)
一同
「な……なんと異相なる獣巨人よ!」 「愚鈍に見ゆるが、しかし……すばやいぞッ!」
(槍の見得。夜の魔物の援軍に連続突き)(下手側でも”勝利の騎士”役、立ち回る)
(二英雄、中央につどってから)
一同
「おお、稀なる豪槍の雄! 」「盾の剣に槍ときた!」「どんなに深い闇夜も裂ける!」
(勝利を確信して一同、さわぐが)
騎士団長役
「まだだ、まだ終わっていない……!」
(目の覚めるような静寂のち、地鳴り)
うろたえる一同
「……何だいったい!」「今度こそ何だ!?」
(たけだけしい火炎が一同の頭上をなめる。下手からドラゴン登場)
見習い騎士役
「ど、ドラゴンだ!?」
(ドラゴン、首をあげて咆哮。二英雄、戦闘開始)
騎士団長役
「サー・サンドバーンも、槍手殿も苦戦しておられる!」
(二英雄、格闘も怪腕に上手側へ吹き飛ばされる。炎の明滅の間に、生成しておいた岩を割る。轟音)
(ドラゴン、咆哮。にじりよる。一同、じりじり後退もいどころが危うい。二英雄、まだ起き上がらない)
騎士団長役
「かくなる上は……!」(剣をおさめ、柄に手をかける)
一同
「い、いや、待たれよ!」「ああ、あれは……!?」
(月光照明、屋根/天井の梁にあてる)
—
あっと観客が息を吞んだ。
まっ白い布で身をくるみ、彼は落ちてくる。すこしだけ着地がおぼつかない。
「し、”少年の騎士”だ!?」
はげしい舞台のうえである。外野が何といおうとも、誰かが規定したように、彼こそがそこで”少年”だ。
「”少年の騎士”、であるだと!」
「闇夜の只中へ投じるには、あまりにもあどけなき刃!」
「しかし!?」
“少年”が剣をふるいかえすと、いとも簡単に”竜”はひるんだ。板絵の車輪がぎこちなく鳴る。
一同があげるさまざまな歓声を、天の声がおぎなった。
『――ありえるわけがない。それでも実在したのである、誰も名を漏らさぬかの少年が。ありえたのである、かようにふしぎな出来事が……』
ほかの英雄もかけつけて、戦闘はじきに剣舞となった。竜や魔物までおどりだし、大合唱がはじまった。
♪立てた剣にも満たぬ背丈の 子獅子は盾の大狼に学び……
光をもたらすものとして 悪なき夜明けの使者となる……
――フランは、なるべくしずかなため息をついた。退屈したとゼンはとったらしい。もっと身を寄せてささやいた。
(いいかな?もう少しだけ……)
彼がそう言うのであれば。
少年のような夢想の時と、少年とはかけはなれた瞑想的な時。今からのゼンがそのどちらへゆくのか、フランには判断つきかねた。沈鬱とした病ではないはず。思い返してみれば、彼にははじめからそんな時間があった。
物思いを大切にする、彼には必要な時間。ただ彫像のように、とつぜん動かなくなってしまったらと思うと、怖い。
けっきょく、馬が痛々しくいななく場面があってからは、若い恋人たちに場所をゆずった。
「……ねぇ、ゼン?せっかくだから、ほかにも行きたいところがあるんです」
演劇を見たがったことを、失敗した、とは感じない。けれど今の彼には、もっとしずかなところがよいかなと、横顔をみていてフランは思った。
「もちろん。行こう、どこへでも」
はぐれないよう手を繋ぐから、仲の良い姉弟として、人々の目にはうつっただろう。
—
夜空をなぞらえた、はてしなく大きな黒い布を、柱から柱へ渡すのは、みえないてぐすと風魔法。あかるい幕だまりではきっと、花束を抱えた乙女たちが待つ。
興味深い。
しーっ!と最初に聞こえてからは、野次もなくみんな見いっていた。
抗いがたい物語の引力。
『ともすれば君はこれから、あまねく陰陽を引き受けることになる……』
かの決戦の帰り路であった。
個人と紐づく名前ではなくて、”少年”という全で押し通せ――斯様な提言をしてもらっていた。そのとき意味はわからないでいたが、悪路をともにした大人たちは、もれなく誓ってつきあってくれた。
『詩人と役者は時代の要約者、手っとり早い年代記である。どんな墓碑銘もかまうまい、生前、彼らに悪くうたわれるより……ん、逆が実際か?ともかく――』
テキセン・ガルド=シルヴィンが言うのはひとつの信仰であった。誤っていても効果的である。「少年」という魔術的迷彩は、見事に役割をはたしたのだ。
「役作りには改善の余地があると思います……!」
しかしフランはゆずらなかった。たしかに、ダコック団長はもっと勇敢だったし、ボルドヴェンがいないのも気にくわない。ほかにも然るべき人が不足するのは、単に簡略化されただけでなく、遠くから知りえないことだから。
せめて気がつける人が多ければよいなと祈っている。
勇気だけを抱いて、英雄のようにふるまえたらどんなによいか。
「功成り名遂げた然る騎士は、忽然と姿を消してしまいました。何故なのか!?私たちは真相を追求して参ります――」
おなじ広場のちがう一隅では、報道演説のようなものもある。
「――それを貧民窟!けしからんではありませんか。彼らの奉仕に目を背け、かくも非道な世迷いごとを……」
はたまた別では政治批判。
よかれあしかれ、こうしたものがありふれているということは、この土地の為政者の自信のあらわれだ。
ふつうは、巨富を費やすことをせずとも、人の口には戸が立てられない。ダンコヨーテのはずれの農村でさえ、娯楽としての英雄譚は人気がある。人々のうわさを並べれば、人々がなにを得たいのかがわかる。ただしそれは、地図で水路を読みといた時ほど、合理的な解とはかぎらない。騎士の手柄も、王の功績も、目撃者なくしては伝わらず、遠いほど実像とはゆがむ。
こっちです!こっちにいってみましょうと、言われるがままフランにつきそう。薄暗い石の拱廊を抜けた先で、足がぴったりと載る敷石はやんだ。
――僕はまた何かを探してる……。
痕跡なのかもしれない、と思う。
聖国からの手紙は「急げ」というが、父親から直接の手紙ではなかった。月日で理性がたつにつれ、勝手な失望がにじみだす。いちいち日記に書き下ろさないがために、ついつい忘れてしまうような、けれど手頃な『冒険』の日々に、甘えていたくなりもする。
カザフィ氏なる光の騎士が、たまたまかの決戦には駆けつけた。本当に急げと思うのなら、おんなじ飛竜でかっ攫いに来るはず。それも安穏と”家”で暮らす間に、空に怪影は見ないのだったし。
これぞ巡礼の手続きだとして――お父さんは、どこまでまともに歩いたのだろう?――もしやこの石畳も踏んだのか。つまりは、そんな痕跡探し。
父も”光の騎士”だとしたとき、祝福を与えた神子とは誰だったろう。手紙がすべてまこととすれば、聖国にすまう先達の神子らは、櫛の歯のように欠けゆくという。大変な事である。時間ならあったはずなのに、この点、議論をしていない。たったひとりだけ知りえた大切な”神子”は、視線をおくるとにこにこしている。
気を遣われていると知りながら、甘えたほうが彼女も喜ぶ、とずるい考えをしてしまう。入れ知恵をしたのはアムソフィヤだ。もしもひとりで叱られるときは、不公平だと主張しよう。
「このあたりにあるそうなんですが……」
気づけば思わぬところにいる。陽の届きにくい路地裏の先の、こじんまりとした、広場と呼ぶにはせまい広場。ちっとも人気はないのに、あたり建物のどれを高く見上げても、生活のにおいがただよっている、誰のものでもない中庭のような、ある種の聖域。
「……探すのはありふれたもの?」
「はい。そしてある意味では、いいえ……!」フランは先にコツコツと、足を鳴らしておどりでた。「たぶん見つけたと思います」
はじめ井戸かと思えたそれは、どうやら泉のたぐいらしい。この”中庭”のまんなかにある――噴水なのかもしれないな――境界的な存在だから、さだめることはかなわないだろう。その石造りがなにを湛えるのか、関心をよせて近づこうとすると。
路地裏のとおい反響が、誰かの駆け足を増幅した。首をめぐらすとフランも続いた。どこからか、はずんだ息がもうすぐそばだ。
「え……」
しゃん!と涼しくひびく音の正体に、強力な先入観が介入する。
――腕輪……?
さらなる徴には勝らなかった。
むかいの路地からあらわれたのは、青い髪をした少女。これまた境界的な色、千変万化する水面の青だ。
ときに、”星の理”である。
遅かれ早かれ、人は気がつく。神子を見たならば、それが”神子”だと。青い髪をした少女は目があうと、とっさにうしろをかえりみて。
「助けてっ!」
神子だと察せた相手に、庇護を求められたなら人は、多く摂理として逆らえない。だが既に”騎士”である者の意志決定には、なんの影響も及ぼさない。戦いの自分を目覚めせゼンは、決然とつかに手をかけた。




